表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

青い血の流れる国

カエルと魔法の杖と秘密の抜け道

作者: 空原海




 ニールはいつだって、親切にしてやろうと思っていた。


 (だれ)にって?

 当然、女の子。つまり、リナだ。

 リナは、村ではちょっぴり()いた存在(そんざい)だった。


 村人のほとんどが、茶色い(ひとみ)。それから(かみ)の毛は、だいたいみんな栗色(くりいろ)

 色の()(うす)いはある。とはいえ、それくらい、たいした問題じゃない。ないのだが。

 リナの目と髪は、『それくらい』じゃなかった。色の濃い薄いといった(ちが)いじゃ、おさまらない。


 リナの目も髪も。どちらもまっ黒だったのだ。

 神秘的(しんぴてき)な黒。心がぜんぶ、すいこまれてしまうような。

 リナの黒を見ると、ニールはなぜだかドキドキした。


 村で浮いた存在のリナを、俺が守ってやるんだ。

 ニールは使命感に()えていた。


 ついでに言うと、リナの兄貴(あにき)も村で浮いた存在だったかもしれない。

 兄貴のほうは、あかるい茶色に緑をまぜたような、はしばみ色の瞳。それから日が(しず)む直前の夕焼(ゆうや)け空みたいに、燃えるような赤毛だ。


 けれどもニールは、男なんざ知ったこっちゃねえ、と思った。

 男なら自分のことくらい、自分でめんどう見やがれ。それがニールの言い分だ。



『男は女を守ってやらなきゃならない』



 出稼(でかせ)ぎに出ている父親から受け()いだ、男の美学というやつのひとつだった。

 その男の美学とやらには『女にはやさしく』という項目(こうもく)もあったのだが、そいつはうまくいかなかった。

 ニールはリナをまえにすると、どうしても、いじわるをしてしまうのだ。

 そんなつもりはないのに。


 いや、うそだ。


 そんなつもりじゃないときもあるけれど、そんなつもりのときもある。

 リナはニールよりか(よわ)くて小柄(こがら)な、女の子だというのに。

 それなのに、ニールは(にく)まれ口ばっかりたたいてしまう。


 その日もニールは、カエルを放り投げてリナを怒らせてしまった。

 リナはカエルが(きら)いだったようだ。


 カエルのちいさな手足や背中は、ぴかぴか()んだ緑色で、とてもきれいだった。

 まんまるの黒い瞳だって、リナと同じようにきらきらして、宝石みたいだ。

 リナと似ているし、かわいい。ニールはそう思ったのだ。

 (おく)り物のつもりだった。うそじゃない。


 (よろこ)んでくれたらいいな。

 片手にカエルをにぎりこんで、ニールはドキドキしながらリナに近づいた。

 それでいて、リナを(おどろ)かせたいような気持もあった。

 素直に「ほらよ」と見せてやるより、リナを「きゃあ」と(さけ)ばせたい気持ちのほうが、ちょっぴり勝ってしまった。


 じつのところその前日にも、ニールはリナにダンゴムシを贈ろうとした。失敗だった。

 リナの母親が(かん)づいて、邪魔(じゃま)されたのだ。

 それでニールは、今日こそは、と意気込んでいた。


 ニールはこっそりとリナにしのびよった。


 リナは兄貴と母親といっしょに、ヒナギク畑でヒナギクを()んでいるところだった。昨日はオオバコを摘んでいた。

 家族そろって、父親のてつだいをしているのだろう。

 リナの父親は、この村でたったひとりの医者先生だった。


 ニールはヒナギクが薬になることを知っていた。

 以前、リナの父親の医者先生が、ニールの血まみれのひざこぞうに、すりつぶしたヒナギクの(しる)をぬりこんでくれたからだ。


 医者先生がてきぱきとニールのひざこぞうに薬をぬりこんだり、包帯を巻いたりするあいだ、リナはニールのそばにいてくれた。

 かたときもはなれず、ずっとだ。







「だいじょうぶ? (いた)くない?」

 リナがニールにたずねるのは、これで何度目だろう。


 (まゆ)をぎゅっと寄せ、まんまるの黒い瞳には(なみだ)を浮かべ。

 (かた)の上で切りそろえた黒髪をゆらしながら、ニールをのぞきこんでくるリナ。

 なんて痛そうなの、かわいそうに。そんなリナの心の声が聞こえてくるようだった。

 リナは今にも泣き出しそうだ。


