魔法使いと母娘
あるところのある時代、魔法使いイリスは旅先で出店の娘に言いました。
「あなたのお腹にいる子供はどうやら魔力持ちのようだ」
それを聞いた娘はさっと顔を青ざめさせて、母らしき初老の女とこそこそ話したかと思えば、遊んでいた子供らの手を引っ張り、出店を畳んでしまいました。
その日の夕方のことです。イリスが宿で休んでいると扉を叩かれました。開けると、どこで聞きつけたのか、昼間の初老の女がいました。
「魔法使いさまは先ほど、娘のお腹にいるのは魔力持ちだと仰いました。しかし、家には魔力持ちの子供を育てるだけの余裕はありませぬ。どうか娘に悟られずに子供をおろさせる薬はないものでしょうか」
初老の女はイリスにそう尋ねましたが、イリスは薬師ではないので分かりません。
しかしながら、あれだけおなかが大きければおろすのは難しいだろう。そうイリスが告げると、初老の女は肩を落としました。
「魔力持ちの赤子は国が引き取ることもできる、そうすればお金も貰えるだろう」
イリスがすすめましたが、初老の女は首を振りました。
「腹の子供を売るように、などと言えば娘は傷つくでしょう。けれども魔力持ちの子供を育てるだけの余裕はありませぬ。ならば、初めからいないほうが幸せなのでございます」
けれども、それも出来ぬというのならば…と言うと、初老の女は肩を落として帰ってしまいました。
その日の夜のことです。
宿屋の亭主の呼びかけでイリスが扉を開けると、そこには昼間の若い娘がいました。初老の女と子供の姿はありません。
イリスが娘を部屋に招こうとすると、「妊婦にその部屋は寒いだろう」と宿屋の亭主が階下の食堂を開け、暖炉に火を入れてくれました。
「おかあさんから聞いたのだけれど、」
亭主の入れてくれた白湯もそこそこに、娘は切り出しました。
「お腹の子供を国に渡せば、どれくらいのお金をいただけるのかしら?」
具体的な金額をイリスが教えると、娘は喜びました。
「これで子供達に貧乏な生活をさせずにすむわ!」
おや、とイリスは首をかしげました。
「君の母親はそうは思ってなかったようだが」
イリスが疑問を口にすると、娘は怒ったように言いました。
「お金があれば子供を学校に行かせてあげられる。おかあさんは古い人だから分からないだろうけど、文字と計算ができればそれだけいい仕事に就けるわ。わたしは子供たちにできるだけいい生活をしてほしいの」
娘は嬉しそうに笑いました。
「諦めていた夢が叶うのね」
「おなかの子供は手放すことになるけど、それはいいんだね?」
「確かにこの子はわたしの子ではなくなるわ。けれどこの子は立派な魔法使いにしてもらえるのでしょう?」
怪訝な様子の娘をみて、そういうものかと納得したイリスは、国に連絡を取る方法を娘に教えてあげました。
「ああ、早くこの子が生まれてほしいわ!」
喜ぶ娘はそう言って、膨らんだお腹を大切そうに撫でるのでした。
娘が帰り、冷めた白湯を飲みイリスが一息ついていると、台所の奥で話を聞いていたらしい宿屋の亭主が呆れたように言いました。
「それにしても、これまたずいぶんひどいことを教えたものだね」
イリスは驚き、訊ねました。
「そうなのか?私もそうやって引き取られたらしいのだけど…」
「そりゃ、悪かったな」
気まずげに白湯を飲む亭主を横目に、うーんと首をひねり、そういえば、とイリスは言いました。
「お腹の子供がどうしたいかは聞かれなかったね」
「そりゃあ聞きようがないからな」