第五十三話 異変の始まり
それから少しして、ようやく纏わり付く殺気が弱まり動けるようになった蓮璋の耳にそれは聞こえてきた。
果竪も気付いたのか、キョロキョロと音の発信源を探す。
「なんだろう?」
「あっちの方からですね」
蓮璋が示す方向を進めば、広場へと繋がる。
「広場……はっ!もしや、大根品評会の開催?!」
「いや、ないですからそんなもん」
そもそも、そこまで物資豊かじゃないし。
「じゃあ、大根のお見合い会?」
「あるのかんなもんっ?!」
相手は誰だ?!誰とお見合いする気だ?!
そこで大根同士、すなわち美味しい大根を作るための交配という考えが蓮璋の中に浮かばない時点で、色々と手遅れである事は言うまでもない。
大根の見合いは大根だろう、基本的に。
「そうね、大根に見合いなんて必要ないものね!むしろ引く手数多っ」
「引く手……」
「花嫁衣装はもちろん純白のウェディングドレスで」
「いや、新聞紙で結構」
その時、蓮璋は凪国王妃の片鱗を見たというーーようは、殺気の視線を向けられただけだが。
「確かに、新聞紙が大根のウェディングドレスだった時代はあるわ」
「え?そんな考え方?!」
大根と新聞紙の付き合いは長い。
新聞紙に包んでお隣に持っていく古き良き時代は確かに存在した。
それ以上前になると、紐でぐるぐる、またはそのまま手づかみとなるが。
因みに、以前大根に特殊な縛りをカマした明燐に果竪は切れたという。
『私の愛するマイスウィート大根に緊縛だなんて!!卑猥な!!』
卑猥という言葉を果竪が知っていた事に驚きだが、緊縛という言葉を大根に使った神も初めて見たと後に目撃者は語ったらしい。
「けどよく考えて!新聞紙のデメリットを!」
「見た目貧相?」
新聞紙に対して喧嘩を売っているかの様な発言。
しかし、果竪はそれをスルーした。
「じゃあ、大根の美しさを思い出して」
「……」
大根に大した美しさを感じた事もない蓮璋にとって、それは難しい注文だった。
「私の愛する大根!あの白く美しく穢れない純白の体を守り、各家庭に貰われていく大根!!そもそも花嫁とは白く穢れ無き無垢たる存在!!」
最後は同意に困る。
なぜなら、再婚どうする。
「そんな艶めかしい肌を持つ大根を新聞紙で包むと!!」
「つまり所詮体ですか」
「それに顔もプラスして。っていうか、大根を愛してくれる相手に顔だけとか体だけ目当てなんていう輩はいません!」
美しい美姫(男)達、美しい女(男)達を巡り争う男達。
時には国を巻き込み、略奪、強奪、その他諸々が行なわれる。
しかしたいていそういう時にターゲットになるのは、美形。
そう、美しくない者はお呼びでは無いのだ。
世は無常。
けれど大根の場合は違う。
そう、大根を求める相手は、その全てを求めるのだから。
「つまり大根以下か、この世の男は」
というか、特に権力を持つ者達はその傾向にあると言っているも同じ。
もちろん、注釈に女と見紛う男好きというのを入れる必要があるが。
「私も最初の頃は、新聞紙で愛する大根を着飾らせたわ」
「え?まだその話続いてたんですか?」
「でも!私は見てしまったの!新聞紙に包まれた大根が、その薄いヴェールの如き花嫁衣装を脱ぎ捨てた時!!」
その白き体にうつった、黒きインクの跡を。
「いやあぁぁぁぁぁぁあ!私の大根が穢されるぅぅぅぅっ」
それ心底どうでも良いわあぁぁぁ!!
なんて突っ込めない蓮璋は、己のふがいなさを恥じた。
インク部分だけ削れば良いだろ、それ。
「まあ、とにかく新聞でいいですよ、使い捨てききますし」
「ダメよ!大根の穢れ無き肌を包み込むのは、昔からシルクって決まってるのよ!」
人ですら、それを手にするまでに長き時間がかかったものを。
というか、蓮璋すらシルクなんぞ着た事はない。
「だから、私は大根専用ファッションを盛立てる為に全力を注ぐようになったの」
心底どうでも良い方向に力を注ぐ、この王妃。
才能の迷子、いや、努力の迷子だ。
到達地点すなわちゴールを間違えてーー。
「ふっ、私は大根から始まり大根で終るのよ」
揺るぎなき信念来たあぁぁぁ!
しかも間違ったゴールに一色線だし!!
