第十二話 集結
炎水界が大国の一つ――凪国。
丁度領地の中央に位置する王都『白凪』に、その美しく壮麗なる王宮は存在した。
繊細且つ緻密な装飾が至る所に施され、芸術品としてもその価値は高い広大なる敷地を有する宮。
そこは、王族や高官達の住まいがある最深、政治の中枢である本宮と内宮、そしてそれ以外の機能がある外宮と一般市民や政治に関わらない貴族が立ち入れる外来宮からなる。
空にだいぶ白がにじみ出て来た頃。
王の間に、続々と官吏達が集まってきた。
文官、武官、更には雑務担当の者達も居るが、彼らに共通しているのは、いずれも上層部に君臨する各部門の長官、副長官クラスである。
中には、上層部がお気に入りの駒とする子飼いの者達も居るが、それはほんの僅かな者達だった。
ただ、どちらにしろ、今現在この部屋――王の間に集まれるのは、上層部とそれに関係する者達だけという事である。
「あ~、此処に居た~」
「お前は朝から無駄にハイテンションだな」
「うっさいよ、宰相様」
「それはお前だ、朱詩。書記長官のくせに、いい加減身なりぐらいきちんとしろ」
宰相――明睡の言葉に、朱詩は頬を膨らませた。
確かに朱詩の服装は公式の場では褒められたものではない
自分のサイズよりも大きな服を身に纏っているだけならまだしも、着崩した上衣は、白い両肩が露わとなっている。
まるで、娼婦の様な姿だ。
「ふふ、固い事言わないの~」
「煩い」
「明睡のいけず~」
付き合っていられないと言わんばかりの明睡に後ろから飛びつく。
「やめろ馬鹿!!」
「い~や」
明睡が朱詩を振り払おうとするが、それよりも早くに耳を舐められる。
「っ!」
「耳弱いもんね~」
「ふざけんなっ!」
大きく身を翻す明睡に、朱詩はくすりと笑って後ろに飛び退く。
服の裾がふわりと靡き、まるで蝶の羽を思わせる様に部屋のそれぞれで歓談していた他の長官達が思わず話を止める。
だが、すぐに何時もの事だと再び話に戻っていった。
「ふふ、ボクは君の弱いところなんて全部知っているんだからね~」
「お前……」
「耳でしょ? 乳首でしょ? ああ、あと後ろも」
その時、ピシリと明睡を中心に冷気が辺りに広がっていくのが分かった。
「それ以上言ったら、殺す」
「明睡の意地悪」
「どう考えてもお前が悪いだろ!」
どうやら、今回も書記長官の勝ちらしい。
密かにどちらが勝つか賭けていた者達は、懐から財布を取り出し掛け金を払う。
一応、大戦中に苦楽をともにし、建国後も最も気心の知れた者達だが、友情より自分達の楽しみの方が大切だった。
そうして勝手に賭の対象にされた宰相と書記長官。
真実を知れば、たぶん全く正反対の反応を示してくれるだろう。
「で、どう? 今日の夜はボクも空いてるよ」
「てめぇ……」
どんどん明睡の纏う気配が黒くなっていく。
「あ? それとも、涼雪とお楽しみ? いいね~、彼女の居る人は」
「っ」
「でも、君みたいな絶倫だと涼雪も大変でしょう? だから、ボクが相手してあげるよ~」
こいつ――。
だが、明睡はその言葉で気付いてしまった。
「お前、楽しんでるだろ」
「うん」
「遊んでるだろ」
「もちろん!! 明睡が一番からかうと楽しいんだもの」
「てめぇ……」
「で、麗しの宰相閣下は何を悩んでるのさ~」
朱詩の言葉に、ギクリと明睡は心臓が口から飛び出しそうになった。
「は?」
「あっれ~、隠すの? ボクをごまかせると思ってるの?」
「何がだよ」
やばい、こいつはやばい。
絶対に気付いてる。
「もちろん、君が愛しの涼雪で悩んでる事だよ~」
「――っ!」
他の者達にも聞こえる大きな声で言う朱詩に慌てるが、放たれた言葉を回収する事は無理だ。
何事かとこちらを見る者達を一睨みで黙らせると、明睡は朱詩の胸倉を掴んだ。
