1.ダンジョン、ありますか
ぼんやりと意識が浮上する。
「……ぐっ、頭痛った。これ完全に二日酔いだわ」
俺、――黒種遙真は、ガンガンと痛む頭を押さえながらベッドから起き上がる。
昨日飲み過ぎた気がする。
てか、今何時だ。
時計を見ればそこには11:20を示すデジタル時計。
……やったわ。二限遅刻してんじゃん。
遅刻した時特有の罪悪感と後悔が背筋を伝うが、それでも起きる気力が湧かず、のそのそとベッドから起き上がる。
「はぁ……」
意識的に溜息を一つ吐く。こうすると気分が多少落ち着くのだ。いわゆるルーティーンというやつだ。
遅刻はもうしゃーない。どうせ今期の単位に関しては絶望的だし。こちとら全く学校に通うモチベが湧かず、ダラダラする日々を貪るだけの典型的なカス大学生なもので。
とはいえ、何もしないのも暇なので、映画でも見ようかとスマホを見るとメッセージが来ていることに気が付く。
何も考えずに開けば、送り主は俺と同じくカス大学生であり、俺の唯一の友人、坂瀬川すみれからだった。
坂瀬川:お金なくなったからダンジョンに潜る。付き合って。
……ほんとこいつは。
『ダンジョン』
モンスターやトラップという試練と、未知のアイテムと未知の力という恩恵を人類に同時に与えた建造物。
ダンジョンの初出現当初、世界各地は未曾有の混乱に陥った。これを契機として発生した一連の災厄は「第一次ダンジョン侵攻」と呼称されており、人類史上最悪規模の災害の一つと位置づけられている。
各国に突如として出現したダンジョンからは、従来の戦力では対処困難なモンスターが大量に出現。公共インフラ、政府機能、医療体制などあらゆる社会基盤が崩壊し、一時は文字通りの意味で国民が「全滅」するところだった。
後に判明しているだけの死者の合計は約150万人。
なお、行方不明者の正確な数は現在に至るまで集計不能なままである。
その絶望的な状態からある程度インフラを取り戻し、以前と変わらぬ……とはいかずとも、それなりに日常を送れるようになるまでに二年が経過し、更にその一年後にはダンジョンを「資源」として利用するまでになった。
いやー人類、強いわ。ダンジョン侵攻が起きた時、絶対世界滅びたと思ったもん。
侵攻が起きた当初なんて、株とか投資のシステム自体が文字通り消滅するとかそういうレベルの話だったのに、三年で完全にダンジョンが経済システムの一部になってるし。
侵攻当初、あんなに恐れられていたダンジョンとモンスターも、今じゃそこら辺の学生がバイト感覚でダンジョンに潜ろうとしてるわけで。ここまでの生存能力を見ると尊敬超えて呆れが先に来るレベルだ。
まぁそんなことは今はどうだっていいのだ。それよりもこのメッセージへの返信をどうしたものか。
……うむ。面倒くさいし、無視でいいか。
あいにくと俺はせっかくできた休み(休みではない)に、わざわざ汗水流してダンジョンに潜るような奇特な人間ではないので、見なかったことにしてスマホの電源を落とそうとし――電話がかかってくる。相手を見れば、メッセージの相手と同一人物。
「……無視したら後々めんどいか」
ため息をついて渋々出ると、不機嫌そうな声。
『君、メッセを見なかったことにしようとしたでしょ』
「……いいや?そんなことはないとも」
『嘘ばっかり、私には分かるよ。同じ状況なら私も無視するし』
ッチ、こいつめ。腐っても同じカス同士だ、思考回路も一緒か。
「そこまで分かってるなら返答も分かってんだろ、行かねえぞ」
『この前の短剣二本分の貸し』
……む。
この坂瀬川という女は、カスだが優秀で、武器や防具製作のプロだ。俺の装備もこいつが定期的にメンテナンスをしてくれている。
そんでもって、俺はこの前こいつに作ってもらった短剣に、お代を払ってないような気がする。
「……はぁ、わかった。今起きたばっかだから準備出来たらお前んち行くわ」
『面白いしそのままで来てよ。ダッシュで』
「オーケー、殴りに行くわ。ダッシュで。」
仕方ない。
溜息を一つ吐いて、のそのそと準備を始める。
今日は一日中ゴロゴロしてようと思っていたが、予定変更だ。短剣の代金分くらいは仕事してやるかな。
結局、坂瀬川の家に着くと、奴はすでに準備を整えていた。服装は相も変わらずコイツの心の中を体現したかのように全身真っ黒だが、彼女のツラがムカつくくらいにいいので絵になっている。
「遅い。もう出発するよ」
「寝起きに呼び出しておいて理不尽すぎるでしょ……。もうちょい優しくしろや」
思わず、溜息を吐く。
「また君は溜息ばっかついて……溜息ついてると幸せを逃すよ。とりあえずはやく準備して」
「はいはい」
渋々、俺も簡単な装備の点検を行いながら中が揃っていることを確認し、再度バックパックに詰めていく。
