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きみの名前は・・・

身を切るような風が吹きさらす教会の尖塔に少女はいつものように朝の鐘を鳴らしにきていた。いつもと違うことと言えば、自分より大きな男をその背に背負っていることぐらいだ。おそらくその重みは少女の負担ではない。


「くしゅんッ」男が寒そうにくしゃみをした。

もうすぐ春が来るというのにパルステビアの厳しい冬はまったくといっていいほどそれを感じさせないでいる。遠慮がちに肩におかれた手はただでさえ白いのにさらに色を失っている。

「だから寒いといったじゃろう」少女は呆れたようにそう言ったここまで連れてきた当の本人が言うことではないのではと男は内心つっこんだ。白い息が風にのって後ろに流れていく。少女は後ろの髪だけを長く伸ばし、銀の髪留めで一つにまとめている。正面から見れば一見短髪の少年に見える。男は尻尾みたいだという素直な感想もまた言葉にはしなかった。その髪は少女が少年に扮して神官の格好をするために必要なことだということはわかっていた。



いくら魔法の力で重さは軽減されているとはいえ自分より小さいそれも女の子に負ぶわれているというのは、なんとも言えない気分だった。

「なんで僕はここにいるんだろうか・・・」そうはいったものの、冷たいだけの風も今は心地よかった。

「寝ているだけでは治らないものもある。わたしは師の教えを実行に移したまでじゃ」そう言った少女の口調は少し満足げに聞こえた。


「そういえば、君はここにひとりで住んでいたの?女の子なのに神官の格好してるし・・・」背中の男が少し掠れた声で背後から問うた。

「今はな。昔は何人かおったし、その頃はまだ師も健在じゃった」

「昔ってずいぶん経ってるみたいにいうんだな、まだ12かそこらの歳でも通用しそうな感じだだけど」

「子ども扱いはやめるのじゃ!わたしはこうみえても今年で16になる!」

「えっと、それは失礼なことを・・・」そう言いながらも男にまったく悪びれた様子は見られず、それどころかくつくつと、笑いをかみ殺し肩を震わせている。


落とす・・・こいつ絶対こっから落としてやる!!

少女の殺気が伝わったのか、男は笑うのをやめてこういった。


「ぼくをここから落としてみたりしてくれる?」

さっきとは打って変わって冷たい声だった。微笑んではいるが目はまったく笑っていない。

「・・・!!」

背中から少女の動揺が伝わってきた。心を読まれたとでも勘違いしたのだろうが、単に内容が口にでていただけだ。気付いていないから無意識なんだろうが。

「それも一興かもしれんな。でも、そんなことにはならん。言ったじゃろう死なせんと」怒ってまたすぐ言い返すと思っていたが、そこ声は以外にも冷静なものだった。

「ふうん」男はその返答に興味を失ったようだった。


「時間だ」少女は短くそう告げるとスッと左手を鐘にかざした。その瞬間大きく振れた鐘の舌が鐘の内側にぶつかって盛大に打ち鳴らされた。街にいくつもあるこうした教会の鐘が一斉に鳴ることで互いに共鳴しているようだった。音が街全体に響き渡り、今日もまた一日がはじまった。


「おはよう、ところでおまえの名前は・・・」

「おはよ、えっとそういえば、ごめん名前は・・・」

二人の声が重なった。


つかの間の沈黙のうちに、先に口を開いたのは少女のほうだった。

「ユイ、だ。タキ・ユイ。タキは名字だ。変わってるか?」

「いや、いい名前だね」と男は本心から言った。


聞きなれない名前だったがその響きはこの少女にとてもよく似合っているとそう思った。


「僕は・・・あれ、なんだろう・・・」

僕はその時はじめて気付いた。


自分の名前が、思い出せないということに。


「名前、思い出せないのか?」


自分が誰かわからないという恐怖は男の心を徐々にしかし確実に浸食していく。あやふやな自分の輪郭。記憶の中に自分の名前を必死で探した。いろんな人が名前を呼んでくれた記憶も、どんどんありえないスピードで遠ざかっていく気がした。自分はこの世界に存在していなかったかもしれない。そう考えることが恐ろしかった。死を望んだはずなのに自分の存在がなくて怖い?そんなの滑稽だ・・・それともまだ生きていたいと自分はそう思っているのだろうか?・・・


