「か弱い令嬢」を演じていたのに、ショックで震えて手すりを掴んだら粉砕してしまった。 ~婚約破棄されたので、この有り余る物理力で実家の領地を開拓(破壊)してきます~
「アレクサンドラ! 貴様との婚約を、今この時を持って破棄する!」
王立学園の卒業パーティー。
きらびやかなシャンデリアの下、華やかなオーケストラの演奏がピタリと止まった。
壇上で高らかに宣言したのは、この国の王太子ジェラルドだ。
その隣には、小動物のように愛らしい男爵令嬢、ソフィがへばりついている。
周囲の生徒たちからは、「やはり」「悪役令嬢め」といったヒソヒソ声と、冷ややかな視線が突き刺さる。
……ああ、ついに来てしまった。
私、アレクサンドラ・フォン・バーデンは、絶望で目の前が真っ暗になった。
(マジか……。このタイミングで来るか)
私には前世の記憶がある。
ここが乙女ゲームの世界で、自分が「最後に断罪されて死ぬ悪役令嬢」だということも、とっくに理解していた。
だからこそ、足掻いたのだ。
目立たず、騒がず、誰の邪魔もしないように生きてきたはずだった。
それなのに、なぜ「悪役令嬢」なんて呼ばれているのか。
理由は単純だ。
私が「処刑回避=物理的に強くなること」に努力を全振りしてしまったからだ。
家具を壊さないよう常に全身を緊張させていた姿は「高慢で近寄りがたい」と誤解され、ボロが出ないように無口を貫けば「何を考えているか分からない不気味な女」と恐れられた。
その隙をソフィごときに付け込まれ、あることないこと悪い噂を流されてしまったのが現状だ。
筋肉を隠すのに必死すぎて、根回しをするのを完全に忘れていた。
過去の私を殴りたい。いや、殴ったら死ぬからダメだ。
とにかく、神様というのは残酷だ。
努力の方向性を間違えたのか、それとも才能がありすぎたのか。
8歳になる頃には、素振りで窓ガラスを割り、デコピンでグリズリーを星にする『人間凶器』が出来上がっていた。
おかしいだろ。
私はただ、処刑人から逃げ切れる脚力が欲しかっただけなのに。
気づけば、ドラゴンを素手で背負い投げできる腕力が身についていた。
こんな筋肉ゴリラだとバレたら、処刑される以前に、誰もお嫁にもらってくれない。
物理で城を壊すような女を王妃にする国なんて、どこにもないのだ。
だから私は必死に隠してきた。
特注の鋼鉄入りコルセットで鋼の腹筋を無理やり締め上げ、歩くときは卵の上を歩くように慎重に。
くしゃみ一つで家具を壊さないよう、常に全身の筋肉を緊張させ続ける生活。
「か弱い深窓の令嬢」を演じ続けて、はや10年。
18歳になった私の努力が、今、水の泡になろうとしている。
「何か言いたいことはあるか! このふてぶてしい女め!」
ジェラルドが私を睨みつける。
いけない、ショックで呆然としていたのが、不遜な態度に見えたらしい。
私は慌てて、か弱く、儚げな令嬢の演技に入った。
スイッチ・オン。女優になれ、私。
「で、殿下……。わたくしには、身に覚えが……」
私はよろめく演技をして、近くにあったバルコニーへと続く階段の手すりに手をついた。
錬鉄製で、大人が数人ぶら下がってもびくともしない頑丈な手すりだ。
私は瞳を潤ませ、わずかに肩を震わせてみせる。
「嘘をつくな! ソフィが言っていたぞ。階段から突き落とされそうになったとな!」
「ひっ……アレクサンドラ様、怖い……」
ソフィがジェラルドの背中に隠れ、嘘泣きをしている。
(やるわけないでしょ。断じてやってない)
心の中で、私は即座に否定した。