 リナを安心させてあげなくちゃならない。それから、男らしくかっこいいところを見せなければ。

 ニールは歯をくいしばった。


 とはいえ、ヒナギクのすり汁は、『とんでもなく()みて痛い。思わず()びあがってしまう』というほどではなかった。

 だからニールは、ぜんぜん痛くないような澄まし顔をよそおうことができた。







 あのときは父さんの言う、『男の美学』を守ることができた。

 かさぶたもなくなり、すっかりきれいになったひざこぞうをなでさすりながら、ニールは満足した心地で思い返した。


 父さんの言うとおりにしていれば、きっとうまくいく。

 ニールはそんなふうに思って、今度は『女にはやさしく』という項目を試してみようと考えた。

 つまりはそういうわけだ。

 宝石のようにきれいなカエルを、ニールがリナに贈ることにした根拠(こんきょ)とやらは。


 それだから、もちろんニールは、リナが喜んでくれることを期待していた。それが一番の目的だった。

 けれどもリナを驚かせたいということだって、同じくらい、ニールの望みでもあった。

 このようにして、ニール少年の心境は、複雑怪奇(ふくざつかいき)にして単純明快(たんじゅんめいかい)変化(へんか)をたどった。


 さて。

 ニール少年の内側で起きたあれこれについて整理(せいり)したところで、こんどは現実世界で起きたあれこれへと話を戻そう。


 (とら)われのカエルは、ニールの手の中というおそろしい監獄(かんごく)から、(すき)をついては脱獄(だつごく)しようと目論(もくろ)んでいた。

 ぺたぺた手足をつっぱね、必死になって抵抗(ていこう)する、ちいさなカエル。

 ニールは手の中のカエルをぎゅっとにぎりしめた。

 カエルの動きが静かになる。


 まさか死んじゃいねえよな。ニールは不安になって、手元をのぞきこんだ。

 まんまるの黒い瞳で、カエルがニールを見上げている。

 いかにもあわれそうにうるんだ瞳。

 ニールは顔をしかめ、カエルから目をそらした。


 いまから気持ちよく(ちゅう)に飛ばしてやるんだから、ちょっとくらいがまんしろよ。ニールは、カエルにむちゃを通すことにした。

 それから、ヒナギク畑に()もれるリナの頭にねらいを定める。

 さあ、いくぞ。


 けれども、ニールが(うで)()りかぶるまえに、リナの兄貴と目が合った。

 ニールはしかたなく、中途半端(ちゅうとはんぱ)に振りあげた腕をおろした。



「ジャックにリナ、いっしょに遊ぼうぜ」

 ニールはニヤニヤ笑いを顔に浮かべて、白いヒナギクの花に囲まれた兄妹へと近づいた。


 ジャックという赤毛の少年が、リナの兄貴だ。

 リナとジャックに血のつながりはないらしく、兄妹はすこしも()ていない。


 ジャックはカゴを妹に押しつけてから、妹をその背にかばった。

 細い枝で()んだカゴの中には、ヒナギクの花。ちいさな太陽みたいな黄色と白の、愛らしい花があふれかえっている。

 ジャックからリナへと、急に手渡(てわた)されたカゴがゆれ、ヒナギクの花は(はし)からポロポロとこぼれ落ちた。

 リナはあわてて、カゴの取っ手を持ちなおす。



「今は無理だ。ヒナギク摘みの途中(とちゅう)なんだ」

 ニールを()めつけるジャック。警戒心(けいかいしん)まるだしだ。



「俺もてつだうぜ」

 ニールはヒッヒと肩をゆらして言った。


 なぜだか笑いがとまらなかった。おもしろくもないのに。

 それどころか、わけもわからずイライラして、むしゃくしゃした。



「てつだいはいらない。終わったら、オレがおまえのうちへ行く。それでいいだろ」

 ジャックがそう言いおえるが早いか、リナがヒナギクの中にもぐりこむ。


 とうとう、ニールの頭に血がのぼった。



「そうれ! リナに投げてやる!」

 ニールはリナに向かって、カエルをつかんだ手を振りかぶった。


 じっさいには投げていない。投げるふりをしただけだ。



「やめてよ!」

 リナが金切(かなき)り声で(さけ)ぶ。


 ニールはカエルをつかんだまま、ゲラゲラと笑い、ジャックが正義感(せいぎかん)ぶって「やめろよ」と立ち上がった。


 ニールはますますイライラした。

 リナを守る役目は、ニールのはずだ。

 それなのに、これではまるでぎゃくだ。ジャックがリナを守っている。

 誰から? ニールからだ!

