幼馴染とわたし
鼻歌交じりに制服のリボンをつける。桜田みのりは、上機嫌だった。
目覚まし時計の音とともにおきれた今日はいつもより目覚めもいいし、いつもスマフォでチェックしている占いでは一位をとった。それに何より、いつもは頑固な寝癖が今日はすぐに直りさらさらのストレートだ。
高校の制服をきっちりと着込んでみのりは二階の自室から一階のリビングへと足を進めた。
桜田家はみのりと母と父の三人家族である。
両親はワーカホリック気味の仕事人間で、仕事が趣味というなんとも珍しい人種だ(とみのりは思っている)。両親ともジャンルは違えど多忙な日々を過ごしており、出張や泊まり込みで仕事だといつも忙しい。それでもさみしいとあまり思うことなく成長したのは、隣の幼馴染一家の支えや、休みの日や早く帰ることのできる日はちゃんと家にいてみのりと出かけたり食事を共にしたりしてくれる両親だったからだろう。仕事一筋ではあるが、家族のことはきっと二人とも何よりも大切に思ってくれているのだから。
お気に入りのパン屋の食パンをオーブンにいれて焼く。コーヒーとミルクを合わせてカフェオレにしてレンジで温める。簡単な朝食だが、学校のある日はこれだけで十分だ。一人だし。
もちろん、両親のいる日や休みの日はもっと手の込んだものを作る。一人だと、なんだか張り合いがないのだ。
さっさと朝食を食べ終わったみのりは自分の昼食つくりを始める。なれなかったお弁当つくりも、高校二年生に進級して今年で二年目、てきぱきとつくれるようになってきた。
「かんせーい!」
粗熱をとって几帳面に包んだら鞄に入れ、皿を片付ける。
お弁当といっても昨日の夕飯の残りや夜仕込んでおいたものを詰めたり、余裕があれば卵焼きを焼くなど手を抜いたり抜かなかったりでやっている。元来、料理は嫌いではないし、食べることも好きだ。そして何より、家族が、おいしいといって食べてくれる姿がうれしかった。だからみのりはこういったことは苦ではない。
そして、幼馴染の母親がみのりに料理を教えてくれたことも、その思い出がすごく楽しかったことも、苦ではない理由の一つではないだろうかと思うのだ。
てきぱきと片づけをすませ、戸締りをして家を出る。一戸建ての家は、今は亡き祖父母が建てた家だ。新しいもの好きな祖父母は外観を洋風めいたつくりにしていたので、20年ほどたった今でも現代の家とあまり変わらない外観をしている。
そろそろ熱くなるだろうなあ、そんなことを思いながらみのりはすぐ隣の家の前に立った。
インターフォンをならせば、はあいと声がする。
ぱたぱたと駆け寄ってきた音の後にすぐにドアが開く。
「おはよう、みのりちゃん」
にこり、と笑うその人は、隣家の塩谷家の女王である。塩谷家の権力者といっても過言ではない。そしてなにより、桜田家は彼女に頭が上がらないのである。
母とは昔からの友人らしい。炊事洗濯、その他もろもろを叩き込んだのはこの人だ。それはみのりが生きていくうえで欠かせないものとなっている。そして彼女――塩谷五月は、女王(こういったのは幼馴染である)だ。塩谷家の中心。塩谷家父、五月、塩谷兄、塩谷弟の四人家族である。ようするに、一番強い。
「おはようございます、五月さん」
「ごめんね、まだ起きてこないのよね。ちょっと起こしてきてくれる?全く、三人とも朝が弱いんだから」
「おじさんも秀ちゃんも起きてないんですね…」
塩谷家は朝が弱い。
母である五月は強いのだが、それ以外の三人は全く起きないのだ。
塩谷父は作家をしているので家にいる時間のほうが長いが、それでも朝はちゃんと起きて食事をとるべし、という五月の家訓によって毎朝おこされている。
大学生の長男、みのりと同い年の次男もまた同じである。
「あ、秀ちゃんおはよ」
「おはよう、みのり」
あくびを噛み殺しながら下りてきたのは塩谷秀、塩谷家の長男である。塩谷家の面々はみんなキラキラした容姿をしている。ようするに、美形一家だ。
王子様のよう、と称される秀の容姿はしかし、寝起きのぼさぼさの頭と着崩したパジャマ、目が開いていないなどという条件の下でみるとかすんで見える。台無しだ。
それでもみのりにとって秀はお兄ちゃんという存在で、しょうがないなあとくすくす笑った。
「私、涼ちゃん起こしてくる」
「…よろしく~」
