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大根と王妃②【改訂版】  作者: 大雪
第三章 隠れ里
31/58

第二十九話 出来る事

 証拠はあった。


 それは今までの全てを覆す言葉だった。

 つまり、既に蓮璋達は一度切り札を手にしていたのだ。

 なのに、どうして、今までの話で証拠がないという話の流れに蓮璋は同意していたのだろうか。


 いや、蓮璋は「あった」と過去形で告げた。

 つまり、「証拠」を手にしていたのは過去の事で、今は無いという事だ。


 けれど腑に落ちない。

 過去に手にしていた時に、どうして動かなかったのか。

 いや、動かなかったのではない、領主側の警備網のせいで動けなかったのだ。

 たとえ証拠を持っていても、それを王の前まで届けなければ意味は無い。

 しかし届けるには、関所を突破しなければならないが、実行すれば即座に追手がかかるし、そうなれば証拠すら奪われてしまうだろう。


 そこで果竪は新たな疑問を覚える。

 二年前までは証拠があったと言うならば、その証拠はどのようにして無くなったのだろう。

 無くしたか、奪われたか。

 すると、果竪の心を読んだかのように蓮璋が答えを口にした。


「奪われたと言った方が正しいでしょう。但し、その現場を目撃したわけではありませんが」

「見ていないの?」

「はい。最後に見たのは……私の友達。そして彼らは、王への訴状に向かい、戻って来なかった」

「……」


 果竪は無言で先を促す。

 大体、予想出来た。


 どうにかして、今の状況から脱したかった蓮璋達。

 どんどん危機に陥る中で、彼らは一刻も早くどうにかしたいと願っていた。

 例え厳しい警戒網があろうとも、切り札を手にしていたとなれば。

 それを外の州に持ち込めさえすれば。

 しかし、結果は戻って来なかった――その意味する事は、もう。


「殺されてしまったか」

「裏切ったか」

「め、明燐」


 とんでもない事を口にする明燐を果竪は嗜める。

 確かに可能性としてはあっても、今此処で口にするべき事ではないだろう。

 しかし、明燐の厳しい眼差しがそれ以上の窘めを阻む。


 王宮という特殊な場所で、常に守られてきた果竪とは違い、権謀術数を繰り広げる政治の場を渡り歩いてきた明燐だ。

 裏切られる事も、裏切る事も星の数ほど行ってきた。

 凪国という巨大な国を維持する為に、幾つもの策略を練り、時には王に献上し、時には自ら実行し。

 王妃付きの侍女長という立場だろうとも、明燐は一人の政治家としてその手腕を振るう政務官だった。


 人手がないから。


 使える者は、下働きだろうと民であろうと、片っ端から政治に参入させた。

 そして使えそうな者達は、ひたすら叩いて叩いて叩きまくって政治の手腕を身につけさせた。


 足りないのだ。

 圧倒的に。

 どこの国も、その国自体を維持する為の神材が。


 だからこそ、明燐も侍女長でありながら政治に関わる。

 時には、馬で現場まで駆けていく。

 なのに、自分だけは――果竪は、ぎゅっと胸の辺りで握り拳を作る。

 自分だけは、安全な場所に置いておかれた。


 貴方は何も心配する事はないのよ――そう囁かれ続けた。

 そうして何も出来なくなっていった。


 でも、今は違う。

 果竪は無力感の海に飲込まれそうになる心を奮い立たせる。

 此処には、守ってくれる相手なんて殆ど居ない。

 全て、自分で動かなければならない。

 明燐を無事に王宮に帰らせ、蓮璋達をこの危機的状況から救い出すためにも。

 決意を改める果竪に、明燐は更に口を開いた。


「死体の確認はしたのかしら?」

「いえ、していません。ですから、裏切りという可能性もあるかもしれません」

「蓮璋っ」

「老師、良いのですよ。明燐も可能性の一つとして言われているだけですから。それに、例えそうだとしてもオレは責められません。責められる筈などありません」


 蓮璋の言葉を、果竪は静かに聞き入る。


「いくらこの場所は領主達に知られる確率が低いとはいえ、死と隣り合わせの極限状態に居続けたのです。たとえ神でも、十八年という月日は長すぎた。俺だって、何度心が折れかけたか……」


