日常の中の不穏
アドバイスは、
どんなものでも、簡潔にしなさい。
(ホレース)
洋館の少女と出会った日から数日。俺はいつもの通りにバイトをしていた。バイトと言っても、仕事も碌にしてないただのフリーターの本業。今の時間の俺は、コンビニエンスストアで働いていた。
「あざっしたー」
店内にいた唯一の客が会計を済ませて退店する。店には、俺ともう一人のスタッフである峰岸だけが残った。
「峰岸、お前そろそろ休憩していいぞ。今日は仕事も多くないし、ちょっとは休めよ。今何時間だっけ。働いてるの」
「11時間っす。ありがとうございます。お言葉に甘えて少し休みます。最近やたらと肩が重いんすよねー」
無理もない。峰岸は学生だ。それにもかかわらず平日・休日問わず働いている。学校が休みの日はこうして長時間働くこともある。なぜ、そこまでして働くのか聞いてみたことはあったが特に理由はないと言っていた。しかし、どうにも俺からすれば無理をしているようにしか感じられなかった。
まるで何かにとりつかれたかのようだ。暇さえあれば動く。それが彼だった。
もちろん、フリーターである俺のほうが、長く働いているので俺が先輩だ。いい先輩というのは後輩を気遣うものだ。俺は缶コーヒーを自分でレジ打ちし、峰岸に渡す。
「森山さん、ごちになります」
「気にすんな。お前は頑張ってるんだから」
事務所の椅子に峰岸は腰かける。俺も、店内の防犯カメラに客がいないのを確認すると、もう一つある椅子に腰かけた。
「前も聞いたけどさ、お前、なんでそんなに働いてるんだ」
「うーん……。まあ森山さんになら言ってもいいかな。お世話になってるんだし」
彼はうつむきながらこう話した。
かつて彼は鬱で入院していたことがあったそうだ。その原因は学校でのいじめ。執拗なまでのいじめで彼は心を病んでしまっていた。今はこうして平静を装ってはいるが、時たまいじめられていた時のことがフィードバックするそうだ。
「俺はあいつらが許せないっす。もしまらあいつらと会ったら、殴り殺してしまいそうっす」
普段は温厚な峰岸の顔が、その時だけは鬼面のような表情になっていた。やさしさのかけらも、その瞳には宿していなかった。
俺もいじめられていた事はある。誰にでもあり得ることだ。そもそも学生の時にいじめを受けていない者がいるのだろうか。ある人によれば、ほぼすべての人が一度はいじめられた経験があるという結果があるそうだ。場合によっては、人格としての形成に役にたっていたかもしれない。
しかし、一方でいじめによる事件も多い。いじめとは報復の報復だ。受けたものを誰かに投げる。言葉のキャッチボールならぬ、痛みのドッジボール。大きく見れば戦争だ。
傷つけられた人が、その痛みを知り、誰かにぶつけたくなる。その痛みを自分で抑え込める人は聖人君子のみだろう。たとえ普通の人が一時抱え込めても、いずれは破たんして死に至る。
受けた憎しみは誰かにぶつけたくなる。
峰岸も例外ではなかった。
「すまなかったな。嫌なこと聞いて」
「いえ、言ったらすっきりしました。抱え込んでると、良くないですからね。クリニックの先生からも言われてましたし」
ちょうどその時、来店のチャイムが鳴った。
「っしゃいやせー」
峰岸を事務所に置いて、俺は店内に戻る。
ふと、洋館の少女のことを思い出した。峰岸のことを聞いてやってもいいかもしれない。
彼女が、再び来ると予言していたが、こういうことだったのかな、と。俺は静かに思うのだった。
犬が西向きゃ、尾は東。