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大根と王妃②【改訂版】  作者: 大雪
第二章 王宮
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第十五話 狂ゆく歯車

次ぎは明燐達と言いましたが、すいません。

美琳達のお話しです。

美琳みりん、どうしたの?」

「あ……何でもないわ、煌恋こうれん


 凪国王宮の下女である美琳は、朝早く人気のない自分の仕事場である洗濯場から、今現在会議が行われているだろう本宮を見つめた。


 朝早くに招集がかけられ、自分の夫も上層部の側近として出席を求められた会議。

 選ばれし者達だけが集う、決して越えられない壁に羨望の眼差しを送る者達は多いが、美琳は複雑だった。


 そんな彼女の隣では、友人であり上女の役職についている煌恋が心配げに美琳を見つめていた。

 侍女や女官達同様に美しい女性が上女が多い中でも、一際美しい煌恋。

 十代後半の女性が持つ艶と朝露に濡れた桜の花を思わせる美貌は、同じ女である美琳ですら溜息をつくほどだった。


 それに比べて、自分は……。


 美貌はおろか、役職すらも下の地位ーーそう、下女だ。

 同じようにこの国に来た者だというのに、明らかなる差に劣等感がむくむくと頭をもたげ、美琳は再度溜息をついた。


 凪国王宮――内政部の雑下省には、下女、下男、上女、上男という役職がある。

 中でも、下女と下男は王宮で働く官吏達の最下位の役職であり、他の官吏達の炊事や掃除などを行い水回りや雑用全般にかり出される下働きだった。

 対して、上女と上男は下女と下男のすぐ上の地位に位置する下位職ではあるが、接客や王宮を訪れる貴族や来賓達の身の回りの世話をする選ばれた者達である。

 当然、綺麗どころが揃えられているばかりか、あらゆる教養に秀でた者達の集まりと言ってもいい。

 それを思いだし、美琳は余計に気が重くなった。


 どんどん落ち込む美琳の心を機敏に悟った煌恋が慌てて話題を進めた。


「玲珠さんの事が心配なんでしょ!」


 すると、美琳がようやく浮上し、煌恋はホッと息を吐く。


「煌恋……」


 煌恋はそっと美琳の肩に手を置いた。


 ある国で、共に二代にわたる愚王に愛する者を奪われた仲である自分達。

 美琳は夫を。

 煌恋は当時婚約者だった夫を。

 あの国で生きる事も考えたけれど、どうしてもこの国で生きたいと願いここまで来た。

 全ては、この国への恩返しの為に。


 住んでいた村を滅ぼされ、家族を殺され、愛する夫を奪われたばかりか、愚王や側近達によって夫が凌辱される光景を目の当たりにさせられた。

 それは、自分達が荒くれの下層兵士に凌辱されるよりもなお辛い事だった。


 美琳と煌恋が住んでいた国は、凪国から東に位置する国だった。

 ある程度の領土と豊富な資源を有していたが、あまりにも愚王だった前王により国はあっという間に傾いた。


 が、それだけではない。

 異常なまでに好色だった前王。

 しかも、彼の好みは美しい男達だった。

 そうして自国他国問わず美しい男達を権力に物を言わせて強引に拉致監禁し、寵姫として後宮へと放り込んだのだ。

 そればかりではない。証拠隠滅や邪魔になるとして住んでいた場所を焼き、そこに住まう者達を皆殺しにした。


 ただ、寵姫とした男達の縁者の女性だけは助けた。

 だが、助けたといっても、それは地獄同然だった。


 地下牢に放り込まれ、兵士達の慰み者とされ、愛する男が、家族である男が凌辱される姿を何度も見させられてるのだ。

 当然、男達は見るなと泣き叫ぶ。

 男達を性奴隷とする為の道具として生かされる日々に絶望したのは美琳や煌恋だけではない。

 それこそ、数え切れない者達が絶望し、中には命を絶った者達も居た。

 それは愚王の息子に王位が移っても変わらなかった。

 そんな自分達を救ってくれたのが、この国だった。


 美琳、そして煌恋は今でも思い出せる。

 この国の王妃が、剣を手に叫んだ言葉を。


