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収穫祭のヴァンパイア  作者: ハーモライン
10/12

〈 10 〉


 孝之と夏実は閉店間際のS百貨店に滑りこんだ。8階のこどもフロアに向かうエスカレーターを上る途中で、閉店を告げる音楽が流れ出した。

 平日ということもあって、帰途につく客の姿は少ない。上層階はもうほとんど客はいない。

 こどもフロアのイベントスペースに設けられた『王宮の間』のセットは、ハロウィンが終わった後も残されていた。ジャック・オー・ランタンなど、ハロウィンのイメージは取り払われているが、その他の装飾はそのままだ。アンティークな調度品等や、『魔女の鏡』もあの時のままだ。

 エスカレーターを駆け上がってきた二人は少し息を弾ませていた。孝之は王宮の間を見渡しながら、

「今日が月曜日だから、この王宮の間は、今夜これから撤去されるはずだ。」

S百貨店は営業上、火曜日から新しい一週間が始まる。月曜日は週末だ。店内の装飾物も原則として、月曜日の閉店後に模様替えになる。

 閉店の音楽が終了し、従業員のお見送り体制が終わるのを待って、孝之の夏実は王宮の間の前に立った。

「あらどうしたの、こんなところで、こんな時間に。」

 フロアの終礼を終えた平良杏奈が、二人を見つけて近づいてきた。

「ああ、平良さん。ちょうど良かった。一緒に確認してほしいことがあるんだ。この王宮の間の装飾は今日までだよね。」

「そうよ。明日からはもうクリスマス装飾が一部始まるわよ。」

「今日の撤去は何時からだろう。」

「催事場の撤去がある程度片がついてからだから、21時過ぎてから。守屋さんはもうすぐ撤去準備で現れると思うけど。」

「じゃあ、少し時間の余裕はあるね。」

「いったい何を確認するの。」

 孝之は壁にはめ込まれた『魔女の鏡』を指さした。

「あのハロウィンの日、ドラキュラの子だけがこの鏡に映らなかった。その理由を確認したい。」

「その理由がわかったの、小澄さんには。」

 杏奈は目を丸くした。

「わたしも何度もこの鏡を見て考えたけど、何もおかしな点は見当たらなかったわよ。」

「そう、一見普通の鏡に見えるけど、もしかしたら特別な仕掛けが施されているかもしれない。それを確かめたい。」

 孝之は魔女の鏡の前に立つと、そのガラスの表面を右手で撫でてみた。

「こちらからだと何の変哲もない鏡だね。この裏側にまわってみよう。」

 孝之は壁に沿って左に進み、装飾の端を横手に回り込んだ。杏奈と夏実が、孝之のあとに続く。イベントスペースのコンクリートの耐震壁との境い目にパーテーションが立てられかけてある。パーテーションをずらすと、張りぼての壁の裏は細い通路のようになっているのが見えた。。孝之を先頭に一同は壁の裏に入って行った。通路はかろうじて人が一人通れる幅しかない。

 しばらく進むと、2畳ぼどの少し開けたスペースに出た。

「あら、何だか小綺麗な感じ。まるで隠し部屋みたいね。」

 杏奈がぐるりと見回して言った。

 木材の骨組みが目立つ装飾の裏側の中で、そこだけは表側と同じようにレンガ調の壁紙が隙間なく貼ってある。床に赤いカーペットが敷いてあるのも同じだ。壁面の背丈より高いところに、ライトが2つ。今は点灯していないため、部屋の中は薄暗い。

