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所謂素人哲学の押し売り

ピタゴラスは、優れた人間は人生の意味や目的を見いだすことに専心する と言ったそうです。

私はとりたてて優れているわけではありませんが、まがいなりにも人間であるので、専心するまででなくとも、たまには、人生の意味について、悩んでみたりしてみたいと思います。

人生の正しい意味とは?

そもそも何を正しいと考えるかは一人一人違うのでしょうが、唯一絶対の答えを得ることは不可能であっても、より多くの人が共感する正しさについて考えることは、有意義なことだと思えるのです


象を見たことのない、目の見えない三人が、象を理解しようと手で触れてみました。

一人は尻尾に触れ、象とはまさに紐のようなものだ、と思い、一人は牙に触り、象はとがっている、と考えました。

そしてもう一人は、足に触れて、象とは柱のような形をしていると感じました。

この三人の中でもっとも象の姿を理解できているのは誰でしょうか?


これはお釈迦様の、象の例えというお話です。

話中の三人の理解は、どれも間違いではありませんが、中途半端で、正確とも言いがたいものばかりですね。

お釈迦様は、この三人の象にたいする理解と同じく、物事に対する理解というものは、各々の狭い視点による、自分勝手なものになりがちだ、と言いたかったのでしょう。



さて、このお話をしたのは、人生の正しい意味を考えるにあたって、先ずは正しいとはどういう事かを、考えてみたかったからです。

そこで、象の例えを踏まえて正しいとはどういう事かを考えてみるに、どうも様々な側面から見たことを統合して判断すればするほど、正しい理解に近づくと言えそうです。

象の違う側面を感じた三人がそれぞれの認識を持ち寄れば、それこそ、よれば文殊の知恵となる、わけですね。

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