〈 11 〉
「守屋さんがドラキュラだったって、それはどういう事。」
夏実が健人と孝之を交互に見ながら言った。孝之は黙然としたままの健人を見やりながら言葉を続ける。
「守屋さんがドラキュラになって、今回のことをすべておこなった。そう考えれば、すべてがうまく説明出来る。守屋さん、ぼくの口から今回のことの顛末を話してみても構わないかな。」
孝之の言葉に健人は少し眉を上げただけだった。
「ハロウィンのイベントで、ドラキュラとなってぼく達の前にあらわれ、鏡のイリュージョンを演出したうえで、太陽を浴びて、消えていってしまう。それが守屋さんの描いたシナリオだった。あのイベントの始まる前、8階でぼく達と別れた守屋さんは、屋上へ向かい、踊り場でドラキュラが溶けてしまう演出の準備をし、ドラキュラの仮装に着替えたんだ。8階へ降りてきた守屋さんは、偽名で受付したあと、パレードに参加した。そして個別撮影の時に魔女の鏡のイリュージョンでぼく達を騙したんだ。マントに隠れて、屋上からのふりをしてぼくに電話をかけてきたあと、わざと目立つように会場を抜け出した。夏実が追ってくるのを見て、階上へ駆け上がり、踊り場の仕掛けに手を加えて発動させた。それから屋上へ出て鍵をかけ、ドラキュラの仮装を解いた。あとは、夏実の悲鳴を聞いて駆け付けたふりをした。どうかな守屋さん、これで合ってるかな。」
健人は口を結んだまま、孝之の話を聞いている。孝之は続ける。
「このマジックミラーの仕掛けを作ったのはまぎれもなく守屋さんだ。パレード企画はこども売場と販売促進部との共同企画だから、偽名を使った人物を紛れ込ませることも可能だったんだろう。あのドラキュラは素顔がわからないように、襟とマスクで顔を覆っていた。声てバレないように、ほとんど話さなかった。ぼく達が屋上へドラキュラを追っていった時、踊り場の゙仕掛けを発動させたあとのドラキュラは何処へ消えてしまったのか。階下には夏実とぼくがいる。踊り場に隠れるところもない。行き場は屋上しかない。だとすれば、屋上からあらわれた守屋さんが、仮装を解いたドラキュラだったとしか考えられない。」
孝之が言葉を切ると、健人は頭に手をやって、苦笑いを浮かべた。
「小澄さん、ご明察。完璧です。おっしゃるとおりです。ぼくがドラキュラだったんです。」
「それにしても・・」
杏奈があきれたように口を開いた。
「ずいぶん手の込んだイタズラね。準備だけでも大変だったろうに。」
「マジックミラーの仕掛け自体は、装飾業者との伝手と経験があったから苦労はしませんでした。ただライトの点灯、消灯の切り替えのタイミングは難しさが予想されました。どうしてもその瞬間の明るさの違いが目立ってしまいますから。出来るだけ注目されてないときを見計らう必要があって。幸い、タイミングよく雷鳴が響いたので、気付かれなかったと思います。」
「踊り場の仕掛けはどんな手品だったの。」
夏実が聞いた。
「小澄さんが言ったとおり、ドラキュラの仮装をする前に、踊り場に衣装をうつ伏せに並べて置きました。衣装がもう一揃い必要でした。階段室の9階に屋上閉鎖の看板を立てておけば、誰かが上がってくる心配は無い。そして服の中にはドライアイスを仕込んだんです。」
「ドライアイス!」
「そうです。ドライアイスの粒を服の中にまんべんなく入れておいて、あとは稲森さんに追いつかれる前に、液体洗剤を服の中に流し込むだけでした。」
「それ、小学校の自由研究で実験したことあるわ。」
杏奈が口を挟む。
「ドライアイスに洗剤を入れると、一気に泡と煙が溢れ出すのね。」
「そうです。反応が激しくなるように、洗剤はお湯に浸けて、あらかじめ温めておきました。」
