第二十一話 侮辱
「大根、大根との新しい生活がっ!」
「お、落ち着いて下さいっ」
大根との新しい生活って何?!
気になりながらも、とりあえず暴れる王妃を抑えようとした蓮璋は、聞こえて来た音にその伸ばした手を止めた。
ベシンと王妃の後頭部を一殴りした侍女長。
「煩いですわ、果竪」
「むきゅう~」
叩かれた衝撃で椅子から落ちかけた王妃だが、ちゃっかり侍女長である明燐が抱き留めていた。
その幸せそうな笑顔。
満足そうな笑み。
子羊を前にした狼の如き妖艶な眼差し。
もしやその為に――と思うが、蓮璋は口には出さなかった。
「え~と、とりあえず何故王妃様を此処に連れて来たかをお話するんでしたよね」
あえて目の前の光景には触れず、さっさと事情説明に入るべく頭の中で話す順番を割り振り始めた蓮璋だったが、そっと耳元にもたらされた老師の囁きを聞き取った。
「れ、蓮璋、まさか、もう事情を」
見れば何処か不安と驚きを入り混ぜた視線とぶつかった。
「ええ。善は急げ。しかも包み隠さず一通り話すつもりです」
ギョッとする老師に蓮璋は気づいた。
「大丈夫ですよ、老師。王妃様は既に今回の件の協力者が居る事、それが誰かまで気づいていますから」
「なっ?!」
「どうやらオレ達が思う以上に聡いお方です」
下手に隠す方が不利になると告げると、老師はう~むと唸りながら白い髭を引っぱった。
「老師、不安なのは分かります。ですが」
言い募ろうとした蓮璋だったが、老師に制された。
「いや、大丈夫だよ、蓮璋」
「老師」
「少し驚いただけだ。だが、王妃様にはある程度お話をするのは最初から決めていた事じゃからな。ただ、王妃様が目覚めて間もない今とは思わなかっただけでのう」
「そ、それは」
「いや、いいんじゃ。それに事情説明に関しては、最終的判断はそなたに一任しておるし……わしらはそれに従うまでだ」
事情説明する事は最初から決めていた。
どの内容をどのぐらい話すかも決めていた。
けれど、最終的に何処まで話すかの判断は蓮璋に一任されており、状況次第では全て話してしまうという選択肢がないわけでもなかった。
「ただ――その事を、他の者達にはもう知らせておるのかのう?」
「いえ、つい先程決めたばかりですから。あれでしたら、老師には今からでも皆にその事を報せて頂いても良いのですが」
すると老師は頭を横に振った。
「いや――わしも此処に残ろう。そなただけに全てを負わせるのはな。なに、大丈夫じゃ。事情説明に関しては、最初から全て話すという案も考えていたから、皆もすぐに分かってくれよう」
温かな信頼が滲み出る声音に、蓮璋は嬉しそうに笑った。
そして明燐の抱擁から抜けだそうと暴れていた果竪へと向き直った。
「すいません遅くなりました」
すると、ようやく王妃が侍女長の腕から抜け出し此方を見た。
その様子に苦笑しながら蓮璋が言葉を続けた。
「では、今から説明しますね」
「うん――けど、いいの? なんか全部話したら不味そうな感じだったけど」
声を潜めてはいたが、どうやら言葉の端々は聞こえていたらしい。
王妃の気遣いに目を丸くするも、すぐに安心させる様に微笑んだ。
「はい。最終的にはオレの判断に任されていますから」
そう言うと、蓮璋はふぅ~と大きく息を吐き王妃を見つめた。
「まず王妃様を襲ったのは、ある目的の為です。いわば、王妃様を襲ったのは王妃様自身が狙いではなく、オレ達の目的の為に王妃様という交渉の切り札を得る為でした」
「交渉?」
王妃の呟きに蓮璋は頷いた。
「はい。ですから、オレ達は王妃様を害そうという気はありません」
「蓮璋」
「はい?」
