第1話 リリスちゃん5さい
はっきりしない意識の中、はじめて僕を認識したのは5歳のときだった。
「ほう、半吸血鬼の身でありながら、その齢で覚醒したか。将来が楽しみじゃのぅ」
何故か威厳に溢れる少女の声が聞こえた。
黄金に輝くツインテールの髪が愛らしい。
「ぼ、くは――え?」
目を彷徨わせた先にあった鏡が目についた。
そして、見てしまった。今の自分の姿を。
幼女だ。目の前にいる子より、更に幼い女の子がいる。
長い銀髪と深い紫色のくりっと大きな瞳。
精巧な人形のような容姿に浮かぶ戸惑いの表情。
間違いなく美幼女だ。
「…………」
うん、わかった、落ち着け。
まだ慌てるような時間じゃない。
鏡の中の幼女は、ちょっと目が潤んでいるけど、大丈夫だろ。
だいじょうぶ だいじょうぶ
「リリス?」
背後から聞こえた声に、魂が震えた。
もう随分と昔だったのか、つい先ほどのことなのか。
記憶が錯綜する。リリス……レオ……?
今の状況はまだ理解できない。でも、それでもわかることがある。
背後を振り返った。
滲む視界に映るのは、艶やかな黒髪の女性。
もう会えないとレオは思っていた。
溢れ出る感情をリリスは制御できなかった。
「かぁ……ま゛ま゛あぁあああっぁぁあぅうわぁーーーん」
もうギャン泣きである。
突然泣き出した我が子に面食らうが、優しく抱きとめた。
あの後も泣き続け、泣き疲れて眠ってしまったようだ。
目が覚めると、いつかのように手を握ってくれている母の姿。
また泣きそうになるけど、必死に堪える。
言わなくちゃいけないことがあるからだ。
「ママ、ありがとう」
「それと――ありがとう、母さん」
エステルは目を見開いた。
申し訳なさそうに笑う姿が、レオに重なった。
失ってばかりの人生だった。
希望を胸に、理想を追いかけた。
大切なものを失いながら進んだ先には、救いはなかった。
勇者ほど、戦いを続けられる強い意志はない。
それでも歩みを止めなかったのは、我が子のためだ。
一人は死別し、一人は会うことすらできない。
手元に残ったのは、リリスだけ。
それもまた、失う不安に苛まれた。
レオの凄惨な姿が脳裏にちらつき離れなかった。
だから、エステルは感謝する。再び巡り合えた奇跡を。
「おかえりっ!!」
母さんは、生きていた。
王国兵の捜索よりも早く、保護されていたからだ。
――魔王によって。
混乱する僕に、母さんは教えてくれた。
魔王を討伐しなかったことを。
多くの犠牲を払い、魔王の居城に辿り着いた。
そのときにはもう、勇者パーティには、勇者と聖女しか生き残っていなかった。
決死の覚悟で対峙した勇者たちに、魔王は世界の真実を語った。
数百年前までは、全ての種族が共存して生活していたこと。
魔族は全種族で最も瘴気に対する耐性があり、抑える役目があること。
耐性はあっても完全に克服できておらず、定期的に浄化が必要なこと。
魔王と勇者は、世界の均衡を保つ調停者であること。
聖女は、溢れた瘴気や瘴気に侵された生物を浄化し、世界を救済する存在であること。
さらに、ここぞとばかりに肯定する神託が、魔王城にいた勇者と聖女に降りる。
あまりな事態に、とうとう勇者が笑い出してしまった。
『なるほど、そういう話か。私は此処に残る。エステル、君は王国に報告をしてくれ』
『勇者様!?』
『勇者は魔王と相打ちになり、死んだ。それで良い』
勇者は笑みを深めた。
『私が生きている限り、次代の勇者も生まれない』
『仮初の平和だとしても、長く続けられるなら、本当の平和と言えるはずだ』
勇者は魔王城に残り、聖女は魔王を討伐した英雄として帰還した。
王国が暴走しないように。そして、王国に残した我が子を守るために。