人形姫と呪われた竜
私は、表情をどこに忘れてきたのだろうか。
鏡に映る自分は人形のようだった。
皆、美しい美しいと持て囃したその顔も、月光のようだと褒められた銀色の艷やかな髪も、まるで女神だと嫉妬されたプロポーションも、私には何の意味がなかった。
「ラルカ姫はこの国、いや周辺国含めて一番の美女でしょう」
舞踏会で、私にそう言ったあの貴族は、私の目を見てはいなかった。
笑わない私の前で、貴族たちに雇われた大道芸人達が必死に芸をするが、皆、結局下がっていった。
一人だけしつこくするものがいたが、衛兵に追い出されていた。
私は、人形姫。笑わない、泣かない、表情なき姫。最初は好奇の目で見られ、それはやがて恐怖感や嫌悪感に変わっていく。
それでも、私は構わなかった。
私は、それ以降舞踏会に出なくなった。
私は牢獄のような自室に籠もっていた。
扉には鍵はかかっておらず、大きく開け放たれた窓の外には青空が見える。
食事は料理人が贅と技術をふんだんに注ぎ込んだ温かい物を侍女が日に三度持ってくる。千年樹のワインだってある。ときおりやってくる父に欲しいと言えば何でも用意してくれるだろう。
しかし、ここから、私は出られない。
好奇心は猫を殺すというが、いっそ殺してくれてもいいから私に好奇心を授けてくれれば、何かが変わったのだろうか?
このまま、私はここで朽ちていくのだろう。もしくはこの国が滅びて、私は斬首されるかもしれない。
それとも政略結婚のために他国に嫁ぎにいかされるかもしれない。
どちらでも良かった。
私をここから連れ出してくれるなら、何でも良かった。悪魔でも、魔物でも。
☆
ある夜。
私はワインを片手に窓辺で外を覗いていた。
眼下に広がる、城下町が燃えている。人々が炎に包まれ、もだえ苦しみながら、踊っているように見えた。町は蹂躙されていた。炎によって巻き起こる上昇気流が私の頬を撫でる。風に乗るのは焦げた肉の匂い。
何が起こっているか分からないが、どうやらいつもと違うのは分かった。
もしかしたら、もしかするかもしれない。
少しだけ、私の心の奥底が蠢くのを感じた。
私の背後で扉が慌ただしく開いた。
現れたのは衛兵だった。
彼は灰まみれの顔に汗をダラダラと垂らしていた。どうやら火の手は城にも及んでいるようだ。
「姫っ! ご無事ですか!?」
「ええ。とても元気よ。何も変わらないわ」
「……竜が、黒い竜が襲来しております! 早くお逃げください!」
「なぜ?」
「はい? いや、竜が襲ってきているので、地下の避難路からお逃げになった方が……」
「なぜ?」
竜が襲ってきたのは、分かった。それとなぜ私の避難が結びつくのか。
「姫! とにかく、ここから逃げーー」
それだけを言い残し、入口に立っていた衛兵が炎に包まれた。ここは塔の最上階。火が一気に登ってきたのだろう。
窓辺にいた私には熱風だけが届く。部屋の入口が燃える。
どうやら物理的にも出られなくなったようだ。
この塔は石で出来ている。燃え落ちることはないだろう。
炎は、まるで生き物のように這いずりまわり、その舌で部屋を舐めた。火はいよいよ窓辺にまで及ぼうとしていた。
私は、ワインを飲み干し、窓の外を眺めた。
ようやく、何かが始まりそうだった。
いや、違う。始まりではなく、終わり。
私は、空になったグラスを手から落とした。
グラスが見えなくなるまでそれをただ、見つめていた。
背に炎の気配を感じる。このまま焼死するだろう。
私は、こんな時でも、恐怖も悲しみも感じなかった。
痛みと苦しみで悶えればこの能面みたいな顔にも表情らしい物が浮かぶだろうか?
