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大根と王妃②【改訂版】  作者: 大雪
第五章 駆ける者達
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第四十六話 悪夢


『葵花、良い子ね』


 伸ばされる手が頬を撫でる。

 それは今現在自分に苦痛を与えている相手とは思えないほどに優しかった。

 

 手を伸ばすのは自分をぶつ為。

 暗黒大戦時代、あの地獄の様な場所で、幼かった葵花は儀式の生け贄として買われ、獣同然の暮らしを強いられていた。

 その生活から救ってくれた彼の方は、葵花にとって絶対無二の神。


 姉のように、母のように葵花を育ててくれた。

 忘れかけていた言葉を思い出させ、教え、生きていくのに必要な知識を与えてくれた。


 彼の方は男。

 けれど、女性と見紛うその美貌は薔薇姫と名高く、どんな女性よりも美しかった。

 彼よりも美しいのは、陛下ぐらいだろう。


 優しくて、穏やかで、いつも最後には「困った子ね」と苦笑しながら葵花を見守ってくれた。

 本当に沢山の事を教えてくれた。


 そう――


 男女の交わりさえも。


『良い子ね、葵花』


 ようやく解放された体は葵花の意思では動かない。

 ただ、彼の方の思うがままに動かされる。


『ほら、ゆっくりと息を吸って』


 痛くて痛くて、息が上手く吸えない。

 最中も痛みでパニックになる事が何度もあった。

 その度に彼の方は葵花の背中をぽんぽんと叩いて告げた。


――ほら、良い子だから


 その痛みも、苦しみも、全ては彼の方が与えたものだが、葵花はそれを拒む事は出来なかった。


 葵花がその行動の意味を知ったのは、初めて彼の方に体を開かれた時からずっと後のこと。


 一番最初は何が何だか分からなかった。

 『海影』に所属していたが、所詮は見習いでしかなかった葵花はまだ仕事に出た事はなかった。

 護身術などは学ばされたが、暗器の使い方も毒の扱い方も、それこそ『海影』として働くのに必要な数多の技術も知識もロクに学ばせてもらえなかった。


 当然、『海影』の男達が標的に取り入る為にしているような事も――。

 これが、それと同じである事を知ったのも……もっとずっと後の事。


 ただ気づけば、彼の方は事ある事にその行為に葵花を付き合わせた。

 まだ未熟な体は、いくら女性と見紛うとはいえ、仮にも成神男性を受け入れるには負担が大きすぎるものだったが、葵花は拒む事は出来なかった。


 いや、正確には拒んでも無駄だった。


 最初の頃はあまりにも辛くて逃げ出した事が何度もあったけれど、その度に連れ戻された。

 また、自分の様子に違和感を覚えた王妃が「一緒に寝ようか」と言って匿うように共に寝てくれた事もあったが、そこから連れ戻された。

 目覚めた時、王妃の寝台から彼の方の寝台に移っていた事もあった。


『アタシから逃げるなんて悪い子ね』


 そう言って、彼の方は逃げようとした葵花にお仕置きした。

 お仕置きは葵花の嫌なアレ。

 普段でさえ苦しいのに、彼の方は葵花を縛り付けて長時間に渡って弄ぶのだ。


 痛い

 苦しい

 イヤ

 ヤメテ


『アタシの言う事が聞けない子なんてイラナイワ』


 葵花が拒む度に告げられた言葉。

 抵抗すれば、彼の方のうんざりとした顔を見る事となった。

 呆れた様な顔。


 いらないという言葉。


 彼の方に捨てられてしまう――。


 葵花にとっては彼の方しか居なかった。

 陛下も上層部の皆も大好きだ。

 王妃の事も大好きで仕方ない。


 けれど、一番最初にその手をとってくれた彼の方は、葵花にとって絶対無二の特別。

 彼の方に捨てられたら生きてなんていけない。


 だから苦しくても、辛くても、痛くても我慢した。

 きちんと彼の方の望むままに振る舞えば沢山褒められる――それを心の拠り所の一つとして。


『良い子ね、葵花』


 そう言って浮かべる笑顔が大好きだった。

 それに、どこかで葵花は期待していた。

 この行為のどこかに彼の方の愛情がある事を。


 あり得る筈のない、夢を見ていた。


 そう――あの日までは。