 だから、もし裏切ったとしても、仕方ないと心の中の何処かで思っていた。

 けれど、それでも願う思いは何処までも甘い。


「蓮璋……私は、その人達が最後まで頑張ったと思うよ」

「王妃様」


 信じるという光を瞳に宿す王妃に、蓮璋は冷や水を浴びせかけられた様な気持ちに陥る。


「……ええ、そうですね。そう、俺も信じたい」


 裏切っても仕方が無い。

 でも、信じたい。

 最後の最後まで、彼らが自由と此処に居る者達の命をかけて、駆け続けてくれた事を。

 証拠が失われ、一度は空中分解しそうなほど険悪になったこの隠れ里で、それでも誰もが願っていた。

 その思い。


「でも、蓮璋。言っては悪いけど、貴方達の対応は軽率だと言わざるをえませんわ」

「明燐」

「果竪、考えてもみて。だって、唯一の証拠があるとしても、逆に言えばそれを失えばどうにもならなくなる。なのに、蓮璋達はそれを持たせて一か八かで陛下の下へと向かわせたのよ。証拠を失う確率が高い状態で」


 仮に裏切らなかったとしても、殺されて奪われる可能性が高すぎる。


「それは」

「私ならばそんな事はしない。そう――証拠はこの隠れ里に残したままにするわ」


 明燐の厳しい眼差しに、蓮璋は苦笑いを浮かべる。


「そして、彼らだけを行かせたと」

「そうよ。一人でも王宮に辿り着けば、そこから王に伝えてくれる」

「王側に裏切り者が居るかもしれなくても?」


 査察のことを言っているのだと果竪は気付く。


「それでもです。証拠を失う可能性は極限まで低くしなければ」

「ですね。でも、この隠れ里も危険だとなれば?」

「え?」


 驚く果竪に蓮璋は言葉を続けた。


「二年半前、二つの悲劇が私達に襲い掛かりました。一つは、この近隣の村々で領主からの粛正が行われた事が発端の事件です。それにより、数ヶ月もの間この隠れ里の唯一の出入り口付近に兵士達が彷徨き、何度も発見されかけたんですよ」


