第三話 二十年前の新生活
「って事で、大根を植えて貰えるように、街道事業に加えて農地開拓も上層部に話を通さなきゃね」
そしてどこから取り出したのか、紙にさらさらと要望を書いていく。
うん、あとで改ざんしよう――大根の部分だけ。
明燐は固く決意した。
「でも……この二十年は、こんな余裕もなかったよね」
「果竪?」
「王都から瑠夏州までの道のり。こんな景色だったんだね……全く、覚えてなかったよ」
果竪が少しだけ哀しげに笑った。
「此処に来てからの私の二十年間は、あの屋敷とその周辺、そして州都だけだったんだね」
王宮時代に比べれば広すぎる世界。
けれど、もし王妃ではなくただの果竪であれば、きっと自分は……。
「私、本当に一部分しか見てなかったのね」
「果竪……」
明燐は果竪の手にそっと触れた。
それは違う。
なぜなら、あの時は悠長に外を楽しむ余裕などなかったのだから。
そう……あの日も、【馬車】で駆け抜けた。
王都から瑠夏州まで一月もの距離を、徹夜で駆け抜けたのだ。
バケツをひっくり返した雨と鳴り響く雷。
途中洪水や山崩れが起きている中、ようやく辿り着いた屋敷は、手入れこそされていたが、長らく無人な建物に特徴的な澱んだ空気が立込めていた。
それから一週間雨は降り続き、雷が鳴り響いた。
先の農作物盗難事件時の小雨なんて比較にならない程の大雨は、果竪と共に来た者達の心まで折りそうになった。
側室候補を殺した容疑者にされ、謂われなき罪を被せようとする者達の魔手から逃す為に、殆ど身一つで果竪は【馬車】に押し込められた。
『必ず、迎えに行きます』
果竪を寵愛していた王は、そう言って信頼の置ける者達と共に王妃をのせた【馬車】を見送った。
本当なら、他にも果竪付きの侍女が共に来る筈だったが、秘密裏の追放であり、あまり大勢が居なくなれば気付かれてしまうと、明燐だけが共に行く事を許されたのだ。
そうして命の危険は去ったが、問題は山積みだった。
その一つとして、いつ王妃が王宮に戻れるかというものがあった。
罪を被せられた王妃の命を救うために瑠夏州に追放されたのだ。
その罪が冤罪であると分かり、真犯人が捕まるまでは戻れない。
それは、王妃に同行した者達の心を暗くした。
けれど、果竪だけは違った。
屋敷までの間に心に踏ん切りをつけたのか。
落ち込む者達を気遣い、率先して働き始め、同行した者達の度肝を抜かせた。
王妃様にそのような事はさせられません、と止める者達を逆に制止し、此処は王宮ではない。
一刻も早く住みやすくする為には全員で働くべきだと、水汲みやら掃除やらを行った。
王宮から当座の生活費として渡されたお金は極力貯金に回し、領主に許可を貰って屋敷周辺の土地を開墾して畑として食料作りに勤しんだ。
そしてその野菜を周辺の町村に持って行き、お金へと変えたり、物々交換したり。
更に薬草を集めて薬品をつくり、生地を買っては色々と見事な刺繍を行い高値で売り払った。
本来なら王宮の生活とはほど遠いそれに泣き暮らしてもおかしくないのに、果竪は自ら動き生活をよりよいものにしようとした。
だが、それは自分の為と言うよりは、巻き込み共にこの地に来ることになった者達の生活を少しでも豊かにしたかったからだと、後に屋敷勤めとなった同行者達は知る。
果竪は何時だって周囲の者達の為に働いた。
冬には、夏の間に作製した綿入りの防寒具を屋敷勤めの者達に提供し、水仕事時の為に湯を沸かす為の薪割りにも勤しんだ。
電気やガスも通っては居たが、長年誰も住んでいない場所の為にすぐに使えず、しかも瑠夏州で伯冨達の反乱がありしばらくの間はそれどころではなくなった。
満足に電気やガスが使えるようになったのは、果竪達が屋敷に滞在して一年以上経った頃の事だった。
それでも、十分に満足した生活が送れたし、果竪にとっては彼女を誹謗中傷する者達が居ない分、心安らぐ場所であったのは間違いない。
