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大根と王妃②【改訂版】  作者: 大雪
第二章 王宮
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第十話 明睡の場合

 自分の下でその相手が動かなくなった頃、ようやくそれが頭に響いた。


「煩い」


 カーテンの隙間から覗く空は薄藍色に染まり、夜明けを知らせる。

 普段なら、後始末をして時間まで仮眠を取るのに、頭の中の命令がそれを許さない。


「ちっ」


 反論するが、結局は勅命という言葉に是と返すしかなかった。

 その時、自分の下に居た存在が身じろぎする。


「体が辛いだろう。もう少し寝ていろ」


 怯えたように自分を見詰める少女にクッと口の端をあげる。

 少女は自分の妾だった。


 しかも、『未亡人になりそこねた人妻』という経歴の持ち主である。


 彼女の夫は幾つもの大罪を犯し、実の母と共に逃げ、妻である少女を見捨てて逃げた。

 その後、唯一の手がかりとして王宮に留められ、少女は自分に妾として下げ渡された。


 自分は監視役。

 けれど、そんな面倒な事はこちらに利益がなければやっていられない。

 でも、それが本当はただの建前である事に、たぶん王はとっくに気付いているだろう。

 暗黒大戦時に共に従軍し、闇に落ちかけた自分を救ってくれた少女は、気付けば他の男のものになっていた。


 そう……裏切られた。

 だから、償わせているだけ。


 鈴蘭の花を思わせる涼やかな顔に浮かぶ笑みは、多くの者達の荒んだ心を和ませた。

 しかし、今は哀しげな表情しか浮かばない。

 それが自分を責めているようで、自然と口調もきつくなる。

 今も泣き出しそうにしている彼女の顎を掴み囁く。


「笑え」

「……」

「笑え」

「……っ」


 そうか、笑わないのか。

 そうだよな。


「俺など、お前にとって笑いかける価値などないという事か」

「っ――」


 笑った、おかしくて。

 分かっているはずなのに、何を期待していたのか。

 もう彼女が、昔のように自分に微笑みかけてくれる事などないのに。

 あの日、彼女を強引に自分のものにした時点で、その資格は永久に失われた。


「はは、あははははは」

「宰相様」

「名前で呼べ」

「宰相」

「それは俺の名前じゃない!!」


 どうか名前で呼んで。

 あの日から、彼女は名前で呼んでくれなくなった。

 あの男のものになってから、一度も。

 それでも望んで、縋り付きたくて。

 夜伽をさせる時には手酷く責め、終わった後はこうして命じた。

 しかし、彼女は決して名を呼ばない。

 しっかりと引かれた境界線に阻まれる。


「宰相様、どうか」


 ああ……そこまでして、呼ばないのか。


「なら、そんな口いらないな」

「宰――」


 グッと口を掌で塞ぐ。

 呻きもがく彼女の耳元でそっと囁く。


「妾なら、主の望む通りにするのが義務だろう?」

「っ――」


 妾なら――。


「それとも何だ? 何か欲しいものがあるのか? ああ、そうだな。妾は妻じゃない。主に囲われただけで、寵愛がなければすぐに捨てられる。だから、足を開くのと引き替えに金品を求める。そう、そうだ」


 違うと叫びたかった。

 だが、もうこの人は聞いてくれない。

 少女の瞳から涙が流れ落ちた。


涼雪(りゃんすー)


 彼が自分の名を呼ぶ。


「何が欲しい、何を贈れば名を呼ぶ」


 冷たい声は、けれど何処か懇願めいたものを交えて涼雪の耳を打つ。


「何でも贈ってやるよ」


 美しい衣がいいか?

 煌びやかな宝石がいいか?

 それとも、金の延べ棒?

 広い離宮?