それを、見られないのが少し残念だった。
その時。
多分私は、久々に驚くという行為を行ったと思う。
窓の外。
風が巻き起こる。
そして目の前に現れたのは巨大な一匹の竜。
背に生えた翼を雄大に羽ばたかせながら、こちらを見つめている黒い竜。
黒曜石のような鱗が城下町を燃やす炎によって煌めいていた。
「へえ……やはり驚かないか。結構登場するタイミングを伺ってたのに」
そして喋った。竜が人語を話せるとは思わなかった。
「いえ、驚いたわ。少しだけ」
「ちょっと顔がピクって動いたよね。もしかしてそれで驚いたって言うつもり?」
「ええ、久々の驚き、感謝するわ」
「ところで、背中、今にも燃えそうだね。煤けちゃうよ?」
「ああ、そうだわ。ねえ。私が炎に包まれたら、きっと痛みや苦しみの表情を浮かべるはず。見ていてくれる?」
この巨大な竜の瞳に、鏡のように映る私。ああ、良かった。最後にこの無表情から逃れられる。
「んーそれは難しい。君には生きててくれないと。というわけで、背中に乗ってくれるかい」
「なぜ?」
「君に死なれたら困るからだよ。嫌なら仕方がない。無理やり連れていくよ」
「まあ。強引ね」
「竜だからね」
竜は、だらりと下げていた右腕をこちらへと差し出してきた。私は、動かない。
竜の右腕が、まるで水のように窓辺ごと私を掬う。
塔の上部が崩壊するよりも早く、私と窓辺は竜の手の内に収まった。
「それじゃあいこうか」
「そうね」
こうして、私は竜に攫われた。
そこに、何の疑問もなかった。
☆☆
「ようこそ〜」
竜に連れられてきたのは、巨大な洞窟だった。
天井にはシャンデリアがあり、床には赤いふかふかした絨毯。趣向が凝らされた料理が並べられたテーブル。
私は、設置されたソファに座らされていた。
目の前には、巨大なステージ。あの竜が立てるほどの大きさ。そして、目の前のステージで、竜が何かよく分からないことをしていた。
「いつもより多く回しております〜」
傘、だろうか? いやそもそもあれほど巨大な傘なんて見たことがない。竜はその傘の上で、巨大な岩を器用に転がしていた。くるくると傘を回し、岩がゴロゴロとその上で落ちずに転がっている。
「何をしてるの?」
「あれ、これ面白くない?」
「というより理解できないわ」
「そっか……」
竜が傘を止めるの止めると、傘と岩が霧散した。
「ならば、これはどうだ!」
竜の顔が白塗りになる。おそらく鼻だと思われる部分だけが赤く塗られている。まるで道化師のような姿になった竜だが、威圧感はむしろより増したのではないだろうか?
「ピエロドラゴンだよ!」
飛んで跳ねる竜に合わせて洞窟が揺れる。天井からパラパラと石が落ちてきた。倒壊しないのだろうか。
「これも面白くない?」
「ええ」
「むむむ……」
竜の白化粧が消えた。
「では、趣向を変えて……はっ!」
竜が半分ぐらいの大きさになり、そしてまるで鏡写しのようにもう一体現れた。
「「どうも〜」」
パチパチ拍手しながら、登場したその二匹の竜は真っ赤な蝶ネクタイを首に巻いていた。
「ドラでーす」
『ゴンでーす』
「『二人合わせてドラゴンでーす』」
「いやあドラさん」
『どうしたゴンさん』
「実は、私悩みありましてね…」
『あーそれなら他に当たって』
「話はじまらんやん!聞いてよ!」
『はいはい、それで?」
「実はですね、悪い魔女に呪いをかけられたんですよ」
『ほんまかドラさん、熟女好きやったんか。呪いプレイは激しいなあ』
「いや、それが魔女も結構な美人で……ってちゃうわ!プレイ言うな!」
『ほんでどうしたんや〜』
「いやあそれが呪いが解けないと、元の姿に戻れないんですよ〜」
『君、それ仮初の姿なんか!』
「人は皆、仮面を被って生きているのさ……」
『格好良く言うなや!』
二匹の竜は何やら掛け合いを始め、ときおり、片方が手の平で相手の胸を叩いた。
語り部の真似事なのか? 二匹の竜は私の反応を伺うようにときおり視線をこちらに向けた。
「人形姫を心の底から笑わせたら解けるらしいや」
『あー君つまらんからなあ』
「君の相方!だから!もっと褒めて」
『んで、どうすんのや』
「それでな、色んな国を見て回ってな、人を笑わせるっちゅう技術を学んだんや」
『全然活かされてないな今のとこ』
「辛辣ぅ。ところがや、この人形姫も厄介でな。魔女に表情を奪われたんや」
『なんやてドラさん!?』
「だからな、心から笑わせるのが重要なんや。心から笑えば、表情に出なくてもええはずや」
『それで、このマンザイって手法はどうもあかんそうやぞ』
「それな」
竜が語る話に出てくる人形姫とは私の事だろうか?