「お前な」
「ふっふ~。そういえばもう少しで涼雪の誕生日じゃない? って事は、誕生日の贈り物で悩んでるんでしょ?! だよね~。妾にして日々責め立てて、君の得点はマイナス通り越してどん底。ここで一つ起死回生を狙わないと」
殺す。
まじ殺す。
明睡の怒りは巨大な波動となって、部屋の床を揺らす。
「明睡ってば、あんまり怒るとはげるよ?」
「誰がはげるかっ!」
「で、贈り物するの~? しないの~?」
「っ」
「そういう事ならボクに任せてよ~。とびっきりの贈り物をチョイスしてあげるからさ」
その言葉に、明睡の心が少しだけ傾いた。
それを遠くから見守っていた者達は悟る。
「明睡……」
「真面目すぎるのが玉に瑕だな」
「朱詩に思い切り手玉に取られてるぞ」
「宰相としては有能なのに、惜しいわ~」
そうして周囲から残念な男認定をされた明睡は、それに気付かずよりにもよって朱詩に悩み相談をしてしまった。
「その、涼雪の誕生日の贈り物だけど」
「うんうん」
「何を贈ろうかって……その、涼雪は綺麗な衣とか宝石類とか興味ないし」
少し項垂れた感じが加虐心をそそる。
流石は『天性のドM』。
凪国上層部の女性陣の心を激しく刺激した。
「なら、涼雪の興味のあるものをあげればいいじゃん」
「興味のあるもの……」
明睡は考えた。
たぶん、今までの神生で一番考えた。
「……熊」
「は?」
「いや、昔はよく熊狩りとかしてたし」
食料補給部隊のヒーローだった涼雪のおかげで、軍の食料事情はかなり改善されたと言ってもいい。
「なら、熊あげればいいじゃん」
「熊の人形か……けど、大きさを考えないと枕の側におけないな」
案外ロマンティックな明睡。
だが、朱詩は言った。
「いや、涼雪は熊が好きじゃなくて、熊を倒すのが好きなんだよ。熊狩りしてたぐらいだし」
ファイターな彼女だと、涼雪を知らぬ者がいれば驚いただろう。
それか、どこのアマゾネスだと絶句したかもしれない。
いや、アマゾネスだって熊を素手では倒さなかった筈だ。
「羆生け捕りにしてリボン巻けば?」
「そうか。羆のぬいぐるみがいいか。取り寄せられるかな」
「いや、生きた羆捕まえろって言ってるんだよ。じゃないと、狩れないじゃん」
「……」
「……」
「生きた羆なんて涼雪が怪我したらどうする!」
「涼雪が怪我するわけないじゃん!」
新たな戦い勃発。
「それに、驚かせられないだろそれっ!」
「横に羆が寝てたら驚き度抜群じゃないかっ」
「あぁ?! 涼雪の横に寝るのは俺だけだ!」
「ちょっと! どこまで心が狭いのさ! それだから涼雪に拒まれるんだよ」
「お前に言われたくないわっ! 百歩譲っても熊の剥製を贈るっ」
「ちょっ! 落ち着いて下さい、二人とも」
勇者が現れた。
その名は玲珠。
大国の書記長官と宰相という、高官二人の極めて低レベルな戦いを止める為に立ち上がった偉大なる生贄、いや、覇者である。
と、朱詩と明睡が同時に玲珠を振り帰る。
「お前はどっちを選ぶ! 羆の剥製だよな」
「生け捕った羆だよね!」
「三番の指輪で」
なにげにしっかりと答える玲珠に、一斉にわき起こる拍手。
「三番だと?!」
「選択肢は二つなのになんで三番が出てくるんだよ! 本当に空気を読まない子だねっ」
「空気読むより常識読みます」
もし自分が妻にどちらかを贈る事を考えれば、当然誰だって新しい選択肢を開拓するだろう。
はっきりいって、玲珠はまだ妻と離婚したくなかった。
「ったく、玲珠ってば冒険心がないんだから」
「倦怠期も間近だな」
その時、温厚な玲珠の中で何かが切れた。
「それで結婚生活がぶち壊れたら責任取ってくれるのか、あんたらあぁ!」
王宮を震わす怒声に、低レベルの喧嘩は終了した。