『このままなぶり殺しにされるか、それとも自分の尊厳と名誉をかけ、大切な者達を取り戻す為に戦うか』


 そして自分達は選んだ。

 ゴミの様に虐げられ、心まで恐怖で支配されていた中で、あの言葉が自分達を奮い立たせた。

 そうして勝ち取った未来と自由。

 だからこそ、今自分達はこうして此処に居るのだ。


 ――とはいうものの……。


 美琳は思う。

 あの日、この国に渡ってきた者達は、二代にわたって愚王に凌辱され虐げられてきた寵姫達たる男達と、その縁者の女達全員だった。

 そしてその全員が、凪国王宮にて職を得た。

 煌恋も自分も、二人の夫も。

 特に煌恋と自分の夫はあの国から来た者達の中でも酷く優秀だった。

 その潜在能力と開花していく才能。

 更には、それを使って今では、上層部の側近としてのし上がった。

 二人の夫は、凪国上層部の一人にして、書記長官――朱詩の側近の地位に就いていた。


 美琳の夫――玲珠と。

 煌恋の夫――柳。


 柳は、あの国では将軍の一人という高位の存在だったが、後宮時代から夫とは仲が良く、今では二人して朱詩の懐刀と呼ばれている。

 対して、いつまで経っても下女の自分。

 劣等感は日々刺激され、何度も別れようと思った。

 しかし、それも全て飲込み、ここまで来た。


 『あのね、美琳さん』


 美琳は思い出す。

 二十年前――王妃がこの王宮から逃がされる時だった。


 『苦しいんだったら……一緒に行こう?』


 状況が混乱する中、王妃は美琳の手を取ってそう言った。

 その言葉に、美琳は今までの苦しみが爆発しかけた。

 逃げたい、逃げたい、逃げたい。

 王宮から逃がされる王妃に羨望すら覚えてしまった自分に、彼女は言ってくれた。

 王妃には侍女長や数名の選ばれた者達が同行する事になっていた。

 美琳も、望めば一緒に行けたかもしれない。

 そう……行けた。

 なのに――。


「美琳」

「あ、玲珠さん」

「っ!」


 後ろから聞こえて来た声に、美琳はハッと我に返る。


「美琳、玲珠さんが」


 煌恋の言葉に、美琳は恐る恐る後ろを見た。

 そこには、会議に出た筈の玲珠が居た。


「あなた……」

「すまない、仕事中に」

「一体どうしたんですか?」


 問いかけながら、ちらりと視界の隅に柳の姿を認める。

 横に居た煌恋が嬉しそうに自分の夫に駆け寄っていく。


「ちょっと面倒な事になって」

「面倒?」

「いや、正確には大変な事に……」


 そこで、言葉を切る。

 此処に居るのは、玲珠達が来なければ美琳と煌恋の二人だけだった。

 しかし、美琳は夫の視線から物陰に隠れてこちらを見ている下女仲間達を見つけた。

 それは、長らく勤めている者達ではない、新人の者達だ。

 まだまだミーハー根性が抜けないらしい。

 年頃の少女らしく、玲珠と柳の姿を見て頬を赤らめている。

 しかも、きゃあきゃあという甲高い声まで聞こえていた。


 まあ……二人はカッコイイし。


 何しろ、あの国――祖国では王の後宮に放り込まれ、寵姫として寵愛されていたぐらいだし……。


 その時だった。


「どうしてあんな女が玲珠様の奥方なのかしら」

「――っ」


 悪意ある声に、美琳は固まった。


 ああ、まただ。

 今まで何度も聞かされてきた言葉だった。

 何度も。

 何度も。

 足下の地面が崩れ落ちていく気がした。


 今すぐ、この場所から駆け出したい。

 駄目だ、そんな事をすれば余計に彼女達を付け上がらせる。

 音を遮断しようとするが、一度気付いてしまえば次々とそれは飛び込んでくる。


「玲珠様は高官の側近だけれど、奥方はただの下女」

「ふふ、これが噂の格差夫婦って事かしら」

「うわ! 悲惨~、ちょ~可哀想」

「けど、あそこまで差があったら、少なくとも夫には何も言えないわね」

「ほんとほんと!」

「実は本命は他にいたりして」

「いや~ん! 私も遊びでいいから抱かれてみたい」


 駄目だ。

 激しい頭痛に強い目眩が起こる。

 彼女達の言う事なんて気にするな。