『髪は切っちゃ駄目よ。ああ、今日はこの服を着ていきなさい。それとシャンプーはこれを使うのよ』


 彼の方は葵花の全てを管理した。

 髪を少し短くしたいと言う願いを拒み、着る服も使うシャンプーも、更には身に纏う香さえ彼の方が選んだ。


 身につけるのは、彼の方が選んだ物のみ。

 時折綺麗な装飾品も持ってきて、『アタシからのプレゼントよ』と言って葵花に身につけさせた。


 それは世間知らずの葵花でさえ高価なものと分かった。

 受け取れないと言えば、途端に彼の方は不機嫌となるから最後には諦めるしかなかった。


 そしてその日も――。


「葵花、これあげるわね」

「主様……」


 彼の方が望む服を着て、望む香を纏って、望む立ち振る舞いをする。


 それで彼の方が喜んでくれるなら葵花はそれで満足だった。

 けれど、続き部屋に積み重なっていく贈り物を見れば葵花の心は沈んだ。


 それを見ていたくなくて、葵花は一神で外に出た。

 外と言っても、王宮内。

 ただ外部の者も入れる外来宮に足を運んだ葵花の前に彼女達は現れた。



「まあーーこれが茨戯様の愛玩動物なのね」



 彼女達が彼の方に恋い焦がれる良家の姫君達である事はすぐに分かった。

 以前にも何度も葵花は茨戯の後を追い掛ける彼女達を見た事があるから。


 『海影』の存在は秘匿とされ、その構成員が誰かを知るのはごく一部の者達のみ。

 だから彼女達は彼の方が『海影』の長だと知らない。

 知らないけれど、彼の方が上層部の一神である事は知っている。


 『海影』の長として知る者は少なくとも、上層部の一員であるという点で、彼の方はこの国に広くその名が知れ渡っている。


 そんな彼の方の妻になりたいと夢見る女性達はそれこそ星の数ほど居た。

 中でも彼女達は積極的に彼の方に迫っている姫君達だった。


 だが、いかにも育ちの良さそうな彼女達がどこでそんな言葉を――。

 いや、そもそもどこから彼の方と葵花の関係を聞いたのだろうか。


 愛玩動物という言葉を葵花は否定しなかった。

 確かに端から見ればそんな存在だろう、葵花の立場は。


 仕事終わりに、気紛れに、高ぶった性欲を発散させる相手。

 彼の方の求めに従順に応じる抱き人形。


 誰かが言っていた。

 それは情婦だと。


 けれど、情婦は……。


 その言葉の意味を知り、葵花は微かな希望を持ち夢見てしまった。

 ある筈のない夢を。


「愛玩動物なんて言い過ぎよ。こんなただの情婦に」

「情婦? まあ、なんて穢らわしいのかしら」

「あなた達の言葉の方がもったいないわよ」


 そう言ったのは、姫君達の中でも中心的立場の少女。

 勝ち気な瞳に挑戦的な光を宿して葵花を侮蔑の視線で睨み付けた。


「これはただの娼婦よ」


 娼婦?


 葵花はその言葉を心の中で反芻した。

 情婦は、正式な妻以外の愛人が主にそう呼ばれる。

 けれど、娼婦は。


「しょう、ふ」

「そうよ。なんて穢らわしいのかしら」

「情婦なんかより最低な存在ですわね」

「ち、ちが」


 否定しようとした葵花に一番最初に娼婦と罵った姫君が叫ぶ。


「違わなくないわ!」

「っ」

「というか、その(なり)を見て娼婦じゃないなんてどの口で言えるのかしら?」


 そう言うと、葵花の頭の先から足の先まで突き刺すように姫君が睨み付けた。

 その、(なり)


「その身につけている物は、あなた程度じゃ到底買える代物じゃないわ」


 葵花は自分の姿に素早く視線を巡らせた。

 確かに身につけている衣装や装飾品は、葵花の給料では全く手が出ないものだ。

 それほど高価なものを彼の方は葵花に毎回与えてきた。

 そして身につける事を強要するのだ。

 身につけていなければ、その夜の勤めはより苦しいものとなった。


「彼の方をお慰めする代わりにそんな高価なものを要求するなんて」

「わ、私は欲しいなんて一言も」

「黙りなさいこの娼婦!」

「どうせ欲しそうな顔をしてたんでしょう?」

「まあまあ待ちなさいな皆様」


 クスクスと一神の姫君が艶やかに笑う。


「茨戯様はお優しい方。きちんとお勤めをする娼婦に代価を払うのは当然の事ですわ」

「確かにそうですわね」

「たとえどんな下手な娼婦だろうと、仕事は仕事ですもの。特にこの凪国は労働に対しての法律は厳しいですものね」


 労働?

