第三十六話 待つ者達
――遅い。
明燐は、いまだ帰らぬ果竪にやきもきしていた。
老子の話では、そんなにしないうちに戻って来るだろうという話だったが、あれから三時間以上経っても気配すらなかった。
「どこで道草をくってるのかしら」
帰って来たら、説教決定である。
「いっそのこと探しにいきましょうか」
「こんなに暗くなってからでは危険です! 俺が行きます!」
「その足で何を言うのですか。満足に歩けもしないというのに」
その原因を作った当の本人は、自分の所業を棚上げにしてそうのたまってくれた。
「しかし、常識で考えて若い年頃の女性を一人で森に行かせるなんて」
果竪の時は止め切れなかったが、だからと言って明燐まで行かせて良いとは言わない。
大人な蓮璋は明燐の理不尽をさらりと受け流し、ただ明燐の身を案じ続けた。
「蓮璋」
「それに、さっきよりは痛みも引きましたし、大丈夫ですよ」
そう言って微笑む蓮璋に、明燐の心が鼓動する。
「わかりましたわ。そんなに言うのでしたら、この私を倒してから行くと良いですわ!」
「はあ?!」
案じる相手を倒して行くなんて、それこそ本末転倒である。
そんな蓮璋を絶句させた明燐の発言は、彼女の照れ隠しだが、それに気づくことの出来る相手は残念ながらここには居なかった。
「さあ、どこからでもかかってきなさい!!」
「いや、それおかしい」
「こないならわたくしがいきましてよ」
「ま、待って」
わきわきする手に、かなりのおかしさを感じて蓮璋が叫んだ時だった。
「――何イチャイチャしてるんだよ」
「なっ? どう見たらそんな風に見えるんだ――って、淳飛、なんで――王妃様?!」
淳飛に背負われている王妃の姿に、蓮璋はギョッとした。
「言っとくけど、何もしてないからな」
「いや、それは疑ってないが」
「うん、自分で転んじゃったの」
果竪がしょんぼりと項垂れた。
森からの帰り道、ついつい急ぎすぎて転がっている石を踏んでしまった結果、予想通りに転んで足首を痛めてしまったのはもはやお約束。
果竪は蓮璋に視線を向けると、申し訳なさそうに口を開いた。
「蓮璋、ごめんね」
「え?」
「蓮璋が明燐に襲われて抱かれるのを見捨てたからバチが当たったんだね」
「やっぱり本当のことだったのか」
「ち、違っ」
淳飛が明らかに引いている。
「お前! 俺が襲われて大人しくしているような男だと思っているのか?」
「大人しくさせてみせましてよ!!」
「明燐、張り切ってるねーーあ」
果竪の体が、側にあった椅子の上に下ろされる。
「あ、あの」
「もうここでいいだろ」
ぶっきらぼうに言い捨てると、さっさと踵を返す淳飛の背中に果竪は声をかけた。
「あ、ありがとう! 連れて帰ってくれて」
淳飛の足が止まったのも一瞬。
すぐに足は再び部屋の外に向かって歩き出し、そのまま扉の向こうへと姿を消した。
「今の方は」
「淳飛、この隠れ里の民で、俺の友人です」
蓮璋はパタンと閉められた扉を見続けながら説明した。
「元は父親と同じ炭鉱夫だったんですが、あの――二十年前の一件で父親を失ったんです」
「二十年前……」
「封鎖された坑道で……淳飛の父親は亡くなりました」
パニックになった者達が殺し合いを始めかけたのを止めようとして、淳飛の父は死んだ。
淳飛の目の前で。
「残されたのは、体の弱い母と妹。だから、あの日以来、父親に変わってあいつが遺された家族を守ってきたんです」
「それでは、無能な王と上層部を憎んでも仕方ないですわね」
「なっ」
「気づきませんでしたの? あの憎しみに満ちた目を。まあ、こんな大事に気づかぬ無能など憎まれて当然と言うもの」
自嘲するように笑みを浮かべた明燐に蓮璋が激しく否定した。
「違う! 確かに俺達は地獄同然の目に遭わされました。しかし、それをしたのは、あの」
そこで、言葉が止まった。
今、自分は何を言おうとしたのか。
「言わないのですか?」
「……」
言う?
何を?
蓮璋は呆然とした面持ちで明燐を見つめた。
「あんな目に遭わされて、私ならどんな手を使っても報復します」
「報復」
「それとも、やっぱり許してしまいますか。おやさしい蓮璋?」
「っ?!」
許す?
あんなことをされて?
許せるのか?
あれを?
あんな地獄を味わされて?
