第四十八話 知る者、知らない者
椿の絵柄が描かれた東洋の茶器。
色とりどりの茶菓子。
あっという間にテーブルの上には、到底二神だけでは食べきれない量の飲食物がのった。
「椿茶……」
お茶も椿とは、流石『椿宮』。
しかも味も極上で、たぶん国でも最高級のものだろう。
過去にはまともに食事すら出来なかった身だが、茨戯の養い子となってからは常に高級品に囲まれて過ごして来た事もあり、葵花の味覚はなかなかのものとなっていた。
普通、味覚というものは幼少時の食経験で決まる。
その常識を覆した茨戯は、在る意味食の世界では神とも言うべき存在だと言える。
が――、葵花の好みは粗食。
なので、本当の意味でその常識を覆しているからは謎な部分もあるが。
「ふふ」
「涼雪姉様?」
「いつも身につけてるのね、それ」
涼雪の言葉に、葵花はしばし首を傾げる。
その視線を追い掛け、気がついた。
シャランと葵花の頭から美しい音が鳴る。
「とても綺麗ね、その薔薇の簪」
「は……あ、はい」
葵花の髪を飾る薔薇の簪。
それは、本物と見紛う程に精緻で豪奢な造りをしていた。
到底、影見習いでしかない葵花が手にする事など出来ない高価なそれは、国宝級の一つにも数えられる。
――なんて、本来であれば、そんな高価なものなど身につけたくない葵花だったが、身につけずに外に出る事を彼の方は赦さなかった。
というか、身につけずに外に出てお仕置きされた事は数知れず。
だが――と、葵花は涼雪を見る。
その美しく結い上げられた髪を飾る花に、小さく溜め息を吐く。
(あれって、宰相様の)
葵花の薔薇の簪に勝るとも劣らない精緻な造りの――
椿の簪
たぶんあれ一本で宮の一つや二つは建つのではないだろうか?
しかし、問題はその値段ではない。
椿の簪という部分である。
椿はこの国の宰相閣下を表す花。
その簪を涼雪の髪に挿す意味はただ一つ。
(――所有の証)
あれは宰相から貰ったと以前に涼雪から聞いた事がある。
そしてそれを毎日涼雪は髪に飾っていた。
いや、正確には飾るように言われ、宰相の意を受けた侍女達が涼雪の髪に飾っているのだろう。
まるで涼雪は自分のもの――そう言わんばかりに輝く椿の簪に葵花は重すぎる妄執を悟る。
重すぎて、いつか涼雪の首が折れてしまわないだろうか――と。
――と、自らも重たすぎる妄執の証を髪に挿されている葵花は、自分の事を完全に棚上げして涼雪を心配した。
一方、涼雪はそんな事など一切気づく事無く、お茶に口を付けていた。
「宰相様が下さった茶葉なの」
そう言って微笑み、涼雪は儚い笑みを浮かべてお茶を口に含む。
テーブルを挟んで向かい合わせに座った葵花は、姉と慕う涼雪の笑みに複雑な思いを抱く。
以前はこんな笑みを浮かべる神ではなかったというのに。
柔らかく優しい笑顔は、生命力に溢れていた。
今は、少しの衝撃で消え入りそうな淡雪を思わせる。
と、涼雪がクスクスと楽しげに笑った。
「涼雪姉様?」
「ふふ、ちょっと思い出して」
茶器を置き、涼雪は葵花に笑いかけた。
「昔のお茶会のこと」
「あ――」
建国して数年目。
お茶会とも言えないものだったが、珍しい茶葉が手に入ったと言って皆で持ち寄ったお茶菓子やらを食べながら楽しんだ。
茶器も何もかもがバラバラで作法も何もかもあったものじゃなかったけど、誰もが楽しげだった。
「王妃様も、小梅も居てね」
「……」
「あれからですよね。時々お茶会をするようになったのって」
小梅が居なくなってからも、それは続いた。
それぞれが茶葉と茶菓子を持ち寄って、時には中庭で、時には誰かの部屋で。
思い思いに時間をみつけて、忙しい中の清涼剤たる一時を楽しんでいた。
「といっても、本当は皆、あの方に会いに来ていたというのが真相でしたけどね」
涼雪の言葉に葵花はあいまいな笑みを浮かべた。
確かに――そうだ。
上層部同士のお茶会ももちろんあったが、その殆どは王妃の所に来ていた。
そして「今日はこんな事があった」、「昨日はこんな事があった」、「明日はこれで大変だ」と思い思いの話をしながら王妃とのお茶を楽しんでいた。
上層部にとっては、王妃は妹の様なもの。
誰もが王妃を溺愛し、その愛情は上層部の冷酷さを知る者達からすれば信じられないものだった。
けれど、大戦時代を共に駆け抜けた葵花にとってはなんら不思議ではない。
むしろ、あれで王妃に惚れ込まない者は居ないだろう。
特に壮絶な過去を持つ上層部からすれば、彼らの欠けた部分を補ってくれたのが王妃である。
今でも葵花は思う。