 あんなのは、ただのやっかみだ。

 けれど、自分の劣等感を激しく刺激される。


「煌恋様ともご友人らしいけれど、あれではね」

「顔は見られたものだけど、それ以外は全然駄目だって噂だし」

「きっと夜の方は凄いのよ」


「二十歳を過ぎた年増にもかかわらず、子供も産めない石女のくせに生意気よ!!」


 ドンッ、と全身を殴られた気がした。


「玲珠っ!」


 頽れそうになった美琳は、柳の叫びにハッと玲珠を見る。


「玲珠!」


 無表情を通り越し、全身から凍てつく殺気が放たれる。

 このままではまずい。

 美琳は自然な動作で懐に手を入れた玲珠の腕を掴んだ。


「美琳――どけ」

「駄目よ!」


 だが、逆に腕をひねりあげられる。


「っ! 逃げなさい!」


 物陰で此方を伺っていた少女達に叫ぶ。


「は? 何言ってるの?」

「何かあの女が怒らしたのかしら?」

「玲珠様も可哀想――あんなのを妻にして」

「強引に押しかけたんじゃない?」


 少女達の笑い声に、玲珠の殺気が更に濃くなる。


「玲珠、止めろ!」

「邪魔しないで下さい」


 玲珠の冷たい声が響き渡る。


「玲――」

「何をしているの!」


 響いた怒声に、その場を凍てつかせていく氷が割れた。


「ひっ! 下女頭様っ」

「仕事をさぼって何をしているのっ」

「す、すいません! でも、美琳達も」

「とっとと仕事に戻りなさい! でなければ給料からさっ引くわよ!」


 その言葉に、新人の下女達が蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。


「下女頭様……」

「美琳、貴方は今日は仕事はもういいわ」

「え?」

「気付いてないの? 顔色が酷く悪いわ。家に帰りなさい」

「でも……」


 しかし、下女頭の言葉には逆らえず、美琳は強制的に休みを取らされた。


「きちんと休むのよ」

「はい……」

「玲珠、美琳を頼むわね」


 下女頭の言葉に玲珠は不満げに頷いた。


 出来る事なら追い掛けて始末してやろうと思ったのに、先手を封じられてしまった。

 しかし、美琳は確かに顔色が悪いし、このままにはしておけない。

 それにしても……殺してやれば良かった。

 あの美しい少女の皮を被った醜い者達を視界から消したかった。


 お前達に何が分かる。

 お前達に、自分達の何が。


 玲珠の中に渦巻く怒りはいまだ収まらず激しさを増す。

 あの少女達には分からない。

 あの日の自分の絶望を。


『美琳……』


 今思い出しても、焦燥感は尽きない。


 二十年前、美琳は自分を捨てようとした。

 過去には妾になるとか、色々ととんでもない発言をした妻だったが、まさか捨てられかけるなんて……。

 荷物を片手に、王妃の乗る【馬車】へと向かった美琳を見つけた時、玲珠の中で何かが音を立てて壊れた。


『どうしました? 王妃様』

『玲珠……あの、美琳の姿がないな~って』

『ああ……美琳なら、体調を崩してしまって……』


 逃げようとした美琳を捕らえ、部屋に閉じ込め、その足で王妃の下に向かいそう告げた。

 いつもの笑みを浮かべて、優しい口調で告げた。

 最後まで、王妃は美琳の事を気にしていた。


 いや、美琳だけではない。

 彼女は美琳と、宰相閣下の妾である涼雪、そして葵花を連れていきたかったのだ。

 だからこそ、宰相閣下は王妃様の見送りだというのに涼雪を連れず、海影の長も葵花を同行させなかった。


 同行させれば、連れて行かれるから。

 逃がせない、離せない。


 だが、まさか自分の妻までその対象にされるとは思わなかった。

 もしあの時気付かなければ、美琳は王妃と共に去って行っただろう。

 王宮から動けない自分は後を追う事も出来ずに、かといって王妃に同行する事も出来ずにこの二十年を苦しんだかもしれない。


 王妃の事は敬愛している。

 しかし、美琳だけは手放せない。


 子供が居れば良かった。

 そうすれば、美琳は子供という枷で自分から離れられなかったのに。

