〈 1 〉
瑠璃色のカーテンが閉まっている。目の前を覆った深い青色はそよとも動かない。
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カーテンを背景にして、ゆったりとした優しい旋律がどこからともなく流れている。オルゴールの音色に間違いない。全身を包み込むような懐かしい音色が、心に染み込んでくる。
幼いころに大切にしていたオルゴールのことをふと思い出す。手のひらにのるくらいの小さなメリーゴーランド。底に付いたねじを巻くと、三頭の木馬が回りだす。流れ出る曲は『アメージンググレイス』。どこかで買ってもらったのか、誰かからのプレゼントだったのか、覚えていない。
物心ついた時からそのオルゴールはそばにあった。悲しいとき、淋しいとき、そのねじを回して、流れてくる音色に身をゆだねた。そうして、ゆっくりと回る豆粒のような木馬を眺めていると、ふさいだ心が、少し暖かくなるような気がした。
それは幼いころの宝物だった。今でもどこかにあるだろうか。捨ててはいないはずだ。今度探してみよう、そう思った。
今聞こえてくる音色は『アメージンググレイス』ではない。でもその美しいメロディーはどこかで聞いたことがある。
何の曲だったか、思い出そうとした。あらためてその音色に耳を傾けて考え始めたとき、ふいに雷鳴がとどろいた。耳をつんざき、からだを震わせる轟音が何度か響き、稲妻が強烈なフラッシュライトのようにカーテンを照らした。
思わず両手で耳をふさぎ、目を閉じた。稲妻は一度きり。雷鳴も程なく止んだ。
あたりはしんと静まり返った。オルゴールの音もいつのまにか止まっている。
目を開けると、瑠璃色のカーテンの前に姿見が立っている。自分の全身が写し出されている、大きな鏡だ。頭の上の方から、赤いバラの花びらが、ハラハラと舞い落ちてくる。
自分の姿を見て驚いた。水色のドレスを身にまとっている。セパレートになったドレスは胴回りが大きく空いた、エスニック風のデザインだ。
「素敵。でもこんなドレス持ってない。わたしのじゃない・・・」
そうつぶやいた時、背後に気配を感じた。振り返ってみると、男が一人立っていた。
背の高い、その男の黒いシルエット。後ろに撫でつけられた髪と、突き刺すような鋭い目。細く高い鼻と鋭角に尖った顎。黒いマントと首を隠すように立てられた大きな襟。
どこかで見覚えのある顔だ。
「あなたは誰。」
勇気を奮い起こしてそう聞いた。
答えはない。かわりに両手をこちらに向けてゆっくりと上げた。広げた指は異様に細長く、節くれ立って、禍々しい力が宿っていることを感じさせた。
男はそのまま足音をたてず、床の上を滑るように近づいてくる。
ふと違和感を感じて、背後の鏡を振り返った。鏡には自分のドレス姿が映っている。しかし、その男の姿は鏡の中にはどこにも見当たらない。確かにそこにいるはずなのに・・・
背すじを冷たいものが走る。振り返ると、男の顔が間近にあった。
再び雷鳴がとどろき、稲妻が走る。
男の唇が裂けるように横に割れ、鋭いキバがその中にのぞいた。男の両手が自分の肩にかかる。
逃げ出したい。でもからだが動かない。
男の口がゆっくりと大きく開く。稲妻が獣のようなキバとギラギラした真っ赤な両目を照らし出した。
あふれでた悲鳴はとどろく雷鳴にかき消された。
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瑠璃色のカーテンはそよとも動かず、閉まったままだ。