第三十四話 薬草採り
橙色の光に混じる藍色。
少しずつその色を濃くし、紫色を帯びていく空。
今にも消え入りそうだった橙の帯も、気づけば完全にその色を消し、程なく辺りは完全に夕闇に包まれるだろう。
けれど、だからといって果竪は帰ろうとは思わない。
薬草が思ったよりも集まらないからだ。
共に薬草を探しに来た他の里神達とも話し合い、探す範囲を広げてみるが、どうも収穫は思わしくない。
「こんな事はここに来て以来初めてです」
決して採りすぎる事なく、必要な量だけ採ってきた。
また、少しでも数を増やす為に栽培もした。
しかし、どうしても神工的に増やせないものだけは、こうして森の中に採りに行くしかない。
いつしか里神達は散らばり、自分達の記憶にある場所へと赴いていく。
気づいた時、果竪は一神で森の中を歩いていた。
既に明りは手元にある松明だけという心許ないもの。
道は決して整備されたものでないが、踏み跡の様子から獣道というわけでもない。
木々から落ちた葉っぱの中に、木の根元が所々に顔を見せている。
昼間ならまだしも、暗い夜道では足をひっかけて転んでしまう事は容易に想像出来た。
しかし、果竪はそれらを器用に避けていく。
到底、か弱い少女が歩けないような道も、果竪にとっては慣れたものでしかなかった。
果竪の今は亡き故郷は山奥の村であり、その周囲の野山をかけずり回っていた彼女にとっては懐かしさこそ覚えても恐怖は微塵も感じなかった。
時折ホゥホゥと泣く梟の声も、故郷の村を偲ぶきっかけにしか過ぎない。
「そういえば、いつだっけかな~……かくれんぼしててそのまま寝ちゃって、萩波が迎えにきたのは」
目が覚めた時、怒った萩波が目の前に居た。
みんなで野山を走り回り、その疲れでついつい眠ってしまった果竪は、萩波の怒鳴り声に思わず泣いてしまった。
そんな果竪にようやく我に返った萩波が慌てて慰めてくれたが、中々涙が止まらず最後には萩波に負ぶわれて山を下りていった。
途中でやはり果竪を探しに来た村神達がホッとした様な顔をしていた。
あれから暫くは山で遊ぶのは禁止になった。
そして、萩波もまた果竪から目を離さず、少しでも側を離れようとしたらものすごく怒られたのだ。
あれは、まだ果竪がとても小さい頃の事だ。
「あの頃は、幸せだったな……」
まだ地位も身分も関係なく、ただ誰に気兼ねする事なく好きな相手と一緒に居られた。
果竪は小さい頃から萩波の事が大好きだった。
結婚とか、そういう事もよく分からないぐらい小さかったけど、ただ一緒に居たいと願った。
それが、いつ恋心へと変わったのだろう。
気づいたら、もう好きになっていた。
愛するようになっていた。
村を焼かれ、家族を、村神達を殺され。
果竪だけが一神で佇んでいた。
本当ならあのまま自分も死ぬ筈だったのに、それこそ萩波は物語の王子様の様に現われて果竪を助けてくれた。
一神ぼっちになってしまった果竪を、萩波は受け入れてくれた。
萩波や、皆の居る軍という帰るべき場所を作ってくれた。
だから、果竪は生きていられた。
もちろん、当時は大戦中な事には変わりなく、常に命の危険に晒されていたし、満足に物資の補給もままならなかった。
けれど、それすらも耐えられるぐらいに、果竪は幸せだった。
大好きな神達に囲まれて、本当に幸せだったのだ。
明燐も居たし、明睡や茨戯、朱詩、涼雪に小梅、葵花、そして同じく凪国上層部として働いている他の友神達。
地位も身分も関係なく、ただの神として彼らと一緒に生活した日々。
たとえ寝る場所が硬い土の上でも、食べるものがイモの蔓ばかりだとしても。
それでも。
「幸せ、だったな」
今も鮮やかに心に残るほどに、幸せな時だった。
「ん?」
果竪の耳が、梟の鳴き声に混じるそれを聞き取る。
それは、神の声だった。
「誰?」
一緒に薬草採りに来た者達のものだろうか。
もう少し近づいてみないと分からない――そう思ったところで、果竪は今の自分の状態を正確に理解した。
いつの間にか一神で歩いていたが、これはかなりまずい状況だ。
いや、果竪個神としては全くまずくないが、仮にも凪国の王妃である自分が森の中を一神で彷徨いていたなんて明燐にバレたら大目玉を食らう。
それに、この隠れ里の者達がどんな罰を喰らうか。
いや、その前に、彼らは今ごろ慌てふためいているかもしれない。
果竪はそこまで気の回らなかった自分に激しく反省し、慌てて声のする方へと向った。