 その度に、蓮璋達は息を殺して耐えるしか無かった。

 丁度天気が悪く雨が多い日々が続いたから、何とかなった。

 しかし、もし天気が良くなり、もう少し遠くまで彼らが来たら。


「その極限状態から、幾つものデマも飛び交いました。この隠れ里が発見されただの、大軍が押し寄せてくるなど」


 そんな中、たまたま一人の兵士がこの隠れ里に迷い込んできた。

 その相手は、大怪我を負っていてすぐに亡くなったが、それが隠れ住まう者達の神経を大いにえぐり取った。

 もう駄目だと騒ぎ、殺されるぐらいならと自害しようとする者達まで現れる始末。


「更に悪いことに、流行病が流行ったのですよ」


 その兵士が持って来たのだろう。

 子供を中心に流行った病に、幼い子供達の四分の一が倒れた。

 尽力してくれた老師でも手に負えず、かといって新たな医師を呼ぶ事は出来ない。

 せめて、この状況から脱することさえ出来れば。

 子供達の苦しい呻きと親達の嘆きに、蓮璋は決断しなければならなかった。

 一か八かの方法だったとしても。


「そして、結局は証拠ごと仲間を失ってしまったのですよ」


 子供達も介抱の甲斐無く、病を得た半分が死んだ。

 それでも半分は助ける事が出来、迫っていた兵士達も村の粛正が終わり隠れ里付近から撤退した。

 だが、隠れ里の方の被害は余りにも大きすぎた。

 もう、手はない。

 そう――もう、手は殆ど無かった。

 だからこそ、王妃という切り札に拘るしかなかった。

 新しい証拠を手に入れるにしろ、手に入れた後、確実に王に届けるために。


「もし証拠を失わずに済んでいれば、もっと別の道もあったかもしれません」


 でも、もうない。

 だから、王妃を利用するしかない。

 何も知らない王妃を巻き込み、その身柄を奪い、切り札として。

 料理長から、瑠夏州に王妃が居ると知った後、何度も意見が交わされてきた十八年。

 助けを求めよう、巻き込みたくない。

 けれど、証拠を持って行った彼らが戻らなかった事から、王妃を利用する事を決めるしかなかった。

 そして待ち続けた日々。

 まるで、運命のように崩れだしたそれ。

 時間は、もうない。


「でも、蓮璋」

「はい?」

「証拠はいつ手に入れたの?」


 果竪の質問に蓮璋は真意を理解する。

 その証拠を、二年前よりももっとずっと前に手に入れていたならば、料理長からでも王妃に話を通して貰えば良かったのだ。

 しかし、それは出来なかった。


「証拠を手に入れたのは、二年と少し前です」

「二年と少し前」


 それは、隠れ里の危機と流行病が流行った後である。


「そう、それが見付かった時、もう村人達の焦りと苛立ちは頂点に達していました」


 そこから、王妃に――なんて話を一々しているほど待つ時間はなかった。

 死と恐怖は最大限にまで迫っていたから。


「だから危険を承知で、すぐさま行かせたんです」


 雨で、夜の闇に紛れれば少しはマシだと、自分達を納得させて。

 立候補した者達に、証拠を託した。


「そう……もっと早く見付かっていれば良かった」


 けれど見付からなかった。

 子供達の薬草を採りに行く中で、たまたま蓮璋は見つけたのだ。


「既に何もなかったオレの家の近くの森に薬草がある事は知っていて、それを取りに行ったんです。でも、いつもは見張りの兵士達が大勢居て……でも、一か八かで訪れた時、丁度そこの兵士は少なくなっていたんですよ。たぶん、他の村々の焼き討ちで忙しかったのでしょうね」