そもそも、私が本気で突き飛ばしたら、彼女は階段の下どころか、大気圏を突破して星になっているはずだ。
運良く地面に残ったとしても、衝撃波でミンチになっている。
彼女が今、五体満足でそこに立っていること。
それこそが、私の無実の証明なのだ。
むしろ感謝してほしいくらいだ。私の理性が仕事をしていなかったら、今頃この会場は更地になっているのだから。
「まだ黙っているつもりか! この性根の腐った女め!」
ジェラルドが一歩踏み出し、私の肩を掴もうと手を伸ばしてくる。
やめてくれ。
今、触られたら、反射的に投げ飛ばしてしまうかもしれない。
王族殺しは大罪だ。それだけは避けなければならない。
(落ち着け。落ち着くんだ、私)
私は必死に自分に言い聞かせる。
ここで暴れたら、実家の父や領民にまで迷惑がかかる。
私が我慢すればいいだけの話だ。
でも、悔しい。
理不尽だ。
私はただ、平穏に生きたかっただけなのに。
毎日毎日、筋肉痛と戦いながらコルセットで締め上げて、必死に淑女を演じてきたのに。
なんで、身に覚えのない罪で、こんな目にあわなきゃいけないんだ。
溢れ出る感情を抑えるため、私は掴んでいた手すりに、ぎゅっと力を込めた。
「……っ!」
その時だった。
メキョッ。
会場に、場違いな音が響いた。
金属が悲鳴を上げるような、嫌な音だ。
「ん?」
ジェラルドが動きを止める。
ソフィも、涙目のままキョトンとしている。
私の手元から、バキバキバキッ! という乾いた音が連続して鳴り響く。
恐る恐る、自分の手元を見る。
私がすがりついていた、装飾の施された美しい手すり。
それが、私の握力によって、まるで柔らかい粘土細工のようにねじ切れ、ひしゃげ――
バキンッ!!
無惨な断末魔を上げて、根本からへし折れた。
「あ」
私の手の中に、引きちぎられた鉄塊が残る。
手すりの切断面は、まるでチーズのように引きちぎられていた。
会場が、凍りついた。
オーケストラの指揮者が、タクトを取り落とした音がカツンと響いた。
私はサーッと血の気が引くのを感じた。
やってしまった。
ショックのあまり、力の加減を間違えた。
カラン、コロン……。
私の手からこぼれ落ちた鉄の破片が、重苦しい音を立てて床を転がる。
その小さな音が、やけに大きく響いた。
「ヒッ……!?」
ソフィが、幽霊でも見たような顔で短く悲鳴を上げた。
ジェラルドも、目を見開いたまま固まっている。
ガタガタと膝が震えているのが見えた。
彼の顔色は、もはや私を断罪する「正義の執行者」のものではない。
檻から解き放たれた「伝説級の魔獣」に出くわした、哀れな草食動物のそれだった。
護衛の近衛騎士たちも同様だ。
王国の精鋭であるはずの彼らが、剣の柄に手をかけたまま、石像のように硬直している。
一人が「ありえん……あれはミスリル合金入りの特注品だぞ……」と譫言のように呟くのが聞こえた。
まずい。
非常にまずい。
このままでは「か弱い令嬢」という私の設定が崩壊してしまう。
私は必死に脳を回転させた。
誤魔化せ。なんとかして誤魔化すんだ、私!
「あ、あの……殿下? これはその、建物の老朽化と言いますか……」
私は引きつった笑顔を浮かべ、なんとか取り繕おうとした。
「そうですわ! きっとシロアリの仕業ですわね! 最近のシロアリは鉄も食べるそうですのよ、オホホホ!」
苦し紛れにもほどがある言い訳。
だが、押し通すしかない。
私は「ほら、見てくださいまし」と言いながら、一歩、ジェラルドの方へ踏み出した。
ドゴォン!!