普段であれば運動にもなるし、何より稼げるので、ダンジョンに潜るのはそこまで嫌いではない。
だが、なぜだか今日はどうにも気分が乗らない。
「で、どこのダンジョン?」
「『伏見稲荷ダンジョン』。もう新幹線のチケット取ったから」
ダンジョンの名前を聞いて、聞き間違いかと思い、道具の点検の手を止めて思わず逆瀬川の顔を見る。
「……は? 伏見稲荷? 京都だぞ? 正気?」
「うん。最短ルートなら三時間くらいで到着できる。帰りの便も押さえてるから、日帰りでもいけるよ」
「いやいや、一日で行く距離じゃないでしょ……」
ピラピラと逆瀬川の指に挟まる2枚の新幹線のチケットを見せられ、頭を抱えた。
あの軽い感じから近場のダンジョンを軽く潜る感じかと思えば、まさかこんな長距離遠征を当たり前のように計画しているとは。
「伏見稲荷ダンジョン、今稼ぎ時なんだよね。なんか攻略止まってるっぽいし、聞いた感じ私たちなら突破もできそうだし」
未踏破の階層は、言わば手付かずの資源庫だ。そりゃ攻略すればそこそこ儲かるとは思うが。
「可能不可能の話をしてるんじゃないんだわ。そもそもわざわざそんな距離移動してまで行く必要ある?」
「行くよ。鬼灯鉄が産出するんだよ」
「鬼灯鉄……そりゃいい値がつくのは知ってるけどさぁ」
どうやらこのバカのお目当ては伏見稲荷ダンジョンから産出する金属資源のようだ。腐っても装備作成のプロ、俺には到底理解できないが新幹線に乗って向かうくらいにはいい金属を仕入れたいのか。
伏見稲荷ダンジョンは攻略難度が高く、最近では攻略に苦戦しているらしいというのは小耳に挟んだが、金のためにそこまでするかね……。
「さっさと準備して駅まで行くよ。ダンジョンに行くならスピードが命でしょ?」
「……はぁ、もういいや。」
なんかもう抵抗するのもめんどくさくなり、溜息をつきながら半ばあきらめて承諾すると、「あ、そうだ」と思い出したかのように坂瀬川が無言で手を差し出してきた。
「え、なに」
「タバコ」
「くれんの? 俺吸わないんだけど」
「いや、ちょうだい」
こいつはいったい何をぬかしているんだろうか。ちょっと意味がわからない。
「は? なんで?」
「私、今お金ない。移動時間長いし、吸いながら計画立てたいの」
そっかー金無いかー。なら仕方ないね、とはならないんだよなぁ。
ちなみに第1次侵攻の影響で嗜好品であるタバコは現在高級品だ。日本円で一箱三千円近くする。
それでもまだまだ無くなる様子がないのはコイツみたいな愛煙家が居るからなのだろうか。
「お前、俺を何だと思ってるんだ」
「カス仲間兼、タバコの供給源」
「クソが……」
「ほら、遅かったんだから早く買ってきて」
こいつマジで一回殴ろうかなとも思うが、俺は優しいので握った拳を開いて近場のコンビニにダッシュしてやる。
「ん、ありがと」
「後で金返せよマジで」
「まあ返さないんだけどね」
いやそれは返せよ。
坂瀬川の家を出て、歩きながら、妙に前を歩く彼女の持つ荷物が多いことに気づき、嫌な予感がしながら一応確認のため彼女に問いかける。
「そういえば、お前、本当に日帰りのつもりなのか?」
「うん? 別にそんなこと一言も言ってないけど?」
坂瀬川はさも当然化のように言ってきて、俺のことを馬鹿でも見るような目線で見てくる。
嘘だろこいつ。なんでそんな顔してるんだ。
「は?いやだってお前、さっき日帰りって……」
「私は、日帰り『でも』行けるって言ったんだよ。まあ、普通に考えて泊まり込みだよね。ダンジョン泊。日帰りとかきついでしょ」
「殴っていい? 先言えや」
「言ったら断るでしょ?」
否定はしない。でもこれは俺じゃなくても普通は断ると思うんだ……。
当然宿泊することなど想定もしていないので、荷物が足りない。え、どうしよ。……まあ大丈夫か。考えるのめんどくさくなってきたし。着替えも含めて必要なものは全部現地で買えばいいんだ。
「はぁ……」
「まーた溜息。いい加減幸運も吐き出しきっちゃうんじゃない?」
現在進行形で不幸な目に遭ってるし、元々幸運なんてものはなかったんじゃねえかな。
そのまま俺は坂瀬川に強引に押し切られ、俺たちは、というか俺のみ、無計画のまま京都へと向かうことになった。
この世界にダンジョンが発生して約三年。
日本は割と平和だ。
Tips:ダンジョン
ダンジョンの主によって創られた建造物。ダンジョンからはモンスターが産み落とされ、世界を侵食するために人を襲う。モンスターが一定以上ダンジョンの中に溜まり、魔力過多状態に陥るとダンジョンとこの世界の境界線をモンスターが乗り越えてくることとなる。
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