 そうして、手薄になった包囲網を潜り抜け、薬草を採りに行く中で、見つけたのだ。


「父が、残してくれていた証拠を」


 小さな鉱石の欠片を、手紙と共に。

 それは、あの鉱山から見付かったものであり、もし自分に何かあったら頼むと最後に書かれていた。


「それって……」

「ええ、本当に親不孝者ですよね、オレは」


 もし、あの時父の言うとおり家に留まっていれば。

 そう思わざるを得なかった。


「そして、その証拠さえ失ってしまった。大切な仲間達と共に」


 父の言いつけに背き、更には父が命がけで託してくれた証拠まで失った。

 村人達の嘆きと哀しみ、そして証拠を王に届ける為の手段の板挟みになり、最終的に蓮璋は村人達の思いを優先した。

 そうして失われた切り札について、蓮璋を責める者は誰も居なかったと老師が語る。


「責められるわけがない。蓮璋はギリギリのところで選択してくれたし、何よりそれを望んだのはわしらだからのう」

「老師……」

「だから、蓮璋。そのような顔をするでない。わしらは本当にそなたに感謝しておるのじゃからな」


 そう言われて、初めて目尻に涙が溜まっているのに気付いた。

 そっと果竪が何処からか布を手渡し、蓮璋はそれを受け取った。


「それで……どうするの? この先」

「もちろん、証拠を手に入れます」


 そうしなければ、どうにもならないのは分かり切っている。

 証拠だけでは難しいように、王妃だけを手中してにもどうにもならないから。

 だからこそ、証拠が失われた事が悔やまれてならない。

 もし今も証拠があれば、そうすればと何度も思う。


 けれど無いものは無い。

 諦めなければ。

 それに、王妃様を巻き込みたくなかったとどれほど思っても、もう連れて来てしまったのだ。


 あの日、あの時に、証拠が失われた後、こうなっては王妃様を何が何でも手に入れ、今度こそ手に入れた証拠を確実に届けると決めた。

 何度も何度も悩んで、最後まで悩んだけど。

 王妃様が出立すると聞き、蓮璋は動いた。

 逃せばもう二度と、手に入らない――大切な切り札。

 けれど、王妃と出会い話をする事で、よりいっそう募る罪悪感はどんどん重くなっていく。

 巻き込みたくなかった――例え、王妃と言えど。

 いや、この少女だからこそ、巻き込みたくなかった。


 不甲斐ない、と蓮璋は自分を嘲笑う。

 決めて、動きだして、それでもなおこうしてウジウジと悩む自分。

 いい加減腹を決めなければならないのに、自分はこうして今も悩み続けている。

 村人達の上に立つ者として、最悪な頭である。


「で、私は何をしたらいいの?」


 果竪の言葉に、蓮璋は驚いたように目を見開く。


「王妃様にはして頂く事はありません。何度も言いましたが、王妃様は切り札です。しかし、何かをして頂くという事はなく、ただオレ達の過去と今の状況を知って頂きたい」

「そして、王に申し出る時の援護射撃をしろと」


 明燐の指摘に蓮璋は頷いた。


「僭越ながら、お願い致します」


 蓮璋はそう言って頭を下げ、そのまま続けた。


「オレ達は既に失敗しています。ですから、どんな手だろうと手段は多い方が良い。そして、王妃様という切り札は今回を逃せば、もう二度と手に入らない」


 自ら懐に飛び込んでくれる今回こそが、最大の好機。

 但し、機会は一度限り。

 もちろん、王妃拉致という事は危険が高すぎるが、王妃を助けに来た者達に話をつける事も出来るかもしれない。


「領主達と組んで来たらどうするのですか」

「それはないですよ」


 蓮璋の言葉に、明燐は溜息をつく。

 確かに、ない。

 王宮側はここの領主を嫌っている。

 特に王妃の事に関しては、手を組むぐらいなら自分達が不眠不休になる方を選ぶぐらいに。


「出来る限り、早急な決着を付けたいと思います。ですから、王妃様にはそれまで此処でゆっくりとして頂きたい」


 話す事は話し、保険はかけた。

 これで、たとえ自分達が皆殺しにされても、全てを無かった事にはされない。


「蓮璋……」

「本当に巻き込んで申し訳ありませんでした。この様な怪我までさせて」


 怪我という言葉に敏感に反応したのは明燐だった。


「そう、怪我ですわ。果竪を襲ったあいつらに報復しなければ」


 襲われたという言葉に、今度は果竪が反応する。


「私は……」


 あれは、誰だったのか。

 自分を狙ったという事は、自分に対して恨みがある相手。


 王宮に居た頃の誰かだろうか?


 いや、もしかしたら――。


 二十年前の事件を思い出す。

 あの事件で生き延びた誰かが、今回の事を引き起こしたのかもしれない。


「許さないわ」


 濡れた唇からもたらされる不穏な声色に果竪は戦慄する。


「め、明燐」

「許さない、許さない」


 蘇る、悪夢。

 膨れ上がる憎悪と殺意。

 果竪を傷付けた者達への報復をと叫ぶ心。

 私の、果竪に。

 何度も何度も頭の中を回る。

 許さない、殺してやる。


「め、明燐落ち着いてっ!」


 傷付けた。

 傷付けたのだ。


 私の、カジュヲ!!


 その怒りが、憎悪が、爆発する――そう思った時だった。


「明燐!」


 それまでとは違う厳しい声に明燐が我を取り戻す。

 そうして無意識に目を向ければ、厳しい眼差しを浮かべた果竪の視線とぶつかる。


「……果竪」

「落ち着いて、明燐。抑えて。これ以上は許さない」


 知っているからこそ止める。

 このままでは、明燐は暴れる。

 昔のように、全てをなぎ払う。

 ここに明燐の兄はいない。

 他の上層部も居ない。

 止められるのは、果竪だけだ。

 だから果竪は必死に言い募る。


「私は大丈夫。だからそれ以上の報復も必要ない」


 何度も何度も、まるで呪文の様に唱え続ける。


「にも関わらず、これ以上の報復を考えるというなら、私は」

「や、いやよ!」


 明燐の叫びに果竪はホッと息を吐いた。

 急速に収縮する憎悪と殺意、それはほどなく完全に消えた。

 それまで張り詰めていた室内の空気が和らいでいく。

 凍り付いていた蓮璋と老師がようやく肩から力を抜き、全身から大量の汗を流した。


「でも、蓮璋。話は戻るけど、証拠集めをするなら、手は多い方がいいんじゃないの? そもそも、証拠集めっていうからには、領主の所から取ってくるって事だよね? それとも他にアテはあるの?」

「いえ、領主の所以外に証拠たる鉱石がある場所をオレは知りません。が――手の方は遠慮しますよ」

「どうして」

「王妃様、貴方はこの国の大切なお方です。確かにオレ達は貴方様を攫った。でも、もうこれ以上貴方様を傷付けたり危険な目に遭わせたくないんです。矛盾していると思いますが、これ以上は。いえ、これ以上はオレ達の役目です」

