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ミツオ・チャンネル  作者: 森茂
Chapter 1 大人のいない世界
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世界のコトワリ



 八月八日



 チェロを弾き終わり、弦に付いた松脂を拭き取ろうと布巾を手にしたミツオは、携帯電話の液晶画面が青く点滅している事に気づいた。

 防音の音楽部屋。微かにセミの鳴き声が届く。着信を確認すると、知らない番号だった。

『もしもし、五十嵐か? アタシ、同じクラスの佐藤だ。おはよう』

 電話をかけてきたのは、クラス委員長の佐藤さんだった。

『あー、どこまで知ってるか知らんが、とりあえず学校に来てくれないか?』

 電話の向こうが騒がしい。心なしか、佐藤さんの喋り方が早口に聞こえる。

「どうして?」

『説明は来てくれたらする。悪いけど頼むよ、じゃあな』

 ブツッと一方的に電話が切られた。現在、午前十一時すぎ。三時間くらいチェロを弾いていた事になる。遮光カーテンを引いているので、外の明るさが分からない。

 ミツオはチェロの弦と弓と胴体に付いた松脂を拭き取り、弓毛を緩めてケースにしまった。両手をL字に広げて伸びをする。ほとんど話をした事のない佐藤さんからの、要領を得ない電話。夏休みの真っただ中に何の用だろう。今日のレッスンは午後三時からなので、時間的な余裕はある。

 ミツオは音楽部屋の厚い扉を開け、洗面台で顔を洗い、玄関でコンバースのスニーカーを履いた。

 玄関のドアを開けると、大音量のセミの鳴き声がなだれ込んできた。サウナのような熱気に全身が包まれる。ギラギラと照りつける日差しで目が眩む。太陽に焼かれたアスファルトに足を踏み入れ、ミツオは中学校へ向かって歩き出した。

 通学路から外れ、少し遠回りになるけど竹やぶを通って行く事にした。

 地面がアスファルトから固い土に変わり、竹林がブラインドのように太陽の光を遮る。竹の匂いを含んだ風が、ミツオの汗ばんだ髪の間をすり抜けていく。何千という笹の葉が風に揺れ、擦れ合う音が耳をくすぐる。

 竹やぶを抜け、地面が土からアスファルトに戻った時、ミツオは奇妙な光景を目にした。

 警察のバイクが横倒れに転がり、割れた赤色灯の破片が地面に散らばっている。

少し離れたところに大量の塩が積まれている。白い大型犬が寝転んでいるのかと見間違える程の、大量の塩。塩には、警官の制服が埋もれていた。



 宝緋中学校に着くと、何やら異変が起こっているのが分かった。

 校門に入ってすぐのところに二、三十台の自転車と四台のバイクが停まっている。とりあえず教室へ行こうと思って下駄箱に向かう途中、校舎から出てきた三人組とすれ違った。女子二人、男子一人が横並びで地図のような物を見ながら興奮気味に話をしている。

「私ここ行ったことない」「俺、家から工具とってくるよ」「なんか変なテンションになってきた」

 ミツオは下駄箱で上靴を持ってきていない事を思い出し、来客用の玄関でスリッパに履き替えて校舎へ入った。

 教室へ向かう途中でもいくつかのグループとすれ違った。女子三人男子一人グループ、女子四人男子二人グループ。制服、私服の割合は半々くらい。各々、地図のような大きな紙を持っていて女子率が高い。一人の女子がスマートフォンで通話をしながら、ミツオの隣を駆け抜けていった。男女混合グループが何か目的を持っている様子で校内を練り歩くのを見て、文化祭前のようだとミツオは思った。だが文化祭の準備とは違い、皆の表情や話し方からは興奮と共に焦燥感のようなものを感じた。

 ミツオは、小学二年生の時に同級生がジャングルジムから落ちて骨折し、皆で先生を呼びに行った時の事を思い出した。

「了解。じゃあC地区は完了だな。この後は信川と合流してくれ。たぶん今は野多嘉団地にいる……ああ、ああ、番号わかるか?」

 三階にある二年四組の教室に入ると、佐藤さんの声が聞こえてきた。

 四台の机をくっつけた上に、ノートパソコンとそれに繋がっているスマートフォン、プリンター、宝緋市全域が載っている大きな地図、文字とグラフが書かれた資料のような紙の束、そして茶碗一杯分くらいの塩が積まれている。その大机の席に座って携帯電話で通話をしている佐藤さんと目が合った。