あふ、と大きなあくびと共に見送られたみのりは、キャーキャー騒いでいるファンの子達に見せてあげたいと思った。あんな姿、幻滅以外のものでしかないだろう。
卒業してなお、誇る人気はすさまじい。
階段をあがった奥の部屋が幼馴染、塩谷家次男の涼の部屋だ。手前が秀。
弟の涼も容姿はすこぶるいい。
秀を王子様と呼ぶのなら、涼は騎士といったところだろうか。
秀が甘く柔らかそうな美形なのに対し、涼は涼しげでともすれば冷たそうな美形だ。
秀はお姫様のような容姿の母に似て、涼は着物のよく似合う涼しげな父に似た、らしい。幼いころから見慣れた一家なのでこの一家の残念なところまでよく知っているみのりは、それでも容姿など関係なしにこの幼馴染一家のことが大好きだった。
部屋の前に立って、形式的にこんこんとノックをする。
――返事など、もちろんのことながら、ない。
「りょうちゃん起きてよ、朝だよ」
声をかけても、起きる気配はない。それどころか、身じろぎすらしない。
中学生のときは修学旅行などでその目覚めの悪さから不名誉なあだ名をつけられたことをあれだけ嫌がっていたのに、一向に寝起きはよくならない。
――また眠れる森の美女って言われちゃうだろうなあ。
そんなことを思いながらみのりはベッドに近づいて、眠る涼を揺さぶる。
「起きてよ、涼ちゃん」
「………ねむい」
「秀ちゃん先に起きてたよ?昨日寝れなかったの」
「………」
あまりしゃべるほうではない涼は、寝起きだとさらに無口になる。
それでも、起きたので良いかと思いながらみのりはのそりと起き上った涼を見て笑う。
「先に下にいってるからね。早く来ないとおいてくよ?」
「…すぐいく」
着替え始めた涼にため息をつきながらみのりは踵を返そうとして、涼のみのりを呼び止める声に気が付いた。
「んん?なに?」
「お前、ちょっと丸くなった?」
「………っ、ばかあ!」
ぷるぷる震えながらその肩を叩く。信じられない!と顔を赤くして起こるみのりは、しかし、気づいていなかった。
「…ああ、勘違いだ。ごめん」
そのままぎゅうと抱きしめられて謝られる。
いつの間にかみのりの体に巻き付いた腕はしっかりと固く、押し当てられた体はたくましくなっている。
抱きしめてその感触を確認したのだろうか、もう、しょうがないなあとみのりは口を膨らませたまま顔を上げて涼を見上げた。
「あのね、女の子に丸くなった?とか禁句なんだから!デリカシー!」
「悪かったって、気のせいだった。しかしお前よく膨らんだな」
「むーーー!」
頬をつかまれて笑われた。
盛大に拗ねながら、最近こう言ったことが多くなったな、とみのりは思う。
手をつなぐことは抵抗がない。それでも年頃の女の子として、幼馴染とはいえ男の人になりつつある涼にこうして近づいているのは、少しだけ落ち着かない。
けれど、それ以上に安心する感じもして、なので結局みのりはされるがままである。
「二人とも早く来ないと…、えええ?なにしてるの?!朝からナニしてるの?」
「兄貴うるさい」
「秀ちゃん!どうしたの、そんなに焦って」
「もうほんとお前らそれで付き合ってないとかマジどうかと思う」
ため息を吐き出しながら秀はこめかみを抑えている。
首をかしげながら涼を見上げれば涼はみのりから手を放し、制服に着替え始めていた。
秀に導かれて部屋を出ながら、苦虫を噛み潰したような秀を見やれば、今度はみのりをみて苦笑していた。
「妹か、昔からほしかったからいいんだけどね」
「私も秀ちゃんお兄ちゃんだと思ってる!」
「うれしいんだけど、嬉しいんだけどこの子をアレにやっていいものか…」
ひどく疲れたような秀ががっくりと膝をつきながらぶつぶつつぶやくのを不思議そうに見ながらみのりは着替えが終わって出てきたらしい涼を見上げた。
幼馴染兄弟は二人ともうらやましいくらいに、背が高く成長している。
「まだやってんのか」
呆れたようにつぶやいた涼と、立ち直ったらしい秀と三人で連れ立って階下へ向かう。
こういう残念なところを見ないから二人とも女の子たちにきゃあきゃあ騒がれるのだ。みのりはちょっと不貞腐れたように口を尖らせた。要するに、みのりだって異性からちょっとくらいかわいいとか騒がれてみたいお年頃である。幼馴染二人みたいに四六時中騒がれるのは勘弁してほしいところだが、恋愛という少し浮ついた感情を、そういった経験をしてみたいと思うのは大多数の高校生の思うところだろう。
「どうした?」