そう――あの屋敷は、王妃である事を強いられ、否定され、憎まれてきた果竪にとっては、ただの少女で居られる理想郷とも言える場所だった。
また、果竪は周辺の村人達とも仲良くなった。
王妃である事は隠していたけれど、農作業やらなにやらと共通する話題も多く、何よりも村が人手不足になると率先して手伝いに向かった。
そこで、自分の持てる知識を伝授した。
どのようにすれば、より豊作になるのか。
どのようにすれば、より効率的に作物を収穫できるのか。
また、生地も無地のものよりは刺繍があればより高値で売れる事、その刺繍の仕方を教えたり、薬草の調合方法も教えた。
時間がある時には、子供達に読み書きも教えた。
それにより、周辺の幾つかの村では生活は大いに改善され、生活も前よりもずっと豊かになった。
それは、国の政策そのものだった。
果竪は王妃としての資質を十二分に備えていると明燐は思う。
それこそ、まだ見ぬ王の愛妾なんかよりもずっと。
どうして王がそこまで愛妾にのめり込んでいるのか分からない。
上層部が王妃同然の扱いをしているのか分からない。
いや、そもそも愛妾の存在自体が信じられない。
今でも夢ではないかとさえ思う。
しかし、それを口には出せない。
明燐は溜息をつく。
自分が愛妾の存在に気付いている事は、果竪は知らない。
たぶん、自分だけの胸に留めていると思っている筈だ。
だが、明燐は知っているし、果竪が愛妾の事に気付いているのも知っている。
でもそれを伝えていないから、口に出すことは出来ない。
寧ろ、今突然伝えたところで果竪を混乱させてしまうばかりか、下手すれば傷つけてしまうかもしれない。
果竪にとっては、王の愛妾の事については絶対に触れられたくない話題だろう。
でなければ、とっくの昔に明燐に相談していた筈だ。
だから明燐は、今も喉から出かかっている言葉を飲み込むしかなかった。
「本当に、ままならないものですわね」
明燐は窓の外に視線を向け、そっと息を吐いた。
「何が?」
「いえ、何でも」
ムギュ
窓から果竪の方に向き直った瞬間、明燐の顔に何かが当たった。
柔らかくモコモコの感触。これは
「……大根」
「のヌイグルミ!! 見てみて〜〜、この前作った新作のものよ!!」
等身大(大根ではなく果竪の)の大きさをした大根のヌイグルミを抱きながら、果竪は親指を立てた。
って、大根のヌイグルミ?
そこで気づけば、【馬車】の中にこれでもかと大根のヌイグルミがあった。
しかも、自分の隣や果竪の隣に大根のヌイグルミが座っているし。
そういえば、ついさっき窓の外を向いた頃から、何か狭苦しいと思った。
因みに、この【箱馬車】は十人乗りの【大型馬車】だが、乗っているのは果竪と自分の二人だけ。
荷物は全部【馬車】の上と、別の【馬車】に積んである為、本来なら広々としている筈のこの車内。
しかし、いまや定員一杯に人が乗っているよりも狭苦しかった。
床にもヌイグルミ、天井からも小さなヌイグルミがぶらさがっているし。
「って、いつの間にこんなに乗せてたんですか!」
「明燐の気づかない間に、そしてたった今」
そりゃそうだろう。
さっきまでこんなものはなかった。
だが、それ以上に、仮にも大戦時代は前線に立ち鞭を振るい、多くの敵を屠ってきた自分にさえ気付かせずに、この状況を一瞬にして作り出す果竪に恐れすら抱く。
「凄いでしょう〜!! 昨日徹夜で作った大根ゴレンジャー!!」
色違いの戦闘服を着た五つの大根のヌイグルミ。
徹夜で何を作ってるんだ、しかも全く気付かなかった。
「やっぱり、旅には心の癒しがいないとね」
心の癒しだとしても、こんなにいらん。
王都で出迎えに来る民達がこれを見たら、無言で扉を閉められかねないではないか。
それどころか屋敷に強制送還されかねない。
はっ!まさか果竪はそれを狙って!!