「でも、あれは単純な泡ではなかったよ。何だかもっとリアリティがあった。」
孝之が疑問を投げる。
「割れないシャボン玉の作り方を知ってますか。シャボン液に洗濯のりと砂糖を加えるんです。ぼくが使ったのはこの強化洗剤です。これをドライアイスに混ぜると、粘り気のある泡が大量に発生する。食紅で赤い色をつけると、かなりグロテスクな感じになります。」
「食紅だけじゃないよね、混ぜたのは。」
「ええ、リアリティを出すために、ある動物の肉も使いました。あの日の午前中、食品売場のイベントで手に入れたものです。」
「あっ。」
杏奈が声を上げた。
「マグロの解体ショー・・」
「そうです。解体されたマグロの一部は社員食堂のメニューのために貰い受けたんですが、その中の血合い部分を少し拝借しました。ミキサーで細かくして、ドライアイスと一緒に服に仕込みました。」
「マグロの血だったんだ。シャツについてたのは。」
「もったいない。」
杏奈がつぶやいた。
「マグロの血合いは角煮にするとすごく美味しいのよ。栄養も抜群だし。」
「待って、ちょっと待ってよ。」
夏実が大きな声を上げた。
「さっきから、うっかり聞いてたけど、守屋さんがドラキュラになれるはずがない。体格が、背の高さが違いすぎる。」
「そう、確かに背の高さが違う。そこに、この一連の騒動での最大の『偽り』がある。」
健人は切ない目で孝之を見た。孝之はふと視線を外して少し苦しそうな口調になった。
「守屋さん、良かったらこのカーペットの上で、靴を脱いでみてくれないか。」
健人は一瞬突き刺すようなまなざしになって、孝之を見たが、ふっとため息をついて肩を落とした。
「参りました。わかりましたよ、皆さんこれがぼくの正体です。」
健人は黒い革靴から両足を抜いてカーペットの上に立った。
夏実は健人の姿を見て息を飲む。健人の゙背丈が、こどものように低くなっていた。
カーペットの上に脱ぎ捨てられた靴を拾い上げて、杏奈が静かにつぶやく。
「そうか、これで皆を欺いていたのね。このシークレットシューズで。」
孝之も健人の靴に目を落として、
「この靴で10センチ以上の背丈が稼げそうだね。」
「特注品です。13センチの高さがあります。」
健人は悄然として、聞き取れないような声でぽつりと言ってうつむいた。
「この靴を脱いで背をかがめれば、十分小学生に見えただろう。」
孝之は暗いまなざしで健人を見た。
「あの日、守屋さんは屋上でドラキュラの仮装に身を包んだ時、その靴を脱いでこどもに扮した。そして再び戻った屋上でドラキュラの衣装を脱ぎ、靴を履いていつもの守屋さんに戻ったんだ。」
「そうです。靴を履いていつものぼくに戻って、ほっとしました。でも本当のぼくはこんな姿です。ドラキュラの格好をしているとき、一番恐ろしかったのは本当のぼくの姿がバレてしまうことでした。」
健人は顔を上げて三人を見回した。
「ごらんのとおり、ぼくはチビです。身長は150センチしかない。この事でどれくらい惨めな思いをしてきたか。馬鹿にする人もいました。いじめにもあいました。それについては、あまり多くは話したくありません。一時期、演劇に興味を持って小さな舞台に立ったこともあります。こどもの役です。今回のイタズラも、この経験から思い立った部分もあったんです。自分の個性を生かせる場と思って、子役を一生懸命演じました。でも、やっぱりダメでした。まわりからいつも見下ろされているという思いは消えませんでした。2年前にこの街にやってきた時、ぼくは今までの自分を変えようと思いました。この街には、ぼくのことを知ってる人は誰もいない。この靴を履いてみて、初めて前を向いて生きていけるような気がしました。もう誰からも馬鹿にされない、誰とでも対等に振る舞える。そう思いました。ぼくは変われたんです。だからぼくの秘密は、ぼくの本当の姿は絶対に知られたく無かった。」
