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大根と王妃②【改訂版】  作者: 大雪
第六章 動き出すもの
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第五十四話 霧がもたらす悪夢

「霧が晴れたのですか」

「違いますわよ、碧易。正確には霧が薄まってきたのですわ」

「ですが、このままでは霧が晴れるのも時間の問題でしょう」


 淡々と告げる碧易の言葉に、明燐は眉を顰めた。


 霧が薄まり始めてから、既に三日目の夜に入ろうとしていた。

 蓮璋は霧の件で谷の纏め役達と話し合いを連日連夜行なっている。

 たぶん、今日も戻らないだろう。


 なのに、それを承知で蓮璋の夕食まで作ってしまった明燐は、三日目にしてそれをそのまま碧易の食事へとスライドさせる事にした。

 まだ碧易の食事が用意される前だったのが幸いだっただろう。

 でなければ、いくら彼とて二食はなかなかにキツイものがある。


 一応、何日か事に情報交換で碧易の部屋を訪れていた明燐は、その都度退屈しのぎにと差し入れを行なっていた。

 といっても、食事の差し入れは初めてであり、最初は碧易も驚いていたが素直に手を付けていた。


 そんな中で始まった今日の情報交換。

 霧が薄まり始めてからは、始めての訪れであり、当然話はそれに尽きた。


 碧易もまた、傷を癒やしつつ限られた移動の中で色々と情報を揃えていたようだ。


 流石は、兄の手足となる男。

 だからこそ、谷の者達も警戒しているのだろうと明燐は内心苦笑した。


 果竪と明燐は女性という事、また自分達に対して同情的という事でそれほど締め付けは強くない。

 しかし碧易は違う。


 彼は男という前に、今回の王妃の王宮帰還の際の警備を担当している。

 それなりに危険神物として捉えられているのだろう。

 それは正解である。

 明燐が谷の者という立場でも、そうするだろう。


 だから碧易が怪我で動けないというのは彼らにとっては幸運であり、こうして部屋に留める事が出来ていた。


 でなければ、いくら監視がつこうとも、さっさと谷中を巡っているだろうーーこの男の場合。

 そして、とっとと果竪を王宮へと送り届けている。


「風が変わりました」

「風、ねぇ?」


 明燐が小さく首を傾げたが、その口元は笑っている。


「霧は大気が冷やされて空気中の水分が完全に溶けていられなくなった状態で発生すると言われています。つまり湿度がある程度高い状態で急に寒くなったときです」

「そうね……ただし、この谷を取り囲む霧は普通の霧ではないようだけど」

「それでも、霧の発生条件は同じです。自然であろうと、神力で造り出そうとも。そして霧が晴れるのは、風によってその大気が流された時やその大気に暖かい風がぶつかって再び水分が溶け込んだ時」

