第二話 二つの州
雲一つない快晴の青空。
【馬車】の窓から見える、まるで王妃の王都帰還を祝っているかの様な空に、明燐は目を細める。
しかし、王宮側は果たして果竪の帰還を祝っているのかどうか。
そう考えると、この晴れ渡った空が皮肉にも思えて憎らしい。
「今日で十日ですか……」
瑠夏州の屋敷を出て十日。
ようやく、隣の州の鶯州に入った。
だが、街道が整備された瑠夏州とは違い、鶯州の街道事業はそれほど進んでおらず、少し進んだ所で土の道へと変わった。
しかも雨でぬかるんでいるせいか、馬の足がとられ車輪が沈み、速度は一気に遅くなった。
この分では、王宮まで一ヶ月以上かかるかもしれない。
「瑠夏州よりも広い領地と豊かな財政をお持ちだというのに」
「本当にね~」
鶯州は鉱山が多い事もあり、その発掘作業に伴う神口の流入とそれに伴う開発によって発展した州だった。
いわば、瑠夏州とは対極的な位置にある。
瑠夏州の五倍の広さの領土には数多くの街や村が点在し、その村や町も鉱山を拠点に栄えていた。
すなわち、鉱山ある所に町村ありといわんばかりに、州規模での鉱山業が発展している。
が、逆に言えばそれ以外の産業はそれほどでもなく、食糧自給率に関しては完全に国の輸入に頼っていた。
言うなれば、瑠夏州よりも国に依存していると言っても良い。
故に領主の政治能力は、瑠夏州よりも重要になる。
というのも、国から供給された物資はまず領主の元に集う。
それを、領主が均等に各町村に回さなければならないからだ。
どの町村でどの物資が不足し、どの物資が必要なのかをきちんと把握しなければならない。
つまり、情報伝達が何よりも大切になる。
しかし、電話やパソコンなどの電子機器が使えない炎水界では、実際に各町村の視察に入り調査するしかない。
だが、どれだけ念入りに調査したところで日々欲しいものは変わっていく。
だからこそ、少しでも早く伝達しなくてはならないのだが、それには手紙や伝書鳩だけでは限度があるだろう。
となれば、後は使者を出すしかないが、この荒れた道では余計に時間がかかる。
一体領主はそこの所をどう考えているのか。
「商売するにはまず物資の確保。でも、確保したらそれを流通させなきゃならない。で、その時に道が良いということは、自然と物流も良くなり更には商売も盛んになる。でも、それ以外にも街道を整備すると良いことは沢山あるわ」
街道の整備は物資の流通や情報伝達を早めるだけではない。
遠い街に商売に赴く商人達が多く来るようにもなるのだ。
それに伴い、彼らが休憩したり泊まったりする宿場町ができ、料金をとって部屋や食事を提供する商売にも発展する。
瑠夏州では、そういう宿場町が幾つか造られていた。
もちろん、街道は良い面ばかりではないが、それでも経済の発展を促す重要な要因の一つと言える。
「あははは!! 面白い~」
「面白いじゃありませんわよ」
今度は砂利道らしいが、中には大きな石もあるらしく、【馬車】の揺れはどんどん大きくなっていく。
その揺れを利用して果竪がぴょんぴょん跳ねていた。
お子様と言うのは何時いかなる時でも簡単に楽しみを見つけるらしい。
「全く、この道の悪さについては王宮に帰ったら要相談事項ですわね」
「うんうん。でも工事は来年だね、きっと」
もうすぐ秋になる。
幾ら王宮で審議されて領主に改善を命じても、数ヶ月はかかるだろう。
しかも、領主にはある程度の自治権が認められているから、王宮側も緊急事態でなければ強制権はなく無理強いは出来ない。
それこそ、財政が貧しいとでも言われれば、すぐにはどうする事も出来ないのだ。
凪国は絶対王制を貫いている。
しかし、本当の意味での絶対王制でない事は、領主達には周知の事実だった。
確かに最初こそ、王に全ての権力が集中していた。
だが早い段階で、国王は最終決定権と緊急時の命令行使権を残して、行政権、立法権、司法権を、上層部を含めた官吏達に分け与えてしまった。
と同時に、領主達にある程度の自治を認め、不輸不入の権も認めている。
因みに、不輸の権とは免税特権のことで、不入の権は王が派遣する役人の立入りを拒否できる権限の事を言う。
それは、万が一国が間違った道に走った時に領主達に自分達の領民を守らせる為でもあり、ある程度国に頼らず自分達の財源を確保させる為のものだった。
もちろん、過分なまでの財源は反乱など良くない事にも繋がりかねない諸刃の刃ではあるが、余りにも州に力がなければ国が暴走した時に抵抗出来なければ意味が無い。
しかし、今回のように余りにも悪い道を直して欲しい時などには、この自治権が邪魔しているのも事実だった。
「本当に、まだまだ問題が多いですわね」
「当たり前だよ」
「果竪?」
明燐が果竪へと視線を向ける。
「まだ百五十年だよ? あの暗黒大戦が終結してから」
「……」
「全てを破壊し、この天界十三世界の前の世界である天界も多くの領土を失って……大勢の者達が死んで……まだ、百五十年しか経ってない。それなのに、ここまで復興した事の方が凄いと思うよ」
凪国が建国して百五十年。
暗黒大戦が終結したのは百五十前。
数十年から百年程度の寿命しかない人間であれば、百五十年は余りにも長い年月である。
それこそ、人間界の一世紀が百年の暦では、軽く一世紀半は過ぎている。