 こんなのはおかしい。



『男は女を守ってやらなきゃならない』

 そういうふうに、ニールは父親から言い(ふく)められているのに。


 ニールは立ちふさがるジャックに、ヘラリと笑いかけた。

 もうそんな気はないよ、いじわるはしないよ、というように。

 ジャックがほっとしたような顔つきになったのを見て、ニールはカエルを()がした。

 リナが(かく)れるヒナギクの小山へと。


 そのあとのなりゆきは、()して知るべし、だ。


 うっすらと雲のベールに(おお)われた、あかるい水色の空の下。

 ヒナギクの白い花びらが()い上がった。







 木こりが切り落とした大木(たいぼく)の切り(かぶ)を、ニールは腹立(はらだ)ちまぎれに、思いきり()()ばしてやった。

 けれどもそれは、ニールのむしゃくしゃをなぐさめるどころか、ますますみじめな心地に落ち込ませることになった。 

 それというのも。



「いてえ!」

 思わずとびあがって叫んだものの、ニールは痛めた足を抱え、あわてて周囲を見渡した。


 よかった。誰も見ていない。

 切り株を蹴っ飛ばしたあげくに、足首をひねるだなんて。あまりにかっこわるい。もし、リナに知られでもしたら。

 リナの名が頭に思い浮かんだところで、ニールはぶんぶんと頭をふった。


 ニールは気を取り直し、ひねった足首をぶらぶらさせた。

 足の具合をたしかめるためだ。痛くない。つぎに足踏(あしぶ)み。それからかけあし。

 着地するのに、ちょっぴりは痛むけれど、これくらいならだいじょうぶ。森の奥まで探検することだって、ぜんぜん問題ない。


 ニールはしゃがみこみ、地面を覆う落ち葉の海に、手をつっこんだ。

 がさごそ探れば、ちょうどいい太さと長さの枝がすぐに見つかった。

 枝を持ち上げ、日の光にかざしてみる。

 日の光を銀色にはじく枝。まるで魔法使いの(つえ)みたいだ。


 ニールは立ち上がった。

 (こし)に手を当て、大物ぶってみる。空に向かって枝をふる。



「森の木々よ。枝をゆらし、葉を落とせ」

 大人の男のような太く低い声になるよう、ニールは(はら)の底から声を出した。

「風よ。うずを巻け!」



 すると、ちょうどいいタイミングで、森の中を突風(とっぷう)が走り抜けた。

 木々の枝から葉が舞い落ちたり、落ち葉が舞い上がったりする。

 まるで森の大魔法使いになったような気分だ。


 ニールは頬を紅潮(こうちょう)させ、ふたたび枝を振るった。

「リナが俺をゆるして――」


「リナが、なんだって?」



 気持ちよく(とな)えていた呪文(じゅもん)をさえぎられ、ニールは振り返った。

 短く刈られ、自由気ままにあちこち飛びはねる赤毛。むっつりと不機嫌そうな顔をした少年が、木の(みき)に背をあずけて立っていた。



「ジャックかよ」

 ニールは魔法の杖を、背中に(かく)した。

「俺になんの用? おまえも俺のことが(きら)いだから、俺とは遊ばないんだろ」


「そんなこと、オレがいつ言った?」

 ジャックがあきれたように肩をすくめる。



「さっきは、俺を追い返そうとしたじゃねえか」

 ニールがジャックを(にら)むと、ジャックも負けじと睨み返した。

「おまえがリナをいじめるからだろ」


「いじめてねえよ」