健人はそう言うと、再び目を伏せた。
「本当の自分の姿をわたし達に見られるのが、そんなにいやだったの。」
杏奈が無表情に健人を見下ろす。言葉の調子が乾いたものになる。
「偽りで固められた自分の姿に戻れたら安心するの。いつまでそうやって皆を欺いたままでいるつもりだったの。」
うつむいたままの健人の肩が少し震えた。杏奈はその姿に向けて言葉を続ける。
「誰だってコンプレックスを持っている。自分のからだのことで悩んでない人なんかいない。容姿のことで悩んでない女性なんかも見たことない。わたしだって、こう見えても体型のことでは、ほんの少しはコンプレックスがあるのよ。男の人だって、たとえば年の割に髪が寂しくなってくる人だっている。」
杏奈はちらりと孝之を見る。孝之は思わず頭に手をやる。
「太っていること、痩せていること、背の高すぎる悩みだってある。普通の背丈でも脚の短い悩みだってある。」
杏奈はまた孝之に目を走らせる。
「いちいちこっちを見ないでくれよ。」
情けなさそうに孝之はつぶやく。
健人は口の端をゆがめた。片頬だけで笑っているように見えた。
「そんな言葉、なぐさめにはなりませんよ。そんなふうに思って何度自分を納得させようとしたか。でも他の人の悩みなんか小さく思えて仕方なかった。チビはどこまで行ってもチビ。努力ではどうしようもない、ぼくの大きな弱点なんだ。」
感情を押し殺したような低い声で健人はそう言った。
「守屋さん、あなたが演じたドラキュラはモンスター界のスーパースターよ。」
杏奈もゆっくりした口調になった。
「でも、ドラキュラには弱点も多い。十字架、ニンニク、太陽の光、あとなんだっけ。」
「木の杭で打たれると死ぬ、川を渡れない、銀の弾丸で死ぬ、まだまだある。」
孝之が杏奈の言葉を補足した。
「そんな弱点を、世界中の人たちが、知っている。それだけ弱点をさらしながらも、ドラキュラはいつも颯爽とあらわれる。くじけすに、何度でも立ち上がる。誇りを失わずに生きている。弱点をさらしているからこそ、怖いものは何もない。強くいられるんじゃないの。」
「ぼくはドラキュラのようにはなれませんよ。あんな超能力はぼくには無い。」
吐き捨てるように言って、健人は顔を上げて杏奈を見た。瞳の中に燃えるような光があった。
「平良さんにはわからない。いつもいつも他人から見下ろされていたこの気持ちが。」
「そんなことわからない。わかりたくもない。」
杏奈は感情を爆発させた。激しい口調が次第に早口になる。
「あなたに同情すればいいの。なぐさめてあげたらいいの。かわいそうだと言って傷口を撫でてあげたら満足するの。」
健人は気迫に押されたような、息を止めて杏奈を見た。杏奈は矢のように言葉を続ける。
「自分に力が無いって、どうしてそんなことがわかるの。正直な自分になぜ自信が持てないの。開き直って、前を向いて生きることがそんなに怖いの。あなたの周りの人が見下ろしていたのは、あなたの背丈ではないわ。あなたの卑屈な人間性が見下ろされていたのよ。」
うなだれている健人の姿を、孝之と夏実も黙って見守っている。
杏奈は再び静かな口調になって、
「胸を張って生きていってよ。ドラキュラのように自分を信じて、たくましく。でないと人生もったいないよ。」
健人は顔を上げた。そして杏奈を見て、かすかにうなずいた。
杏奈は表情をゆるめて大きく息をついた。そして小さな声でつぶやいた。
そのつぶやきは孝之には聞こえなかったが、夏実はハッとしたように杏奈の顔を見た。
「ありがとう。」
そう言った健人の目の奥に、穏やかな光が浮かんでいた。