「つまり、そういう状況が作り出されているという事ね」


 完全に晴れていないので、必ずしもそうとは言えない。

 しかし、日を追う事に薄れていく様を見て、楽観視する様な輩は凪国上層部関係者はおろか、その子飼い達にも居ない。


「どうしますか?」

「どうするも何も、今の状況で霧が晴れるのは私としても好ましくありませんわ」


 霧は、この谷を守る鎧であり盾。

 それが晴れれば、無防備も良い所だ。

 むしろ今まで近づく事も出来なかった場所を探索する輩も出てくるだろう。


 そうなれば、谷の者達の安全と命は脅かされる。

 下手すれば、身を守るために彼らは武器を手に取らなければならない。


 近づく者達をーー皆殺しにしなければならない。


 やりすぎだとは思わない。

 そうしなければ、彼らは自分達の命を守れないのだ。


 相手を生かせば、どんなに口止めした所で、噂など出回る。

 彼らが生きていると知られれば、必ずや領主側は軍を差し向けるだろう。


 凪国王宮に知らせる暇は無い。

 碧易を飛ばしても、戻ってきた頃には何も残っていない。


 それに、ここの領主達の動きが分からない以上は王宮に向うにも一苦労だろう。

 王宮側の助けが来ても、領主側の妨害が確実に入る。


 必要なのは、証拠。

 領主側がグウの音も出ない様な、確固たる証拠をこの手にする。

 そしてそれを、王宮へと届ける。

 証拠さえ、手に入れば。


 それには、碧易の怪我は大きなハンデだった。

 最初こそただの使者団の長程度の認識だったが、実はこの碧易はかなり優秀な部類に入る。

 所作はもとより、幾つか話をする中で気付いたのだ。


 これは、影としての訓練も受けていると。

 影ーー密偵。


 戦闘の方はそれほどでもないが、隠れ、潜み、紛れての情報収集能力はかなりの物と推察する。

 これが引き出せない情報となると、上層部に関わる物となる。


 そうーー上層部の場合は、『海影』でさえその情報を握れるかーー。

 握ったとしても、それと共に葬られるだろうが。


 それに碧易は、思いの外博識で知識にも富んでいる。

 それはこの限られた空間の中で明燐が手にする有力なカードの一つであるのは間違いない。


 お兄様も憎いことをしますわねーー。


「とりあえず、私達は霧が晴れる原因を探ることを優先しましょう」

「そうですね。それ以外に出来る事は今の所ないようですし……それに、向こうもさせませんでしょう」


 色々と追い詰められた状態で下手に状況をかき回すなど、破裂寸前の風船を針で突くようなものである。


 その後、幾つかの取り決めをかわし、明燐は碧易が食べ終わった皿を片付けて部屋を出ようとする。


 その背に、声がかかった。


「明燐様ーー」

「何ですの?」


 振り返った明燐の瞳が、小さく瞬く。


 自分を見つめる碧易に変わった所はない。

 筈なのに、何故か驚きが胸を打った。


「何か言い忘れた事でも?」


 するりとそんな言葉が落ちた。

 いや、用があるから呼び止めたのであってーー。

 そんな明燐の戸惑いを余所に、碧易が口を開いた。


「……もし、万が一にも霧が完全に晴れた場合は、どうなされますか?」

「え?」

「この谷の脅威となる相手に、見つかった時には」


 明燐は答えた。


「もちろん、相手をぶちのめすわよ」


 その答えに、碧易は苦笑した。


 王妃だけを連れて逃げるのではなく。

 その答えを紡いだ、明燐の心は既に。


「そうですか……」

「用件はそれだけですの?」

「はい」


 碧易の言葉に明燐は釈然としないものを感じながらも、どうせ問い詰めても無駄だと断じて部屋を後にした。


「……全く、なんだと言うのかしら?」


 扉を背にし、溜め息をつく。

 引っかかたそれは、喉に刺さる小骨の様に明燐の中で主張する。

 取り去りたいのに、取り切れない。


 もやもやとしたものを抱え、明燐が歩き出そうとした時だった。


「おや、これは明燐殿ではありませんか」


 突如現われた相手に、明燐は思いがけず息を呑んだ。

 明燐にしては珍しい位の驚愕をもたらした相手は、それを知ってか知らずかニコニコと笑いながらこちらに歩いてきた。


「これは碧易殿の部屋ですね」

「ええ、食事を運びに来ただけですわ」


 証明する様にお盆を見せる。

 それを「ほほぅ」と言いながら見つめた老師は、次いで明燐を見た。

 その視線に、明燐は少しばかりうんざりした。


 果竪を助けてくれた恩神たる老師。

 しかし、明燐は彼を苦手としていた。


 あの明燐に苦手な相手が居ると上層部が知れば驚くだろう。

 それどころか、果竪を助けてくれた相手を苦手とするなどあり得ないと言われるかもしれない。


 現に、明燐もそんな自分に酷く戸惑っていた。


 けれど、仕方無い。


 完全に嫌悪しているわけではない。

 ただ、どうも肌が合わないのだ。

 なんかこう、出来ればあまり近寄らないですませたいというか……。


 もちろん最初から明燐だってそんな思いを抱いていたわけでは無い。

 ただいつの間にか、少しずつそう思う様になっていたのだ。


 そうしてそんな思いのままに、歩き出した明燐だったが、その隣に沿うように老師も歩き出す。


「あの」

「行き先は同じですからのう。それにしても、本当に明燐殿はお美しい」

「はぁ」


 明燐は煮え切らない様な返事を返す。

 褒められる事など、今まで何度もあった筈なのに。


「正しく、至高の華と呼ぶに相応しい。本当に、明燐殿は王妃様でないと知った時は驚いたものじゃ」


 その言葉に、明燐はムッとする。

 こいつも、あいつらと同じ事を言うのか。


「ああもちろん、果竪殿が王妃に相応しくないと言っているのではありませんぞ。ただ、それだけ明燐様がお美しいという事です。なんというか、果竪殿は綺麗と言うよりは可愛いというか」

