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ミツオ・チャンネル  作者: 森茂
Chapter 2 サマータイム
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腕時計



 九月二十九日



 ミツオはオーブントースターに食パンを二枚セットした。時刻は朝の七時。ノゾミを起こすために二階へ向かう。ノックをしても無意味なので、ミツオは前置き無しでノゾミの部屋に入った。ノゾミはベッドの上で枕を抱き、うずくまるように眠っている。ミツオはノゾミの肩をポンポンと叩いた。反応は無い。

 ミツオはノゾミを抱きかかえてベッドに座らせた。その状態で肩を揺すると、ようやくノゾミは薄っすらと目を開けた。ノゾミは寝起きが非常に悪い。

 半分眠っているような状態で、ノゾミがゆっくりと階段を下りる。ミツオはノゾミが足を滑らせないか気をつけて、見守りながら後ろについて下りた。

 ゾンビのような足取りで歩くノゾミの肩を押して、洗面所まで連れて行く。蛇口をひねり、出てきた冷水に手を入れさせる事で、ノゾミの意識はやっと目覚め始めた。

 ミツオは台所に戻ってオーブントースターの加熱スイッチをひねり、クッキングヒーターで熱したフライパンにサラダ油を垂らした。冷蔵庫から卵を二つ取り出し、一つずつ殻を割ってフライパンに落とす。ジュッと音を鳴らしてフライパンに垂れ落ちた卵は、スーパーで売っているものより黄身の色が濃く、白身部分はプリンのような弾力を持って揺れた。

 現在、日中帯の電気と水道は、大方デイ・オブ・ザ・ソルト以前と同じように使う事ができる。ガスは使えず、一部の建物以外では深夜の電気を使えず、時折停電と断水があるが、あまり不便を感じる事はない。それは発電所や浄水場を使いこなしている中学生がいるという事で、世の中には自分の想像を絶するような凄い人がいるんだ、とミツオは畏敬の念を持つ。何かしらのチャンネル能力を活用しているのではないか、とも思う。

 チン、とオーブントースターが音をたてた。ミツオは焼きあがったトーストにマーガリンを塗り、二枚の皿にそれぞれ置いた。その上に半熟の目玉焼きを一つずつ載せ、サッと塩をふる。

 ミツオは冷蔵庫から取り出した一本のキュウリを手で二つに割り、皿の余ったスペースに置いてマヨネーズを添えた。コップにオレンジジュースを注いでいると、ノゾミがタオルで顔を拭きながら台所にやって来た。

「いただきます」

 ミツオとノゾミはテーブルに着き、朝食を食べ始めた。ミツオはキュウリにマヨネーズをつけて一齧りし、目玉焼き載せトーストを頬張った。卵の濃厚な味が口の中に広がり、配給された手作り食パンの味を引き立てる。ノゾミは、齧った目玉焼きから垂れ落ちて指についた黄身をペロリと舐めた。

 ミツオはオレンジジュースを一口飲んだ。牛乳はなかなか入荷されないので、一ヶ月半は飲んでいない。牛肉もレトルトカレー等に入っているクズ肉しか食べられておらず、ミツオは牛が恋しくなった。

 朝食を食べ終えたミツオとノゾミは出かける準備をした。ミツオはボサボサになっているノゾミの寝グセ髪を水で少し濡らしてからドライヤーで整え、ヘアブラシで梳いた。

 ミツオとノゾミはトイレに行ってから、それぞれ自分の部屋で着替えをした。

 着替え終わったミツオとノゾミは家を出て、ミツオは玄関の鍵をかけた。

 ノゾミと並んで宝緋小学校への道を歩く。いつも通り、ノゾミはミツオの半歩後ろ右をついて歩く。ノゾミはフリルの付いた白いブラウスを着て、千鳥柄のスカートを穿き、ランドセルを背負っている。時刻は午前八時すぎ。ノゾミはいつもの無表情で、寝起きにあった隙が無くなっていた。


 少学校に着いたミツオとノゾミは保健室へ向かった。廊下を歩いていると、子供達の遊ぶ声が教室内から聞こえてくる。

 小学三年生以下の学級では、二週間前から授業が開始されている。一クラス五人から十人のクラスに分かれて、先生役の中学生によって授業が行われる。

 四年生以上の子供は仕事が与えられている。インプリンティング業務以外の時間、ノゾミは高橋さんのお手伝いをしている。

 保健室へ向かう途中の渡り廊下を歩いていると、付き添い人に連れられた数人の中学生とすれ違った。憔悴しきった顔をした、亡者のような中学生達。ある者は小刻みに震え、ある者はボソボソと独り言を呟きながら体育館へ向かって歩いていった。

 午前八時二十五分になり、予鈴のチャイムが校内に鳴り響いた。九月から、キンコンカンコンという昔ながらのチャイムから、ピンポンパンポンというデパートの呼び出し音のようなチャイムに変わっている。立ち止まり者にとって、キンコンカンコンは耐え難い音らしい。