 佐藤さんは携帯電話を持っていない方の手で、ミツオに待つようジェスチャーをした。携帯電話を持ち直してペンを取り、腰まである黒髪が揺れる。中学二年生とは思えない、大学生と言っても通るのではないか、というような大人びた顔立ちの佐藤さん。電話片手にメモを取る姿は、まるでOLのようだった。周りを見ると、三人のクラスメイト達がそれぞれ二台の机をくっつけて、スマートフォンで話をしたりパソコンを操作したりしている。

「……じゃ、よろしく。何かあったらいつでも電話してくれ」

 通話を終えた佐藤さんがミツオに向き合い、口を開いた。

「五十嵐、バイク運転できるか?」

「え?」

「バイク……あ、すまん、その前に説明が先か」

 佐藤さんは苦笑いをして、犬のようにブルブルと頭を振った。

「えー、簡単に説明すると、本日午前二時くらいに、地球上にいる満十五歳以上の人間が全員塩になった」

 一瞬体が固まり、ミツオは小首を傾げた。からかっているのか、と思ったが、淡々と話す佐藤さんの目はギラついていて、嘘や冗談を言っている感じではなかった。

「信じられないと思うし、アタシもまだこれ夢なんじゃないのって思ってるんだけど……来る途中で何かそれらしいの見なかったか?」

 ミツオの脳裏に、警官の制服が埋もれた塩の塊が浮き上がった。

 プッとミツオは噴き出した。口元に手を当てるが、ククク、と笑い声が漏れてしまう。

「笑っちゃうよな。アタシも最初聞いた時、大笑いしたよ」

 椅子に座る佐藤さんを見下ろす形で、上目遣いにミツオを見上げる彼女と目が合った。佐藤さんの口元が歪んでいる。ミツオと佐藤さんはしばらく見つめあった後、同時に、爆発的に笑い出した。しばらく二人で馬鹿笑いをした後、佐藤さんは息を整えながら話を進めた。

「で、だ。これが映画とか漫画だったら宇宙人とかエイリアンが襲ってくる展開になるのかもしれないけど、今のところそういった情報はない。襲来するかどうか分からないけど、それまでは現時点で自分達が出来る事をやっていこうって事になったんだけど、ここで問題。今、アタシ達がやらなきゃならない事は一体なんだ?」

「……原子力発電所とか、水道とかガス施設とかの制御?」

「この近くに稼働中の原発は無いから、そこの心配はいらない。稼働中のやつとか海外の原発は、現地の奴等が制御してくれる事を祈るよ。電気、水道、ガスはその内止まるだろうけど、とりあえずはしゃーないだろ」

「……米軍基地とか、自衛隊基地とかの兵器の管理?」

「そういう軍事系の事も置いといてくれ。他にあるだろ、急を要する事が」

「……子供とか赤ちゃんの保護?」

「イエスだ」

 そう言って、佐藤さんは大机に広げられた地図を手の甲で軽く叩いた。地図にはボールペンやマジックで書き込みがされている。

「現在、赤ペンで囲まれた区域まで子供の保護が完了している。野多嘉地区は、東中と協力して人をまわす事が出来たんだが……」

 佐藤さんが机の中から別の地図を取り出した。ミツオの住む乃良霧地区から山を一つ越えたところにある筈久地区の地図だ。

「筈久の方にはまだ全然手が届いてないんだ。本当だったら向こうの筈久中学の奴等にやって欲しいところなんだが、まだ組織化できてないみたいでな。今はバイクに乗れる奴何人かでマンションとか団地を回ってもらってるが、如何せん手が足りてない……五十嵐、バイク乗れるか?」

「乗れない」

「だよなー、じゃあ五十嵐には……」

「でも心当たりはあるよ」

 佐藤さんの発言に割り込んだミツオの言葉に被せるような形で、バイクのエンジン音がブンブンと鳴り響いた。佐藤さんと並んで窓から校庭を見下ろすと、赤いバイクに跨った金髪色黒の女子が見えた。赤ちゃんを紐で括っておぶさり、ミツオ達のいる教室を見上げている。