だが、神々にとっては子が成神する事も出来ない、短すぎる年月。
そのたった百五十年の間に、凪国は炎水界のどの国よりも発展と安定を遂げた。
他の国々では、未だ混乱が続いている国や政治経済が不安定な国々も多く、土地や家族、財産を失った者達への補償すら行き届いていない場所も多い。
津国でさえ、急激な金融不安が起こるのを覚悟の上で、王妃自ら国庫を開かなければならないほど切迫していたほどだ。
もちろん、その後は輸入関係で大打撃を受けたが、それでも国が瓦解しなかったのは一重に王夫妻と上層部の政治手腕のおかげだろう。
凪国だって、津国ほどではないが、何度も国が揺らぐ様な事件が起きた。
それでも凪国は、他のどの国の中でも最も早く、今の状態にまで辿り着いた。
そう――安定した衣食住の供給と、鉱山業による豊かな財政。
それに伴い、凪国は教育面でも成功を見せた。
炎水界で一番教育が進んでいるのは、残念ながら凪国ではない。
しかし、国の大半に教育を行き届かせているのは凪国だった。
それがどれだけ大変な事かは、田舎出身で満足に教育を受けられなかった果竪には痛いほどよくわかっていた。
まだ両親が元気で村で暮していた頃、果竪は読み書きが出来なかった。
計算だって満足に出来なかった。
だが、それは大戦以前では当然の事だった。
なぜなら、学校があるのは殆どが大きな街か首都で、通えるのは特権階級か富裕層の子供達だけだったからだ。
また、学問学んだ者が小さな村に居たとしても、村人達は生きる為に朝から晩まで働き通しで教育を受ける時間すらなかったし、大人達も貴重な働き手を失いたくなどない。
そうして教育からどんどん遠ざかり、読み書きすら出来ない者達が大勢出た。
だが、支配者層がその問題に着手する事はなかった。
それどころか、支配者層からすれば無学の民達が増える事を大いに喜んだ。
民達は自分達の富みを生み出すものであって、考えるものではない。
自分達の思い通りに動かすためには、余計な知識をつけられては困るのだ。
そんな支配者層の思惑通り、民達は働いた、馬車馬のように働いた。
そして耐えるのが当然となり、それが前天帝や佞臣、一部の悪徳貴族達を増長させ、天界を一時は再生不可能にまで腐敗させてしまったのだ。
それをもう二度と起こさせない為にも、教育は必要だ。
そうして、凪国では教育に力を入れる事となった。
領主には不輸不入権を認める代わりに民達に教育を行き渡らせる事を了承させ、少しでも読み書き、計算、学問をたしなんだ者達には率先して子供達への教育を任せた。
とはいえ、民達には生きる為に働くという本業がある為、その教育時間は微々たるものだ。
が、それでも大戦以前よりは十二分にその成果は上がっていた。
また、成績の良い者達は望めば王都に召喚して一流の教育を受けさせ、教師として生まれ育った村に教育を広めさせる。
もちろん、それだけでは子供達を貴重な働き手とする大人達は動かないから、同時に子供達の働く時間を減らすべく行政が動き続けた。
そうして百五十年経ち、ようやく実りを得られ始めたのだ。
身分や地位に関係なく、誰もが平等に教育を受ける権利を手にするという、人間界ではとっくの昔に行われていた権利に恵まれる機会が。
大戦以前の天界の支配層は人間界を馬鹿にしていた。
身のほど知らずだと。
戦いを好む愚か者達だと。
しかし、神々だって大差はない。
寧ろそれ以下だった。
人間界では表向きではあるがとっくの昔に禁止された奴隷制度が残り、民達が満足に教育を受けられず、強い選民意識と何処までも広がる貧富の差によりどんどん疲弊していった天界。
そう――天界は滅ぶべくして滅んだと、今なら分かる。
「凪国は本当に凄いと思うよ」
混乱する国々の中で、一番早く教育を行き渡らせた国。
でも――。
「だから今度は、食料供給率の増加と安定だね~」
他国からの食料供給に頼っている現段階では、凪国はまだまだ真に安定したとは言えない。
それこそ、他国に何かあって輸入停止となれば、あっという間に凪国は食糧難に陥ってしまう。
瑠夏州だけでは到底賄いきれない。
「出来れば、鶯州にも農産業に力を入れて欲しいんだけど」
そして開拓した農地の八割に大根を植えて欲しい。
「いや、それだと栄養偏りますって」
「大根は万能野菜よ!!」
問題ナッシング。
と、グギュルルルと果竪のお腹が鳴った。
「うう……大根切れだ」
「大根切れはどうでもいいです。ってか、燃費悪いですね。さっき食べたばかりなのに」
「ああ、出立した日に差し入れしてくれた料理長の大根料理がまた食べたい」
甘辛い大根の煮物。
あれは絶品だった。
「確かあれは郷土料理でしたわね」
「そうそう。この州の郷土料理だった筈だよ」
料理長の出身州の味。
あの屋敷に居た二十年の間に果竪もすっかり気に入ってしまった。
「あの味はもっと広く国に広まるべきよ!」
「確かにそうですわね」
明燐もあの郷土料理の味は気に入っていた。
特に魚の煮付けは絶品である。
「そう、大根料理とか、大根料理とか、大根料理とか」
「果竪、大根大根煩いですわ」
「くぅぅ! こうなったら何としても大根料理の為の大根栽培に勤しんでもらわないと!」
果竪は強く決意した。