「老師の言う通りですわ」


 果竪の事を褒められ、少しだけ明燐の気持ちが上昇する。

 基本的に、果竪を中心に世界が回っている明燐の攻略法はただ一つ。

 果竪に好意的であれば良いのだ。

 しかし、なかなかそれに気付かないのが現実というものである。


「それにしても、この様な美しい明燐殿に会えるとは本当にーー」


 再び老師は明燐を褒め称える。

 その言葉は止まず、次第に明燐を褒め称える言葉に熱がこもり始めた。

 いや、最初から熱はあった。

 けれどその熱は、みるみるうちに巨大な炎となって我が身を喰らおうとしている様に明燐は感じられた。


 無意識にーー大戦時代に培った勘のままに、少しずつ距離を置く。

 そうこうするうちに、明燐と老師は別れる場所へと来た。

 そうしてそそくさと離れようとした明燐に、老師は声をかける。


「碧易殿とはお話出来ましたかのう?」

「はい?」

「いえ、何やら楽しげな声が聞こえてきましたから」


 無言で身構える明燐に、老師は笑った。


「現在、この谷は色々と問題が起きておりますからのう。ワシも老齢の身ではありますが見回りを行なっておりますゆえ」


 その瞳に宿る光が、油断のないものである様に見えたのは気のせいだろうか?


「どうかお気を付けをーー月のある晩ばかりではないのですから」


 そう言うと、老師は静かに分かれ道の先へと姿を消した。



 同時刻ーー。

 一神残された碧易は、遠ざかっていく足音が完全に聞こえなくなった所で口を開いた。


 パキンと、凍り付く様な冷気の中で。


「お久しぶりでございますーーと言うのが正しいでしょうか?」

「そうねーー」


 ゾクリとする程の美声が振ってくる。

 そして音も無く床に足を付けた相手に、碧易は頭を下げた。


「どの様な処罰でも、受け入れましょう」


 それを冷たく見下ろすのは、咲き誇る大輪の薔薇姫。

 そして数歩下がり控えた、氷貴神と氷華神と名高い二神の姫の笑みは、更に冷たい物だった。



 あの日も、嵐だったーー。


 果竪は我が身を襲う悪夢に戦いていた。


 外の嵐は更に強さを増し、ガタガタと建物が軋む。

 普段ならそれだけで恐ろしさに身を竦ませるが、今はそれ以上の恐怖に怯えていた。

 ただ激しく首を横に振るだけしか出来ずとも、その余りの恐ろしさにカタカタと体が震え続けた。


 けれど、いつもなら差し伸べられる筈の手はなく。

 むしろ、果竪をその残酷な運命へと引き摺って行こうとした。


「さあ、果竪ーー」


 匂い立つ甘い美声が耳を撫でる。

 それとは反対の強引な手つきで果竪の腕をひく。


 無理、無理、無理ーー!!