 保健室で高橋さんにノゾミを預け、来た道を帰っているとミツオの携帯電話が鳴った。

『坪井です。軒眞駅前のパチンコ店前で、交通事故をきっかけに愚連隊同士の小競り合いが発生しています。現在葉月さんが現場にいますが、一人では対応できないという事で待機中です。援護に向かってもらえますか?』

 了解、と答えて通話を切り、ミツオはコトワリ塩を飲んだ。全身に力が漲り、コトワリ能力の発現を確認したミツオは豹のように駆け出した。

 線路沿いに進むと六駅分離れた軒眞駅だが、直線距離で進めば半分の距離に短縮できる。ミツオは目的地まで一直線に跳んで行った。

 コンビニを跳び越え、民家の瓦屋根を跳び、電柱のてっぺんを蹴り跳び、ハンバーガーショップの看板の上を跳ぶ。

 目的地まであと二百メートル程のところにあるコンビニの駐車場で、ミツオは見覚えのある車を発見した。

 ミツオが白い車の運転席に近づきドアを開けると、タバコのにおいと共に若干カビ臭いにおいが漏れてきた。

 バックミラーに垂れ下がっている天狗のマスコット付き交通安全のお守り、灰皿代わりに置かれているUCC缶コーヒーの空き缶、助手席にかけられた花柄のロングタオル、全てが最後に見た時と同じ状態だった。

 ペットボトルのお茶と腐った麻婆丼が、コンビニ袋に入った状態で助手席に置かれている。運転席には、グレーのスーツを巻き込んだ塩の塊がある。ミツオは塩に混じっている銀色の腕時計を発見した。

 その腕時計を見た瞬間、デイ・オブ・ザ・ソルト初日から続いていた、世界中をぼんやりとした空気が覆っているような感覚が消えた。



 その夜、ミツオは夢を見た。



 五十嵐家の白い乗用車が料金所を抜けて高速道路に入った。

 FMラジオのニュースが流れる車内。父さんが車を運転し、ミツオは助手席に座って透明な防音壁越しに夜景を眺めている。

 車内に会話はほとんど無い。あるとしても「友達と上手くやってるか?」「学校はどうだ?」という父さんの質問に「うん」「別に」とミツオが素っ気なく答えるくらいだ。

 母さんを亡くしてから、父さんと月に一度ホテルのレストランで外食をするようになった。高層ホテルの三十七階にあるレストランの予約を取り、一人七千五百円のコース料理を注文する。そこでも会話はほとんど無い。綺麗な夜景を見ながら、二人黙々と料理を食べる。たまに父さんが趣味である釣りの話をしたが、ミツオは興味が無かったので聞き流していた。母さんが亡くなった年の冬、一緒に釣りに行った事があるが、ミツオは一匹も釣れず楽しくなかった。仕事人間であまり家にいない父さんとの交流は今まで少なかった。ミツオは父さんの事が嫌いではない。嫌いではないが、何を話せばいいのかわからない。

 たまに、お手伝いの洋子さんも一緒にレストランで食事をする事があった。その時は、おしゃべりな洋子さんが場の雰囲気を明るくしてくれた。

 これから家に帰ってミツオを降ろした後、父さんはまた会社に戻る。忙しいなら別に無理しなくてもいい、と言った事があるが、父さんは月に一度の外食を欠かす事は無かった。

 三層重なって立体的に見える雲が、月の光に照らされて夜空に浮かんでいる。ミツオはラジオのチューニングを回し、洋楽が流れている番組に合わせた。

 ジャニス・ジョプリンのサマータイムが流れる中、車は宝緋市へ向かって高速道路を走り続けた。



 ミツオは体を跳ねさせて目を覚ました。

 窓から差し込む月明かりが、グランドピアノの輪郭を僅かに浮き上がらせている。

 ミツオは強烈な不安感に襲われた。

 十億円の借金とか、殺人とか、そういうとんでもない事をしてしまって、周りの人間が全て敵になってしまったような感覚。

 ミツオは追われるように音楽部屋を飛び出した。母さんでも父さんでもいい、誰か、自分を無条件で大切にしてくれる人に側にいて欲しかった。

 ミツオは廊下を駆けて父さんの部屋へ向かった。ドアを開けると、タバコと整髪料の匂いが漂ってきた。ミツオは部屋に入り、父さんの布団に膝をついて顔をうずめた。

 広大なパーティ会場のような空間に一人残され、外では世界中の人間がどうにかして自分を不幸にしようと画策しているイメージがミツオの脳内に蠢く。

 ミツオは脂汗を流しながら布団を握り締め、覆いかぶさるように襲い来る不安を必死に耐えた。

 ミツオの左手首にかけられている銀色の腕時計が、暗闇の中に浮かんでいる。

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