 仕事?

 代価?


「まあ、あの方は優しいですから少々上乗せして差し上げたという事でしょう。これだけあればいつでも放り出せるでしょうし」

「そうね。それを売れば、まあ一神でも生きていけるでしょう」

「それか、その娼婦としての技能を生かして商売を続けるのも良いですね」


 姫君達の笑いに、葵花は再び自分の姿に視線を巡らせた。

 葵花が到底得られないような高価な衣装、装飾品。


 思い返せば、いつもその行為が終わってから彼の方は葵花にこれらの品々を与えてきた。

 まるで、その行為の礼だと言わんばかりに。

 それに――。


 葵花は恐ろしい事実に思い当たる。


 葵花が拒まず彼の方の言うとおりに振る舞った時ほど、高価な代物が贈られていた様な気がする。

 もちろん、その品物が与えられるのは次の行為の後。

 まるで前の行為は良かったと、これだけの価値があると言わんばかりに与えられた品々。


 夜のお勤めをして、それがどれだけの価値があるかを彼の方が判断して値段をつけて。

 そして次の日の夜のお勤めの後に昨日の代価を払う。


「っーー」


 走り出した葵花に姫君達が嘲笑う。


「待ちなさいよ」

「逃げるの?」

「やっぱり姑息な娼婦は全てが姑息なのね」

「金銭と引き替えに体を売る卑しい女だから仕方ないわ」


 その夜、やはり彼の方は葵花に品物を与えた。


「はい、これあげるわ」


 渡されたのは、薔薇の簪。

 今まで葵花が目にした事の無いような素晴らしいものだった。

 それこそ、国宝級といっても良いだろう。


 けれど、それを髪に飾られかけた時、葵花は叫んだ。


「いらないです!」


 希望も夢も全て打ち砕かれた。

 もしかしたらと思っていた。

 正式な妻の座なんて望んでいない。

 愛神にすら無理だろう。

 けれど、情婦なら、せめて情婦なら。

 せめてそこに、少しでも情があるなら。


 その思いは打ち砕かれた。


「……一体どうしたの?」


 訳が分からないと言わんばかりの彼の方は、深い溜め息をつきながら簪を葵花の髪に挿そうとした。


「いやっ!」

「ちょっ! 暴れないのっ! 刺さったらどうすんのよっ」


 押さえつけられ、強引に髪に挿される。


「あら! やっぱりアタシの見立ては最高」


 葵花は髪を飾る簪を勢いよく抜き去る。

 そしてそれを感情のままに放り投げた。

 少しでも、こんな忌まわしいものを体から離したかった。


 出来る事なら、今すぐこの場から立ち去りたかった。


 シャーーンと、何かが壊れる音を耳にしてようやく葵花が我に返った時、その惨状はあった。


「あ――」


 壁に向かって放り投げられた簪はまずそこで砕け、そして床に落ちた事で大きく壊れた。

 特に繊細な造りをした薔薇の部分は見る影もなくなっていた。


「――どうすんのよ、これ」


 彼の方の声はどこまでも冷え冷えとしていた。

 恐くて、顔を見ることなんて出来なかった。


 そんな葵花だが、次の瞬間寝台に強く押し付けられた。


「きゃっ!」

「こんな悪い子にはお仕置きしなきゃね」

「や――」


 はぎ取られるシーツ。

 組み敷かれる体。


 抵抗する度に打ち据えられながら、叫び続けた。


「いや、いや、いやあぁぁぁぁああああっ!」


 涙に濡れた視界が歪み、映り込んだものが変わる。


 ひんやりとした風に、包まれた。


「葵花」

「っ!」


 ハッと目を覚ました葵花の視界に、大姉の艶麗な美貌が映り込む。


「約束の時間まであと三分だぞ」


 見せられた懐中時計に、一瞬葵花は此処がどこか分からなくなる。

 けれど、ほどなく記憶が戻ってくる。

 そして、理解した。


「……あれは、夢」


 いつの間にか眠ってしまったのだろう。

 三ノ宮に与えられた自室の寝台で葵花は寝返りを打った。


「葵花、遅れる、用意」


 そう言うと、大姉はすぐに部屋を出て行く。

 それをぼんやりと見送りながら、葵花はゆっくりと息を吐いた。


「あれは、夢」


 でも、ただの夢ではない。

 確かにこの身に起きた、過去と言う名の現実なのだから。

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