 むすっとした顔をそむけ、ぶっきらぼうにニールが言えば、「やめろって言ったのに、リナにカエルを投げただろ」とジャック。



「逃がしたんだよ、カエルを。リナに投げたわけじゃねえ」

 ニールは背中に隠した枝を指でいじくりながら言い訳をする。


 ジャックなんか、はやく帰っちまえばいいのに。

 そうしたらまた、大魔法使いごっこの続きができるのに。


 ニールは枝を持つ手に力をこめた。

 そうすることで、ただの枝が本当に魔法の杖になって、ニールの望みを叶えてくれるんじゃないかと思った。

 さっきまではジャックやリナと遊びたかったけれど、今はもういい。

 ひとりでもじゅうぶん、楽しく遊べる。



「どうだかな」

 まるで信じていない、というようにジャックは鼻をならした。

「でもまあ、そんなことを言いにきたわけじゃない」



 ジャックの声の調子(ちょうし)が変わった。

 それまではニールをとがめるようだったのに、なにをかたくらんでいるようなふうに。



「じゃあ、なんだよ。ケンカしにきたんじゃねえのか」

 ニールは顔をあげた。


 目の前にある、ジャックの顔つき。

 ニールといっしょになって、村の大人にこっそりイタズラをしかけるときの、ワンパク坊主なジャックだ。



「オレがここに来たとき、おまえ、おもしろそうなことやってただろ」

 ジャックははしばみ色の瞳をきらきらさせながら、その場にしゃがみこんだ。


 ニールが口をひらこうとすると、ジャックは「隠すなよな」とさえぎる。

 しばらく片手で落ち葉をがさごそ探ると、ジャックは立ち上がった。



「オレもやる」

 ジャックの手には、ニールと同じような、銀肌(ぎんはだ)のまっすぐな枝。



「そうこなくちゃ」

 ニールは力強くジャックの肩を()き、たがいの魔法の杖を交差(こうさ)させた。


 ニヤリと笑いあうと、ニールとジャックは身を(はな)した。

 魔法の杖をかまえる。

 相手の鼻先に杖の先端(せんたん)をつきつければ、さあ、大魔法使い同士、世紀の大決闘(けっとう)のはじまりだ。







「どりゃぁあああああ!」

 ニールが振りおろした枝を、ジャックの枝が受け止める。

「うぉおおおおおおお!」



 ふたりの枝が(かわ)いた音を立てて、まっぷたつに折れる。

 打ち合った枝が折れるのが、これで何本目なのか。もう、かぞえていない。



「くそっ。つぎだ!」

 ニールは肩で息をして、ジャックを睨めつけたまま、片手を落ち葉の中につっこむ。



「つぎはいい(けん)が見つかるといいな」

 ジャックもニールから目を(はな)さず、片方の手を落ち葉の中にさまよわせ、具合のいい枝を探す。



「それはおまえもだろ」

 悪態(あくたい)をつきながら、ニールが立ち上がる。手には、さきほどの枝とたいして変わらない、すぐに折れそうな細い枝きれ一本。

 ジャックもおなじだ。


 ふたりともじっくりと枝探しをする(ひま)はなかったので、打ち合うには細すぎる枝ばかりをつかんでは、相手の攻撃(こうげき)より先にゆかんと飛びかかる。


 最初のうちは、大魔法使い同士の決闘のつもりだった。


 ニールが「いでよ、竜の吐息(ドラゴン・ブレス)! くそ熱い炎でジャックを燃やし尽くせ!」と叫べば、ジャックは「トカゲの火遊びなんか、かき消してやる! うなれ、雪男の猛吹雪(イエティ・ブリザード)!」と返す。


