第6話 聖女の戦闘力
度重なる魔族との争いに人族は疲弊していた。
勇者を有する王国ですら、進展しない魔王討伐に焦りを感じている。
聖女がいないから、魔族に勝てないのではないか。
一部では、女神に見放されたという噂も、まことしやかに囁かれていた。
そんな中、王国に聖女発見の報が届く。
神託は降りていなかったが、信頼できる鑑定により聖女であることが確認された。
王国は直ぐに勇者パーティに帰還を命じた。
勇者パーティと聖女の帰還の噂は、瞬く間に王国中に駆け巡った。
聖女を一目見ようと王都に訪れる人々。
詰めかけた王国民の前に姿を現した聖女の姿に、人々は息を呑んだ。
純白の法衣に身を包み、風になびく銀髪はキラキラと輝いていた。
濃い紫水晶のような瞳から感じられる知性は、幼女のソレではない。
愛らしい容姿とのギャップが、どこか現実離れした魅力を感じさせた。
何者にも侵すことはできないと思わせる、神秘的な雰囲気を纏った聖女。
微笑みをたたえ、勇者に寄り添う姿は、女神が人族の味方だと信じるさせるには充分だった。
近い近い。勇者、近いっ!
聖女は震える口角を必死に上げていた。ちなみに目は笑っていない。
勇者が近くにいるだけで、何故か背中に嫌な汗がにじむのだ。
もう倒れるほどではないが、どうしても苦手意識が拭えない。
や、やるじゃないか勇者。
前世を含めれば歴戦の勇士と言っても過言ではない僕に、ここまで恐怖を与えるとは。
ははっ……せいぜい油断しているが良いさ。
あっ、あっ、密着しないで!
聖女はびびっていた。
正式に聖女として認められたリリスだが、勇者パーティの一員として、すぐさま最前線に送られることになった。
今の人族には戦力を遊ばせておく余裕は無いのだ。
リリスは懐かしい王都に少し後ろ髪を引かれながら戦場に舞い戻る。人族の英雄としてだが。
「戦闘が始まったら、私の後ろに隠れているのよ?」
「うん、わかった」
クレアの言いつけの通り、後ろをついていく。
高位魔族とか出てきたらどうしよう。十中八九知り合いなんだけど。
友軍を救助しつつ、戦場を駆ける。
突如、眼前に激しい風が巻き起こった。
近くにいた王国兵は瞬時に血風と化し、破裂した肉片が飛び散る。
剣というには無骨すぎる巨大な鉄塊を担ぎ、勇者パーティに立ち塞がる異形。
「どうしてここに……」
勇者が少し驚いたような表情で呟く。
うん、僕も同感だ。間違いなく見知った顔だ。
瘴気に侵され、堕ちたトロール。四天王の一人、アングスティアス……さん。
巨大な体躯と怪力だけでも恐ろしいが、高位魔族たらしめるのは驚異的な再生能力だ。人族には不死身の化け物として恐れられている。
「今代の勇者の力、我に見せてみよ」
トロールは不敵に笑った。
聖女の加入により、パーティの継戦能力は確実に向上している。
彼女の扱う【神聖魔法】による援護と治癒能力は期待通りだった。
四天王の襲来には驚いたが、予定通り行動しても大丈夫そうだ。
「これなら、いけそうだな」
前方で激戦を繰り広げる者たちに、勇者の呟きは聞こえない。
クレアが矢面に立ち、トロールと斬り結ぶ。
避けずに、全てを受け流すことに集中する。
背後にリリスがいるからだ。
自分が避ければ、彼女に直撃する。
そんな攻撃をトロールは繰り返している。
「守るだけでは倒せんぞ? 仕掛けてこないのか?」
トロールは、ちらりとリリスに視線を向ける。
おじさん煽るのやめてよっ!
結界と治癒で手が一杯なんだよっ!!
