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物語る日記帳  作者: 采火
本編
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55/63

翡翠の恋心8

 烏之瑪はバサリと翼を打つと、真っ直ぐに蛍野を見た。光の瞳に決意の色を見ると、今度は椋田へと向き直る。


『決まりだな。椋田、少しこいつを借りる。何かあったら藤子に頼め。大抵のことなら藤子で十分だろう』

「分かった。だが、一ついいか? ……結姫もだが、決してこいつらを死なせるようなことだけはするなよ。人間には人間の事情があるからな」

『覚えておこう』


 烏之瑪はぞんざいに言い放つと、漆黒の翼をバサリと二度打った。起こった風が部屋の中央を突き抜け、納戸へと向かう。生きているかのように活発に動く二つの風は、一つが扉の開閉をして、もう一つは納戸に仕舞われていた三味線を乗せて帰ってきた。

 烏之瑪の目の前まで来た風は、烏之瑪が一鳴きすると虚空に消え、かたん、と音を立てて三味線だけが残った。

 人間離れ……というよりかは完全に人外の所行に光はもう唖然とするばかりだが、多少は慣れている椋田でさえ顔をひきつらせている。今のはちょっとだけ吃驚した。手品の領域を遥かにに越えている。まぁ、元から種も仕掛けもない純粋な術なのであるから当たり前なのだが。

 烏之瑪はイロリに近くに置いてある風呂敷でこれを包むように頼む。イロリは引き戸から淡い緑色の風呂敷を取り出して、慎重に三味線を包んだ。それこそ、音が鳴らない程の細心の注意を払って。

 イロリが包み込み終わると、烏之瑪は光の目の前まで歩み寄る。光の肩に飛び乗った。


『それを持って行け。役に立つ。これはあやかし物の類を封印できる代物だ。……ここぞという時以外に鳴らしてはならんぞ』


 僅かに厳しい声音で言うと、烏之瑪は光にその三味線を手に取るように促した。これを手に取ったら、もう後戻りは許さない。そんな気配が感じ取れる。

 光はごくりと喉を鳴らした。先輩はこんなにも危険なやり取りを幾度も繰り返してきたのかと考えると、背筋が凍るような気になる。こんなのは僕らのような中途半端な子供には荷が重すぎる。

 考えれば考えるほど、現実を見据えるのをやめたくなる。だってそもそもカラスが喋ることからしておかしいのだ。夢ではない方がおかしい。


『早く手に取らんか』


 ぐさっ。烏之瑪がせかすようにしてくちばしで頬を刺す。痛いのでどうあっても現実らしい。

 それでも光は躊躇う。こんなの馬鹿げてると理性が嘲笑う。

 見かねた烏之瑪が光の肩から飛び降りた。


『ふん、このひよっこめ。我がこんなにお膳立てするなんて青天の霹靂もよいところだ。有り難く思えよ。──おい、ヤクバコ出てこい』


 烏之瑪が言った瞬間、コロリと天井から小さな日本人形が落ちてきた。思わずぎょっとして光も椋田も仰け反る。

 日本人形ことヤクバコは烏之瑪が戻ってくる途中に拾ってきて、天井の梁に潜んでいたのだ。もちろん、今の光にもバッチリ見えている。


「あわわわわ、光~っ」

「……何コレ」


 ばっちりかっちり目線が合ったヤクバコと光。ヤクバコは恥ずかしがって袖で顔を隠してしまった。


『お前の家に憑いている付喪神だ。代々に伝わる薬箱があるらしいな。それの、だ』


 つまり、ひっそりと暮らしていた蛍野家の住人ということか。光は笑うしかない。妖怪が自分の家にまで住み着いていたとは。

 平常心、平常心と念じながら取りあえず挨拶してみる。


「……初めまして?」

「えと、光。初めましてじゃないよ。その……光が梅雨に熱を出したときに一度見えていたみたいだから……」

「え、あの時の日本人形……!?」


 平常心は呆気なく崩された。以前に夢かと思ってさらりと流していた日本人形は実在したらしい。ていうかあの後にかなり失礼なことを言った気がすると思うと気が遠くなりそうになる。ああ、祟られるのかな。

 光の許容量はとっくの昔に越えている。


『おいヤクバコ』

「ひ、ひぃっ! 分かってるよ!?」


 ヤクバコは烏之瑪に声をかけられるとびくりと肩を震わせて光の膝元へと寄ってくる。ヤクバコの烏之瑪に対する苦手意識は健在だ。

 

「光。光が梅雨のあの日に熱を出したのってね、確かに雨のせいでもあるんだけど、本当は悪い妖怪が憑いてたせいでもあるの。それを祓ってくれたのは結姫だよ。私じゃどうにもできないことを代わりにやってくれたのよ。光、結姫を助けてあげて。結姫は弱いの。きっと一人じゃ大変だわ」


 真っ直ぐに澄んだ瞳は人間と妖怪の境界線を無くし、率直な言葉はそれらの垣根を越えても届く。ヤクバコの言葉は光の心を強く打った。

 ──自分の熱は妖怪のせいで梨香がそれを祓った。信じられないが、信じられる要素が今ここには十分すぎるほどに揃っている。

 光は唇を噛む。だから僕にどうしろと。

 一度決心した心が揺らぐ。こんなに期待されたって、できないときはできないし、失敗するときは失敗する。だが失敗はできないという重圧が、光に重くのし掛かる。

 今まで何も知らなかった光に付け焼き刃の力を与えて、梨香を救わせる。それがどんなに滑稽な話なのかを、光はこの場にいる全員に突きつけてやりたかった。光が梨香を助けに行くと当然のように思っているこのモノ達に。

 言えばいい。言うだけなのだ。キミ達は頭がおかしいと。螺子が飛んでいると。馬鹿にすればいい。真摯な目を向けて切実に願っている小さなモノの声に聞こえないフリをして、不安そうにこちらを眺めながら事の成り行きを見守る華やかなモノの視線に見ないフリをして、ただ何も言わないでじっと待っている旧いモノの期待に気づかないフリをして、逃げる事を許さない小さくても大きな存在から目を逸らして。全てを切り捨てるようにして、頭の冠を放り捨てさえすればいい。

 それなのに。


「──先輩を助けるにはどうすればいい?」


 口は彼らの望む言葉を紡ぐのだ。

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