「私も恋愛してみたいなーって」
「――…は?」
その声に、二つの声が聞こえた。一つは、疑問が浮かんだ上ずった声。声の主は声と同じくらいきょとんとした顔で目を見開いていた。二つ目は低い低い声。感情はないけれど、ぞくっとしてしまうような。前者は秀、後者の声は涼である。
「とりあえずご飯食べようか!」
「兄貴先いって。みのりちょっと面貸せ」
「どこのチンピラよお!」
ひらひらと手を振る塩谷家長男を尻目に、塩谷家次男は幼馴染を引きずったまま部屋へと逆戻りした。みのりは不可解な幼馴染に目を白黒させながら引きずられるしかなく、頼みのもう一人の幼馴染兼兄は、疲れたようにあいまいな笑みを浮かべるだけだった。
「もう、どうしたの?涼ちゃん」
「…なあ、誰とするつもりなんだよ」
「ええと、恋の話?」
きょとん、と瞬きしながら見返せば、じっと見返してくるまっすぐな目。
「したいなあ、って言っただけで、する相手もいないし…。どうしたの、忘れ物?」
「……いや、もう、いい」
疲れたように吐き出されたため息はしかし、少しだけ安堵をにじませていたように思う。
再度ぎゅうと、抱きしめられ――今回のこれは抱き着かれたに近い――、背中に手をまわしてぽんぽんとあやすように撫でた。ふ、と体の力を抜いても体をみのりに預けてくる。かわいいなあ、とちょっときゅんとしたのは内緒だ。
「ていうか、涼ちゃん!学校、遅刻しちゃうよ!」
まだ幼馴染の家の中だったということを思いだし、みのりは涼を思いっきり引きはがして手を引いて階段を駆け下りる。
呆れたような塩谷家の面々に照れたように笑いながらみのりはずい、と涼を押し出した。
自分も涼の隣に座りながら、涼が塩谷家の食事をきれいな所作でしかしすごいスピードで平らげていくところを眺める。がつがつなんてしていないのに、あっという間に消えてしまった食事。
やっぱり、男の子なんだなあとその量を見ながら思う。
そしてすぐに準備をととのえた涼とみのりは連れだって塩谷家を出た。
――しかし、遅刻ギリギリということに変わりはない。走っても、涼の運動能力であれば間に合うが、十人並みのみのりの足ではまず不可能だ。こういうときだけ徒歩通学を憎む。
腕時計を見ながら少しばかり不安そうな顔をしていたのに気付いたのか、ふ、と笑いながら涼がみのりの頭をぽん、と撫でる。
「自転車があるだろ」
「二人乗り、見つからないようにしなきゃだね」
「手、離すなよ」
自転車に乗った幼馴染の後ろに座って、ぎゅうと腕をまわした。
抱き着くように、しっかりと。その腕をぽん、とたたいてふわりと微笑った涼と、その姿は恋人同士のそれであるのに。
「…だからなんで付き合ってないの?」
「うーん、お互い一緒にいることが当たり前になっちゃってるのか、涼の好意にみのりちゃんが全く気付いてないのかのどっちかよね」
「その両方、かな」
二人が登校するところを見送りながら幼馴染の兄と母がそのような会話を繰り広げていたことを、もちろんみのりは知るはずもないのだった。
歩いて20分ほどの距離も、自転車を使えば半分以下に短縮できる。
どんどん近くなっていく学校に、みのりはこれで遅刻しなくて済みそうだとほっとしていた。スピードを出す割に安全な運転で、みのりはいつだって安心して幼馴染に体を任せていられる。
背中に押し付けた額は、あたたかく、自然と顔がほころぶ。
「時間、余裕だろ」
「10分前ってところかな」
学校へもあと数分というところで涼は自転車をとめる。心得たとばかりにみのりは自転車から降り、自転車を引きながら歩き出した涼の隣に寄った。
さすがに二人乗りで学校の中へ入ってしまうのは、自重した。今回は遅刻しそうだったので仕方ないが二人乗りはやっぱり危ない。小さなころはよくできていたのに、少しだけ今の二人乗り事情は物足りないみのりだった。
「いつもよりちょっと遅くなっちゃったね」
でも間に合ってよかった。そんな思いを含ませながら言ったみのりを見やって、涼は少しだけ笑ったようだった。学校ではなかなかみんなが見れないのだという、笑み。
そんなことないのに、といつもみのりは思う。
結構すぐ笑うし、たまに冗談だっていう。――真顔で、ではあるのだけれど。
それでも、最近はそう周りにいわれると幼馴染が自分にだけみせてくれる表情がうれしくて、特別になったような気持ちがする。優越感、なのだろうか。それでもいずれ、特別ができてしまうのだろう。だから、それまで。それまではきっと、みのりの一番は涼で、涼もまた同じなのだ。
