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揺蕩いの先に

作者: らの人
掲載日:2026/04/28

 曇天の空模様。豪雨で身体中を濡らしてもなお、私は右手に持つ傘を開くことをしなかった。走るのに邪魔だった。いくつもの水溜まりを踏み荒し、靴に雨水が染み込んで気持ちが悪い。いったい私はどんな顔をしているのだろう。きっと目が酷く充血しててみっともないんだろうな。

 すれ違う人は皆傘をさしていて、私のような人は一人もいない。そして特別注目して私を見る人もいない。普通はそう。私だってそう。もしこの人たちが全員涙を流していたとして、気づくはずもない。

 学校はとても閉鎖的な空間。毎日同じクラスメイトと会って、同じ先生から授業を受ける。一度でもコミュニティから疎外されてしまうと三年間、多いと六年間孤独を味わってしまう。社会のことはあまり詳しくないけれど、学校ほどは拘束を受けないと思う。辞めたければ辞めれば良い。でも学校は違う。辞めようとしても親に止められるし、進路のことだってある。義務教育がもう少し長ければ良かったのに、そう何度も想像した。


 息を絶え絶えにしながら一生懸命走った目的地は橋だった。川幅の広さに比例してかなりの長さを誇るが、それ以外何の特徴もない。連日の大雨で川は増水し、茶色のうねりは軟弱な草木をえぐりとり勢いを激しくしている。底はどのくらい深いのだろう。恥を晒さんと水を溢れさせる川の努力とは裏腹に、私の興味はそのさらに下だった。

 背後には何台も車が走っている。今日のような日には特に多くなっているような気がする。左から右へ、一台、また一台と過ぎていく。遠くから耳障りな音響信号の音がする。確かあそこの信号は歩行者と車が完全に分かれていたはず。とっくに気持ちは落ち着いていて、このまま憂鬱な明日を迎えても良かった。でもせっかくだから。肩にかけていた学生鞄と絞れるくらいに濡れた靴を隅に置いた。呼吸を整えて橋の柵を持って、私はそのまま宙を舞った。

 走馬灯も流れなければ恐怖もない。なぜなら知っているから。ここはとても深くて、私は特殊だ。背中から着水するように身体をひねると落ちた場所から誰かが顔を覗かせていた。大丈夫だから、声に出そうとしたその時には背中に強い衝撃を受けた。

 横からの流れが私を排出しようと試みている。しかし外は何キロも向こう。不可能だ。数メートル沈んだ頃、私の身体は不自然に急浮上する。口が水面に出ると大きく息を吸った。口の後は頭、腹そして足と水上にほとんどの部位が浮かび上がった。背中で感じる水の冷たさに顔を歪めつつ、一旦は流れに身を任せることにした。視界の端で建物が消えていく。かなりの速さ、そろそろ危ないかな。でももう少し、この力の良いところ感じていたい。

 そのまま十秒くらい目を閉じていると音がした。それは雨でもなく水が流れる音でもない。荒い息づかい、バシャバシャと水を掻き分ける音。そして男性の声が鮮明に聞こえた。

「待ってろ今助けてやる!」

服をがっしりと掴まれものすごい力で上流の方へ引っ張られる。次に腕を組まれ川岸へと移動させられていく。その瞬間、私の身体は一気に暗い底に沈んだ。なんで、おかしい、いつもちゃんと浮いてたのに。違う、嫌だ、こんなところで死にたくない。

「……助け……て」

水を大量に飲んでしまった私は、言語として成り立っているか不安になるほど不定形な声を振り絞ることしか出来なかった。


 「なぜ死のうとしたんだ!」

さっきの人が全身を濡らしながら私を怒鳴り付ける。近くにあった別の橋の下に私は寝かされていた。半目で見る景色には真剣な顔をした若い男性がいた。思い返すと、落ちている間に見た人だ。あの時は大丈夫だと考えていたのにこの様というのは恥ずかしい。私は自然と顔をそらしていた。

「こっちを見ろ大馬鹿者。自分が何をしたのか分かってるのか?」

「……違う。本当に平気だったの。死ぬ気なんてさらさら無かった」

「なんだって、お前あの川見ただろ。いくら泳ぎに自信があるからって脱出するのは容易じゃない。俺が来なければ死んでいたかもしれなかったんだぞ!」

「私、別に泳ぎは得意じゃないし」

 今から一ヶ月前、私の体に異変が起きた。その日から私の体の表面は水に強く反発するようになった。政府の偉い人が言うには私のような境遇の人間がたくさん居るらしい。以前までは顔に水を浸けることすら恐ろしくてできなかったが、そんな恐怖は微塵も感じなくなっていた。

 「あの……アレあったでしょ。私は勝手に浮かぶから大丈夫なの」

男性はやれやれといった表情で頭を軽くかいた。

「アホかお前は。確かに奇妙な力は存在するようになった。政府の報告後に嫌っていうほど理解した。ただな、そんなのまだ未解明なんだ。安易に使用してはいけない。誤作動みたいなもん起こしたらどうするんだよ」

