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大根と王妃②【改訂版】  作者: 大雪
第五章 駆ける者達
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第四十九話 体の傷、心の傷

 憂いを帯びた主の顔に、侍女は胸が締め付けられた。

 決して美女とは言えぬが、涼やかな顔立ちが浮かべる笑顔は固く凍り付いた心すら癒やす力を持っていた。


 そんな主の憂いの表情に、侍女は葵花を見る。

 その視線が少々きつくなってしまったとしても、仕方が無い事だ。

 

 不用意な一言を告げた少女。

 それが主の心に影を落とした。


 それは赦されざる行為だが、葵花を知る侍女からすればそれが決して悪意からでない事は知っている。

 たぶん、玲珠の妻が今回の件に鶯州が関わっている事を知っていた事が少女の口を軽くさせたのだろう。

 そもそも、玲珠の妻にも今回の件に鶯州が関わっている事は知らせないつもりで居た。

 しかし口の軽すぎる目障りな者達が毒と共に彼女に囁いたのだ。


 そうして知られてしまった事に、侍女は今でも憤りを感じる。

 あんな者達など罰してしまえばいいのに。


 けれど、彼女達下級女官を統べる女官長はそれを良しとせず、謹慎処分で済ませた。

 見た目はキツイが、心根は優しい聖母の様な女官長を侍女は好ましく思うものの、その裁定には不満を覚える。

 

 もし宰相閣下さえ赦せば、自分がこの手で始末してやったものを。


「鶯州……」


 控える侍女の不穏な考えを余所に、涼雪はポツリと呟いた。


『この、アバズレがあああぁあっ!』


 そんな叫び声と共に、涼雪の額を衝撃が襲った。

 かち割られた額は医務室長の適切な手当により止血されたが、それでも深い傷が残った。

 

 恐ろしい過去。

 恐怖の思い出。

 今も鏡を見る度に見えてしまう、額の傷。


 傷物の女――


 それでも、涼雪はこの傷が誇らしくもあった。

 この傷と引き替えに、涼雪は美琳を守る事が出来た。

 あの時、何度殴られ蹴飛ばされても諦めなかったからこそ、美琳を助ける事が出来たのだ。


 傷跡が残ったのは哀しいが、もともと夫から顧みられなかった身。

 たいして美しくない顔に傷が残ったところで、ただ嘲りが増えるだけ。


 何も変わらない――


 宰相も、涼雪の怪我に何一つ反応を見せなかったのだから。


『涼雪の怪我、残るよ』

『そうか――』


 医務室長の言葉に、宰相はただ一言そう答えただけだった。


 そう、何も変わる事がなかった。

 この傷を負っても。


 宰相も。

 夫も。


『なんて醜い傷なのかしら! 醜い顔が余計に醜くなったじゃないの』


 夫の母も、変わらない。


『ごめんなさい、ごめんなさい――』


 美琳の泣き顔が蘇る。

 何を泣くことがあるのだろう。

 彼女を助けられた事が涼雪の誇り。


 彼女を助けられるなら、腕の一本や二本失う事だって覚悟した。

 それがこの傷だけで済んだのだから、儲けものだろう。


 なのに、なのに――。


「涼雪姉様……」


 涼雪は自分の体が小刻みに震えている事に気づく。

 それは、恐怖。


 恐怖?