急に様子の変わった男をゆっくりと背から降ろし、壁にもたれさせるように座らせる。ユイは食い入るように男を観察しはじめた。呼吸も正常だし、少し速いが脈もある。「どうしたのじゃ。わたしの声が聞こえるか?」そう問いかけても反応がない。そして男の琥珀色の目は今何も映してないし、見ていない。どこにもいない自分を探してこいつはどこでもない遠くを見ている。今だって、わたしの背中から降ろされたことにも気づいていない。危ないな・・・直感的にユイはそう思った。魔に付け入る隙を与えてはならない。そういう人間は虚ろに引き込まれすいのだ。そして、戻ってくることは、けしてない。人間の脆さにユイははっとする思いがした。

怖い--------!!

この男が今にも消えてしまいそうに儚く見える。


だから、必死でその冷たい手を握り締めた。

自分を失いかけている男のからだはいまや、虚ろなただの器。それに気づき始めた実体をもたない黒い影がそこかしこからジワジワとしみだしてくる。


(( 去ね ))

ユイはそれらに鋭く言い放った。


その言葉だけで、黒い影たちは怯えるようにすごすごと引き下がった。このような小物ならまだしもっとおおきなものを呼び寄せてしまったら・・・ユイは自分の背中に冷や汗が流れるのを感じた。

男の細い肩を掴み、まるで人形のように生気のないその瞳をしっかりと見据える。

「しかっりしろ。大丈夫じゃ。おまえはここにちゃんといる。いていいから、だから、もういいから・・・思い出せなくてもいい。ここにいるから・・・」そう何度も繰り返した。


そばにいるから。

ここにいて。

大丈夫だと。何度も、何度も。


「僕はここにいても、いい・・・のかな」不意に男が口を開いた。その声は今にも消えてしまいそうに弱く掠れている。

「何度もそういったはずじゃ」

男がやっとこちらに気づいたことに安心したように、ユイはやさしく微笑っていた。


「だからもう、失くしたものを己の内に探すのはやめるのじゃ。それはとても危ないことだから」


「もうしない。ここにいてもいいときみがそう言ってくれたから」

君がそういうなら、僕はたしかにここにいるのだろう。

つないだ手の感触が僕と世界の接触点を明確にする。

温かい手。


「それに、きみはかなりひねくれてるけど、嘘つけそうにないしね」

「最後は余計じゃ、あほ」

「ほら、そういうのがひねくれてるっていうんだよ」

「そういうおまえだって、そのキレーな顔で今までいったい何人騙してきたんだか!」

「へえ、僕の顔ってそんなに綺麗なんだー」

「無自覚とはまた性質の悪いやつめ」


「でも、名前が無いってゆうのもなかなか不便だな、どうしよう」男が言った。


こいつめ、さっきはあんなに心配させておきながら、もう立ち直りやがった。こうなったらもう知らん。ユイは心配などしてしまったことに後悔を覚え始めた。


「太郎とか髪が白いから白助とかそんなんでいいんじゃろ?おまえのことじゃ、要するに呼べればいいとかっるーい感じで考えておるんじゃろう」


「きみにネーミングセンスを期待するつもりはないけど、それはないんじゃない?だいたい僕には意味がわからない」

「寝てるときはしおらしかったくせに遠慮がなければ人間こうも変わるものなんじゃな!それに、太郎と白助には失礼だ!」


「その節はたいへん・・・・」お世話になりました、といかけたそのとき、ユイがまた意味のわからない言葉を発した。


「コハク!!コハクは?」


「コ、ハ、ク?」


「そう!おまえの瞳の色のことわたしの生まれた国では琥珀色と言うんじゃが」

「そ、なんだ・・・」

「やっぱり・・・いや、か?そっそれなら」


僕は首を横に振ってユイの言葉を遮った。


「それがいい。うれしかったから、すごく」


こんなんじゃ、きっと足りないけど。


「だから、・・・ありがとう」


上手に、笑えていただろうか?

薄れゆく意識のなかで、僕が最後に考えていてのはそんなことだった。







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