いやいや、それは考えすぎだろう。
明燐は自分の心を落ち着けた。
リラックス効果は緑色がいいと言うので、大根のヌイグルミの葉っぱの部分を見ながら。
干されている大根人形だったらたぶん無理だったが、これらのヌイグルミは瑞々しい生大根。
問題は全くなかった。
「明燐、暇だから大根について私と熱く語り合わない?」
キラリと光る白い歯。
眩しい笑顔。
とりあえず、大根の事を語りながら見せるものではないだろう。
どうしてこう無駄な所に無駄な事をするのだろうか。
「何で年頃の乙女が大根について語らなきゃならないんです。しかも熱く」
「愛する存在を語る時に冷静さはいらないのよ」
「いや、寧ろ冷静に考えましょう。それに暇だから大根について話すなんて、大根を暇つぶし程度にしか考えてないようで失礼ではないでしょうか?」
「はっ! それもそうね!! 大根のことは、厳粛なる国会の場で、それこそ大切な法案を決めるかのように話し会わなきゃ!」
いや、絶対話し合わない。
何で法案決める場所で大根について話あわなきゃならないんだ。
話し合うとすれば、農作物と一括りにされるだろう。
大根とピンポイントでは話し合わない筈だ。
「そうよ!! 親しみやすい大根だからって、暇潰しの話は駄目よね」
「寧ろ暇潰しで話して下さい。間違っても法案を決めるような場で大根の話をしないで下さい」
「なんで」
「なんででもです」
凪国の名産が大根だと思われたらどうするんだ。
凪国の名産品は『海燿石』であって、間違っても大根ではない。
「とにかく、王都ではあんまり大根大根って言わないで下さいね。大根王妃だなんて言われたらどうするんですか」
「どうしよう?!」
え?何そのキラキラ視線。
もの凄く顔が輝いているんですけど。
世界中の幸せ全てを吸い取ったかのように見えるんですけど。
寧ろこっちがどうしよう?!なんですけど!!
明燐は自分の失言に心の中で舌打ちした。
愛する大根の名を加えて大根王妃。
果竪が喜ばないわけがない。
他の女性にとっては蔑称とも言えるそれも、果竪にとっては愛称でしかないのだ。
って、これじゃあ果竪は大根の国の王妃ではないか。
もちろん大根の国だから国民も王様も大根。
つまり、果竪の夫も大根になる。
明燐の脳裏に、果竪の夫である凪国国王の姿が思い出された。
今は違うが、二十年前まではウザイほど妻命だったあの国王。
例え外面が異常に良く、稀代の美貌の賢君と名高くても、上層部からすれば卑怯な手段で果竪を妻にしたロリコン犯罪者。
実際の年齢差は人間で言う所の四歳差ほどだが、かたや成人男性の二十一歳。
かたや、寸胴体型と色気の無さから全く十七歳に見えない外見小学生。
うん、やっぱりロリコンだ。
何度、逮捕されろ!!と心の中で祈ってやったか。
しかし、司法権を司る機関は王のカリスマ性にぞっこんで、幾ら『青少年保護法違反』と『未成年へのわいせつ罪』を訴えても全く動いてくれない。
それどころか
『はっはっはっ! 陛下がそんな事するわけないじゃないですか』
何が、はっはっはっ!だよ。
お前らの肩に国民の司法がのっかかってるんだよ。
国民の権利の一つが背負われてるんだよ。
きちんと目を開けてロリコン犯罪を裁けよ。
『王は間違った事はしません、美しいから』
美しくたって犯罪者になる奴はごまんといるだろうが。
しかもあれは見た目が白いだけで、腹の中は真っ黒だ。
腹が立ったから、明燐は奴の愛娘を自分の魅力でメロメロにし、『お父さん不潔!! 近寄らないで!!』と言わせてやった、ざまあみろ。
因みに司法権のトップは、それから一週間引きこもった末に奥さんに職場に叩き出されていたが、明燐は気にしない。
トップの父娘関係より果竪の貞操の安全こそが最優先だ。
その為には、どこの父娘関係を犠牲にしても構わないとさえ思う。
それに一番悪いのはあのロリコン変態犯罪者だ。
既に明燐の中では王の「お」の字も出てこなかった。
しかも奴は酷く心が狭く、鬼畜腹黒で、妻である果竪には馬鹿みたいに優しいのに、共に暗黒大戦を戦い抜いた盟友たる上層部には冷たい真の鬼畜だった、二十年前までは。
そんな奴が、果竪の心は大根に奪われたなんて知れば。
『国王命令です。今日よりこの国から大根は一切合切廃棄します』
いやぁっ!!大根農家からクレームがくるっ!!
……かも知れない、二十年前なら。
今は愛妾にトチ狂っているから見逃して貰えるかもしれないけど。
しかし……あの鬱陶しいまでにウザイ粘着質の王の事だ。
果竪に対しての興味は本当に無くなってしまったのだろうか?