そこに、寄り道なんて言葉は無かった。
流石は、大根への愛が半端ない王妃である。
「そしていつか私は大根の素晴らしさを全世界に広める為に、日々努力しているのよ。そう、神と大根の融合を果たすその時まで!!」
「神の九割は全力で抵抗しそうですが」
つまり一割は受け入れるのか。
「大丈夫よ、だって男の神って巨乳好きでしょう?」
「ちょっ!それどんだけ男をロクデナシに見てるんですか?!ってか、居るのか?!巨乳大根が?!」
「当たり前じゃない、貧乳系スレンダー大根も居れば、ロリ巨乳大根が存在するのも普通だし、チョイワル美中年大根だって普通にいるんだから」
蓮璋は普通の定義が良く分からなくなった。
いや、そもそもだ。
「大根に男とか女とか性別があるんですか?」
「オカマもオナベも両性具有も居るわよ。というか、今更そんな当然な事を聞くなんて、植物学を学んで来た神達に笑われちゃうよ?」
因みに現在、大根に性別は無い。
だが、植物学を震撼させられる様なテーマも、果竪にとっては常識。
「けどまあーー本当に何があったのかな?」
と、そこで自ら話題を戻した果竪に、蓮璋はそこに救いを得た。
「行ってみましょう、今すぐに」
そうして率先して歩き出す蓮璋に、果竪も慌てて追い掛けていく。
そんな付いてくる神を考えない足の速さはもちろん、大根の話題から離れる為だった。
★
「……」
「……」
それは思った以上の、騒動だった。
というか、騒動という言葉で果たして済むのか?
「……蓮璋」
「……そんな」
あの後、広場では一種の恐慌状態に陥っていた。
到底落ち着かせられる状態ではなく、その原因となるものを探ろうとした蓮璋と果竪は、そこで驚くべき事実を告げられた。
そうして駆けつけたのは、この高台。
谷の中で最も高地にあるそこからは、谷をぐるりと取り囲む白い霧が見渡せる。
しかし今、周囲を囲んでいる筈の霧が。
「あのさ……私の見間違いじゃなかったら……こんなに霧って薄くなかったよね?」
濃霧。
一寸先は霧。
ホワイトアウトしそうな程に白さで谷を包んでいた筈の霧が。
薄くなっていた。
「……」
薄いと言っても、それでもある程度の濃さは確保しているし、谷の全貌を露出する様なものではない。
しかし、あれほど見事な白さを知っている蓮璋達からすれば、それは確かに薄いと言わざるを得ない濃度だった。
「何で……」
霧が、薄くなった。
その原因は分からないが、これだけは言える。
霧は、この谷を隠す物。
すなわち、この谷に隠れ住む自分達の安全を確保する防具だった。
その為、それが薄くなるという事は、周囲から発見されやすくなるという事で。
広場で知らせを受けた里の者達が恐れおののいたのも当然だろう。
見つかれば、今度こそ殺される。
見つかる事をひたすら恐怖してきた者達にとって、これはゆゆしき事態であるのだから。
「蓮璋……」
「いや、これは、ただの偶然ですよ」
蓮璋はそう思おうとした。
いや、そうであって欲しかった。
心の底では、激しい警告音が鳴り響いている。
しかしーー。
原因が分からない今だからこそ、慎重さが求められる。
そもそもこれほど霧が薄くなる事は今まであったか。
あったとすれば、どのぐらいの頻度なのか。
そして薄くなった後、霧の濃さは元に戻ったのか。
昨日までは、もっと霧が濃かった。
そして今までにこれほど霧が薄くなった事はなかった、筈。
となれば、これは初めての事。
これからどうなるかは分からない。
もしかしたらすぐに濃くなるかもしれない。
これは一時的なものかもしれない。
そう、これ以上霧が薄くなるなんて事は。
「大丈夫……ですよ」
まるで自分達のタイムリミットを告げる現象の様に思えたが、蓮璋はその考えを振り払った。
確かに限界は近づいている。
だからこそ、行動を起こした。
危険を承知で、危険を冒してまでーー王妃を拉致した。
限界は近い。
そう、これを逃せば、永遠にここから出られない。
しかし今、この霧が薄まればここから出られないどころか、見つかる。
見つかって、攻め込まれて、皆殺しにされるだろう。
冗談じゃないーー
これまで必死に生きてきた。
命からがら逃げ、ここに流れ着き、いくつもの悲劇を乗り越えて。
そしてようやく、光明を得たのだ。
あとは、証拠さえーーと。
「ただ、少し急いだ方が良いとは思いますけどね」