 涼雪は自分の体をかき抱く。


 止めようとするほど、体は震える。


 カタカタカタ。

 カタカタカタ。


 次第に浮かんでくる、悪鬼の形相。

 あの男の、恐ろしい顔が。

 振り上げたものが涼雪の額に向かって振り下ろされる。


「――――っ」


 自分の体を守るように涼雪が身を縮めた途端、何かが覆いかぶさってきた。


「涼雪様、あれは過ぎ去った過去です」

「あ……あ……」

「涼雪姉様……」


 顔を上げれば、いつもは無表情の侍女が涼雪を抱き締めている。

 そしてその奥に、葵花が泣きそうな顔をして立っていた。


「……大丈夫……大丈夫だから」


 それは、葵花に向けてだけではなく、涼雪自身にも向けられた言葉だった。


 大丈夫な筈なのに。

 何も問題はない筈なのに。


 ズキンと額に痛みが走る。


「涼雪様、どうぞもうお休み下さい」

「……」

「涼雪姉様……私、帰りますね」


 葵花が涙を堪えるようにして、告げる。

 その小さな体の震えに、涼雪の中で渦巻く恐怖が変化する。


「待って――」

「りゃ、涼雪姉、様?」

「大、丈夫、だから」


 涼雪は葵花へと手を伸ばす。


「だから、もう少し此処に居て」

「涼雪様」


 侍女の反対する言葉を制し、涼雪は葵花の手を取った。


「もう少し、葵花と話をしたいの」

「涼雪様、それはまた今度に。お顔の色も優れないではないですか」

「もう大丈夫です! それに、話をしていた方が気も紛れますから」

「ですがっ」


 侍女が助けを求めるように大姉に視線を向ける。

 しかし、大姉は静かに首を横に振った。

 基本的に葵花に害が及ばない限り大姉は動く事は無いし、涼雪の事については今更過ぎた。

 ここで止めても事態は絶対に好転しないし、涼雪の性格ならば黙ってなどいない。

 控えめで優しいが、同時に真の通った部分を持つ涼雪は確固たる信念も持つ。

 それはどれだけ宰相に酷い目に遭わされても、決してその本来の名を呼ばない部分にも現れている。

 一度自ら引いた線引きは、宰相でさえどうする事も出来ない。


 なおも言い募ろうとする侍女を余所に、涼雪が葵花に告げる。

 

