八十八夜
夏も近づく八十八夜は昨日でした。
唱歌でも茶摘みの様子は歌われております。
我が国のお茶の産地は静岡県と京都府宇治市が有名ですが、宇治市の茶畑は江戸幕府の将軍御用でもありましたから、その興隆も盛んでした。
将軍献上のお茶は「御茶壺道中」と呼ばれる宇治採茶使の運搬が行われました。この道中は将軍家が巡幸しているのと同様に扱われ、御三家であっても道を譲るなどの権威があったようです。
その権威は童謡にも歌われ、「茶壺に追われて戸ぴっしゃん」と外出を許さない情景が描写されています。
お茶は当初、薬として輸入され、寺院や上流階級を中心に飲まれていました。
鎌倉時代には武家の間でも広く飲まれるようになり、闘茶という競技が行われるようになります。
闘茶は最初に出された一服を、その後に出される数服の中から当てるという競技で、賭博の対象ともなりました。あまりにも派手にやり過ぎて度々禁令が出されたそうです。
喫茶文化は室町時代に庶民にも広がり、支配者層は庶民と一線を画する為、茶道具を揃えて華美を競うようになります。
その究極の形が秀吉による黄金茶室で、諸大名は高価な茶道具を揃えようと躍起になっていました。
これらの動きに対して、千利休らが佗茶を成立させて茶の湯は華美から質素へと方向性が変わります。禅宗の影響もあって、茶の湯を楽しむ空間を共有する精神性が重んじられていきます。
やがて茶の湯は厳格な作法が支配的となり、明治時代には女性の礼儀作法の嗜みにまでなりました。
お茶を飲んで気分転換を図るのは時代を通して変わりませんので、今一度、茶道を習うのも良いかもしれません。
三大銘茶
宇治茶
静岡茶
狭山茶(河越茶)
闘茶は現在、歌舞伎茶と言われ、順に出されるお茶の産地を言い当てる方式になっています。一度答えると訂正できないので、随分と難しいようです。