大丈夫ーーそう強く思い込みつつ、準備を急がせる事を心に決めた蓮璋は果竪へと笑いかけた。
そう、大丈夫。
きっと大丈夫だから。
しかしそんな蓮璋の願いもむなしく、翌日、翌々日と更に霧は薄くなっていったーー。
「何してるの!」
ヒステリックな母親の悲鳴に、子供が身をすくめる。
「明るい時間は外に出たらダメって言ったでしょう!」
「で、でも」
「いいから早く家に入りなさい!」
強引に子供の手を引き、母親が家へと引きずり込んでいく。
それを止める者達は居ない。
なぜなら、彼らもまた子を隠すように家の中へと押し込めていたのだから。
「……不安なのでしょうね、皆」
それを遠くから見る形となった明燐の言葉に、果竪は頷いた。
数日前間では、辛い過去を背負いながらも、穏やかな暮らしを営んでいた谷の空気は今、限界まで引き延ばされた糸のように張り詰めていた。
元々、近々証拠を得る為に動く事は知らされていたから、それなりの緊張感が谷には漂っていた。
しかし今、その緊張は恐怖の色に塗り替えられていた。
笑顔は固くぎこちなくなり。
笑い声は、ヒソヒソとした声やヒステリックな物となった。
薄くなる霧に絶望し、まるで隠れる様に家の中に籠もる事が多くなった。
仕事は最低限。
それも、出来るものは早々に夜に行なう事に変更された。
見つかってはいけない。
常に何かに怯えている様子は最初から見られていたが、それなど全体から見ればほんのわずかな事であった。
そして、彼らがいかに普通に生活する為に、自分達を偽り、その恐怖を押し隠していたのかを果竪は身をもって知る事になった。
この人達が心から笑える日は来るのだろうか
「あの、王妃様」
声をかけてきたのは、子供を連れた女性だった。
彼女は果竪達が集落に来てからそれとなく世話をしてくれた者達の一神であり、面識も深い。
元々整った顔立ちだが、笑えばもっと魅力的な事を知っている。
そんな彼女は、不安に染まった瞳で果竪を見つめていた。
「明るいうちはあまり外に出ない方が良いです」
危険だからーー
身を案じる言葉に、果竪は彼女を安心させる様に微笑んだ。
「ありがとう、でも今日は空も雲ってるから、少しだけなら大丈夫だと思うし」
といっても、一応神質である果竪が外を自由に彷徨くのは谷の者達にとっても好ましくは無いだろう。
果竪としても、周囲を困らせるつもりはなかったので、こうして滞在している場所の周辺しか彷徨かない。
遠出をする時は、必ず蓮璋など谷の者達と一緒にと決めている。
それでも心配そうにする彼女にもう一度大丈夫と笑えば、彼女は小さく頷き子供の手を引いて自分の家へと小走りに去って行った。
「辛いよね……」
「そうですわね」
何が?とは果竪も明燐も言わない。
言わなくても、分かっているから。
「それにしても……これが一時的なものでないとすれば」
彼らの時間は、残り少ない。
「本当に、笑ってしまいますわね」
「明燐……」
「まるで図った様なこの現象ですもの。自分達を守っていた絶対的なものが崩れていく。そうーーまるで、天罰のように」
「明燐?天罰って」
全てを見通している様な明燐の口調に果竪が声を上げれば、彼女はクスクスと笑った。
「ふふ、そういう風に言う者も居るかもしれないという事ですわ。そう……今までこんな事がなかったのに、私達が此処に来てからですものね?」
「……」
「口さがない者達はどこにでもいますしね。それに、陛下は無敵と言われるお方ですもの。およそ、出来ない事はないという」
「萩波が、関わっているというの?」
果竪の問いに、明燐はクスリと妖しい笑みを浮かべた。
「さあ?ただ、凪国王妃を拉致した後のこの出来事。まるで、出来すぎているようだと言っているだけですわ。ああ、もちろん、凪国王妃を手にし、後は証拠をという活路を見いだした途端の出来事でもありますからね……本当に、ツイてませんね」
天罰か、それともーー。
ただ言えるのは。
「これが続くならば、彼らの安息の場所は消え去るという事ですわ。つまり、もう、彼らの安全な時間は残り少ないという事です」
ーーどうして、こんな事になってしまったのだろうか。
果竪は周囲を見渡しながら思う。
ようやく、活路を見いだせたのに。
これから、彼らは自由を賭けて闘う筈だったのに。
「嵐が来ますわね」
願わくば、その嵐が全てを奪いさる事がないように。
果竪はそれだけを願った。