「メグー! 行ってきたぞー!」

 名前は忘れたが、去年同じクラスだった同級生だ。深夜のコンビニ前でタバコを吸っているのを何度か見かけた事がある。

「サンキュー! 体育館に松田がいるから、そっち行っといてくれ! アタシも後で行く!」

 佐藤さんの返事を聞くと、金髪女子はブブブンとエンジンを噴かせて体育館の方へバイクを走らせていった。

 女子を多く見かけるが、男子の姿は少ない。ミツオは引っかかっていた疑問を佐藤さんに尋ねた。

「あー、男子はダメだ。皆マザコンか子供ばっかりだ。ほとんどが家に閉じこもって泣いてるか、繁華街でワーワー騒いで遊んでるかのどっちかだ」

 佐藤さんがミツオを横目で見ながら聞く。

「五十嵐はマザコンじゃないのか?」

「うち、母親いないから」

 そうか、と佐藤さんが呟き、沈黙が流れた。

「……すまん、変なこと聞いた」

「ううん、全然」

 どこの家庭にもそれなりの事情がきっとあるだろう。自分だけが特別不幸だとは思っていない。

「そうだ、大事な事ひとつ言うの忘れてた」

 佐藤さんはミツオに体を向けると、机の上に盛られた塩の塊を一掴み掬って口に入れた。塩の塊を一息で飲み込む佐藤さんを見て、ミツオは胸がいがらっぽくなった。

「今回の事象について……」

 言いながら、佐藤さんの体が小刻みに震えだしだ。軽く俯き、開いた目はどこか遠くを見ているように見える。

 電話やパソコン操作に集中して、ミツオと佐藤さんに注意を払っていなかった三人のクラスメイト達が佐藤さんに注目し始めた。作業の手を止め、みんな佐藤さんを見ている。

 突如、佐藤さんの髪の色が変わった。髪の根元から毛先にかけて一気に色素が抜け落ち、半透明になった髪の毛が徐々にオレンジ色へと変わっていく。海底で揺れる海草のように、逆立った髪がゆらゆらと揺れ、毛先からは線香花火のような火花が飛び散っている。

 どちらかと言うと色黒だった佐藤さんの肌が、平均的な日本人より少し白いくらいの色に変わっている事に気づいた。いつの間にか、透き通るような翠色の瞳に変化していた佐藤さんと目が合い、ミツオは威圧感を受けて後ずさりした。

「インターネット上ではこう言われている……」

 佐藤さんが凄まじい速度でミツオの左腕を掴んだ。本人にとっては何気ない動作だったのかもしれないが、ミツオは熊やチーターのような野生動物に襲われた気分になった。佐藤さんの手は、冷えた鉄のように冷たくなっていた。

 左腕に軽い痛みが走り、視界が急激な勢いで流れた。地面が無くなり、浮遊感がミツオを襲う。見上げると、ミツオを掴んだ腕を振り上げている佐藤さんの頭頂部が見えた。佐藤さんが顔を上げ、ミツオと目が合う。佐藤さんの右脇腹が迫り、勢力の強い台風を彷彿とさせるような物凄い力で、体が窓の外へ押し出された。

 世界は逆さまのまま、はるか頭上にグラウンドが見える。体全体で風を切る音が聞こえ、全身に悪寒が走る。佐藤さんもミツオの腕を掴んだまま一緒に落下している。ミツオの脳裏に、体中の骨が折れて肉から飛び出し、ピザのように地面にへばりつく自分の姿が浮かび上がった。

 ミツオが地面との激突を覚悟して体を強張らせた瞬間、地上から突風が吹き上がった。ミツオと佐藤さんの体が、紙風船のようにふわふわ漂いながらゆっくりと校庭に降りていく。空気が液体になったように感じ、全身がスポンジみたいにスカスカになっている気がする。ミツオは突風かと思ったがそうではなく、重力が軽くなっているようだった。

 二人同時に、音も無く地面に降り立つ。佐藤さんは掴んでいたミツオの腕を放し、紳士がお辞儀をするような仕草で言った。

「世界のコトワリが変わった、と」

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