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私の母親には、「隠された敵意」があった。
長女は赤ちゃんの時から父親から暴力を受けていたらしい。
父親、母親、長女で、川の字で寝ていた時に長女が夜泣きをする。
それが、「子供」の父親には、我慢できなかったらしい。
「うるさい!」と言って、布団で声を押し殺そうと、赤ちゃんを抑えこもうとしたりしたそうだ。
もちろん、私の生まれる前なので、その時の真偽の程は、わからない。
このエピソードも幼い私が母親から聞いた愚痴の一部である。
私が物心ついた時には、長女は、ひたすら父親に反抗し、何度か父親に殴られているのを目撃した。(このことに関しては、私の体験なので、事実である。)
長女は、泣きわめきながら、父親とひたすらもめていた。
父親は鬼の形相で、長女を叩き、長女は、ぎゃーぎゃーと泣き叫んでいた。
次女は、聴覚障害者だったため、あの不快な不協和音を耳にすることはなかったが、私は、その不協和音を何度も目の前で聞かされたのだ。
あれ以上の不協和音を未だに私は知らない。
何が原因で、そのようにもめていたのかは、当時、5歳くらいだった私には、理解できなかったが、その子に恐怖を植え付けるには、十分すぎるほどの不協和音だった。
それから、私はいわゆる「良い子」になった。
両親には、極力気を遣い、自分のやりたいことやわがままは、両親の怒りの琴線に触れない範囲で行い、私が叩かれないように注力した。
父親の「自己顕示欲」を満たし、母親の「愚痴」を聞き、勉強していい成績をとった。
「恐怖」から、ひたすら「良い子」に努めたのである。
「不協和音」を聞きたくない、一心だったのである。
「恐怖」からの「良い子」戦略は、無事、功を奏し、少なくとも私は叩かれなくて済んだのである。
しかしながら、その必死の戦略に対して、隠された敵意を持つ母親はなんて言ったか。
「あなたは、いいわね。お姉ちゃんのように叩かれなくて。今は、お父さんが丸くなったから、あなたは叩かれずに済んだね。よかったね。うまくやったね。」
今考えると、あたかも、私が叩かれればよかったと言わんばかりの言いぐさであるが、そこには、「長女には申し訳ないが何もできなかった」という無力感を敵意に変えて、私にぶつけているのである。
卑怯な母親は、自分の無力感や敵意を隠しながら、でも「私はいい人」であることを強要してくるのである。
その隠された敵意の被害者は、いつも私である。
しかしながら、本人は、自分に敵意があることに気づいていない。
無意識なのである。