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 十二月二十四日。クリスマス・イブ、今日がケーキ販売の本番である。これまでは前哨戦といったところだ。息つく間もなく、互いがどれだけを売っているかの確認もできないまま午後を迎える。昼食はそれぞれ交代で摂ることにしたが、互いに一人では大変なのが判り切っているため、規定で決められた一時間があれど、その通りに売り場を離れることなどできなかった。


 ショッピングモールの前は片側一車線の通りになっており、横断歩道がある。朱莉と美玲が売り子をする、五段ほどの階段を上がったエントランス脇の特設コーナーからは、外の景色がよく見える。


 喜びに満ちた顔でケーキの箱を抱え、人びとはめいめいににぎわう街へとまじりあって,どこかへ消えてゆく。その中に、特に害はないが地縛霊や、浮遊霊も多く混じっている。


 バイト初日からずっと気にはなっていたが、努めて無視してきたのが目の前の道路わきに佇んでいる青年の霊だ。服装や雰囲気からして大学生ほどには見える。ああいった地縛霊は自分で死が認められないケースの者が多い。特に事故などで即死に至ったケースであればあまりのショックに、死んだことにすら気づけない場合がある。


 普通の人間の感覚からすると妙に思うかもしれないが、人の形を形どっているとはいえ、精神体である霊の精神構造は、体感のある人間とは違う。そこは実体を持つ人間の理屈が通用しないのだ。


 彼らは何らかのこだわりを捨てられなくて、そこに居る。そこに縛り付けられているのだ。おそらくは彼は、対岸の横断歩道わきに佇んでいるところからして、事故に遭ったのだろう。


 彼に意識を集中すれば、彼と感応することはできる。距離は関係がないのだ。だがそれをすれば、朱莉は彼から認識され、干渉を試みてくる。今はそんなものに構っている場合ではないのだ。


 とにかく目の前のケーキの山を捌くことで精いっぱいである。一日目のように啖呵売をせずとも自動的ともいえるほどにケーキは売れてゆく。もはや美玲との勝負など忘れていた。


雪が降りそうなほどに冷え込んだ日だったが、あまりの忙しさに寒さも忘れ、汗をかくほどだった。どこからか「今夜は雪が降るってさ、ラジオで言ってたよ」という声が聞こえてくる。


ホワイトクリスマスか、と暮れてゆく空を遠目に見、次いで美玲の横顔を視界に収める。彼女もこめかみ付近の髪の生え際に汗を浮かべている。頬を伝う透明な滴。


違った。彼女の頬を濡らしているのは涙だった。


(どうしたんだろ、彼女……)彼女の背中を見ると、農家のおっさんが肩に手を置いて、慰めているように見えた。


(何か、悲しいことを思い出してるみたいね。拭いきれない、整理できていない思いがあるのね)鞠が耳元で囁くように言う。


 霊感応力者だろうが、鞠のような霊格の高い霊だろうが、人の心までは見えない。霊媒体質の人間が自ら負の意識を具現化した時、稀に生霊として姿を現し心の内を話し始めることがあるが、彼女にはそういった素質はないらしい。


 冬至を越えてまだ間もないこの時期、陽はあっという間に暮れてとっぷりと夜が訪れる。気温はぐんぐんと下がってゆき、足元が引き締められるような冷気に覆われる。


 午後六時を過ぎたころから急激に客足は減ってゆく。暖かな家族団らんへの家路を急ぎ、出す。スーパーから客が白い息を吐きながら、肩をすくめ、マフラーを巻きなおして、朱莉と美玲の目の前を通り抜けてゆく。


 バイトの雇い主である、洋菓子店の店主の予想販売数の見立ては見事なものだった。


 閉店間際の売り場の台に残されたのは、たった一つのケーキだけだった。売れ残りがたったの一つしかなかったのだ。朱莉と美玲はこの結果に満足し、互いをたたえ合うようにハイタッチをしていた。


 外から見れば、彼女は仕事をやり終えた感激から、泣いているようにも見えただろう。だが違う。今彼女は本当に悲しんでいる。容姿端麗で何の憂いもなさそうな彼女の人生。就職も決まり順風満帆のこれからの人生。そんな美玲にも何かぬぐいがたい悲しみがあるのだ。


「どうしたの、美玲ちゃん」


「ううん、なんでもない……全部売れてよかった、なって」


「一個余っちゃったけどね」


「私が買って帰って食べるんだもん、完売だよ」


 美玲は目を腫らし、泣き笑いながら、ケーキの箱を持ち上げた。


 仕事を終え、洋菓子店の店主から三日分の給料が手渡される。二人してそっと中身を確認して、互いに顔を見合わせて、にんまりと顔をゆがめる。


「二人とも頑張ってくれたからね」そう言って店主は、照れ隠しなのか人差し指で眉間を掻く。


 朱莉と美玲はお世話になりました、お疲れ様でした、と頭を下げて、店を後にする。


「去年はさ、九時までやってたんだけどね。だけどモールの経営母体が変わって営業時間が短くなっちゃったから」


「でも去年の売り上げを越えたって、言ってたよね。まあ、頑張った甲斐はあったよね――なんだかんだ言っていい人じゃん、店長さん。色付けてくれたし」もう一度給料袋を手にしてほくほくとした笑みを浮かべる。


「頑固だけどね、素直じゃないし」と相変わらず、ふわっとした笑みを浮かべて、唇を結ぶ。


「あれっ、もしかしてどっちが多く売るかなんて、頑張らせるための結局方便だったってこと?」


「ふふっ、さあ?」


 美玲の横顔を見つめていると、頬にあたるものに気づいて、ふと空を見上げる。漆黒の空から白い雪が舞い降りてきていた。


「わあ、ホワイトクリスマス……だ」


「そうだね……」


「とっても、ロマンチックなクリスマスに……なったね」


「今年は、雪が降ったよ……」美玲は空を見上げてつぶやいた。


「――ま、あたしたちはみんなに幸せを配る天使だから……い、いいんだけどさ。みんなが幸せな気持ちになれるなら……いいんだけどさ……」朱莉は満足だと言いたげに、両手に拳を握り、もう一度降り注ぐ雪をじろりと愛でる。


「あの、朱莉さん。肩が震えてるけど……」


「さ、寒いのよ……雪、降ってるからね……別に悔しいとかそういうのじゃないから、うん」





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