 果竪は声なき声で叫んだ。


 そんなの、無理、出来ない。


 確かに果竪は彼の妻だった。

 十二の歳に彼と婚姻を結んだ。


 けれど、それは同情からだ。

 彼は捨てておけなかったのだーー唯一生き残った幼馴染みを。


 故郷の村が滅び、家族もろとも村神達は全て死に絶えた。

 ただ果竪だけが残された。

 餓鬼のような有様で、ボロボロな有様の果竪を村の異変を知って駆け戻った幼馴染みの彼が助けてくれた。


 あのまま死ぬ筈だった果竪を掬い上げてくれたのだ。


 傍に居られるだけで良かった。

 昔のように、突然村から姿を消す前と同じ様に。


 でも、もう彼の傍に居る事は出来なかった。


 美しく気高く、誰よりも優秀な彼の傍には、それに勝るとも劣らない者達だけが侍る事が許される。

 ましてや、異性で傍に居られる相手は、彼に相応しい存在でなければならない。


 一国の王と言っても遜色ない、威厳とカリスマ性。

 くせ者揃いの彼らを率い、大軍を指揮し、そうして大戦が終結した今。


 彼は、数多ある国々の中でも大国の一つを与えられ、その王に封じられた。


 そうーーもう、果竪が傍に居られる相手ではないのだ。

 いや、そもそもずっと前から隣に経つ事などあってはならなかったのだ。


 なのに、彼は優しいから。

 優しかったから。


 誰よりも優しくて、優しくて……そして幼い哀れで不幸な幼馴染みを見捨てられなかったから。


 彼は、果竪を妻にした。


 彼が十六歳、果竪が十二歳の時だった。


 そして今ーー十四になった果竪は。


 大国の王となった夫の唯一の妻として、王妃に据えられようとしている。


「果竪、来なさい」


 優しく、穏やかな物言いには滴る様な気品を感じさせる。


 そんな彼の美貌は、正しく傾国の美姫の如き麗しい妖艶さと、聖域の奧に住まう巫女姫の如き清廉たる清楚さを併せ持っていた。


 白い絹糸のごとき艶やかな髪、鮮血で作られた宝石のような瞳。

 涼やかな鼻梁、濡れた紅唇、長い睫はけぶるようだった。

 一点の染みも黒子もない白磁の様な肌と、男と思えぬ中性的な肢体から匂い立つ色香は壮絶としか言葉はなく。

 頭から足の爪の先までが完全な調律の元に造り上げられたそれは、至高の芸術品。

 触れがたいまでの神秘的な美貌は、選ばれた者だけが目にする事を許された寒気がするほどの美しさを放っていた。


 果竪は思う。


 どうして、自分だったのだろうと。


 ただの幼馴染みだった。

 大好きな、幼馴染みだった。


 でも、本当は手の届かない存在。


 文武に秀で、数多の才能は見事に開花し、一国の王に相応しいとされた。

 大戦時代に軍を指揮した武神としての能力も、王としての政治能力も、周囲を惹き付ける魅力も、何もかもが。


 余りにも、他の王達を圧倒している。


 流石は十二王家が一つーー炎水家に認められるに相応しい存在。


 そう……だからこそ、彼には新しい妻を娶るべきだったのだ。

 国を統治する為に、彼の支えになってくれる存在を。


 強力な後ろ盾を持ち、国を統治する彼を支え、時には守り、そして共に戦う。

 そんな存在を。

 彼の隣に立って相応しい存在を妻に、するべきだった。


 きっと、多くの女性達が名乗りを上げるだろう。

 大戦時代から、彼の妻になりたいと思う者達は多かった。


 そして今、こうして大戦が終結したのだから、もっと多くの者達が自薦他薦問わず彼の下に集まるだろう。


 果竪が彼の妻になれたのは、大戦時代だったからだ。

 彼が優しくて、周囲も優しくて。

 そして世の中が大戦で混乱していたからだ。


 今日の常識は明日の非常識。

 今日の罪は明日の無罪。

 今日の理不尽はーー。


 もう、それも終る。


 狂った世界は、日の出と共に新しく歩み始める。


 狂いは調律され、全てが正常へと戻っていく。


 なのにーー。


「果竪、来なさい」

「っ!!」


 ぶんぶんと首を横に振り、果竪は自分の手首を掴む手を引きはがそうとする。


 恐ろしかった。

 恐くてたまらなかった。


 優しく微笑んでいるのに、彼が恐くて、たまらない。


 いや、実際に彼は果竪からたった一神の従姉妹を取り上げた。

 血は繋がらないが、果竪にとっては誰よりも大切な、親友とも言える存在。


 寿那ーー。


 彼は寿那を取り上げ、彼の親友であり、やはり大国の一つを与えられ王に封じられた暎駿へと渡してしまった。


『二神で、暮らそうーー』


 互いに、知っていた。

 許されぬ恋だと。


 そして、傍に留まる事は出来なかった。


 妻の座から退き、今までの事を全て忘れて臣下として元夫を支えるには余りにも自分達は脆弱で、そして心が弱かった。


 自分以外の相手が、彼の隣に妻として立つ。

 それを見るのが、辛かった。


 ようは逃げだそうとしたのだ。

 これから更に重積を担う彼を支えるどころか、自分だけ逃げる。


 それがどれだけ身勝手で傲慢な事かと知っていても。

 逃げる事を選んだ。


 聖人君子ではない。

 自分達は聖女なんかじゃない。


 馬鹿にされれば傷つくし、腹も立つ。

 愛する存在が別の相手と居れば、嫉妬だってする。


 ただの俗物なのだ。


 でも、それでもこれだけは言える。


 愛してるから。

 だから、これ以上困らせたくない。

