第四十四話 痕跡
夜の闇に白がにじみ出す。
時は来た。
「三時間経ったわね」
大樹に寄りかかり呟いた茨戯の前に、影達が集った。
それからの歩みは止まることはなかった。
駆ける。
夜の中を、朝の闇を、昼の暗さを。
神目を避け、誰もが忌避する危険な道を我先と走る。
目指すのは、王妃が連れ攫われた場所。
朝が来て、昼が来て、夜が来る。
それを数度繰り返して、茨戯達は目的の場所へと駆ける。
途中、数神が目的地を変えて別れた。
王妃を連れ帰る途中で襲われ、怪我を負いながらも王宮に報せを飛ばした者達と合流する為に。
彼らは仲間。
仲間ならば連れ帰らなければ。
令を筆頭として別れた一団と後の再会を約束し、茨戯達は駆ける。
そうしてようやくその場所に辿り着いたのは、夜の闇が来る頃だった。
「ここね、問題の場所は」
近くに馬を隠し、徒歩でその場所を訪れた茨戯は周囲を見渡した。
ここで戦いが起きた痕跡は未だに残っており、ところどころの木々が折れている。
また土も血を吸った跡なのか、至る所色が違っていた。
その血は誰の血のものか。
襲ってきた賊のものか、王妃を護衛していた者達のものか、それとも――。
茨戯は唇をかみしめると、ぎゅっと拳を握りしめる。
「どちらに逃げたのでしょうね」
すっと背後に立った玲珠がそんな言葉をもらした。
「時間が経ちすぎているからな……目撃者は王妃を護衛していた者達ぐらい」
柳が周囲に鋭く視線を向けながら淡々と告げる。
「そちらと合流してからになりますか」
「んな悠長な事してられないわよ」
茨戯はバッサリと切り捨てた。
「ですが茨戯様」
少し困惑した様子の玲珠に茨戯が不敵な笑みを向ける。
「痕跡が全くないならまだしも、こんなにしっかりとしたものがあるならすぐに行動を移さないとね」
「痕跡?」
「そうよ。ふふ、忠望作のは失敗も多いけど、今回は成功作の方ねぇ」
上層部仲間であり、あらゆる薬剤の開発を一手に担うあの狂科学者を思い出して茨戯は腕を組んだ。
「茨戯様、痕跡とは」
「ん? 気づかないの? ――って、まあそうよね。玲珠と柳は『海影』の所属じゃないし嗅いだことはないわね」
言いながら自分の配下達を見れば、彼らは皆心得ているとばかりに頷く。
「だから忠望もこれを渡したのね」
茨戯は懐からある四角いものを取り出した。
「そ、それは?」
「臭気測定器よ」
それは、名の通り臭いを測定する機械である。
「ここに覚えさせた臭いであれば、どんなに少ない臭いでも測定出来るの。ちなみにここに覚えさせている臭いは全て特別なもの」
興味深そうに機械を見る玲珠と柳に茨戯は機械のスイッチを入れた。
「それをどうするんですか?」
「もちろん、ある臭いを測定させるの。その臭いが強い方に進んだところに王妃達は居るわ」
「え?」
予想外の事を聞いたと言わんばかりの玲珠と柳に茨戯はクスクスと笑う。
「アンタ達は知らなかったわね。実はね、うちの王宮ではある種の香水が開発されているの。といっても、それは表では決して使われない特殊なもの」
「特殊、ですか」
「ええ。なぜなら、それはそのままでは無臭だから。いえ、正確にはその臭いに気づかないの」
「臭いに気づかない?」
「そう。つけられた本神も周囲も気づかない。でも、臭いは確かにあるの。そしてその臭いは一月近くは消えないわ」
「一月近くって……」
そこで玲珠はハッとした。
「もしかして、その臭いが王妃に」
「ええ。その香水を碧易の一団に持たしたという報告があったから、誰かがそれを王妃に振りかけたのね」
「だから、その臭いが――って。けれど、いくら臭いがあってもそれで本当に探し出せるのですか? それに、臭いに気づかないといってたのにどうして茨戯様達は臭いに気づかれたのですか?」
