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私の母親にも、無意識の「敵意」と「憎しみ」があった。
私の母親の夫(私の父親)への愚痴を聞くことも、小さい私の任務であった。
何かある度に、コソコソと私に夫の愚痴を言ってきた。
先の離婚届のエピソード(第5話)を私は何故知っているのか。(生まれる前のことなのに。)
それは、母親がひょんな時に愚痴ったからである。
そのように、夫の悪口、陰口と自分の苦労を私に、コソコソ言ってきた。
それは、私の「やさしさ」につけこまれた、ということだろう。
母親は、父親と同じように、子供に甘えているのである。
自分!自分!なのである。
一方で、父親のいる前では、本人に面と向かって文句を言えないのである。
むしろ、「お父さんを見習いなさい」というようなことを、父親を前にして、私に言ってきたこともある。
陰では、さんざん悪口を言っておいて、父親がいるところでは、称えるような発言をする。
一言でいうと、卑怯な人間なのである。
父親の関心も子供の関心も両方欲しいのである。
自分は、「いい人」を演じながら、周りの関心を買い漁る。周りの人に絡みつく。
それは、「自分がない」からである。不満だからである。
結婚しても仕事を続けたかった。しかし、夫は許してくれなかった。
⇒不満である。
夫に文句を言いたいが、怖いから言えない。
⇒不満である。
薬剤師になりたかった。でもなれなかった。
⇒不満である。
聴覚障害者の子供(次女)を生んでしまい、育てるのが大変だ。なんで私だけ?
(聴覚障害者が生まれた原因は、妊娠中に風邪薬を飲んだためだということを言っていたが、その真偽はわからない。)
⇒不満である。
そのような不満を募らせると、自分の生きている価値が感じられなくなる。
自己不在の状態になる。
だから、人からの関心が欲しい。
そこで、「あっちでコソコソ、こっちでコソコソ」という行動パターンを身につけた。
私は、このような母親の「矛盾した行動」に苦しめられた。
私の幼少期の矛盾に満ちた体験は、私の性格や人間関係に大きく影響していると思われる。
成長した私の周りには、母親のような卑怯な人間が集まったのだ。
その理由は、私がその「卑怯な人間」に愛着を持っていた過去がある、ということに起因していると考えられる。
母親に愛着のない子供はいない。
出発点から間違っていたのである。