それは痛いくらい体感した。

「分かった……」

私はふてくされながら言う。でも彼は知らない、私がなぜ飛び下りるに至ったのか。もちろん私の特性に浸りたかったというのもある。しかしそれ以外の理由がほとんどだ。ネットで少しかじった程度の知識と、特出している部分をさらっただけの私の情報だけで作り出された叱責は、そうそう響かない。

 身体を起こし制服を絞り水を落とした。水滴がコンクリートの地面に垂れて広がり小さな水溜まりを作る。それは徐々に吸い込まれていき黒の跡だけを残した。

「ところでお前、何か嫌なことあったのか?」

私は目を見開く。私の心理に迫る言葉で、たまたまだとしても決して他人には出てこないような突飛な発想だった。

 数秒の沈黙の後、声を出した。

「何でそう思ったの」

「間違ってたらすまない。ただお前が俺の親友に似てたってだけだ」

「その人も何か悩んでたの?」

「その人も……か。アイツの話をする前にお前のことを聞かせてくれよ」

 この時、私は心を開いた。そう感じる。

「あの後、学校で水泳の授業があったの。いっつも泳げないで笑われてたから憂鬱だったんだけど、その日はゆっくり泳げた。……友達に何で急に泳げるようになったのかって質問されて、正直に勝手に体が浮くって答えた。次の日から私はいじめられたの。あなたは分からないかもしれないけれど、力を得た人は皆怖がられてる。得体の知れないやつだ、危険だって。今日もそう、仲の良かったクラスメイトから罵られて殴られてもう散々」

 彼は無言で聞いている。相槌を打つわけでもスマホを見るでもなくただまっすぐ私を見ている。その目は彼が一本の綺麗な芯を持っていると感じさせた。高ぶる感情は燃え上がったと感じるとすぐに消え、爆発することはなかった。

「私は本当に死のうとはしたことはない。まず勇気がないし、現に――」

言葉がつまる。私は恥ずかしかった。

「お前は俺に助けを求めた。安心しろ、理解している」

耳が熱くなった。

 男性は私の話を聞き終えるとゆっくりと口を開いた。

「俺たちは同じ大学に通っていた。成績優秀、このままだといい会社に就職できる、そう思っていたさ。俺たちは力を得た。アイツはお前のように、それを大勢が居る場で使ってしまったんだ。そのせいで近場にある物を破壊して退学処分を受けたよ。まあ捕まらなかっただけましだ」

 私は無言で聞いていた。ただの浅知恵が何の配慮もなく講釈を垂れているのではないかと考えていた。しかし彼は私と同じ、苦悩する人間だったのだ。

 「と、いろいろ言ったがここまでは全て忘れてもらってもいい。お前に提案することの信憑性を高めるものだからな。……もし力を消すことが出来るとしたらどうする?」

 思いもしない話だった。何度だって考えた。こんな力なければ良いって。そうすればいつもの日常に戻れると。

「俺は人に触れると力を一時的に消すことが出来る。お前の話を聞くに沈んだのは俺のせいだ。うまくコントロールできていなかったみたいだ。そして俺は親友にこの力を使った。するとアイツは力を使うことが出来なくなった。ものすごく喜んでいたさ。やっと消えたって」

「なんで自分のを消さなかったの?」

「消せなかった。他人だけなのか、この力がそうしようとしているのかは分からないがな」

 消せるものなら消したい。でも私は気付いてしまった。これはなくなれば良いという話では無いということに。

「でもさ、私たちって元の生活には戻れないよね」

彼は橋の裏を見つめる。その顔には悲壮感が溢れていた。

「ああ。アイツは力を失った後も退学したままだし、周囲からの評価も覆ったわけでもない。力という目に見えない存在を認知できるやつなんていないんだ。俺たちは一生このまま隠しながら生きないといけない」

私だって力が無くなったってクラスメイトに言ったとしても信じられるはずがない。タトゥーのように私の存在に力を持つ危険な人間という認識が彫られている。

「さあどうする。お前には選ぶことができる」

 外を見る。依然雨は降り続いていておさまる気配はない。川の勢いは更に増し、木の枝やらペットボトルやら見境無くかっさらっている。

「消さない。私たちは諦めると居場所がなくなる。この出会いも諦めなかったから生まれた物。これからも辛い日々は続くと思う。けど、いつか分かりあえる、そんな日が来るまで闘っていきたいの」

「分かった。なら俺はここまでだ」

 男性は立ち上がるとポケットに手を入れ雨の中を歩いていく。その背中は酷く濡れていた。

「ねぇ、最後に名前と連絡先を教えてよ。今度また色んなこと話させて欲しい」

「俺みたいなやつの名前を知る必要は無い。そしてお前と会うのはこれきりだ」

「どうして?」

「俺は人気なんだ。困るだろ?」

 そう言い残すと彼は去っていった。雨粒と橋の影は内と外を隔てる役割をして、すぐに姿が見えなくなった。威勢を張ったけれど私がどうこうできるとは思えない。けれど当事者として、問題に立ち向かう人でなくてはならない。ただ川に揺蕩う私ではなく、彼のような存在に。

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