夜市の晩 2.「訪問者」
二組の規則正しい足音がまっすぐ自分のいる部屋を目指して進んでくる。気配を隠そうともしない侵入者。物盗りの類ではなさそうだ。
わざわざユイがいないときを狙うなら目的は彼女ではないのだろう。そのことに少し安心している自分が可笑しい。
完全な記憶喪失とまではいかないものの、いろいろなところで自分の記憶が未だに曖昧になっていることはわかる。断片的な記憶が繋がらないまま今日までを過ごしてきてしまった。
足音がこの部屋の扉の前で止まった。
反射的に身を起こして暗がりに目を凝らす。
無言のまま訪問者が扉を開く。
錆びた蝶番が嫌な音を立てた。
姿を現したのは暗緑色の軍服を身に纏った二人の男たち。一人は士官には若すぎるような少年だ。対照的にひょろりと背の高い男のほうは能面をつけているかのごとく表情がない。切れ目で平面的な顔立ち。
「なーんだ、意外とへばってるみたいじゃん」
少年が口を開いた。
「お前が三発も撃ったからだろう」
まるで、コハクを狙って撃っていたかのような言い方をする。あのとき、たしかに銃弾はユイに向かって放たれたはずだ。
「いいじゃん別に、もーほんと最悪だよ。まさか撃った銃弾の軌道に干渉されるなんて、僕腕なまったのかな・・・でも、せっかくそれた銃弾の前に飛び出した来てくれたんだからラッキーだったよ」
「あのとき、君を狙って撃った銃弾の軌道を変えて自分のほうに向けたのはあの神官の子だ」背の高い男が言う。
「どう?自分が守ったと思ってた子にほんとは守られていた気分は?」
答えを聞かずに少年はコハクの胸ぐらを細い腕一本で掴み上げた。
「かわいそうだね?抵抗することもできないなんて」
少年の目には憐れみと、ほんの少しくやしげなやるせない思いが滲んでいた。
「何の・・・ために・・・」
「私たちがどうしてここに来たかすら、わからないのか」
「知らない」息がつまってコハクは短く答えた。
「まあ、偵察だけなんて変わった指令には変わりないけどね。てっきり連れてこいって言われると思ってたから」
「ほんとかわいそうな子だよね、あんた。あっでも、忘れてしまったほうが楽かもしれない。ねえ、痛い?僕に撃たれたところ」
そう言って少年は小銃の銃口を肩の傷にねじ込む。激痛に声を上げないように噛みしめた唇がきれて血が滴る。
「痛いのって聞いてるんだけどっっ」
ダンッッと派手な音を立てて床に叩きつけられる。
「カハッ・・・」
血液を含んだ空気の塊を吐き出す。
「やりすぎだ、エルネスト」
「は?だってどんなに痛めつけたところで死なないんだよ?僕もこいつも」
死ねないってどういうことだ・・・それを声にだすことは叶わなかった。
「そんなことは言ってない。指示にないことをするなと言っている」
「ふんっ。帰るぞ、ネイ」
ネイと呼ばれた男がコハクのかたわらに立った。冷えた指先が額に触れる。
「や・・め、ろ」
「君はじきに思い出す。何もかも、ね」
その声が聞こえたときにはすでに二人の姿は跡形もなく消えていた。