パーティの連携の弱さは以前から知っていた。
勇者が隙を伺うような行動をしていることも。
でも、当事者になって始めて気がついた。
他のメンバーが、意識的にクレアを助けないことを。
連携ができないのではなく、していないだけだ。
ジルだけは何とかしたいようだけど、クレアの動きに目が追いつかないのか?
思わず、王国から支給された杖を強く握りしめてしまう。
「大丈夫よ、時間を稼げば勇者様が助けてくれるわ」
「お姉ちゃん……」
クレアにも、囮にされている自覚はあるのか。
必要なことだと思っているのか?
何度も追い詰められて、助けられて。
こんな信頼関係、歪すぎないか。
僕、人間不信になっているのかな……
少なくとも、これが背中を預け合える仲だとは思えないんだ。
近くにいた勇者が視界に入る。
勇者の持つ聖剣に光が収束しはじめていた。
なんだか無性に腹が立った。
全ての結界を解除し、クレア以外の治癒を後回しにする。
英雄なら、数秒ぐらい耐えられるよね?
魔力を攻撃に回した。
「【神聖魔法】セイクリッドランス」
僕ならクレアの呼吸に合せられる。
振り上げられた武器を狙い、光の槍を射出した。
クレアの隙を埋め、攻勢に転じさせる。
この連携は対処はされるだろうが、この後に隙が生まれるはず。
杖を握り直した。
勇者が動――
ゴギャ
だから、もう一手先に攻撃を捻じ込む。
腰を落とし低い身長を限界まで下げた、後追いで先に到達する、地を這う神速の突き。
トロールとクレアの死角から放たれた意識外の一撃は、軸足の膝を砕き体勢を崩す。
一瞬遅れて到達したクレアの斬撃により、トロールの首が切断され吹き飛んだ。
「やったね、お姉ちゃん!」
クレアが背後を振り向くと、自分のことのように喜ぶ幼女の姿があった。
幼女はクレアに飛びつき、腰の辺りから腕を回した。
抱きしめ返されてご満悦の様子だ。
リリスは、勇者の目にも映らない速度で攻撃し、再びクレアの背後に戻っていた。
治すことを前提とした限界を超えた挙動に身体は悲鳴を上げているが、リリスにとっては些細なことだった。
そっと、首のないトロールに目をやる。
右手の親指が立っていた。まるで褒められているかのようだ。
トロールの身体は、輝く粒子となって消えた。
リリスはトロールのにやけ顔に思いを馳せた。
トロールは腐っても精霊である。生身の肉体ではない。
心憎い演出だった。
勇者は何とも言えない表情を浮かべていた。
◇ ◇ ◇
side:クレア
粒子となって消えていくトロールを見つめていた。
トロールが体勢を崩した一撃は、勇者様の攻撃ではなかった。
だとすると、リリスしかいない。
あれは魔法だったのだろうか。
抱きしめているリリスの体温が心地よい。
こんなにも人肌が恋しくなったのは、いつ以来だろう。
大好きだったお兄ちゃんは、死体になって帰って来た。
だから、辛くても死を受け入れた。
大好きなお母さんは、帰って来なかった。
だから、死んでいないことを信じたかった。
お母さんが魔族に捕まっている。
そう思いたかったから、聖女が現れないことが嬉しかった。
そして、聖女が現れた。
現実を受け入れることが怖かったのに、リリスを一目見たら考えが変わった。
自分でもおかしいと思うけど、お母さんの姿が思い浮かんだから。
物心ついた頃には、お兄ちゃんは王国の英雄だった。
私が生まれるよりも前から戦い続けていたことも知っている。
そんなお兄ちゃんを支えていたお母さん。
お母さんが羨ましかった。
私も一緒に戦える力が欲しかった。
もう置いてきぼりにされるのは嫌だった。
怯える少女を放ってはおけなかった。
縋りつく姿を愛おしいと思ってしまった。
それに、お母さんが行方不明になってから子どもを産んだとしたら、リリスと同年代でも不思議じゃないよね。
本当に妹なら良いのにな。まだ希望があるって思えるから。