第一章 技巧と剛腕、認め合う者たち
空気が張りつめる。
リッキーは拳を構えた。
その一撃は、先程までとは違う。
全力。
本気。
命を懸けた拳だった。
「行くぞ、技巧野郎ッ!!」
吼えるように、リッキーが地を蹴った。
床が爆ぜ、彼の巨体が弾丸のごとく突進する。
拳が振り上げられる。
狙いは、ただ一つ――
シンの身体ごと、大地に叩き伏せること。
(来い――)
シンは一歩も動かない。
リッキーの拳が、シンの眼前に迫る。
空間が震え、空気が押しつぶされるような圧力。
だが――
直前。
シンの身体が、わずかに傾いた。
その動きは、限界まで削ぎ落とされた「技術」だった。
(――躱す。)
リッキーの拳は、髪一本分だけシンをかすめて空を切る。
しかし、それだけではない。
シンはその拳の勢いを利用する。
すれ違いざま、リッキーの肘に触れる。
わずかに、ほんのわずかに力を与える。
それだけで、リッキーの重心が崩れた。
「なっ――!」
バランスを失ったリッキーに、シンは隙を逃さなかった。
腰の刀を――
抜きもせず、鞘ごと、リッキーの脇腹へ叩き込む。
ゴッ!!!
重く鈍い音が響く。
リッキーの巨体が、二度目の吹き飛びを喫する。
彼は受け身を取る間もなく、床を転がった。
その場に、静寂が訪れる。
誰もが、ただ呆然と立ち尽くしていた。
シンは刀を納めるでもなく、ただ鞘を肩にかけ、リッキーを見下ろしていた。
その顔に、勝ち誇った色はない。
ただ、静かに。
ただ、当たり前のように。
(これが、“到達者”の技術だ。)
リッキーはうつ伏せに倒れたまま、しばらく動かなかった。
だがやがて、肩を震わせ、笑い始めた。
「――ッハハハハハッ!!」
豪快な、腹の底からの笑い声。
リッキーは、血だらけの顔を上げ、シンを見た。
その目には、屈辱も、怒りもない。
ただ――
清々しいまでの、尊敬と歓喜。
「参った……!」
リッキーは、立ち上がると、拳を握り、シンに向けて突き出した。
「オマエは、本物だ。文句なしだ!」
シンは、少しだけ目を細め、拳を軽く合わせた。
ゴン。
二人の拳が触れ合う。
ただそれだけで、互いに通じた。
力と技。
相容れないと思われた二つの到達が――
この瞬間、初めて、認め合った。
リッキーはにやりと笑い、肩をすくめた。
「クソッ……! やっぱ、てめぇは面白ぇよ。俺がオマエをブチのめす日まで、死ぬんじゃねぇぞ、技巧野郎!」
「ああ、そっちこそな。」
シンもまた、わずかに笑った。
周囲の者たちが、ようやく息を吹き返す。
その誰もが、先ほどまでとは違う目で、シンを見つめていた。
技巧の到達者――
シン=クラヴィス。
その名は、この場にいるすべての者たちの胸に、深く刻まれた。
だが。
この程度で、世界の異変は止まらない。
これから始まるのは――
世界の、崩壊と再生を賭けた戦いだ。
そして、シンもまだ知らない。
もっとも大切な者の中に潜む、運命の渦を。
世界を救うのか。
家族を守るのか。
選ばなければならない時は、確実に、迫っていた。
第一章――完。