 そういった、たがいの鼻先に枝をつきつけ、即席(そくせき)の空想呪文を唱えるような。魔法合戦(がっせん)らしいことだって、ちゃんとやっていた。

 けれども、すぐに呪文のネタが切れた。

 しかたがない。ニールもジャックも、魔法のことなんてぜんぜん知らないのだ。


 ベッドサイドでこどもを寝かしつけようとしたり、あるいは、手に負えないイタズラっこをおどかすとき。

 そういったときにひっぱり出される、むかしむかしのおとぎ話。そこでは、魔法を使える存在が登場した。

 それがニールとジャックの知る魔法使いだ。


 強敵(きょうてき)をかっこよく(たお)英雄(えいゆう)のような魔法使いだったり、(やみ)(あく)に通じるおそろしくおぞましい魔法使いだったり。

 おとぎ話の魔法使いたちは、いろいろと(こと)なる性格(せいかく)をして、さまざまに異なる魔法を使えるようだった。

 けれども、たいていの場合、くわしい呪文までは物語に登場しなかった。

 それだから、ニールとジャックがいかに空想(くうそう)力ゆたかな少年といえども、数回魔法合戦をしてしまえば、そのあとは新しい呪文が思いつかなくなった。


 何度も何度も同じ呪文を()り返すだけでは、つまらない。

 血湧(ちわ)肉躍(にくおど)るはずの決闘が、興覚(きょうざ)めだ。

 それでニールとジャックは、大魔法使いになりきるのをきっぱりとやめた。


 魔法使いの杖が、あっという間に騎士(きし)の剣へと様変(さまが)わりする。

 おなじおとぎ話に出てくる役でも、騎士は魔法使いに(おと)らず、かっこいい。なにより決闘での作法(さほう)が明白だ。


 こうしてニールとジャックは、いつものように枝を打ち()らし、騎士ふう決闘ごっこを始めたのだった。

 そしてふたりは今、一時休戦(いちじきゅうせん)とばかりに、ならんで寝転(ねころ)んでいる。

 落ち葉の絨毯(じゅうたん)が、クタクタに(つか)れた体をやさしく包みこむ。


 大魔法使い同士の決闘ごっこでもそうだったように、騎士ふう決闘ごっこでも、決着がつくことはなかった。


 すこしまえだったら、ニールはいつでもジャックに勝つことができた。

 体の大きさだとか、枝を振り回すはやさだとか技術(ぎじゅつ)だとか。そういったことは問題じゃない。

 ジャックはニールに枝きれを打ち込まんとするとき、かならず隙ができた。ためらっていたのだ。

 今はちがう。容赦(ようしゃ)なく打ち込んでくる。

 リナが目の前にいないからだろう。

 ジャックとリナの兄妹は、いつでもいっしょに行動していたが、最近ではべつべつに過ごすことが多いようだ。


 ジャックの変化が、ニールは(うれ)しかった。

 もちろん、勝てなくなったのは悔しい。けれども、遠慮(えんりょ)されるのではつまらないし、それ以上に腹立たしい。


 リナと遊べなくなったことは、ちょっぴりさみしい。

 けれども、決闘ごっこでリナにできることといえばお姫様(ひめさま)の役だけだし、お姫様の役をするには、気が強すぎる。決闘にまざろうとするのだ。

 あんまりにもあぶなっかしくて、ニールだって満足に枝も振り回せないというものだ。



「ニール」

 寝転がって空を見上げたまま、ジャックは()びかけた。



「なんだよ」

 ようやく呼吸(こきゅう)の落ち着いてきたニールが応じる。


 ニールもまた、ジャックへと視線(しせん)をやることはなかった。

 視線の先には水色の空。高くまっすぐのびる木々に囲まれ、まんまるに切り取られたように浮かんでいる。

 日が沈むまでには、まだじゅうぶん時間がある。



「おまえは森の奥深くまで、よく知ってるだろ」

 ジャックはモゴモゴとはっきりしない口ぶりで言った。



「そうだったらなんだってんだよ」

 まどろっこしい言い回しをするジャックに、ニールは苛立(いらだ)った。

「はっきり言えよ」


「探検したいんだ、森を」

 ガサガサと葉ずれの音を立てて、ジャックは上半身を起こした。

「レオンは(いそが)しいし、ナタリーはよそ者だし。一緒に森に出かける機会(きかい)があんまりなくて。それにふたりとも、オレが村から(はな)れたところに行くのに、いい顔をしなくてさ。心配してくれてるのは、わかるんだけど」



