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私なりの倫理学

作者: 桐錠 桃李

『人は群れなければ生きられない存在なのだろうか』

 私は自分のクラスを見渡してそう考える。

 周囲に気を配る事無くボールを投げ合う男子。周りを気にせずに黄色い声でアイドルの話をしている女子。休み時間をいい事に持ち込みを禁止されているゲーム機で遊び、勝ち負けで声を上げる男子。彼らのようにうるさい人もいれば、逆に静かに漫画を読んだりノートに絵を書いている人もいる。しかし、そんな物静かな彼らでさえ面白い文や箇所を見せ合っていたり、机に腕をのせて相手の書いている絵を見たりする相手がいるのだ。

 そんな中、一番後ろの席で単行本を片手にそんな事を考えている私はおかしいのだろうか。

 いや、決しておかしくはないはずだ。

 彼らは今、お互い友人と呼び合える仲の人と笑い合っている。しかし、その笑顔の裏にはどのような人間関係が隠されているだろうか。

 友達というのは一つの集団だ。その集団が二〜三人で成り立っているのは少なく、主に三〜四人以上で結成されているものがほとんどだ。そして、その中で必ずいるのがリーダー的存在の人である。「私たちは平等でみんな仲良しだよ」と綺麗ごとを主張している集団はほとんどいない。特に日本と言う島国ではその特色が濃い。

 四人グループで例えるなら、リーダーの他の三人はどのような人間なのか。大抵は絶対権力を持つリーダーに好かれている人が一人から二人。残りは表すなら下っ端。酷く言うなら引っ付き蟲、または金魚のフンである。

 しかし、これらはすべて裏の関係。決して表には出ない空気なのだ。表面は『友達』という綺麗な単語で繋がっているだけの歪んだ人間関係が存在する。

 と、私は考える。絶対ではないのかもしれない。しかし、家の都合で転校する回数が他人より多い私は、どこの学校でも同じような空気を察した。

 初めは私も、自分に合った集団に入る努力をしたものだ。しかし、転校生という扱いが多かった私がリーダーの立場になれるはずも無く、ほとんどは金魚のフンと類する者達と一緒に行動をしていた。リーダーに見捨てられるという事は集団から一人外されるという事なのだ。みんなはそれを恐れているのだ。

 私も怖かった。けれど、それ以上にみんなが毎日を必死に生きていると感じたのはいつからなのだろうか。

 そして、いつしか私は集団を嫌うようになった。

 転校をする度に、積極的に声をかけて私を勧誘するのはリーダーだ。その人たちは外から来て独りでいる私に手を差し伸べる立場でいるのだ。そして、気にくわないことがあれば自分の好きに地位を決めつける。自分で選んだにもかかわらず、だ。

 私は大きくなるに連れて、そのことがおかしい事に気づいてしまった。

 根本的に考えたら彼らにはそんなことをする権利は無いのだ。よそ者に上から目線に接する権利など、貴族や平民などないこの現代では少なくとも学校のクラスでは誰も持たないはずなのだ。

 しかし、それがある事は現実。同様にそれに気がついていない人が多い事も、自分の立場を理解していない人がいる事も現実。結果、そのような人物が虐めにあう確立が高いわけだが。

 私は頑に自分の所属する集団のリーダーを嫌った。他人から金魚のフンに扱われる事が嫌になったのだ。

 そして、グループから飛び出し自分から孤立を選んだ私は楽になれた。

 まあ、これらはすべて裏で行われている事。直接グループを抜け出すことに対してリーダーが口出しをする事は不可能。

 よって、私は今表面上の『友達』という関係を保ちながら、裏ではどの地位にも値しない存在として孤立しているのだ。

 孤立と言っても話し相手がいないわけでわない。ともに金魚のフン時代を過ごした人もいる。リーダーとの口数は一方的に減ったが、それはむしろ好都合と言える。しかも、私は集団を気にして一緒にトイレに行く必要も無いのだ。好きな時に読書が出来る。思い切った結果自由を手にしたのだから結果的には良かった。

 だから、『人は群れていないと生きて行けないわけではない』と思うわけだ。

 確かに個人差もあるだろうし、中には集団でいたほうが楽に思う人もいるのだろう。だから他の人に自分の考えを押し付けるつもりなど到底無い。

 これが十五年の月日で人間は平等だという根本的な哲学をもとにして考えた私なりの倫理学であり、人間関係においては常にもととなる考えなのだ。

 つまり人は人であり、私は自我を貫く為に集団行動をやめ、孤立する道を選んだのだ。

 短縮にいうと、『人は群れなければ生きられない存在なのだろうか』と思った事自体、イコールとして集団からなる行為を『くだらない』と思っていたのである。

 人の顔色を見て笑い、好きなことを出来ないなんて実にくだらない。

 と、そんな彼らを見ていたら朝のHMの開始を告げるチャイムが鳴った。

 そして、みんなが席に着席するまでに私は結論をまとめるのだった。

 私は群れる事を臨んではいけないのだ、と。

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