「蓮璋」


 なおも言い募ろうとする果竪に蓮璋は笑う。


「ありがとうございます、王妃様。でも、証拠を失ったのはオレ達が原因です。だから、オレ達の手で証拠を集めなければ。だからどうか、王妃様はここでゆっくりと傷を癒して下さい」

「けど、もし証拠が手に入らなかったら、私でもどうにもならないんだよ?! 本当の事を知っていたって、貴方達の事をどれだけ信じていたって、他の人達には通用しない。証拠が全てって言われてしまう」


 果竪は蓮璋の腕を掴み、思いをぶちまけた。


「私、蓮璋やここの人達を失いたくない」

「王妃様……」

「果竪……」

「助けたい、絶対に助けたい。わかってるよ? 王妃という立場の存在が、一方に肩入れするのは危険だって。なら、ただの果竪として手伝う。それじゃあ駄目? それに今は、地位をどうこう言うよりも、少しでも此処に居る人達を助ける可能性を引き上げる方が大切じゃない」

「果竪、我が儘を言わないで」

「明燐……分ってる、分ってるよ、私が我が儘を言ってる事ぐらい。でも、今此処に必要なのは、ただ守られている王妃なんかじゃないものっ」


 ただ守られているだけの王妃なんて、邪魔以外の何ものでも無い。

 王との交渉まで何の役にも立てないなんて嫌だ。

 困っている者達が、今目の前で死に怯えている者達が居るというのに。


「王妃様……嬉しいお言葉です。でも、もし王妃様に何かあれば、どちらにしろオレ達は処刑ですよ、完璧に」


 困ったように笑う蓮璋に、果竪は唇を噛みしめる。

 そうだ――それは自らが言った言葉だ。

 王妃に何かあれば、王宮は必ず動く。

 そして、王妃を傷付けられれば、彼らは許さない。

 許せば、王妃という立場だけでなく、それを許した凪国自体が低く見られるから。


「だから、王妃様はここに居て下さい」


 蓮璋は王妃に微笑みつつも、真摯に訴えた。

 もう傷付けたくない、これ以上危険な目に遭わせたくない。


 優しい少女だからこそ、蓮璋は願う。

 王妃と実際に話せば、他の村人達だって思うだろう。

 それに、証拠集めに関わらせるという事は、必然的にあの領主に王妃を近付けると言う事だ。

 自分の意のままにならない者達を皆殺しにしたあいつの事だ。

 王妃という存在を前にし、何をするか分らない。

 人質として捕らえるだけならばまだしも、王妃という地位があいつの暴走を止められないかもしれない。


 それに明燐の事もある。

 連れて来てしまったが、もしあの領主にでも見付かれば必ずや奪おうとするだろう。

 男ならば誰もが手に入れたいと願うほどの美姫である。

 蓮璋は大きく息を吐く。


 もし、もし証拠集めに失敗し、この隠れ里まで明らかとなった場合は、せめて王妃様達だけでも逃がさなければ――。


 今までとは違い、相手の懐に飛び込む。

 となれば、同時に隠れ里の場所が漏れる可能性だって出てくるから。

 もちろん、村人達には既に伝えてあり、その場合の対処も話し合っている。

 相手の懐に飛び込む危険な方法――けれど、それをしないという選択肢はない。

 これ以上時間を置けば、一番最悪な隠れ里だけがばれてしまうという事になるからだ。

 そう――今、此処に住まう者達は、この安全な場所すらも失いかけている。


 動かなければならない。

 走り出さなければならない。


 全ては運命なのだ。

 今、この隠れ里の危機において、王妃様が王宮への帰還を決めた事は。

 それだけではない、あれが起きるこの時に、王妃様がこの場所にいる事は。

 そう――全ては、今こそ動き出す時だと、運命そのものが蓮璋達へと訴えかけている。


「王妃様」


 蓮璋は王妃の前に傅く。

 巻き込んで申し訳ない。

 まだまだ言いたい事も、謝りたい事も多い。

 でも、それ以上に今は早くこの王妃を自由に、安全な場所へと戻したい。

 出来ならば、あんな最悪最低なあいつから離れたこの場所で、全てが終わるまで居て欲しい。

 はらりと果竪の髪が揺れ、右肩の包帯が露わとなる。

 その傷も、自分達のせいでついたといっていい。