 ニールがころりと頭を転がし、ジャックへと視線をやれば、ジャックは情けなさそうなさみしそうな、できそこないの笑みを口の端に引っかけていた。

 ニールはなんだか、(むね)がもぞもぞムカムカするような、奇妙(きみょう)な心地になった。


 レオンとナタリーというのは、ジャックの養父母(ようふぼ)だ。

 この村でたったひとりの医者先生であるレオンと、この村で生まれ育ったのではない、よそ者のナタリー。

 ジャックはどちらとも血がつながっていなくて、妹のリナは養母のナタリーとだけ血がつながっているらしい。


 ニールの父親は出稼ぎに出ていて、一緒に暮らしてはいないけれど、それでも血のつながった親子だ。

 たがいに遠慮することなど、ほとんどない。

 ニールが父親に遠慮することがあるとすれば、「さみしい」と素直に抱きつくことをせずに、強がってしまうことくらいだ。

 それだって、父親を敬愛(けいあい)するニールにとって、父親から留守(るす)をまかされた長男らしくふるまうことは、(ほこ)らしいことでもあった。



「グニャグニャ言いやがるからなにかと思えば、そんなことかよ」

 ニールはジャックから目をそらして、おもむろに立ち上がった。


 頭のてっぺんからつまさきまで、体中にくっついた葉っぱが、ぱらぱらと落ちていく。

 ニールはすわりこんだままのジャックを見おろした。



「はやく立てよ」

 しつこくしがみつく葉っぱの残りを手で(はら)い、ニールはそっけなく言った。

「グズグズしてたら、じきに日が沈んじまうぜ」



 ニールはくるりと背を向けた。

 それだから、ジャックが小声で「ありがとう」と言ったことには、気がつかなかった。気がつかなかったのだ。

 てれくさかったわけじゃない。







 ニールとジャックは、谷川に沿()って進んだ。

 ツルツルと(こけ)むした(いわ)をよじのぼり、ときおり飛びはねる小魚をつかもうと、(そこ)()けて見える水深(すいしん)(あさ)い川に手をつっこんでは、足をすべらせ。今ではもう、ふたりとも全身がぐっしょりぬれている。


 ニールはぶるりと身をふるわせた。

 ジャックはチュニックシャツとレギンスをいさぎよく()ぎ、それぞれの両端(りょうはし)をねじりあげて、しぼった。

 ぼたぼたと水がたれる。



「ここらへんで(かわ)かすことにするか」

 ニールもジャックに続いて、衣服とブーツを脱ぎ、谷川からすこし離れた場所にならべた。乾いた落ち葉が、水分を吸い取ってくれるはずだ。


 はだかになったニールとジャックは、たがいの姿を見て笑った。

 なんだかまぬけだ。


 ひとしきり笑うと、ニールは眉をひそめた。

「このかっこう、ほかのやつらには見つかりたくねえな」



 谷川を沿う小径(こみち)はこのまま行くと、森を()ける。そこからしばらくまっすぐ進むと、となりの村へとたどりつく。となり村へとつながる一本道だ。

 小型(こがた)荷馬車(にばしゃ)がようやく通れるような、細い小径ではあるものの、村と村をつなぐ唯一(ゆいいつ)(とお)りでもあるため、人通りがまったくない、というわけにはいかない。


 ジャックはきょろきょろあたりを見渡すと「あそこ」と指さした。

「岩のあいだに(ほら)がある」



 よく見ようと近寄ってみれば、長い葉が岩を覆いかぶさるようにして、入り口をふさいでいた。ジャックの言うとおり、洞はあった。

 光は入口までしか届いていない。その先は闇に包まれてよく見えない。洞はどこまで続いているのだろう。

 ニールとジャックは顔を見合わせた。

 奥まで進んでみようぜ。たがいの顔にはっきりと書いてあった。







 ふたりはおそれ知らずに、ぐんぐん進んだ。


 ひんやりした空気が入口から()え間なくそそがれていて、ニールとジャックのすっぱだかの肌をなぜる。暗闇に目がなれてくると、岩肌をかさこそと動き回るネズミだったり、小さな虫がいるのもわかった。

