第一章 静かな朝、かけがえのない日常(続き)
朝食を終えたあと、家族四人は近くの公園まで散歩に出かけた。
空は澄み渡り、魔力で浮かぶ小さな飛行船が、青空のキャンバスにふわりと浮かんでいる。
公園では、子どもたちが簡易魔法を使って小さな光の玉を追いかけて遊んでいた。
「ほら、ユヅ、あんまり遠く行かないでね〜。」
サクラが、笑いながら声をかける。
「はーい!」
元気よく返事をしたユヅは、小さな体で一生懸命、光の玉を追いかける。
その後ろを、よちよち歩きのユウヒが一生懸命ついていく姿が、たまらなく愛おしい。
シンはベンチに腰かけ、腕を組みながらその様子を見守った。
隣に座ったサクラが、静かに呟く。
「……こんな時間が、ずっと続けばいいのにね。」
「……ああ、俺も、そう思うよ。」
シンは、心からそう思った。
戦いも、血も、世界の争いも、自分には縁のない話であってほしい。
今、自分に必要なのは剣でも魔法でもない。
大切なのは、ただこの小さな家族と、笑っていられることだけだと。
サクラが微笑み、シンの肩にそっと頭を預けた。
温かい、穏やかな、かけがえのない時間――。
しかし、その静寂は、突如として破られた。
カツン。カツン。
硬い靴音が、公園の入り口から響いてくる。
目を向けると、黒い制服に身を包んだ、二人組の男がこちらに向かって歩いてきていた。
胸には、明らかに見覚えのある紋章。
【MSI(魔物討伐機関)】の、正規使者の証だ。
シンは、軽く目を細めた。
――どうして、ここに?
男たちはベンチに座るシンの目の前で立ち止まり、一人が恭しく頭を下げた。
「“技巧の到達者”、シン=クラヴィス氏ですね。」
その声は、無機質で、感情のこもらないものだった。
「……ああ、俺だ。」
シンは答える。
無意識のうちに、サクラと子どもたちを後ろにかばうように立ち上がった。
使者は、懐から一枚の封筒を取り出して差し出す。
「緊急指令です。至急、MSI本部までご同行願います。」
封筒には、赤い魔力封印が施されていた。
これは、一般的な依頼や要請ではない――
【国家緊急案件】の証。
周囲の空気が、一気に緊張する。
「……家族がいるんだ。今すぐってわけじゃないだろ?」
シンは低く問いかけた。
だが、使者は無表情で答える。
「申し訳ありません。猶予は、ありません。」
ほんのわずかだが、使者の声に焦りの色が滲んでいた。
何か、ただ事ではない事態が起きている――。
シンの直感が、警鐘を鳴らす。
「パパお仕事行っちゃうのー?」
いつの間にかそばに寄ってきていたユヅが目に涙を浮かべながら不安そうな面持ちで聞いてきた。
「ごめんな。絶対に帰ってくるから、ママとユウヒをパパがいない間守っておいてくれるか?」
ユヅが不安にならないようにお願いしてみる。
「わかった!ユヅ頑張るね!」
満面の笑みで答えてくれた。
サクラが、シンの背中に手を添え、静かに微笑んだ。
「……行ってきて。ここは、大丈夫だから。」
その柔らかな声に、シンは迷いを振り切る。
「……わかった。ありがとう。」
シンは封筒を受け取り、家族を一度だけしっかりと抱きしめた。
ユヅも、ユウヒも、シンに小さな手を伸ばして、笑った。
(必ず、戻ってくる。)
心に誓い、シンはMSIの使者たちに歩み寄った。
そして、静かだった日常は――静かに終わりを告げた。