明燐に名を呼ばれ、蓮璋はさっと王妃の隣に居る美しい佳人に視線を向けた。
「交渉と言いましたね」
「ええ」
「交渉に王妃という切り札が必要という事は、きっとそれだけ大きな物を望んでいるという事でしょうか?」
冷たく唇を緩めて浮かべた笑みは、見惚れるほど艶然とした微笑だった。
上に立つ女に相応しいそれに蓮璋だけでなく老師すら魅入られる。
「答えを――」
自分に視線を向けたまま動かなくなった蓮璋達に、明燐は冷たく言い放つ。
「あ、その……はい、その通りです」
「一体何をお望みなのかしら?」
その言葉に、蓮璋はきちんと割り振った話の流れが壊れていく様な気がした。
目の前の美しい美少女の求める答えを用意し、なければどんな手段を用いてでも奪い取る。
明燐から放たれる、トロリとした極上の蜜の香りに脳髄まで侵されていく。
それを打ち破ったのは、王妃だった。
「明燐は黙ってて。というか、蓮璋はきちんと話してくれるんだから、黙って聞いてようよ」
「私、間怠っこしい事は嫌いですわ。それに話の主導権を握られるのも好みではありませんもの」
常に話の主導権を握る事でその場を支配する。
王宮では当然の手腕の一つだ。
だが果竪は頭を横に振った。
「今は主導権はどうでもいいから」
そう言うと、ずば抜けた美貌が不満の色に彩られるのも構わず、蓮璋に向き直り先を促した。
「続きをお願いします」
「あ、はい。その、王妃様を交渉の切り札にする為に連れてきたという所まででしたね」
蓮璋はコホンと一つセキをこぼすと、すっと視線を果竪へと向けた。
「確かに王妃様という切り札を得るという事は、明燐も言われたとおり、それ相応の物を望んでいるからと思われると思います。でも、オレ達が望んでいるのは――この隠れ里の者達が望んでいる事はただ一つ」
今まで望んできたそれを、蓮璋は噛みしめる様に音にした。
「オレ達の申し立てを王に聞いて頂きたい――それに伴い、オレ達の奪われたものを取り返す、ただそれだけです」
「奪われたもの?」
首を傾げる王妃に蓮璋は頷いた。
すると明燐が口を開いた。
「王に申し立て……つまり、貴方達の奪われたものは王妃と引き替えにしなければ取り返せないと」
「いえ――正確には、王に何が何でも話を聞いて貰う為の切り札です」
「――それはどういう事ですか?」
首を傾げる果竪とは裏腹に、明燐は鋭い眼差しを蓮璋へと向ける。
「不満そうですね」
明燐の視線を真っ向から受けた蓮璋は、自分を奮い立たせる様に軽口を叩く。
「当たり前ですわ。王に申し立てを聞いて貰いたいのが貴方達の目的の一つであり、交渉と言いながら王妃を切り札とするのは、王に何としても話を聞いて貰う為。つまり、王妃という人質が居なければ王が話を聞かないと言ってるも同然ではありませんか」
つまり国王を侮辱している事に他ならない。
明燐は目をつり上げて蓮璋達を射貫く。
王妃を攫うという大罪を犯し、更には王のことを、王妃が居なければ民の申し立てすら聞かずに無視する狭小なる器の持ち主であると断じられた。
この、侮辱。
「王に忠誠を誓いしものとして、その侮辱、断じて許せません」
明燐の主は果竪だ。
それは疑いようも無く、果竪の為ならどんな事だってしてみせよう。
しかし、王もまた明燐の主である。
しかも明燐が王に捧げた忠誠は、果竪に対するものと同じく、王にと言うよりは彼自身に捧げられたもの。
その絶対的なカリスマ性と魅力から、この国の上層部の心を奪い、心酔にも似た忠誠と敬愛を一手にした存在は、明燐をも一瞬にして魅了した。
たとえ――果竪以外に寵愛する愛妾の存在を得たとしても、その忠誠だけは揺るがない。