「こっちは大きな窓になってるのね。」

 夏実が壁の一面を指さして言った。大きなガラス板がはめ込んであって、向こう側のホールを見渡すことができる。

「なるほど、思ったとおりだ。」

 孝之はその窓を見てうなずいた。

「そのガラスが『魔女の鏡』だよ。」

「えっ。」

 杏奈は以外そうな声を上げた。

「だって、これはただのガラスよ。向こうが見えてるもの。」

 ガラスに触れるほど顔を近づけて杏奈が言う。

「そう、こちらから見るとガラス板で、向こうから見ると鏡になってるんだ。」

「じゃあ、このガラスは・・」

 夏実の言葉を孝之が引き取って、

「そう、マジックミラーになっている。」


 三人は装飾の裏側から出て、王宮の間の魔女の鏡の前に戻ってきた。

 鏡には三人の姿が映し出されている。杏奈は鏡の中の自分の姿に手を振ってみる。鏡の中の杏奈も手を振り返す。

「これがマジックミラーだとしても、ドラキュラだけどうして映らなかったのかしら。」

「それをこれから実験してみたいんだ。」

 孝之は鏡のまわりをいろいろ調べていたが、アンティークな燭台の前で、ふいに声を上げた。

「この横がスイッチみたいになってる。たぶんこれに間違いない。これをオンにしてみるから、二人ともそのまま鏡を見ていて。」

 上方が5つに分かれた燭台の根本に、小さなツマミのついたスイッチのようにものがある。孝之はツマミをひねった。

「あっ。」

 杏奈と夏実は同時に声を上げた。二人の姿が鏡の中から一瞬で消えてしまった。

「わたしたち、消えちゃった。」

 夏実は目をパチパチとしばたいた。

「二人の姿が消えたんじゃ無い。鏡がガラス板になって、向こうの隠し部屋の景色がみえてるんだ。」

 良く見ると、ガラスの向こうに見えているのは、さっきまでいた裏の小部屋だ。壁紙も床のカーペットもこちら側と同じなので、映っていた人だけが消えたように錯覚したのだ。

「そうして、またスイッチを切ると。」

 孝之が燭台のスイッチを切ると、元通り二人の姿が映し出された。

「これはどういうことなの。」

 杏奈が鏡の表面をなんども撫でながら、

「鏡になったり、突然透明なガラス板になったり。」 

「それが、マジックミラーってことだよ。」

 夏実は孝之を見て首をひねる。

「マジックミラーって片方から見たら常に鏡で、反対側から見たら常に透明じゃないの。取調室にあるみたいに。」

「そういうふうに誤解されがちだけど、そうじゃないよ。光学的にはそんなものはありえない。」

 孝之は鏡の表面をトントンと叩きながら、

「マジックミラーの原理はこうだ。透明なガラス板の間に薄い反射材を挟み込む。光を半分反射し、残りの半分は通過させるような反射材だ。ガラス板の一方から来た光は半分が反射されるが、半分はそのまま通り抜ける。このガラス板で2つに仕切られた部屋があるとしよう。2つの部屋の明るさに差があったとする。その時このガラス板は、それぞれの部屋からどう見えるか。暗いほうの部屋からの光は半分は通過するが、明るい部屋から来て半分反射される光のほうが強いので、かき消されて見えなくなる。逆に、明るい部屋からの半分の通過光は、暗い部屋の反射光をかき消してしまう。その結果、暗い部屋では明るい部屋からの通過光だけが見え、明るい部屋ではその部屋の反射光だけが見える。ガラス板のどちら側が鏡に見えるかは、どちら側がより明るいかによる。警察の取調室も、隣の部屋より明るいから、取調室からは鏡に見える。隣の部屋のほうが明るくなれば、透明になって隣の部屋が見えるようになる。」

「そうなんだ。知らなかった。」

 夏実は感心する。この人はどこでそんな知識を仕入れたのだろう。

「この鏡も、こちら側が向こう側より明るいから鏡になってるのね。」

「そう、向こうの部屋はこちらよりかなり薄暗い。でも燭台のスイッチを入れると、隠し部屋のライトが灯って、向こうの方がこちらよりも明るくなる。だから鏡ではなくなり、単なるガラス板になる。その時は向こうから見たらガラスは鏡になってるはずだ。」

「なるほど、じゃあドラキュラの時もこの仕掛けで、その姿が映らなかったのね。」

「うん、あの時ドラキュラが鏡の前にいた時だけ、隠し部屋のライトが灯っていたんだと思う。」  

「それじゃ、誰が燭台のスイッチを操作したの。」

 杏奈は燭台を指さした。

「ドラキュラ、それとも他の誰か。」

「それについては、まずはこの仕掛けを作った人に話を聞いてみたいな。」

 孝之が言った時、背後で声がした。

「おや、これは皆さんお揃いで。撤去の手伝いに来てくれたんですか。」

 守屋健人が明るく笑って近づいてくる。

「グッドタイミング。」

 杏奈がつぶやいた。


「守屋さん、さっきぼく達はこれを見つけたんだ。」

 孝之は燭台のスイッチを操作して、隠し部屋の灯りを明滅させた。健人はそれを見て、かすかに表情を固くしたが、すぐに柔らかく微笑みを浮かべた。

「バレちゃいましたか。マジックの種に気付かれたんですね。」

「ドラキュラはこのマジックミラーの仕掛けで、鏡から消えた。この仕掛けを作ったのは守屋さんだよね。」

「そうです。この仕掛けはぼくが作りました。マジックミラーもぼくが発注し、設計もして装飾屋に依頼しました。なかなか上手く出来たでしょ。」

「どうしてこんな手の込んだものを作ったの。」

「昔いた制作プロダクションで、マジックミラーを使ったイベントがこども達に大受けしたことがあって。イベントの中でいろいろサプライズ活用を考えてたんです。結局活用の機会を逃してしまいましたけど。」

「この仕掛けを知ってるのは守屋さんだけなの。」

「ぼくと装飾屋だけのはずです。」

「それからドラキュラね。」

 杏奈が、そう言って健人に視線を据えた。

「あのドラキュラは鏡に自分の姿が映らないことを知っていた。それを意識してのあの鏡の前のポーズだったのよ。でも守屋さん、あの仕掛けを作ったあなたが、どうして黙ってたの。わたしや小澄さんが、ドラキュラのことを不思議がってた時、マジックミラーのことを何故言わなかったの。」

 健人は杏奈からすっと目を逸らせて声を落とした。

「みんなが不思議がっているのが、少し面白くて。わざわざ仕掛けを作ったかいがあったなって。悪かったと思ってます。」

「ちょっと待って。」

 夏実が口を挟んだ。

「ドラキュラが鏡に映らなかったのが、この仕掛けのせいだったのなら、ドラキュラはやっぱり本物ではなかった。とすれば、屋上の踊り場のことも何かの手品のようなものだったの。」

「そういうこと。そしてそれが出来たのは、守屋さんだけだったとぼくは思う。」

 孝之の言葉に健人は黙って視線を落とした。孝之は続ける。

「この王宮の間で、燭台のスイッチを操作し、ドラキュラが鏡から消えるイリュージョンを演出したのも、屋上の゙踊り場で太陽の光の下、ドラキュラが溶けてしまったかのように見せかけたのも、全部守屋さんの仕業だったんだよね。」

 健人に三人の視線が集中する。孝之はゆっくりと語りかけるように声のトーンを落とした。

「守屋さんがあのドラキュラの正体だったんだ。」

 


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