魔女に表情を奪われた。
本当にそうなのだろうか?
私にそんな記憶はない。
「んーまいったなあ」
いつの間にか、竜は元の大きさの一匹に戻っていた。
竜が少ししょげたような声を出してステージから降りてきた。
竜が、フッと息を吹くと、ステージが消えた。
「君を笑わせるのは中々難しいみたいだ」
竜がすぐ側まで寄ってくる。
「ま、諦めるつもりはないんだけどね」
「貴方は、呪われているのね」
「そうだよ。元の姿に戻りたいんだけど、中々どうして難しい」
「そして私が無表情なのも魔女の呪いだと」
「君の幼い頃は、普通の子供と変わらなかったはずだ。どこで魔女に出会い、どこで無くした?」
確かに、私の記憶する幼少期は確かに表情豊かで活発だったはずだ。
しかしいくら記憶を辿っても、魔女にあった記憶も、表情をなくした理由も思い出せなかった。
「分からない。覚えてないわ。気付けばこうなっていた」
「まあ焦っても仕方がない。のんびりいくさ。一応人間が生きていくのに必要な物は全て用意したけど、他にいるものがあれば言ってね」
「何もいらないわ」
結局、あの塔にいても。こうやって竜に攫われても、私は変わらないのだ。
何も感じず、ただ人形のように、私は生きているだけだ。
「貴方はそれだけの為に、国を滅ぼし、人を殺し、私を攫ったの?」
「そうだよ。そうしなければいけなかった」
私に正義感なんてこれっぽっちもない。
私を疎ましく思っていた母も、私を溺愛していた父も、死んだのだろう。
私の成長を疎んだあの父に、私の死を願ったあの母に、同情なんて何一つなかった
「私は、笑えるのかしら」
「笑わせてみせるさ」
「楽しみにしているわ。楽しみがあるだなんて随分と久しぶり」
私は、無理やり笑おうとした。でも、私の顔は相変わらず能面のようで動く気配がなかった。
いつか、心から笑える日がくるのだろうか?
★★★
「こうして人形姫と竜はいつまでいつまでも幸せに暮らしたそうです」
一人の美女が朗々と語っていた物語をその言葉で締めた。
聞いていた一人の男が、不満そうに声を出した。
「それは幸せなのか? 結局それぞれにかかっていた呪いは解けたのか?」
男の疑問は最もだったが、それに美女ーーいや魔女は微笑む。
「魔女の呪いなんてありはしないのよ。最初から」
「どういうことだい?」
「竜も姫も、魔女の呪いなんて最初からなかったのよ。あの竜は、ただ、好きな相手を笑わせたいだけの憐れな大道芸人。恋という呪いにかかった……とでも言えばロマンチックかしら。少し力を貸してあげただけ。まあ人には戻れないのだけどね」
「酷い話だ」
魔女の指先で揺らめく炎が人の姿になり、そして竜になった。
「あの姫の呪いの元はもう既に無くなったわ。娘に異常な性欲を抱く父も、それに嫉妬する母ももういない。時間と共に、表情は戻るでしょう」
竜になった炎が消える。
「その竜は今でも笑わせようと頑張っているのだろうか。姫は笑ったのだろうか」
「さて? いずれにせよ、この国は貴方の物。それでいいじゃない」
男ーーいや新国王はゆっくりと手を魔女へと伸ばした。
「君のおかげだ。最初はあの姫でも籠絡して王位に付こうと思ったが、あんな人形はごめんだ。どうだ、君さえ良ければ妃の座を用意しても良いぞ?」
「もう、十分対価はいただきました。それでは」
国王の手が魔女に触れるか触れないかの距離まで来た瞬間に、魔女はフッと消えた。
「魔女め」
ーーその後、新しく国王となったこの男は、魔女に賞金首を掛けたという。
だが、その後すぐに、再びこの国は激怒した黒い竜に襲われ、焼け野原になったという。
〜ドラゴンテイル〜第三章第二節=人形姫と呪われた竜=より抜粋