 だが、子供は居ない。

 最初の子供は、あの馬鹿王のせいで死んでしまったからだ。

 そうして美琳は子供を産めなくなった。


 だが、それでも体を繋げられていれば……。


 散々女として凌辱された自分の体は、女を抱く事が出来ない。

 女として開発された体は男を欲しがる。

 それ以上に、美琳を抱く事によって自分の受けた苦痛を味あわせるかもしれないと思い、体が反応しないのだ。


 だから、二十年前も美琳を閉じ込める事しか出来なかった。


『美琳、美琳、愛してる……』


 そう……今のように。


「美琳……」

「……」


 美琳を部屋まで連れ帰った玲珠は、そのまま寝台に妻を寝かせると共にその上に覆い被さった。

 しなければならない仕事が沢山あるが、次から次へと湧き上がる焦燥感が玲珠を此処に留める。

 美琳、美琳、美琳。

 妻の名を呼び、その首筋に顔を埋める。

 けれど……それだけだった。

 それ以上は、どうしても出来なかった。


「玲珠……無理しなくていいから」


 妻の言葉に、玲珠は泣きたくなった。

 男として失格な自分。

 不能なばかりか、女として男に抱かれる事でよがり狂う自分の穢れた体は、愛する妻に全く反応しない。

 何時の頃からか……妻は自分に心を開いてくれなくなった。


 どうすればいい。

 どうすればいい。


 このままでは、自分は妻を失う。

 永遠なんて存在しない。


 全てを愚かな男達に奪われたから玲珠は知っている。

 幸せも平穏も、あっけなく崩れてしまうのだと。


 凪国国王でさえそうだった。

 誰よりも愛していた王妃を、二十年前のあの日、簡単に失った。


 宰相もそうだ。

 ずっと側に居ると傲慢にも思い込み、涼雪を別の男に取られた。

 自分の主である朱詩だって、愛した小梅を目の前で死なせてしまった。

 そう……幸せなんてあっけなく壊れるのだ。

 しかも、今は特にそうだ。


 玲珠は思い出す。

 あの日の事を。


 王が愛妾を持った時の事を。


 美琳には伝えてない。

 柳も同じ。

 煌恋には伝えていない。

 伝えなければ巻き込まない。

 まだ影響の少ない彼女達ならば、きっと……。

 けれど、もう一人の自分がそれを拒む。


 何故失わなければならない。

 どうして手放さなければならない。


 守らなければ。

 閉じ込めなければ。

 手放さなければ。

 側に置かなければ。

 でなければ、自分は……。


「玲珠……」

「大丈夫……はは、大丈夫だよ……」


 笑い出した玲珠に美琳はハッとした。

 まただ。

 王が愛妾を持った頃からだろうか。

 夫が……玲珠が少しずつおかしくなってきたのは。

 いつもは優しい夫が、狂気を帯びる。


「玲珠、どうし――きゃっ」

「美琳、美琳、美琳っ!」


 玲珠がのしかかる。


 ああ、失う。

 失えない。

 これだけは、絶対に。

 きっと……王も同じ気持ちだった筈だ。


 二十年前も。

 愛妾を持った時も。

 そして……。


 それから一時間後。


「美琳……行ってくるよ」


 ぐったりとしている美琳を残し、玲珠は部屋の扉を閉めた。

 後には、美琳一人が寝台に残される。


「王妃様……」


 美琳は天井を見ながら呟く。


「ここは……変わってしまいました……」


 あの方が居た時とは、変わってしまった王宮。

 美琳も肌で感じている。

 少しずつ、何かが狂っていくのを。

 それを必死に止めようとしながらも、坂を転がる石は決して止められないことを。

 そして自分ももうその糸に絡め取られている。


 でも、王妃だけは……。


 その足に、寝台に繋がる鎖のついた足枷を嵌められながら美琳は願う。

 どうか、この王宮に王妃が戻ってこない事を。

 緊急招集された会議の報せに感じた焦燥感を心の奥に押し込め。

 回っていく歯車が、せめてその動きを緩やかにしてくれるように……。

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