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6.

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 内々での訪問だと言われていたにも関わらず、リリアーヌとの婚姻を確定だと触れ周り晩餐会を王妃は極秘に準備していたらしい。


 道理で城内が慌ただしい訳だと、ジュディスは額を押さえた。

 今回は内々の晩餐会とだけ伝えられていたので、ジュディスの派手にならないように選んだドレスは周囲から浮きまくっている。

 パリュールまで着けているリリアーヌの横に立つと、まるで高齢の遠縁女性が付添人(シャペロン)をしているようだ。

 せめてもう少し華やかな恰好をして来ればよかったと後悔しても遅い。


 そうして、やはり内々の歓迎会とでもいって会場へ連れて来られたのだろう。

 入口まできて動こうとしなくなったエルドレッドが、強引に絡みついて一緒に入場しようとしたリリアーヌの腕をさらりと外した。


「あんっ」

「失礼。()()()()に求婚中の身として、その妹姫とはいえ気安く触るのは止めて頂きたい」


 大して大きい声ではなかったにも関わらず、エルドレッドのその涼やかな言葉は良く通り、大広間に着席した全ての人の耳へと届いた。


 場内のざわめきが一瞬で静まり返った。

 エルドレッドは別の女性と暈かしているものの、リリアーヌがその女性の妹姫であると明言してしまった。


 あれだけジュディスをこき下ろし自らの美貌を自慢してきたリリアーヌにとってこれほどの屈辱はない。



「そんな、エルドレッド様ったら、ひどいです」

「そうですわ。照れているからといって、そのような冗談で女性に恥をかかせるものではありませんよ」


 真っ赤になって震えている愛娘を庇って、横にいたラヴィニアが声を上げた。


 ラヴィニアは、多少強引であってもリリアーヌとの婚約のお披露目さえしてしまえば、なし崩しに婚約を成立させてしまえると踏んでいたのだろう。


 聡い王子であるという噂であったのに、この容赦のなさと空気の読まなささは一体どういうことだろうかとラヴィニアは、貼り付けた笑顔の下の、心の中で盛大に罵声を浴びせる。


 ラヴィニアとリリアーヌどちらが計画したのは分からないが、噂に聞くコベット国の第一王子の手腕が事実であるならば、完全な悪手だとジュディスは額に手の甲を当て嘆いた。


 そんなジュディスの推測は間違っていなかったようだ。


 近寄った分だけ後ろへ下がって距離を取りながら、エルドレットが更なる拒絶を表した。


「申し訳ありません。名前で呼ぶのもお止め頂いても? 正式な見合いすらまだお受けして戴いていないのです。成婚の可能性を少しでも高める為に、他の女性と誤解されたくありません」

「!!」


 表情こそ困っている風ではあるが、選んだ言葉が表しているのはハッキリとした拒絶だ。付け入る余地などまったくない完璧な否定と拒絶。


 しかもエルドレットは今回もリリアーヌの名前を口にしていない。

 ジュディスは知らなかったが、リリアーヌは昼の対面時に自己紹介を済ませているが、エルドレットはリリアーヌに対して名乗り返すことすらしていないまま退席してしまっていた。



「お姉さまの仕業ね! この場で、こんな風に嘘を広めさせるなんて、陰湿すぎだわっ」

 リリアーヌが、顔を伏せて喚く。

 意味不明すぎるその主張に、ジュディスは頭が真っ白になってすぐに反論することができなかった。


「ほら! 図星だから反論もできないのでしょう。お姉さまに魅力がなかったから婚約者に振られてしまっただけなのに、いつまでも私を恨んで。そんなに私に恥を掻かせたいの? どこまで嫌な女なの、お姉さま!!」


