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参政党の他責思考は自責思考の裏返しでは無いかと言う話

作者: 相浦アキラ

 現代の社会システムというのは、基本的に学校の勉強が出来る人が評価されて社会の上層に位置するように出来ています。現実的には家が金持ちの方が教育に投資しやすく高学歴になりやすい傾向にはありますが、社会の上層に到達するチャンス自体は一応誰もが与えられています。社会のレールに乗れなかった人達は基本的に低所得の仕事にしかつけませんが、生まれつきで階層が決まってしまうよりはずっとマシですし、「自分が社会の上層に到達するチャンスを逃してしまった」という自責思考もあってか現代の社会システムに不満を持つ人はあまりいませんでした。


 しかし何十年も経済が停滞してくると話が違ってきて、格差が拡大して結婚が難しいほどの低収入で将来良くなる見込みもないという人が沢山出てきます。そういう状態で生きていると自責思考と他責思考で大層辛い思いをする人も少なくないでしょう。世界のすべてが自分の惨めさを哂っているように感じられてきて、自分を責めて社会を責めて誰かを責めて異性を責めて親を責めてといった感じで常に誰かを責めるようになってもくるでしょう。しかしいくら他人を責めても結局自分が悪いという事に気付いてしまって、最終的に自分を責めるしかなくなります。そうなってくると何もかも壊したくて気が狂いそうな状態になってしまったり、全てがどうでも良くなって鬱屈としてきたり、希死念慮に囚われたりひたすら現実逃避したり……。しかし、どんなに辛くても誰も助けてはくれません。誰も助けてくれない事は自分が一番わかっています。だって自分だったら、こんな暗くて惨めで最低の人間を助けるわけがない。


 そんな中、参政党のような他責思考の連中が出てきて彼に手を差し出すのです。「あなたが悪いんじゃない。悪いのは外国人だ。日本を守るために一緒に戦おう」空っぽの心に他責思考はすんなり入り込みます。余りの心地よさに彼は自分の頭で考える事が出来なくなります。何より彼にとって傑作なのは、自分を見捨て見下してきたエリート左翼連中より自分が優越しているという「事実」です。「連中は綺麗ごとが言えて勉強が出来るだけの馬鹿で、本当は俺の方が地頭がいいんだ!」彼の劣等感は初めて癒され、忘れていた自尊心が舞い戻って来ます。日本と自分の人生を滅茶苦茶にしたリベラルエリート連中に復讐し大逆転を成し遂げる為、彼は光の戦士となりました。


 ……参政党が躍進しているのはこういう経緯なのだと思います。これに対して「ポピュリズム」だの「反知性主義」だのと批判する事はできるのですが、彼らに救いの手を差し伸べる(実際は利用しているだけでしょうが)のが参政党のようなカルト政党しかなかったというのが根本的な問題とも言えます。少なくとも「負け組のルサンチマン」と見下すのは問題を余計に拗らせる事になりかねないと思います。私には彼らに目を覚まさせる事すら酷に感じられてしまいます。劣等感の中に埋もれて希望も何もない人生を惰性でやり過ごすのと、カルト政党に利用され踊らされるのとどっちがマシなのかという問題ではありますが。


 さて光の戦士となり他責思考に目覚めてしまった彼ですが、そもそも彼の他責思考の発端が自責思考に起因しているという事は特筆に値すると言えるでしょう。やたら他人を悪く言う人に限って劣等感の塊であるというのは良くある話です。自分を責めて責めて責めまくっていくと、やがては精神が耐えられなくなって手当たり次第に他人を責めるようになってしまいます。


 しかし私は「自責も他責も一般に使われているような意味では存在しないのではないか」と思っています。例えばある一匹の虫が捕食されて死んだとしても「努力しなかったから死んだんだ」と嘲笑う人はまずいないでしょう。アブラ虫なんかが一生じっとしていて努力していないように見えても、それはそれで一種の生存戦略なのでありテントウムシに食べられても馬鹿にする事はできません。彼らはただ運が悪かったかたまたま環境に適応できなかっただけで、いちいち人間様の基準で優劣をつけるのはナンセンスな事です。また一見非合理で全く意味が無さそうな生態があっても、大抵人間が解明できていないだけで何らかの優位性がある可能性が高いのです。……そして人間も生物である以上虫と本質はそんなに変わらず、あまり自分が悪いあいつが悪いと言っても仕方がないのではないかと思います。科学的にいっても、人間は思考よりも行動が先だっており、後付けで行動の動機を思考が作り出している事が分かってきています。


 もちろんハムレットやラスコーリニコフが虫ではないように、人間は虫ではありません。虫は主体的に思考する事はできませんし自己を相対化して認識する事もできません。しかし人間もまた動物で自然の一部である以上、人間と虫の共通要素に着目することで人間の本質が見えやすくなるという事です。私は「人間は虫と同じだから努力しても無駄だ」とかいう話をしたいのではありませんし、自責思考も他責思考も時や場合によっては必要になる事もあると思います。ただ、一般に使われる自責や他責と、本質的な意味での人間的な責任と言うのは全く意味が異なるのではないかという事です。元来責任と言うのはキリスト教の原罪のようなもので、具体的に自分が何かをしたから背負うというものではなく、もっと宿命じみているものでしょう。そして責任それ自体が生きる意味となりうるものです。長くなりそうなので責任についての深堀は止めておきますが……鳥が空を飛ぶのが自然なように、人間に生まれた以上人間は人間らしく生きるのが自然なのであり、その為の哲学が必要ではないかと言う話です。しかし、合理主義が蔓延る現代にはそういった哲学は失われ、価値基準を自分で作り出す事が難しくなってしまいました。


 何が言いたいかと言うと参政党の問題は「ヤバいカルト政党がでてきた」という単純な問題ではないという事です。自責と他責に囚われ、成功者を現代神話の神として崇めて努力したり劣等感を感じたり現実逃避したりくらいしかやる事がなく、何の哲学も無く数値で測れる単純な価値基準以外は見向きもされないこの社会が行きついた当然の帰結という事です。


 社会や他人の価値基準に考え無しに乗っかり俯瞰する目線を持てないから、極端な自責思考や他責思考に苦しむ事になるのです。難しい事ではありますが一人一人が自分の頭で考えて自分なりの軸を持つ事が大切で、そういった姿勢がひいては参政党のようなカルトに対抗する事にもつながるのではないかと思います。

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