「葵花も大丈夫だから」

「涼雪姉様……」

「それより、今回の件、もう少し教えて欲しいです」

「涼雪様っ」


 一体何を――そう告げようとする侍女だったが、言い切る前に葵花が口を開く。


「王妃様の……」

「ええ。葵花の方が詳しく知っているみたいだし」

「で、でも」

「お願い葵花」

「……けど、そうなると……」


 涼雪の瞳に、彼女が求めるものを葵花は読み取ってしまう。

 鶯州――いや、それも確かにあるが、それ以上に涼雪はあの方を心配しているのだろう。

 けれど、あの方の事を話すには鶯州の事も当然話題に上ってしまう。

 あの方が攫われたのは、鶯州での事だから。

 だから戸惑い、躊躇する。

 言いたくない――そう態度で暗に示す葵花に、涼雪はやんわりと首を横に振った。


「大丈夫よ」

「……け、けど、それに、私も、あまり詳しくは……その、知らない部分も多いし」

「それでも私よりは知っているでしょう? それに、こういう話が出来る相手は殆ど居ないし」


 涼雪の言葉に、葵花はハッと唇を噛みしめる。

 確かに、こういう話が出来る相手は限られている。

 でなくとも、王妃の話は公然の禁忌とされているのだから。


「お願い、葵花」


 縋る様な眼差しに、葵花は侍女を見た。

 その視線に、侍女は苦虫をかみつぶした表情で葵花と涼雪を交互に見つめ――そして、諦めたように頷いた。




「それで~~? オーケーしちゃったんだ~?」

「も、申し訳ありません」


 平伏する侍女にケラケラと笑いながら朱詩は彼女の主を見た。

 こちらに背を向けたまま、一度も振り返る事なく楼閣の屋上から遠くに広がる王都

を見つめている。


 月の光を浴びた姿は、後ろ姿しか見せていないにも関わらず、月の仙女すらも敵わぬ神秘的な美しさを放っている。


「明睡、どうする? お仕置きしちゃう?」

「五月蠅い」


 からかうような朱詩の一言を、明睡はばっさりと切って捨てた。


「あはははは! ってか、そもそもお仕置きする相手が違うか!」


 ぐいっと明睡の肩を掴み、そのままピョンッと後ろから飛びついてその耳に囁く。


「本当にお仕置きしなきゃならないのは、迂闊な子羊の方」

「しゅ、朱詩様」


 侍女が慌てて取り成しの言葉を紡ごうとするが、上手くいかない。

 向けられた視線に、ゴクリと唾を飲む。


 これ以上口出しすれば、殺られる。

 生物が本来持つ危機管理能力に従い、侍女の喉からは引きつった呼吸音だけが漏れ出ていく。


「どんなお仕置きしようか~?」


 次々とお仕置きの方法を上げていく朱詩だっだ、ふと話すのをやめて明睡を見る。


「明睡?」

「お前、俺に茨戯と殺し合えとでも言うのか?」

「うん」


 にっこりと、ハートマーク付きの甘い声で朱詩は肯定した。


「大丈夫! 死にはしないって。茨戯と明睡の実力は伯仲してるし、よくて相討ちぐらいじゃない?」

「ならお前が茨戯と殺りあえ」

「い~や~。ってか、ボクって汗臭い事は嫌いだもん~」


 クスクスと笑う朱詩に、明睡は溜め息をつきながら自分に抱きつく男の部下を呼ぶ。

 その呼びかけに申し訳なさそうに現れたのは、来雅。


「引き取れ」

「明睡ってばひっどぉ~い」

「朱詩様、宰相様にあまりご迷惑をおかけしては」

「迷惑じゃないもん! 明睡はこれですっごく喜んでるんだからね~! 酷い事されればされるほど喜ぶドMっ娘だもん」


 朱詩の体が投げ飛ばされる。

 それが高楼の下に向けてでなかった事は、ある意味明睡の理性のたまものだろう。

 しかし、朱詩は全く懲りてない。


「明睡のいけずぅ~」

「五月蠅い消えろ!! この『天性の男狂い』っ!」


 その叫びに、来雅と侍女が顔面蒼白になる。


 『天性の男狂い』

 細胞レベルでどんな男も狂わせ虜にする体質を産まれながらに持つ者を指す、それ。

 中でも、朱詩は数少ない『男狂い』の、それも歴代の『男狂い』の中でも最も強大な力を持っているとされていた。

 はっきりいって、朱詩の魅力に堕ちない男は天帝と十二王家、そしてこの国の王ぐらいだろう。

 凪国上層部ですら、朱詩が本気になればグラリとキテしまう。


 しかし、朱詩本神からすれば、同性愛者でもないのに男にモテまくり、更には無意識に男をたぶらかしまくって拉致監禁されまくり、襲われまくりという神生なんてロクデモナイものでしかない。


 昔はそう揶揄した馬鹿は即座に始末されていた。

 それほどの禁句なのだ。


 だが、それが分かっているのに、そこを的確についてくる明睡は鬼畜以外の何者でもないだろう。

 来雅と侍女の脳裏に悪夢の光景が浮かんだ。


 しかし――、時と共に変化したのか?

 朱詩は血の洗礼をくださず、ただ鼻で笑うのみだった。


「いくら図星をつかれたからって酷いね~」

「五月蠅いっ」

「しゅ、朱詩様」


 駆け寄る来雅を手で制し、朱詩は明睡に微笑みかける。


「まあ、別に明睡がお仕置きしなくても、茨戯がするだろうね~。葵花の保護者はアイツだし?」

「……」

「ってか、葵花も本当にこりないよね~。茨戯が出立する前にもお仕置きされたってのに」

「……はぁ?」


 首を傾げる明睡に、朱詩はケラケラと笑う。


「だから~、茨戯が明燐を迎えに行くっていう話を知った葵花が自分も連れて行って欲しいって言ったんだよ~、ね?」

「ああ」


 音もなく現れた大姉が同意する。


「で、茨戯と言い合いになっちゃって、最終的にはお仕置きされちゃったの。ふふ、時間がないのにあ~んな事まで出来るなんて、腐っても男だよね~」

「あいつは……何をしてるんだか」

「言っとくけど、明睡も人のことは言えないよ~。自分のモノだって見せつけるように涼雪の髪に椿の簪を常に挿させてるんだから~、うわ~、重い~、涼雪の首が折れちゃう~」

「黙れ。お前にだけは言われたくない」

「まあ、一番重たいのは陛下だけど~」


 その言葉に、しばし時が止まった。


 皆の脳裏に、ある一神の少女の姿がよぎる。

 そしてその少女が被りまくった被害の数々を。


「ああ、陛下だな」

「そうですね」

「重たいですから」

「面倒なのが権力持ったよな」


 明睡、来雅、侍女、大姉の順での感想に朱詩が爆笑する。


 そうして誰もが思った。


 あれに比べれば、まだ自分は救いようがある――と。

 しかし実は、一般レベルでは全員がアウトであるのだが、たぶんここに居る全員が認める事は無いだろう。

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