 いつか嫉妬に身を焦がし、周囲に嵐をもたらすぐらいなら。


 逃げようーー。


 手を取り合い、逃げだした。


 それは闇と霧の深い夜の事だった。


 どうか、晴れないでと願い続けてどこまでも走った。


 なのにーー


『どこにいるのです?』

『さあ、出てこいーー』


 王者の如き威厳が振るわせる空気。

 鋭い刃となる言霊。


 晴れないで


 どうか


 渦巻く霧に願い、そしてーー


 霧は晴れた


 自分達を守ってくれる筈の霧は。

 何よりも神々しく、美しい彼らの声に命じられるままに消え去り。


 震える自分達を放り出したのだ。


 身を守る術など微々たるもの。

 抵抗などあってなきに等しい。

 あっという間に捕まり、寿那と引き離された。

 そればかりか、果竪はこうして恐ろしい物を突きつけられることとなった。


「無理……」


 ようやく、絞り出した言葉で紡ぐ。


「無理、無理、無理ーー」


 ぶんぶんと首を横に振り、果竪は自分の美しすぎる夫に訴えた。


 あり得るはずが無いのだ。

 これは、夢なのだ。


 お願い、そう言って。

 これは、ただの悪い夢なのだと。


 自分には、そんな覚悟もない。

 ましてや、全てを捨ててーー夫も、仲間も何もかも捨てて逃げだそうとしたのだ。

 そんな自分に、そんな権利などないのだ。


「無理ではありませんよ、果竪」


 貴方はーー


 金切り声を上げた筈なのに。

 それは、しっかりと果竪の耳を貫いた。


「貴方は、凪国国王となった私の正妻として、凪国王妃になるのです」


 死刑宣告にも等しかった。

 いや、実際にそれは死刑宣告だ。


「そ、それ、冗談、だよね?」

「冗談ではありませんよ」


 一笑千金に値するとされる笑みを惜しげも無く浮かべ、彼は果竪の体を引き摺る。

 それに必死に抵抗しながら、果竪は声を上げた。


「じゃ、じゃあ側室、だよね?!王妃って、側室も」

「王妃は正妃に決まってるではないですか」


 何を馬鹿なと言わんばかり。

 聞き分けの無い子を相手にする様な口調も、今はどうでも良い。


「しゅ、萩波ーー」


 彼ーー萩波の名を呼べば、花が咲き乱れる様な笑みを一つ。


「果竪、諦めなさい」


 諦める?


「もう逃げる事は出来ませんよ。いえ、もう逃げ場所などないのです」

「しゅ、う、は」

「それとも、また逃げてみますか?ただ一神で」

「っ……」

「これから国という重積を担う私達を捨てて」


 捨ててーー


「そして、津国の王妃となる従姉妹を見捨てて」


 津国……王妃?


「たった一神、楽な道になんて」


 罪悪感が、堰を切ったようにあふれ出す。

 美しい笑みを形作る唇からもたらされるのは、甘い甘い蜜のような毒。


「逃がしませんよ、絶対に」


 まるで果竪を罰する様に笑った萩波に、体の力が抜けた。

 そこに追い打ちをかける様に囁かれる。


「それにね、果竪……世間はね、貴方の様な存在が一神で生きていけるほど、甘くはないのですよ」


 まだ子供で。

 住む村も失う、家族も親しい者達全てを失い。

 大した能力も何も無い、ただの戦災孤児が。


 一神で生きていけるほど、世界は優しくない。

 そんな事、分かりきっていた筈なのに。



「だから、一緒に行きましょう」



 弱い貴方を、私が守って差し上げますからーー



 ああ、また私が縛り付けた。

 一神で生きていけないほど、弱いから。

 だから、みんなに迷惑をかける。



「貴方は私の傍に居れば良いのですよーー何も考えずに」



 ただ笑ってさえいれば、良い。



「難しい事など、考えなくて良いのですよ」



 難しい事など、何一つ考えられないお神形。

 それを期待するだけ無駄。

 頑張っても、ほとんど何も身につかなかった。

 何とか身についても、到底生計を立てるまでにはいかなかった。


 あっという間に野垂れ死にする程に弱い存在。


 だから、萩波は果竪を捨てられない。


 外には、彼らが居た。

 萩波を支え、国の上層部となる様に命じられた仲間達。

 彼らも犠牲者。


 優しいから、囚われる。

 縛り付けられる。


 そうして引き摺られる様に連れて行かれた先は。




 ダメーー


「炎水家当主様」


 ダメーー


「私は」


 イヤーー


「この果竪を」




 それは、確かに大きな嵐をもたらした。


 だから……起きてしまった。


 そして、間違いは修正されるべきなのだ。




 まだ夜も明けないうちに、彼女は目を覚ます。


「……夢……」


 夢だけど夢じゃない。

 隠れ里である谷の、自室で目覚めた果竪は両手で顔を覆った。


 あれは、果竪の過去。


 長い混沌の時代の終わり。

 古き因習が壊れ、歩み出された新しき一歩。

 怨嗟と絶望が造り出す闇と霧の合間から差し込む、一筋の光はあっという間に世界を覆いつくした。


 そんな中で、その間違いは修正されずに来てしまった。


 本来であれば、闇と霧に紛れてひっそりと消える筈だった自分達。


 けれど、実際にはーー。



 そう、あれが全ての始まり。

 あの夢は、過去。

 ただの平凡な少女が凪国王妃に据えられた、間違いの始まりの日である。


 

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