「お、オレは」
憎悪が、蓮璋の中でざわざわと蠢いていく。
あやふやなものが形作られ、密度を増す。
「オ、レ、は」
我慢していたものが――。
どすんっと、何かが落ちる音が憎悪のヴェールを切り裂く。
「っ?!」
「果竪っ」
床に座り込み涙目でお尻をさする果竪に、明燐がすぐさま駆け寄った。
そのすぐ後ろには先程まで果竪が座っていた椅子が横たわっている。
「イタタタ……まさか立てないなんて」
「当たり前ですわっ! こんなに腫れ上がっているではないですかっ」
「あ~~、だから痛かったのか」
最初は少し赤くなっていただけだというのに。
「骨は折れていませんわね。けど、かなり酷い捻挫ですわよ」
「王妃様、持ってきた痛み止めの薬草はどこですか?」
「え、えっと、そこの袋の中」
先程までの憎悪は消え去り、蓮璋は王妃の指さした袋から薬草を取り出す。
「あ、でもそれ老師に」
「これぐらいならオレでも出来ます」
そう言うと、てきぱきと薬草をすり鉢へと放り込んで棚にあった薬剤と水を投入していく。
そうしてあっという間に塗り薬を作り出すと、それを王妃の足首に塗り清潔な布を巻いた。
「一日三回張り替えれば、三日もしないうちに治ります」
「せ、せっかくの貴重な薬草が……って、蓮璋の分が」
「オレの分もあるから大丈夫です」
そう言うと、蓮璋も自分の患部へと塗り薬をつけていく。
その手際の良さは、明燐すらも納得するものだった。
「まあ――育ちの良い甘やかされた坊ちゃんではないと思っていましたが」
「いっその事そうなら、今頃はここでこんな事はしてなかったんですけどね」
そうであれば、どんなに楽だっただろう。
全てを知っても見なかったふり、聞かなかったふりして、今もずっとあいつの腰巾着をし続け、誰が傷つこうと安全な場所に居続ける。
プライドも何もかも捨てても痛まぬ心があるなら、その道を選んだかもしれない。
けれど、選べなかったから、蓮璋は今此処に居る。
「ああ果竪、しばらく外に出る事は禁止ですわよ」
「えぇ?!」
「いくら薬があると言っても無理すれば意味がないですからね。それに、忠告を無視して傷を悪化させたお馬鹿さんにつける余計な薬はありませんもの」
「う――」
全てが最低限の量で細く長く生活してきた隠れ里に、湯水のように使える資源は殆ど無い。
「明燐だって蓮璋の足首を痛ませたくせに」
「何ですの?」
「何でもありません」
明燐の八割は理不尽で出来ていると果竪は半ば本気で確信した。
しかし、そんな果竪も九割が大根の愛から出来ていると、たぶん昔馴染みに聞けば誰もがそう答えるだろう。
「――蓮璋」
「何ですか?」
王妃に呼ばれ、蓮璋は足首に包帯を巻く手を止めた。
「淳飛さんって、どこに住んでるの?」
「まあ果竪! あなたは夫が居る身にもかかわらず、別の男の事を聞くのですか?!」
「離婚寸前だけど」
ぼそっと呟いた果竪は、明燐の視線の強さに慌てて否定するように大きく両手を振った。
「いや、そうじゃなくって! お礼っ!」
「お礼?」
「それはさっき言われたと思いますが」
蓮璋の指摘に、果竪はぶんぶんと首を横に振る。
「いや、それはおぶってくれた分だけだよ」
「……つまり、他にもお礼しなければならない事をあなたはやらかしたのですか?」
明燐の視線が痛すぎるが、果竪は意を決して口を開いた。
「その、転んだ時に袋の中の薬草をぶちまけちゃって、それを全部拾ってくれたの」
因みに、花や草関係の薬草はあまり遠くまで飛び散らなかったが、丸い実などの形状的に遠くまで転がるタイプのものは見つからなかった。
特に、こうやって外が暗くなった後では。
「つまり、どこに転がしたか分からなくなった分に関しては、新しく集め直してくれたと」
「うん」
「うん、じゃないですわ!! どうしてそうおっちょこちょいなんですのっ」
明燐の叫びに果竪が飛び上がる。
蓮璋が慌てて仲裁に入ろうとするが、明燐の怒りは収まらなかった。
「全く、果竪ときたら」
始まるお説教。
足首が痛いのに、土下座を強要されるのはそれすらも罰だからなのか。
その後、ようやくお説教から解放された王妃に蓮璋はそっと告げた。
「明日、淳飛の家まで一緒に行きますか」
途端に満開のひまわりの様な王妃の笑顔に、蓮璋は安堵する様にほっと息を吐いたのだった。