寧ろ、両手に花~とか馬鹿な事を言い出すかもしれない。
明燐にとって王は何処までも犯罪者でしかなかった。
いや、もし果竪さえ良ければ王と離婚させた方が果竪の為かもしれない。
ただしその場合は自分が果竪を独り占めするが。
そう――他の上層部もいらないと言うなら、自分が果竪を独り占めし、綺麗に着飾ってあんな事やそんな事やこんな事を――。
その時、果竪は全身に凄まじい悪寒が走ったという。
そして野生の本能並みで距離を取る果竪に、明燐はようやく我に返った。
「と、とにかく、王都で大根は禁止にしておきましょう」
「何でっ?!」
ってか、一体どんな思考回路の末にそうなった。
寸前まで考えていたのは、果竪をどう可愛がるかだけだっただろう。
今も口の端から唾を垂らしているぐらいだ。
しかし明燐は爽やかに言い切った。
「この世から大根消されたくないでしょう?」
「私から大根取ったら何が残るのよっ!!」
「沢山残るから大丈夫ですわ」
暴れる果竪を押さえつける明燐。
もし此処で護衛が【馬車】の中を覗き込んでしまえば、妖しくも淫靡な『百合』の世界がお目見えするだろうが、厭な予感がしていた護衛達は皆聞かなかった事にした。
この世には見ない方がいい事もあるのだ。
「長」
「なんだ」
「【馬車】の中、騒が、いえ、楽しそうですね」
部下の言葉に、使者団の長は苦笑した。
そこで言い直した部下の成長が眩しくさえ思う。
その一方で、【馬車】の中でぎゃあぎゃぁ騒ぐ王妃と侍女長に苦笑いする。
しかし……思ったよりも元気そうで良かった。
王妃の本音は、王宮になんて戻りたくない。
だが、それでも瑠夏州の領主を助けるべく、彼女は自分の王宮帰還を引き替えにした。
王妃が愛妾の事を気付いているかは分からないが、気付いていないにしろ王妃にとって王宮は心休まる場ではないだろう。
だから、王都が近付くにつれて憔悴していってもおかしくないのだが、今の所はそういう姿は見られない。
もちろん、あえてそういう姿を見せていないというのも考えられるが、この様な姿を見せていられるならまだ大丈夫だろう。
万が一の場合には、珍しい大根を献上すれば良い。
明燐様がそう言っていたから。
流石は宰相閣下の妹姫。
いや、彼女自身が有能だからこそ、王妃付きの侍女長になれたのだろう。
凪国王宮は、実力主義。
能力が高ければそれだけ上の地位につけるが、そうでなければ何時までも下の地位だ。
経験も考慮されるが、それだけでは尊敬され敬われても上には上がれない。
「長」
「ん?」
「次の宿営地ですが、予定通りでしょうか?」
部下の質問に長は頷いた。
「ああ。この調子だと、後二時間ほどで着くだろう」
気付けば、夕闇が迫り太陽の光が赤みを帯びていた。
何時もならばとっくに宿に辿り着いていたが、次の宿を本来の場所よりも一つ先にした分、時間も余計にかかっていた。
それは、少しでも距離を稼ぎたいという想いもあったが、大部分は治安面に配慮した結果だった。
先の宿の主の話だと、今向かおうとしている宿場町の方が予定していた場所よりも治安面が良いという。
自分達だけならまだしも、王妃が同行しているとなれば、治安の配慮はしてもし過ぎる事はないだろう。
「だが、少し急いだ方がいいな」
周囲の景色はのどかな草原から、何時の間にか両側が木々の斜面に覆われた細い道に入っていた。
周囲に人里はなく、聞こえるのは虫や鳥の鳴声のみ。
ここは獣達の領域だ。
風が吹く。
茂みや木々の枝が大きく揺れる。
「ふむ」
「長、どうしました?」
「いや、ここなら隠れるにうってつけだと思ってな」
隠れる場所はそこら中にあるし、人目にもつかない。
しかも道が悪いうえに細く、先程まで王妃の乗っていた【馬車】の左右についていた護衛は前後に位置するしかない。
完全に無防備となった側面。
この時を待っていたとすれば、相手も中々の知謀を持っている。
「来るぞ」
「御意」
既に他の者達も気付いていたらしい。
皆が一斉に刀を抜くやいなや、それらは襲い掛かってきた。