 今の自分にそれら全てを贈るだけの力がある。

 さあ、望め。


 物と引き替えにする浅ましさなど分かり切っている。

 そして呼べ。


 けど、そうでもしなければ心が壊れる。

 俺の名を――。


 たとえ、昔のそれとは違ってでも、縋り付きたいのだ。


 いつか、彼女も……。

 そんな、叶う事のない儚い未来を夢見て。


 恐怖と哀しみに支配されながらも、近付けられた顔にぼんやりと涼雪は思った。


 ああ……本当に、恐ろしいまでに美しい方だと。

 到底男とは思えない、性別を超越した美貌。

 麗しく艶やかな(かんばせ)と匂い立つ壮絶な色香。


 なのに、こうして夜伽の度に目にする獣の様にしなやかな肢体は、正しく鍛えられた男のそれだった。


 上層部の女性陣からは、『オトメンの中のオトメン』とか『男の娘』とか言われていたが、それが嘘だと思うほど、寝所での彼は男の美しさしか見せなかった。

 例え、その美貌がどれほど麗しくとも、妖艶なる女神にしか見えずとも……。

 いつも一緒にいる事が多い、朱詩と茨戯と合わせて三大美姫の一人と謳われる彼だが、彼の妹が凪国一の美姫と名高いのだからそれも当然だと思う。


 美しい人。

 気高い人。

 自分などが手を触れられない、高貴な華。


 初めて見た時には、どこの貴族の姫君かと思ったほどだ。

 だが、彼が優れているのは美貌だけではなく、文武や政治手腕などあらゆる面においても同様だった。


 そうして、凪国の建国と共に宰相に据えられた偉大な方。

 なのに奢った所など全く無くて、優しくて、温かい方だった。


 いつしか、恋心を抱いてしまうほどに。

 けれど……それは許されない恋だった。


 宰相となった彼を支えられるのは、美しく聡明で強い後見人を持った姫君だけ。

 涼雪が持たない全てを持った姫君だけが、彼の妻としてその愛を手に入れられる。

 大戦中もそうだったが、建国してからは彼の妻の座を狙う姫君達からの嫌がらせは更に酷くなった。


 それでも嫌がらせだけならまだ耐えられた。

 しかし切々と、いかに有力貴族と縁を結ぶことが大切かを訴えられれば、もうどうにも出来なかった。

 これで、自分が彼の恋人ならば相談もしたかも知れないが、ただ一方的に憧れているだけの身で、誰にも相談など出来なかった。


 そうして、諦めた恋。

 別の相手の優しさにつけ込み、結婚した。


 だからバチが当たった。

 相手に捨てられ、罪を押し付けられ、彼にも憎まれた。

 でも……それでも幸せだった。

 彼に憎まれても、妾という地位を与えられた。

 例えただの遊び道具でも、彼に触れ、彼の側に居られるのだ。

 それが期間限定であっても。

 そう……身勝手で傲慢な自分が得られた幸せに、縋り付く。

 でも……。


「名を呼べ」


 これだけは譲らない。

 決して、この恋心を知られてはならないから。

 だから、名前を呼ばない。

 呼べば、もう止まらなくなる。隠しきれなくなる。

 婚約者の居るこの方に縋り付き、醜く迫ってしまうから。

 彼が名前を呼ばせようとするのは、妾である自分の態度が気に食わないから。

 主に従う筈なのに、それをしないから。


 だから……。


 止め処なく流れる涙が視界を歪ませ、彼の姿も滲んでいく。


「っ――」


 彼が目を見開く。

 口を覆っていた手が外された。


「ちっ!」


 そのまま、涼雪から体を離し、寝台から降りる。

 けれど自分は後を追うことは出来ない。

 腰の鈍痛もそうだが、手足を戒める鎖が邪魔をするから。

 だから、今もただ彼を見送るしかなかった。


「明睡様……」


 その姿が見えなくなって、初めて紡ぐ名は誰に聞かれる事なく消えた。

 明睡は苛立たしげに浴室に入ると、シャワーを浴びて体を洗った。

 ゴシゴシと、艶めかしい白い肌が赤くなるのも構わず、必死に洗った。


「くそ、くそ、くそっ!!」


 自分の醜い心が体全体に広まり、そこから腐り落ちていく気がした。


「ちくしょう!!」