「涼ちゃん、今日放課後なんかある?」
無言で首を振られる。ぱあ、と表情を明るくしたみのりは、はしゃいだように笑った。
「今日買い物に付き合ってくれる?お父さんとお母さん結婚記念日が近いの」
「いいよ、何にするか決まってるのか?」
「ん、実はあんまり。だから一緒に選んでくれる?」
ああ、と笑う優しい目はいつだってみのりを温かい気持ちにさせてくれる。
だからきっとモテるんだろう。こんなにいい優良物件、なかなかいないぞとにやけながらみのりと涼は自分たちの教室へ入る。
「やばい、アンタらいつも以上に砂吐きそう。甘すぎ」
「おはよう、結花ちゃん。げんなりしてどうしたのー!」
「いやいや、げんなりするわ!目に毒、出会いほしい」
「最後が切実すぎる…」
教室の自分たちの席―みのりと涼は教室窓側の一番後ろと後ろから二番目という席だ―につくなり、涼の隣の席の友人がげんなりした表情を浮かべる。
出会いがほしいと頻繁に他校生やクラス学年問わず高校生の合コンのようなものに繰り出している小宮結花は、遠い目をしてつぶやいた。
苦笑しながらみのりは席に座り、くるりと後ろを振り向く。
「だってね、目の前でバカップルやられたら理想が高くなるってもんでしょ」
「んん?お父さんとお母さんすごく仲良しなの?」
「……あんたほんと、早くこれなんとかして」
疲れたように、ともすれば呆れたかのように肩をすくめた結花を素知らぬふりでスルーした涼はゆるく腰掛けて足を組んでいる。ちらちらと、教室の視線が熱い気がする。
さすが幼馴染、とほくそえんだみのりはところで、と結花を見やった。
「私も今度その合コンもどきいってみたい!」
その瞬間、みのり以外の空気が凍った。――とは、のちの友人の言であるが。
ひきつる口元を隠しもせず、結花は、なんでと片言のように繰り返した。
きょとんとしたみのりと、さっきから表情は崩さないまでもどことなく冷たい雰囲気をまといだした涼と、交互に見やって結花はがっくりと机に突っ伏した。
「早くこの鈍感娘なんとかしてよ!あんたが早くしないからこうなってくるのよ?!」
「できるならしてる」
「みのり、あんたに出会いはいらないのよ!」
「ええ、涼ちゃん何とか言ってよ」
バッサリ切って捨てられたみのりが涼を伺えば、涼はぐい、と身をみのりのほうへ乗り出した。
いつもより近いなと思った刹那。
「お前、俺がいるからいいだろう?」
「ああ、うん、そうだね」
このシチュエーションはときめきしか感じないだろう、というような状態をあっさりと肯定してかつのほほんと笑っているみのりに、今度こそ結花はがっくりと机に突っ伏した。
どうして付き合ってないのよコレ!!!とくぐもった叫びが聞こえたような気がしたが、定かではない。
どことなく教室内もああまたか、という雰囲気になってきている気がする。
「でも涼ちゃんが隣にいないのはなんか違う感じがする」
「まあ、長期戦は得意分野だから」
ぼそりとつぶやいた涼の言葉の意味を理解する前に、担任が入ってきて先ほどの空気は霧散した。
後ろで結花が「しっかりして、早く捕まえて。モノにしろってんでしょ」とぼそぼそ言っている声と、幼馴染が鼻で笑うのを感じ取ったがしかし、みのりの思考は放課後の両親へのプレゼントへと飛んでいたのであった。
そのついでに帰りにクレープ食べたいなあ、という想像に口元を緩ませていたのだが、生まれてからずっとそばにいる幼馴染がその思考にたどり着かないわけがなく、帰り道に自然と誘導されるのは、これからそう遠くない未来の話である。
「りょうちゃんのとなり、ずーっとみのりのね?」
それこそ幼稚園の、年少さん、物心ついた当初に大好きな友人に傍にずっといてほしいとみのりが涼に言い放ったその言葉を、幼馴染がこじらせてそれからずっとみのりの隣に執着していることを、みのりは知らず。そして、涼もまた知らせようとはしない。
しかし、着実に周りを固めていくその包囲網を、本人のみが知らないままなのである。
***
幼馴染×鈍感女の子の王道なお話を目指したのですが。
涼はもちろん恋愛感情を抱いていますが、きっとみのりも認められていないだけで潜在意識の中でそれに近いものを抱いてるんじゃないかなと。
おつきあいありがとうございました。