だが、その焦りがいけなかったのだろう。
先程まではあんなにスイスイと避けていた木の根っこに足を取られ、体が前に傾く。
しかも、その先は段差のある場所だった。
「う、きゃああっ!」
そのまま段差を滑り落ち、ドスンと地面にお尻を打ち付ける。
暫く、目がチカチカし、頭の上に鳥が踊っていた。
「う、うぅ……」
地面に転がった松明が赤々と燃えているのが、目の前にぼんやりと見える。
ああ良かった。
下手にどっかに飛ばせば確実に森を焼いてしまうから。
しかも、松明が転がったところには土しかなかったのも幸いしただろう。
ようやく視界が完全に戻ってきた果竪の目に、ふとあるものが飛び込んできた。
「こ、これって目当ての薬草だっ!」
そこには、わんさかと目当ての薬草が生えていた。
果竪は喜びの声をあげて薬草を必要な分だけ採っていく。
それこそ、今まで見つからなかったのが不思議なぐらいよく採れた。
だが、程なくその喜びは半減した。
痛み止めの薬草が見つからなかったからだ。
「痛み止めはどこにあるんだろう……」
そうしてキョロキョロと探した果竪の耳に、ふとまたあの声が聞こえてきた。
「あれ……これって……」
その声に半ば引き寄せられるように果竪は歩き出す。
もしかしたら、一緒に来た里神の誰かかもしれないと思って。
そうして木の根だらけの道を歩き続けた果竪の前に、それは現われた。
「あ――」
森の中――である筈なのに、今までの場所とは違う。
それは、ただ見た目が違うだけではない。
空気そのものが、違った。
森の中にぽっかりと開いた円形の土地。
その中央に、見事な大樹がそびえ立っている。
そしてその根元には、二神の神影が見えた。
――だ……ああ、わかっている
――……だろうが……よな……としたら……
一神がもう一神に何か強く言い聞かせている。
かと思えば、片方の神影がその場から離れて行った。
あっという間にその姿は見えなくなり、残りの一神だけが大樹の下に背を向けて立つ。
ふと、果竪は何か見てはいけないものを見たような気がした。
何故そんな事を思ったのかは分からないが、何となく、そんな気がした。
だからだろう。
あまり得意ではない気配隠しまで行い、呼吸の回数すら減らし、片方の神影が去ってからもしばらく木の陰に隠れていたのは。
けれど、その疑問もすぐに霧散してしまう。
そう、果竪は見つけてしまったのだ。
あの大樹の周りに生えている痛み止めの薬草の姿を。
その神影が、ゆっくりと森の奥へと歩き出そうとした時だった。
かさりと地面の葉を踏む音に、彼は背を向けたまま口を開く。
「誰だか知らないけどさ、ここからとっとと」
「痛み止めの薬草ぉぉぅっ」
「は?」
突然、そんな間の抜けた声が聞こえれば誰だってそうなるだろう。
彼は勢いよく後ろを振り返り、呆然とした。
それは、全身で自分の横に突っ込んでくる少女の姿。
それが、自分の横をすり抜け、そして――。
ズザザザザザザ――!!
と、ものすごいスライディングでもって、そのまま大樹へとぶつかっていった。
どぉぉぉんと凄まじい衝撃音に、「あ、死んだかも」と本気で思った。
だが、少女は予想以上にタフだった。
「薬草ぉぉぉぉ!」
「やく……ああ、これか」
彼は初めて自分の横に生えていた痛み止めの薬草に気づいた。
少女はこれを摘みに来たのだろう。
「薬草、薬草はっ」
「ここにある」
それより、その紅くなった額をどうにかするべきだろう。
下手すれば、酷くはれあがる。
だが、少女はと言えば薬草にしか意識が向いてないらしく、彼は溜め息をついて薬草を数本摘み取った。
この時の行動を彼は長い間疑問に思う。
だが、相手が立ち去ってから暫くして現われた少女は、たぶん何も知らないだろう。
ただこの森に薬草を採りに来ただけ。
だから、消さなくても大丈夫。
さっさと欲しいものを手に入れさせてここから追い出すのみ。
そう思い、少女に近づいた彼は、彼女が手に持つ松明の光に照らされた顔を見て呆然とした。
「あんたは……」
「え?」
愕然とする青年の眼差しに、果竪は半ば我に返る。
だが、それは完全なものではなく、余計に果竪を焦らせるものでしかなかった。
なぜなら、その青年は一緒に薬草採りに来た者達ではないからだ。
「あ、ああああの、私あやしいものじゃなくて、その、果竪です! あなたはっ」
「え? 俺は淳飛」
そんな果竪の勢いに飲まれた彼は、淳飛と自らの名を名乗ってしまった。




