パルステビア王国王立学術院
「おおーい、おいてくぞーっ」少し間延びした声が豪華すぎる学び舎の長い廊下に響き渡る。ここはパルステビア王国でも最高と名高い名門中の名門、パルステビア王国王立学術院である。遠方からくる生徒のために広い敷地内には高級旅館並みの寮があり、城下には連日多くの生徒でにぎわう学生街がある。学ぶことに関して言えば不自由することなど何もない。まさに、学びの城だ。
ここに来るべきは自分ではないという、特殊な理由でここに来てしまったことに対する罪悪感が双肩に重くのしかかる。
午前中の講義が終わり、思いのほか重い講義の資料を抱えて僕はえっちらおっちらと歩いているところだ。100メートルほど先で僕を呼んでいるのはさっき知り合ったばかりの同じく極東からの留学生、コウチ・ユウキだ。
息を切らしてやっと追い付いた僕に「アキは体力ないなあ」と言って笑うと、僕から荷物をもぎ取り二人分の荷物を持ってさっさと歩きだした。
おそばせながら僕の名前はイサキ・アキという。実は学生ではなく、国ではれっきとした新聞記者である。年齢の割に童顔な僕は学生といってもまったく疑われることはない。まあ、年齢も19ということで学生でも全然通用する。学術院には13歳から18歳までの年齢の生徒が通っており、望めば21歳まで院で学ぶこともできるからだ。魔術専攻科、医学科、士官科、総合科の四つの科があり、魔術については学ぶことが許されない僕ら留学生は主に、総合科の生徒といっしょに講義を受けている。稀に医学科や、士官科との合同講義もあるが、希望者はそれらを専攻することも可能だ。僕は総合科だが、コウチは医学科専攻だ。
膨大な資料から解放された僕はやっと彼と並んで歩くことができた。
「コウチが体力ありすぎなんだよ。普通のひとならこんなかんじだから」
広くて綺麗な校舎に文句なんてあるはずないけど、「さすがは城」的な無駄に長い迷路のようなこの廊下には初日から手を焼きっぱなしだ。少し迷おうものなら現在位置を見失い、遅刻はまぬがれない。
「ユウキでいいって言ったのにー、それに俺腹へってもう限界。早く早く!」
空腹状態ならその元気はいったいどこから生産されているのかまったくもって謎である。別に僕が抜群に貧弱というわけではなく、このユウキという男だ並はずれているだけだ。
それに気付いたのは、昨日の士官科との合同クラスでのできごとだった。中庭で行われた剣術の模擬試合に参加したユウキは仮にも士官を目指し、厳しい訓練を受けている士官科の生徒に鮮やかに勝利してしまったのだ。そのあとですら、呼吸ひとつ乱さず平然としている様子に、どうやらただ者ではないと僕を含む一同あ然としたのである。
「昨日もすごかったよね、剣の試合」
「見てくれてたのー照れるなあ」と言って爽やかな笑みを浮かべるが、ちっとも奢らない彼に僕は感心していた。
「剣道でもやってたの?」
「僕は武家の生まれなんだよ。元、だけど。だから稽古にはもの心ついたときには出てたかたかな。そこそこ剣ができるから後を継げといわれていたけど、どうにも性に合わなくて、それにもう剣の腕だけでいきていける世の中でもないしな」
さらりといってのける彼にも、いろいろな事情があるのだろう。少し、複雑そうな表情だった。しかも、あの腕でそこそことは謙遜しすぎではないかと言いたくもなる。僕が素人目ということを差し引いても彼は間違いなく天才と呼ばれているにちがいない。
世界歴1867年に極東を支配していた幕府が大政を奉還してからもう十数年。一時代を築いた武士は士族と名を変えその立場や存在意義もまた大きく変化した。かと言って、古くからの習慣がきれいさっぱり消えてしまったわけではないのだろう。まだ自分がうまれる前の話だが、昔の身分制度が未だにさまざまな禍根を残していることは身にしみてわかる気がした。いくら新しい世の中になっても変わらないものもたくさんある。
力が入っているようには見えないのに、背筋が自然とまっすぐに伸びたユウキの後ろ姿は変わらない武士の心を感じさせる。昨日の木刀もって凛とかまえるその姿がかさなってよけいにそうみえた。
思えばユウキはこちらに来てからはじめてできた友達だ。ありきたりだけとど、仲良くなれたらいいなと思いながら、ともに空腹を満たすため学生街をめざして歩いた。ユウキが歩くスピードを僕に合わせてくれていることにささやかな幸せを感じながら。