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十二月二十二日。ジングルベルの曲がそこここで流れる煌びやかな街は、笑顔と喜びの声で満ち溢れていた。陽が落ちきり、辺りを覆う、きりりっと冷えた空気に風はなく、目にまばゆいイルミネーションが美しく明滅するのを横目に、周防朱莉は声を張り上げていた。
大学生活最後のクリスマスがバイトで埋まってしまうこの悲しさ。今までも、クリスマスなんてくそくらえだとばかりに、ゼミ仲間と朝まで呑み明かすようなろくでもないクリスマスであったのだが、四年生になった周囲は人が変わったように就職活動に奔走しだして、朱莉だけが取り残される形となってしまったのだった。
「クリスマスケーキいかがっすかぁー」我々は就職などしない高等遊民なのだ、と豪語していたくせに、こっそりと就職活動をしていた仲間への恨み節をのせながら、声が枯れそうな勢いで叫ぶ。
隣でも同じように、相棒の戸田美玲が「クリスマスのケーキはいかがですかー」と街行く人々に声をかけている。
二人ともガーリーにかわいらしくアレンジされた、赤と白のサンタクロースの衣装を身にまとっていた。二十二歳になってさすがにこれはどうなのかとも思うが、コスプレに寛容的になった世間からすれば、目新しいものでもない。
十二月二十二日から二十四日までの三日間限定で、地元有名洋菓子店のクリスマスケーキを出張販売のため、ショッピングモールのエントランスに設置された特設売り場の売り子のアルバイトで、二人が顔を合わせたのは今朝が初めてだった。バイトには珍しく、多く売り上げた者には金一封があるというから、朱莉の力の入れようは半端ではなかった。
「クリスマスケーキ! いかがっすか! 今日から三日間の限定だよ! 年に一度の大売り出し、クリスマスケーキが食べられるのは今だけだよ! それが今ならなんとたったの二千九百八十円! ええい、もってけ泥棒!」
「ちょっと、周防さん……もってけ泥棒は……」美玲は眉を下げながら笑う。
美玲はふんわり、おっとりという形容詞が似合いそうな女の子で、名門の女子大学生だ。さらさらの黒髪は腰まであり、手入れに怠りはない。立ち居姿も背筋がピンと伸び、横から見ると程よいバストとヒップとの兼ね合いもあり、美しい流線型を描いている。顔はナチュラルメイクを意識しているのか、清楚というより他ない。男子たるもの彼女に恋をせねばなんとする、という彼女のための慣用句がありそうな、絵に描いたような美少女と言ってもいいかもしれない。
対して地方美術大学生の朱莉は金髪で、グリグリと書き込んだアイラインと、バチバチの付け睫毛、ジャラジャラの両耳の大量のピアスに、傷んだ毛先を誤魔化せるようにツインテールにして毛先を無駄に巻いている。絵の描きすぎで猫背気味な背中に自信はなかったが、胸のことは言うな、胸など人格には関係がないのだと気合を入れるために、一張羅の十センチヒールを装備し、胸を張っていた。
「鶴は千年、亀は万年、サンタの爺さんあと三日! 男は度胸、女は愛嬌、クリスマスのケーキは今日が買い時だよっ! さあ買った買った!」売り場の台をバンバンとハリセンで叩く朱莉を笑顔で見遣るも、ケーキを買ってゆくのは美玲の方ばかりだ。
お客からしてみれば二人の売り上げの内訳がどうだかなど知ったことではない。むしろ派手な容姿の朱莉が啖呵売を担当しているとしか思われないだろう。
ショッピングモールの特設売り場は夕方が近づくにつれ、人がにぎわい活気に満ち溢れていた。今年のクリスマスは三連休のせいもあり、ホームパーティなどにも力を入れる人が多いのだろう、ケーキはあれよあれよという間に、本日分を完売した。