 なのに、どこまでも優しい王妃様。

 こんな目に遭わされても、蓮璋達の身を気遣う。

 王妃として、証拠がない状態では全てを信じきる事は出来ないと中立な立場を取るときもあったが……。


『蓮璋達を失いたくない』


 不覚にも、泣きそうになった。

 あいつに利用された挙げ句簡単に捨てられかけた自分達の命を、王妃は惜しんでくれる。

 失いたくないと言ってくれる。

 ああ、この方で良かった。

 それは、この状況下の中での光となる。

 その時、ゆっくりと伸ばされた手で、頭を撫でられた。


「王妃様?」

「頑張りすぎ」


 王妃の言葉に、蓮璋はきょとんとした。


「ずっと、ずっと誰にも言えなくて、誰にも相談出来なくて、此処で耐え続けて、たった一つの証拠を失ってもそれで終る事が出来なくて……」


 危険を冒して、王妃を攫うまで追い詰められて。


「本当にさ、今までよく頑張ってくれたね」


 慈愛に満ちた笑みに、蓮璋は息を呑む。

 そこに居たのは、きっと誰もが思い描く優しく気高い王妃。


「ありがとう、今まで生き抜いてくれて。ありがとう、こうして教えてくれて」

「……っ」

「でも、もう少しだけ頑張って。あと、少しだから。証拠を手に入れれば、私が必ず王に伝えるから」


 此処に居る者達一人残らず、全員を保護する。

 この身を盾にしてでも、失わせない。

 脳裏によぎるのは、皆殺しにされた故郷の事。

 あんな目に遭う者達は、あの哀しい大戦で最後だ。

 今、ここで新たな犠牲者達を出すなんてまっぴら。

 そして果竪は今、その事件の最中に居り、何とかする為に動ける場所に居る。

 その好機を、ここで使わなくてどうするのか。

 まだ、果竪は王妃だ。

 王妃としての力を持っている。

 たとえそれがとても小さなものだとしても、彼らを守る為に使わなければならない。

 王妃としては駄目だと言うなら、ただの果竪としてでも協力する。


「必ず王に伝える。でも、それ以外にも出来る事は沢山ある筈なの。だから、手伝わせて」


 何でも良い。

 少しでも、蓮璋達の手助けになる事なら。


「邪魔になったり使えなかったら、その時は容赦なく切り捨てていいから」

「王妃様、それは」

「確かにさ、王妃に何かあれば王宮側が黙っていない。でも、どうしても、このまま一人安全な場所で黙ってなんていられない。だから、せめて危険が少ないものの手伝いだけでもさせて。例えば、何か物を運んだり、警備を手伝ったり」

「警備は危険ですわよ、果竪」

「う――さ、捜せば他にも色々とあるものっ」


 胸を反らして言い切る王妃に、蓮璋は笑った。

 老師も、笑いをかみ殺しきれずに笑ってしまう。


「蓮璋、どうするのじゃ?」

「老師、丸投げしましたね」

「じゃが、王妃様にここまで言われてはのう」

「しかし、王妃様に手伝ってもらうのは」


 引かない王妃。

 嬉しかった。

 ここまでしても、助力を願い出てくれる。

 でも、嬉しくても許可出来ない事はある。


「だが、証拠を得る為の準備で大人達は忙しくなる。そうなれば、子供達に構ってはいられないのう」


 老師の言葉に、蓮璋はギョッとした。


「まさか、王妃様に子守を」


 それこそ、王宮側が切れるのでは。

 いや、その前に王妃様の手まで煩わせるなんて――。


「あら? 次世代を大切に守る事に文句なんてある筈無いですよ」

「果竪……」


 明燐が疲れた様に溜息をつく隣で、果竪の太陽の様な笑みを浮かべた。


「蓮璋?」


 甘える様な笑みに、蓮璋は呻いた。


「そ、そこは、その、他の者達にも話を聞いてみてからで」


 しかし、既に喜ぶ果竪を前に、これで駄目と言ったら後で明燐にどんな目に遭わされるか分らないと、蓮璋は流れる冷や汗を拭いつつ恐怖に震えた。

 果竪が手伝うことに関しては否定的でも、果竪を蓮璋が悲しませたとなれば――恐ろしすぎる。

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