爆発音がした。
いや、私の足元からだ。
焦って踏み込んだせいで、床の大理石が蜘蛛の巣状に砕け散り、陥没していた。
衝撃波が走り、周囲の生徒たちのカツラやドレスの裾が、突風に吹かれたようにふわりと舞う。
ビシシシッ、と床の亀裂がジェラルドの足元まで走る。
「……あ」
もう、言い逃れようがなかった。
会場の全員が、私の足元と、私の顔を交互に見ている。
その目は、軽蔑ではなく「純粋な恐怖」――いや、「生存本能からの拒絶」に染まっていた。
「ひぃぃぃっ! くるなあああ! バケモノおおお!!」
ジェラルドが裏返った声で叫んだ。
王族としての品位などかなぐり捨てた、本気の絶叫だった。
「殺される! ソフィ、逃げるぞ!!」
「いやぁぁぁっ! 食べないでぇぇぇ!」
ジェラルドはソフィの手を引き、もつれる足で蜘蛛の子を散らすように逃げようとする。
だが、あまりの恐怖に足が動かないのか、出口付近で二人して盛大に転んだ。
誰かが失禁したような匂いすら漂ってくる気がする。
……終わった。
私の「か弱い令嬢計画」は、ここで完全に破綻した。
◇
私の周囲だけ、ぽっかりと空間が空いていた。
生徒も騎士も、壁際に張り付くようにして私から距離を取っている。
まるで、爆発物を遠巻きにするかのように。
静まり返った広い会場の中心で、私は一人、天井を見上げた。
(はぁ……もう、いいか)
私は大きくため息をついた。
なんかもう、全部どうでもよくなってきた。
猫をかぶるのは疲れた。
毎朝、コルセットで鍛え抜かれた腹直筋を締め付けるのも限界だ。
かわいこぶって、高い声で喋るのも飽きた。
そもそも、このハイヒールだってそうだ。
「……そうですわね。殿下のおっしゃる通り、わたくしのような乱暴者は、王妃にはふさわしくありませんわ」
私は開き直って、ニッコリと微笑んだ。
その笑顔を見た生徒たちが、「ヒッ」と息を呑んで後ずさる。
今の私の瞳は、魔力と気合でわずかに黄金色に発光していたかもしれない。
私はドレスの裾を少し持ち上げた。
最高級の職人が作った、華奢なガラス細工のようなハイヒール。
こんなもの、今の私には拘束具でしかない。
バキィッ。
私はその場で、ヒールの高い踵を踏み砕いた。
体重をかけたわけではない。ただ足裏の筋肉(ヒラメ筋)を少し収縮させただけだ。
それだけで、硬質なヒールはウエハースのように砕け散った。
両足とも平らになり、即席のフラットシューズが出来上がる。
うん、これでいつでもダッシュできる。地面を掴む感覚が心地いい。
「婚約破棄、謹んでお受けいたします。……ああそうだ、ソフィ様?」
出口でへたり込んでいる二人に向かって、私はよく通る声で呼びかけた。
二人がビクッとして振り返る。
「わたくしが本気で貴女を突き飛ばしていたら、貴女は今頃、城壁を3つほど突き破って隣国まで飛んでいってましたわ」
私は拳を握りしめ、フッと笑ってみせた。
私の握りこぶしから、ミシミシと空気が悲鳴を上げる音がする。
「今、貴女が五体満足なのが、わたくしの潔白の証拠です。ごきげんよう」
私はドレスの裾をひるがえし、颯爽と歩き出した。
一歩歩くごとに床がミシミシと悲鳴を上げるが、もう気にしない。
誰も道を塞ごうとはしなかった。
近衛騎士団長ですら、私が横を通るとサッと道を譲った。
さあ、帰ろう。
こんな堅苦しい王都なんておさらばだ。
実家に戻ったら、お父様に頼んで辺境の領地をもらおう。
あそこの森には、凶暴な魔獣やドラゴンがたくさん出るらしい。
今の私なら、素手で開墾して、素敵な農地を作れる気がする。
会場の出口には、分厚い樫の木でできた重厚な大扉がある。
その前には、腰を抜かしたジェラルドたちが邪魔そうに転がっている。
「そこ、通りましてよ」
私が声をかけると、二人は「ヒィッ」と悲鳴を上げて這いずって道を空けた。
扉を開けるのが面倒だ。
今の私は、ドアノブを回すような繊細な気分じゃない。
私は歩く勢いのまま、片手を突き出した。
掌底。
ドォォォォン!!
大砲のような轟音が響いた。
大扉が蝶番ごと吹き飛び、きりもみ回転しながら外の庭へと飛んでいく。
外の風が、とても涼しかった。
私は一度も振り返ることなく、新しい人生への一歩を踏み出した。
(了)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
◆連載版のお知らせ
この短編の【連載版】の準備が整いましたので公開いたしました。
作者マイページもしくは以下のリンクよりご覧いただけます。↓↓↓
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現在完結予定話数の9割分のストックを貯めている状態です。完結まで執筆するのも時間の問題ですので、安心してお読み頂けたらと思います。(絶対にエタりたくないので私はいつもある程度のストックを貯めるか、完結まで執筆してから投稿しています。)