王への忠誠は、感情やその他全ての事とは別の絶対たるものだからだ。
王に仇なす相手には死を。
王を侮辱した相手には死を。
明燐の視線が冷たさだけでなく、明確なる殺意を纏う。
それに果竪が気づき、服の裾を掴む――とほぼ同時にそれは響いた。
「王を侮辱した事は一度もありません」
蓮璋の言葉に明燐の視線が更に鋭くなる。
「でも、相手が悪すぎる」
「明燐、落ち着いて!」
スッと懐に手を入れた明燐の腕を果竪は押え付けた。
「蓮璋、相手というのは」
「もちろん王ではありませんよ。オレ達から全てを奪った相手の方です」
「全てを奪った……相手?」
「……ええ。その相手から奪い返す為に、王に申し立てを行いたい。でも、それには相手から死に物狂いの抵抗が来るだろうから、その邪魔をどうにかしなければならない」
蓮璋は疲れた笑みを浮かべた。
「王は、話を聞いてくれるでしょう。それは分かります。でも、その邪魔によっては話をするどころか全ての罪をあいつに負わせられかねない。だから……だから、王妃様が必要だった。相手の邪魔が入ろうとも、どんな事が起きようとも、王妃様という切り札があればきっと王は話を聞いてくれる」
例え言い噂が無い王妃だろうとも、王妃は王妃。
しかも、その存在はすぐ隣の州に居るのだ。
どんなに頑張っても届かない――いや、可能性の低い王宮に向かうよりも、断然にすぐ掴めそうな場所に。
しかも向こうからもっと近くまで来てくれた。
だから――。
「王妃様に来て貰いました」
しっかりと果竪を見据える蓮璋を見つめながら、明燐は静かに告げた。
「王は――民達の声を聞く為に、王都だけでなく各州に意見箱を設置し、実際に話し会う場を頻繁に設けております。例え身分や地位がどうだろうと、関係なく耳を傾けて下さるでしょう。例え、どんな妨害があろうとも」
蓮璋が明燐へと視線を向けた。
「それでも、王妃という切り札が必要なのですか?」
「……ええ、必要です」
強い眼差し。
けれど、その笑みは何処までも哀しく悲哀に満ちていた。
「あいつの妨害を思えば……いや、今までして来た事を思えば、切り札などこれでも足りないぐらいなんですよ」
「どういう事でしょう?」
「強欲で権力欲が強く冷酷非道。自分の欲望を叶える為にはどんな事だってするし、誰を殺そうと構わない。自分の財を増やす為には、新たな鉱石の存在をも国から隠し、散々酷使した民達すら使い捨てにし、証拠隠滅の為に文字通り葬る極悪領主」
「え?」
「この隠れ里に居る者達は、そうやって葬られた者達なんですよ」
「れ、蓮璋?」
王妃の視線を受けた蓮璋が大きく息を吐いた。
「存在の抹消――文字通り、葬られた」
と、蓮璋が天井を仰ぎ見る。
細められた美しい瞳の縁に、果竪は透明な滴が盛り上がったように見えた。
「ここは――死者の村」
死者の村?
「人間界では……ネクロポリスという言葉が相応しいでしょうかね。死者の都――ああ、でもそこまでの数は生き残っていませんから……やはり、村ですか」
果竪が目を見開き、明燐は静かに聞き入り、老師はクッと歯を食いしばり顔を背けた。
「正確には、世間から死んだとされた者達が作り上げた村こそが、この隠れ里なんですよ。オレも、オレと一緒に馬車を襲った仲間達も、此処に住まう皆も全員が世間からその存在を抹消された――いえ、違いますね」
そう言うと、蓮璋は苦々しげに笑った。
「生きたまま葬られ、必死に生き延びたにもかかわらず死んだ事にしなければならなかった哀れな存在――それがオレ達です」
それは二十数年前に遡ります、と蓮璋が消え入る声で告げた。