プロローグ
王都から遠く離れ、魔族領に程近い森の中。深夜だというのに、辺りは騒々しい。
「おい! いたか?」
「こっちには、いなかった!」
「アイツを殺さないと、俺たちが……」
「あの傷なら、そう遠くには行けないはずだ」
「今回の遠征、道中で聖女が消耗していたのは助かったな」
「魔力さえなければ、ただの女だしな」
「足手まといを庇わなければ、アイツに殺されていたのは俺らだったかもしれんがな」
「化け物め」
「手負いの獣は何をするかわらん。気を引き締めろ」
地面を踏み鳴らす音と飛び交う怒号を遠くに聞きながら、青年は呟く。
「どうして……」
年の頃は、十代後半だろうか。端正な顔立ちには、まだ幼さが残る。
仰向けに倒れ、虚空を見つめた。
「レオッ!!」
妙齢の女性が、倒れた青年の右手を握りしめる。叫びたい衝動を抑え、声を押し殺した。
十年前に勇者と共に魔王を討伐した英雄の一人。聖女と呼ばれ、王国で最高峰の治癒魔法を扱える。
そんな彼女ですら、青年から零れ落ちていく命を繋ぎ止めておくことができない。
青年が僅かに反応した。
声がした方に視線を向けるが、もう瞳に映し出すことはできなかった。
何が致命傷なのか判断が付かないほど、全身が傷つけられている。左腕は切断され、内臓の一部もはみ出している。
止めどなく流れる血が辺り一面を赤黒く染め上げ、まだ生きていることが不思議なほどだ。
「母さん、ごめん」
青年は聖女の息子だった。聖女の母を尊敬し、年の離れた妹を溺愛していた。
早くから剣聖としての才能を開花させた彼は、勇者のいない時代を支える王国の剣と呼ばれた。
魔王の命令がなくとも動く魔族や魔獣は一定数いる。人族の領土を守るため、各地で転戦する日々。
仕える王国の王女と婚約し、王女が成人すれば結婚することになる。順風満帆な人生だと思っていた。
魔族や魔獣と戦い、帰還する。いつもと変わらない――はずだった。
高い知能を有し、魔族と人族の争いには中立を保っていたはずのドラゴンに襲われた。
ドラゴンは退けたが、愛用していた剣は戦闘に耐え切れず、剣身が砕け散った。
生き延びた兵たちを労うために、宴を催した。
そして、信頼していた部下に裏切られた。
何が悪かったのか。
怒りと悲しみがごちゃ混ぜになって、残ったのは切なさだった。
今まで信じていたものが、等しく無価値に思えた。
でも……それでも……
「母さん…………クレ……ア……――」
「――――! ――――――!!」
もう何も聞こえない。意識が遠のいていく。
身体の感覚も消えた闇の中。
それでも温もりを感じていた。
◇ ◇ ◇
side:エステル
「……っ……うぁ」
息子の最期を見届けた。嗚咽を漏らしてしまう。
聖女エステルと剣聖レオ。対魔族の切り札と言える存在だった。
先の魔王討伐では、人族は聖女以外の英雄を失っていた。
起死回生を狙った魔王討伐は、転じて人族を劣勢に立たせた。
そんな中、新たに誕生した英雄がレオだった。
早熟すぎる剣聖は、物心ついた頃には戦争に駆り出されていた。
人々の嘆きや苦しみを一身に背負い、血みどろの道を奔走する。
感情に乏しく、能面のような表情で殺戮を繰り返す姿は、人形を彷彿とさせた。
聖女である母だけが、寄り添っていた。
転機が訪れたのは、妹のクレアが生まれたときだった。
無邪気に喜ぶレオの姿は、年相応の少年だったことを周囲に気づかせた。
レオ自身も他人に目を向け始め、英雄としての道を歩き出したのだ。
薄っすらと、目を開けたまま息絶えた息子を見ていられず、指でそっと瞼を閉じさせた。
「愛しているわ、レオ」
傍らに跪いたまま、祈りを捧げる。
「幸せにしてあげられなくて、ごめんね――【転生魔法】リィンカーネーション」
彼女は涙を拭い、苦笑する。
「もう、魔力すっからかんね。ヒールすら発動しないわ」
彼女の下腹部は、真っ赤に染まっていた。
この日、王国から聖女と剣聖が失われた。
英雄を欠いた影響は大きく、いくつもの集落が魔獣による被害で滅んだ。
魔王復活の噂も流れ、絶望する民衆。数年後、王国は外法に手を染める。