 ふっくらとした紅唇を振るわせ、けぶるような睫毛を揺らす。

 頭の上から降り注ぐシャワーのお湯が、頬、喉元、胸元、そして蠱惑的な色香を漂わす白い裸体を伝い落ちていく。

 瑞々しく張りがある、白磁の様な肌に水滴で伝い落ちる様は、それだけなのに驚くほど扇情的だった。


 匂い立つ色香は、シャワーを浴びてもなお、より強く香る。

 しかし、見て嗅ぐ者が居なければ、それもただの宝の持ち腐れにしか過ぎない。

 そうして無駄に美と色香を振りまきながら、シャワーを止めると、明睡は湯船に身を浸した。


 鈴蘭のオイルを垂らしたお湯に包まれ、ようやく高ぶった心が鎮まっていく。

 これで、あがった時には何時も通りに振る舞えるだろう。

 本当なら涼雪も綺麗にしてやりたかったが、今の自分の状態では綺麗にするどころか、ここでも激しく責め立てた筈だ。


 暫くして湯船から揚がり、脱衣所で一重を身に纏い部屋に戻る。


「涼雪」


 名を呼び寝台に近付けば、すやすやとした寝息が聞こえた。

 どうやら疲れて眠ってしまったらしい。

 体中につけられた紅い華が、艶やかに咲き誇るのを見て明睡は満足げに微笑んだ。


「……本当に、寝ている時だけは昔のままだな」


 寝台に腰掛け、汗で顔に張付いた髪をずらしながら囁く。


「……知ってるさ。間違っている事ぐらい」


 涼雪の罪悪感を煽り利用し、強引に妾として手に入れた。

 妻として望む事はまだ無理だから。


「……でも、いつかは……」


 まだ涼雪はあの男のもの。

 実の母と近親相姦した、あいつのものなのだ。

 涼雪の唇をなぞっていた指をすっと下ろし、肌を伝っていく。

 それが下腹部に来た時、恐ろしい考えが頭をもたげた。


「子供……生ませてしまおうか」


 そうすれば、もう逃げられない。

 この檻から、出られない。

 手枷や足枷をつけずとも、子供が強力な楔となって涼雪を縛り付けるだろう。


「そうだ、子供、子供、子供だ」


 ニタリと、笑う。

 妖艶な女神の美貌に、堕淫の笑みが浮かぶ。


「はは、ははは」


 逃がさない、逃がさない、逃がさ――。


 「うん……」


 涼雪がもらした声に、膨れあがった狂気がパチンと弾けた。

 急速に、戻っていく正気と代わりに身を潜める狂気。


「……何してるんだ、俺」


 ポタポタとこぼれ落ちる涙が、シーツに染み込んでいく。


 こんな事をしたいんじゃない。

 大切にしたい。

 昔のように、温かく穏やかな時間を過ごしたい。


 血と汚辱に濡れた自分を受け入れてくれた、大切な存在。


 朱詩にとっての小梅がそうだったように、王にとっての王妃がそうだったように……。


 なのに、どうして?どうして?どうして?


 傷付けることばかりするのだ。

 膨れあがる狂気は、日々押え付けられなくなっていく。


 昔はこんなんではなかった。

 まだ、もう少しだけ優しく振る舞えた。

 なのに、今ではただ堕ちていくだけ。


 時折、今のように正気に戻るけれど……。

 自分で制御すら難しいこの狂気が、酷く腹立たしい。

 大切にしたい、大切にしたい。

 それこそが、望み。

 それこそが、自分の願い。 


 カチンと、時計の針が音を立て、美しい音楽が鳴る。

 特定の時間がくれば音楽がなるように作られたそれは、昔一度だけ行った涼雪との潜入捜査で手に入れたものだ。


『はい、明睡様への誕生日に』


 そう言って、自分でさえ忘れきっていた日を思い出させてくれた。


「誕生日……」


 明睡は、壁を見る。

 そこにかかっていたカレンダーには、何の印もついていない。

 だが、明睡にはしっかりと見えた。

 彼女がこの世に生を受けた、その特別な日が。

次ぎは、王様……か、会議のお話し。

けど、ここの流れで王様を出して良いのか悩む。

結果は、次の更新で(苦笑)


今日中に更新予定です~♪

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