 頭の上や腹の下をくぐり抜けるネズミはうっとうしいし、腕や足に、なんだかよくわからない虫がよじのぼってくる感覚は不快だ。けれども、洞の中に生き物がちゃんといる、ということは、ニールを安心させた。


 好奇心のままにつき進んでしまったけれど、洞ともなれば、おそろしい人食い動物のすみかだったり、(どく)ガスが充満(じゅうまん)していることもある。

 なんにしろ、人がおとずれた気配(けはい)のない場所というのは、危険(きけん)なのだ。


 おそらくジャックはそういったことを知らないのだろう。

 ニールのうしろを()いつくばり、転んだときでさえ楽しそうに声をあげる。


 ジャックの養父レオンは、とても頭がいい。医者先生なのだから、当然だ。

 けれども森の奥を探検したり、ちょっとばかり危険なところを冒険したりするのには、ニールの父親のほうが、ずっとくわしいに違いない。


 しかたねえ。ここじゃ、俺がジャックを守ってやらなくちゃな。

 ニールは不本意(ふほんい)ながらもそう思った。


 ジャックは男だ。

 ニールが父親から言い聞かせられた『男の美学』に当てはまるような、守るべき女ではない。けれども、親分(おやぶん)子分(こぶん)を守るものだ。

 ニールは父親から受け継いだ『男の美学』に、新しい項目をつけ加えることにした。


 とつぜん、目の前に光があらわれた。

 そうはいっても、まぶしいようなかがやく光じゃない。

 なにか(ふた)のようなもので覆われているのだろう。うすぼんやりとした光が、岩肌を照らしている。



「出口だ」

 ニールとジャックは、ほとんど同時に口走(くちばし)った。


 はやく進めよ、とばかりにジャックがニールの背を押す。

 ニールはジャックのせっかちに舌打(したう)ちしながらも、前へ前へと手足をせわしなく動かした。

 胸がドキドキする。顔がニヤける。

 出口だ!


 ちょっぴりふるえる手で、出口を覆う草をよける。

 出口は入口同様にせまく、ニールやジャックのようなこどもであれば、どうにか通り抜けられる大きさ。そのさきには、となり村へとつながる小径が見えた。


 谷川を沿う小径(こみち)を進めば、森を抜けたところでとなり村へとつながる小径に出る。村のひとにもよく知られた抜け道だ。

 だがこの洞は、きっと誰も知らない。ニールとジャック以外の誰も。


 ふたりは洞の中で顔を見合わせ、ニヤリと笑った。

 パン!