「っだぁー、疲れたぁ!」従業員控室に入るや否や、帽子を脱ぎソファにどかりと腰をおろす。対して、しずしずと朱莉の隣へと静かに座る美玲。売り上げの内訳はなんとか僅差で朱莉が勝利していた。
「すごいですね、周防さん」と目を輝かせる美玲ではあったが、朱莉は自分の声をからし体力と精神力の大部分を使い果たした張り切りようと、『クリぼっち』確定の冴えない男どもの冷えた心すら温め、ケーキを手に取らせるほっこり笑顔は、等価なのかとやるせない気分になる。
鞠とは今日一言も話していない。そんな余裕はなかったのだ。
一日目の仕事を終えて、よくよく聞いてみれば美玲はこのバイトは去年に引き続いて二年目なのだという。二人を雇う洋菓子店の店主は昔堅気の初老の男性で、ケーキ職人として高名らしいが、売り上げが悪ければ最初に提示したバイト料も満足に出せないかもしれないと釘を刺す。今日ぐらいの売れ行きではダメだと発破をかけてくる。
朱莉は「最近の若い奴は勤労意欲がなくていかん、もっと上を目指せ!」と店主の声色をまねておどけてみせ、「だからって、バイト同士で競争させて……ってのもなんだかなぁ、ねえ?」と競争相手である美玲に、それとなく愚痴ってみる。
しかし美玲は「ふふ」とただ微笑むだけだった。
(どー思う? 不公平だよ、絶対)美玲と別れ、家に帰る道すがら、朱莉は心に念じ鞠に語り掛ける。鞠とは彼女、周防朱莉の守護霊である。朱莉の目には直接見えないが、鏡越しでならその姿を確認できる。見た目四十といったところの和服美女である。
(さっき自分で言ってたでしょう、女は愛嬌って。朱莉ちゃんって愛嬌たっぷりよぉー?それに美人だからって得ばかりするってわけでもないのよ、時にそれが仇になることもあるの)
(なんか、鞠さんに言われると嫌味にしか聞こえないんだけど……)
(おっほほ、まあね!)
(えっ? そうなの! 嫌味なの!?)
午後十時、信号待ちで一人地団太を踏む朱莉を、周囲の人間は奇妙なものを見るかのような視線を向けていた。
朱莉は中学二年生の頃、霊感応力に目覚めた。鞠との付き合いもその時からだ。
霊感応力とは霊の声を聞き、霊の姿を認識できる者のことを総じて呼ぶ。能力の強さによっては朱莉のように守護霊と会話をしたり、死者にかかわらず生者の生霊をも視ることが出来る。
朱莉はこの能力を望んで得たわけではなく、生まれ持って備わっていたものが発症した遺伝的な疾病のようにとらえている節があり、たいていの地縛霊や浮遊霊、その他雑霊も当たり前のように視界にとらえていたが、つとめて視ないように心がけてきていた。
霊との付き合いなど、この鞠とのように、面白おかしいお気楽なやり取りができる訳ではない。大抵は恨みつらみの怨念のこもった声を聞かされるのが普通だ。声をもって話さない固体でも、人の形を失って化け物のような醜悪な姿でその本質は知れる。現世という地上において触れ合う霊など碌なものではないのだ。
「みてて、明日も勝つから!」と足を開き右手の人差し指を天に指してはみたが、(朱莉ちゃん、恥ずかしいからやめなさい)という鞠の声に気づき周囲を見渡すと、拍手ともつかないクラクションを浴びせられ、スポットライトとは似ても似つかないヘッドライトに煌々照らされ、横断歩道上のプリマドンナになっていた。
急いで歩道に駆けると、あろうことかガードレールに腰かける少年が、朱莉を指さして(馬鹿じゃねぇの!)と、ケタケタと笑っていた。
うるせぇ! と一喝したかったが、霊であることに気づいて憎々しい顔を浮かべながら、彼を無視して通り過ごした。