「良い質問ね? 柳。答えは簡単よ。その香水は元々追跡用に開発したものだから、臭いの濃さは一月ぐらいなら変わらず強い臭いを発しているわ。雨が降ろうとも消えないほどにね。で、アタシ達が気づいたのも簡単。その香水は普通にしていれば臭いなんて気づかないけれど、もう一つの別の香水を嗅ぐことでその臭いをかぎ取れるようになるの。ただし、一過性だけど」
そう言うと、茨戯は懐から硝子の香水瓶を取り出した。
そこに入っている透明な液体に玲珠達の目が釘付けとなる。
と、その玲珠達に向けて茨戯は香水を噴射した。
「ぐっ! ごほっ」
「くっ!」
突然の事に、玲珠達は激しく咳き込む。
が、ほどなくそこに混じり始めた臭いに気づき、二神は愕然とした。
「こ、これは」
初めて嗅ぐ臭いだ。
不快ではないが、自然界には存在しない神工的な臭いは周囲に数多ある臭いの中でも決して紛れ込む事はなくその存在を主張している。
「ね? わかりやすい臭いでしょう?」
「……しかし、臭いというものは、拡散するものです。拡散されたら」
「それも大丈夫よ。一月ぐらいなら殆ど拡散しないから」
「へ?」
「う~ん、イメージ的にはね、凄く派手な太くて長いリボンをひっさげているようなものだから、臭いをつけられた相手が。んで、そのリボンの終着点は着けられた場所」
そこから臭いがまっすぐに伸びていくように、臭いの分子を調整して出来たのがこの香水だと聞き、玲珠と柳は今度こそ言葉を無くした。
「流石は忠望様」
「いつも爆発起こしてるだけじゃなかったんだな」
「そうよ~、あれであいつは天才だからね」
天災だと思っていた――と呟く玲珠と柳に他の影達が引きつった笑みを浮かべる。
確かに、それは一理どころか百理ぐらいはある。
そう――いつもいつも爆発を起こしては建物を吹っ飛ばす忠望とその配下達と折り合いが悪いのは財務官吏達。
それもそうだ。
その度に余計な予算を使わなければならないのだ。
そんなのは無駄を省いて国の予算をスムーズに配分していく財務官吏達にとっては許しがたい暴挙。
『てめぇらマジでふざけんなぁぁぁぁあああっ!』
『科学の発展には失敗はつきものだ』
忠望が財務官吏に首を絞められている現場に遭遇した事は数知れず。
そして仲裁に入ろうとして逆に切れた財務官吏に吹っ飛ばされた事のある玲珠と柳は、それはそれは遠い目をした。
ちなみに、『海影』の影達も皆一度は同じ目にあっている事もあい、その眼差しは遙か彼方へと飛んでいく。
「あ~~、とりあえず、ゴメンね」
茨戯は死んだ魚の様な目をする玲珠と柳、そして自分の部下達に謝った。
決して茨戯が爆発を起こしたわけでも財務官吏達とバトったわけでもないが、一応あの忠望は同じ上層部仲間。
その困った所行を知りながらも放置している時点で、たぶん半分ぐらいは同罪だろうから。
『科学は爆発だ』
『だからって文字通り爆発させてんじゃねぇよ!』
そうしてプロレス技を決められても涼しい顔をする忠望は、たぶん陛下でも扱いに困るだろう。
まあ、それでも一度やりすぎて朱詩に首を絞められた時は結構苦しんでいたが。
朱詩――可愛い顔をしているが、奴の好きな言葉の一つは『一撃必殺』。
そして文字通り忠望の首を片手で締め上げた朱詩は、かかった制止に可愛らしく舌打ちした。
『――せっかく合法的に殺れるチャンスだったのに』
――可愛くないか、全然。
「と、とにかく、急ぎましょうか」
「そうね」
何とか現実に戻ってきた玲珠の言葉に、茨戯はコホンと咳き込みながら同意した。
とりあえず、今は忠望の事は忘れよう、全力で。
お手柄なのに、危険神物ゆえに感謝すらされずに忘却される上層部が一神、忠望。
彼は上層部から狂科学者と呼ばれるその裏で、この二つ名どころか新たな名を与えられている。
『凪国の爆弾魔』
おもに、財務官吏達に、だが。