もし、果竪が陛下以外の相手に嫁いでいたらどうなったのかと。
上層部の誰かならまだしも、全く違う相手に嫁いだならば果竪は当然王宮から去っただろう。
そうなれば滅多に会えない。
それをあの上層部が認めるだろうか――いや、認めない。
(絶対に相手を仕留める、と思う)
思うではなく、確実に殺るだろう。
もちろん彼の方もその暗殺術を華麗に披露するかもしれない。
だから、二十年前の王妃追放を知らされた時、葵花は信じられなかった。
それも、あの瑠夏州というこの王都から一番遠い場所へと遠ざけた。
王妃の命を守るため。
冤罪を着せられた王妃を周囲の悪意から守る為に、この王都から送り出した。
王妃が側から離れていく事を誰よりも恐れていた、王と上層部達の手によって。
たとえ、永久に続く血を吐くような断腸の痛みに苦しめられるのが分かっていても。
それと引き替えにしてでも、守りたかった少女。
葵花も守りたかった。
『主様、泣かないで』
『な、泣いてなんか居ないわよっ』
泣いて居るのに泣いてないと言い張る彼の方は、それからしばらく葵花を側から離さなかった。
なのに――。
それほどまで、苦しんだのに――。
「王妃様は」
葵花はポツリと呟いた。
「王妃様はどうしていらっしゃるんでしょうか」
「葵花――」
涼雪がそっと葵花の手を握る。
「大丈夫よ、葵花。『海影』の長達が向かったのですもの。すぐに王妃様は戻られるわ」
「本当にそうでしょうか?」
「え?」
葵花は涼雪をひたりと見据えた。
その、額を。
「他の州ならまだしも、事が起きたのはあの州ですから」
「葵花様」
側に控えていた侍女の鋭い声に、葵花はハッとした。
そして侍女を見て、次に涼雪の顔を見て気づいた。
その訝しげな様子から、彼女がそこまでの事は知らされていない事を悟った。
「葵花、あなたは何を知っているの?」
「……」
「私が聞いたのは、王宮に戻る途中だった王妃様が賊に攫われて、『海影』の方々が王命を受けて事態の収束に向かった事。そしてすぐに事態は収拾するだろうという事です」
それは間違っていない。
『海影』が出て収束しない事態など、存在しないのだから。
「涼雪様、おやめ下さいませ」
「葵花、今あなたは他の州ならと言ったわ。それはどういう意味なの?」
「涼雪様っ」
伸ばされた手が縋る様に葵花の手を掴む。
慌てた様に侍女が話題を変えようとするが、それは今更だった。
明睡の姿が葵花の脳裏によぎる。
たぶん明睡は知らせなかったのだろう――わざと。
涼雪の心を波立たせないように。
そういえば――と、葵花は思い出した。
今回の件には、玲珠と柳もついていった。
柳はたぶん玲珠のお目付役で、彼が暴走した時に留める為のストッパー。
そして玲珠は――。
玲珠もまた、あの州には深すぎる恨みを持っていた。
正確には、州ではなく州を治める領主の息子に。
彼は、玲珠の宝を穢そうとした。
そしてそれ以来、ずっと玲珠はその時を願っていた。
宝を穢そうとした相手に、復讐出来る機会を。
あの件で被害を受けたのは、涼雪ともう一人。
玲珠の愛妻――美琳が消えない恐怖を植え付けられた。
ただ、その美琳は知っていたのだ。
玲珠があの州に行くことを。
だから、涼雪も知っていると思い込み、葵花は何気なく告げた。
うかつだった。
美琳が知っているからといって、涼雪も知っていると思い込むなんて。
しかももう、誤魔化す事は出来ない。
「葵花」
涼雪の言い訳を赦さぬ詰問に、葵花は噛みしめていた唇をゆっくりと動かしていく。
「鶯州」
「鶯州――っ?!」
ハッと手で口を覆う涼雪を葵花は見据え、次にその視線を額へと向けた。
額に巻かれた美しい装飾布の裏にある、決して消えない傷を。
「そうです。涼雪姉様に傷を負わせ、美琳様を襲ったあの男の居る州で、王妃様と侍女長様は攫われました」
涼雪が勢いよく立ち上がる。
けれど、葵花が来る前に明睡によって酷使された体はまともにバランスをとれず、再び長椅子へと伏せってしまう。
「涼雪様っ」
「涼雪姉様……」
「鶯、州……」
まさか、今更その名を聞くことになろうとは――。
いや、王妃と侍女長がその州で攫われた?
涼雪はそっと自分の額に手を当てた。
あれからかなりの年数が経つが、この醜い傷跡は変わりなく残り続ける。
そしてそれを残した、あの男。
残虐な加虐性と獣性を併せ持つ、あの男の居る州に――。
一縷の望みをかけて否定の言葉を求めた涼雪の無意識の視線に、葵花が悲痛な面持ちで頷く。
「本当、なの」
「はい」
それは、あまりにも残酷すぎる宣告だった。