 音をたてて手を打ち鳴らしてから、がっちり手を組み合わせた。

 それから思わず肩を抱き合いかけて、やめた。

 男同士、すっぱだかで抱き合うことほど、ゾッとすることはない。 







 洞の入り口に戻ってみれば、森の中は黄色に染まっていた。

 木々がはばむせいで、正確な太陽の位置を知ることはできない。とはいえ、そろそろ村へ戻らなければならない頃合いだ。



「くそ。まだぬれてやがる」

 べっちょりと肌にはりつくチュニックを指でつまみながら、ニールは眉をひそめた。



「ブーツもぜんぜん乾いてない」

 ジャックはブーツにつめこんだ枯れ葉を地に振り落とし、ため息をついた。


 ぶつくさ文句を言いながらもブーツを履き終えると、ニールはぐるりとあたりを見渡した。

 発見したばかりの秘密の抜け道。

 また来たい。けれども、ほかの誰にも知られたくない。とくに大人には、ぜったいに秘密だ。


 ニールはチュニックシャツやレギンスをひっぱったり、あちこちパタパタ手をやった。

 腰に巻く革紐(かわひも)のベルトに指先がふれたところで、ニールはニヤリとした。



「そろそろ帰らないと」

 ジャックがおずおずと言うので、ニールはうなずいた。

「ああ、そうだな」



「帰るけど」

 ニールは細い枝を数本(ひろ)いあげた。

「ちょっとだけ待ってろよ」



 それからジャックの腰紐をうばう。



「なんで」

 ジャックの非難(ひなん)がましい声が聞こえたけれど、ニールは無視(むし)をして、洞の入り口すぐ近くに立つ木に手をかけた。


 ニールはあっというまに木の上へとのぼった。手には数本の枝きれと、革紐が二本。

 枝きれを組み合わせ、革紐で結ぶ。ズボラな蜘蛛(くも)がおざなりに編んだ巣のような形だ。もう一本の革紐を『蜘蛛の巣』に通して、木の枝にくくりつける。

 それからするすると木からすべりおりた。


 ここに秘密の抜け道があるという、秘密のしるしだ。

 今ではちゃんと、ジャックもわかっている。







「レオン先生にしかられそうになったら、俺に言えよ」

 ニールは森に不慣れなジャックを導きながら、胸をはった。

「おまえはリナじゃないけど、今回は俺が守ってやる」



 ジャックはニールのうしろを歩いていた。

 乾いていないブーツがグチョグチョと水音を立てることにウンザリする。そのうえニールが、意味のわからない兄貴風(あにきかぜ)をふかせてくる。

 ジャックは「なんだそれ」と力なく反論(はんろん)した。



「親分は子分を守るものだからな。それに、男は女を守るものだ」

 ニールはジャックの不満(ふまん)なんて気にもとめず、持論(じろん)をぶった。

「おまえのことはともかく、だ。俺がリナを守ってやるんだ」



「リナは守られたいなんて、思ってないだろうけどな」

 ジャックがボソリとつぶやけば、ニールはジャックへと勢いよく振り返った。

「うるせえな。女は男が守るもんなんだよ。そう父さんが言ってたんだ」


「ふうん」

 ジャックが目をすがめる。

「それじゃあ、ニール。おまえの姉さんも守ってやらなくちゃな。『あの』姉さんも、女だもんな」


「姉さんは」

 ニールは口ごもった。

「姉さんは、いいんだよ。例外(れいがい)もある。姉さんはすげえ強いから、俺が守らなくてもいい」


「なんだよそれ」

 ジャックがいかにもあきれたような声を出すので、ニールはムキになって大声をはった。

「うるせえ。俺じゃないべつの誰かが姉さんを守るだろうから、俺はいいんだよ」



 結局そのあと、ニールとジャックはふたりそろって、村の大人たちにきっちりしかられた。

 森の入り口で、村の大人たちがせいぞろいしていたのだ。夕暮れ近くになっても、ちっとも帰ってこないこどもたちを心配して、探し回っていたようだった。

 どこに行っていたのか。大人たちは問いつめた。

 ニールとジャックは正直に、森で遊んでいたと答えた。


 もちろん、秘密の抜け道を見つけたことは、けっして打ち明けなかった。






(了)

 最後までご覧くださり、ありがとうございました。


 今作は連載作「魔女の恋 〜150年前に引き()かれた恋人達〜(https://ncode.syosetu.com/n1523gz/)」の派生(はせい)作品です。

 あわせてご覧いただけますと、とても嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
わああ~~ ニールとジャックの関係、いい!!! こうして仲間になっていく感じ!!! ニールのリナへの想いもとてもじわじわ感じさせられて、素敵な青春物語だなと思いました!\(^o^)/
男の子ってどうして好きな女の子の前で素直になれないのでしょうね。(逆にあれが素直な姿なのかな(^_^*)) いろんな経験を積んで、いつか彼女を守れる素敵な紳士になってね!
2025/02/07 16:31 退会済み
管理
読み進めていましたら、スピンオフ作品でいらしたのですね(n*´ω`*n) 冒頭はニールのリナへの気になり具合が良かったです(*ノωノ)  ジャックがはじめは妹を守る姿から始まって、でも仲良い二人のこと…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