 昔のことを知っている貴族たちが、何のことか知らない貴族たちへ知らせていく。

 ざわざわとさざめく声は聞き取れないが、冷たい視線が向けられていることだけは分かって、ジュディスは顔を蒼褪めさせた。

 ドレスの下の足が震える。今すぐ走って逃げていきたいのに、床に足が縫い留められてしまったようで、悪意ある噂がジュディスの耳に届く。


『妹姫に懸想した婚約者に捨てられた不細工な姉』

『いいや元々妹姫に焦がれ過ぎた騎士が妹姫と縁続きになるために結んだ婚約だったけれど、その違いに耐え切れなかったのだそうだ』

『ずっと婚約していたのに。情すら結べなかったのか』

『美しい妹姫が悪いのではないのに』

『むしろ傍にいたにもかかわらず繋ぎ止められなかった自分を責めるべきだろうに』


 それらは本当にこの場にいる貴族たちの声なのかは微妙なところだ。

 ジュディスが自分で頭の中で作り上げた、ジュディスが自身を詰る声なのかもわからない。

 ただひとつの、声以外は。


『やはり、無理です。リリアーヌ様と縁戚になれるなら愛のない結婚もできると思った俺が愚かだったのです』


 ぐるぐると何度もジュディスの頭の中で渦巻くように聞こえるそれは、元婚約者の声だった。


 もう何年も顔さえ見ていないのに。

 どんな顔だったかすら思い出せないその人の声が、忘れられないでいる。


 淡い恋を抱いていた相手。その人と婚約できたと知った時はこの世で一番幸せだと信じた。二心ある言葉を信じてしまった、かつてのジュディス。その愚かしさが招いた悪夢。


 過去の悪夢に囚われて、今にも王女としての矜持すら忘れて頽れてしまいそうになるジュディスを、温かな手が支えてくれた。


「えるど、れっと、様?」


 冷たくなったジュディスの肩を、エルドレットはそのまま抱え支えてくれた。


「大丈夫ですか?」


 見つめる深い青の瞳が、ジュディスへ「大丈夫」だと言ってくれているようだった。

 触れているエルドレットの手や身体から伝わってくる温かさに、緊張が解けていく。


 そうしてようやく、ジュディスが自分で息を止めていたことに気が付いた。

 ほうっと長く息をつけば、こわばっていた身体から力が抜けた。


「嘘とはどういうことでしょう。自分で婚約を申し込んだ女性に恥をかかせるような嘘を、私がつく理由などある訳がない」


 きっぱりはっきりと。ジュディスの策略などある訳がないと主張するエルドレットを、その腕の中から見上げる。


 ジュディスの視線を感じたのか、エルドレットは、ふわっと笑って視線を合わせてくれた。


 美形の笑顔の破壊力の凄さに目が眩んだ。

 チカチカと視界がきらめいて、ジュディスは再び息ができなくなった。


「だから! お姉さまが自分の過去を哀れっぽく自分に都合よく伝えたのでしょう? 同情を引いて、味方になるような策略を」

「そのような嘘で、簡単に騙されるような私だと思われていると?」

「いえ、それはその……でも、お姉さまにはそれができるような小賢しさがあるんですわ。お姉さまに騙されないでください! 賢しらな策を練るのが得意で、言葉巧みに言い包めてしまうのですわ」


 策を練るのが得意で言い包めるのが得意なのは、ジュディスよりリリアーヌの方だとジュディスは悔しさでいっぱいになった。


 ただし言葉巧みとは言い難い。言葉はなくともその愛らしい顔に憂いを浮かべて意味ありげに視線を向けるだけで、自分の思い通りに相手を動かす術に長けている。


 それはまさに母ラヴィニアから受け継いだ美貌があってこその技であり、その視線の動かし方もラヴィニア直伝というべきものだった。


「だって、だってエルドレット様がコベット国の王となった暁に、その横で並び立つのは美しいわたくしの方が相応しいではないですか!」


 リリアーヌが叫んだ言葉は、奇しくもかつてのジュディスがエルドレッドから切り捨てられたものとよく似ていた。ジュディスの頬があの時と同じ羞恥に赤く染まる。


 言い切ったリリアーヌの顔は溢れ出る自信に爛々と輝いている。

 分不相応で不遜なその自信をリリアーヌに与えてしまったのはジュデスだ。


「“だって”という言葉を選ぶ理由が見つかりませんね。私は私が嘘をついていないことを知っています。真実しか口にしていない私の言葉を嘘であると判断した理由を、私はあなたにお聞きしています」


 エルドレッドの冷めた視線が怖い。

 多分きっと間違いなく、あの時のジュディスに対するもの以上の切れ味で、妹が傷付けられる様子をジュディス自身が見たくなかった。


「リリアーヌ、諦めなさい」


 しかし、姉の言葉に大人しく従うような妹ではない。

 リリアーヌがジュディスの意見を聞き入れた事などないのだ。むしろ羨みからの言葉だと思われて、鼻で笑われるのが常の事だ。

 そうして今もまた、リリアーヌはジュディスの言葉を受け入れる事はなかった。


「美しさの欠片も持ち合わせていないお姉さまは黙っていて。婚約者だって私のおこぼれでしか得られなかった癖に!」


 蔑みの視線と言葉。事実でしかない過去を突き付けられただけで、あの時に心が引き戻される。


『リリアーヌ様が視界に入るだけでいいのです。いいえリリアーヌ様がお傍に居なくとも、心にリリアーヌ様の美しい笑顔が思い浮かぶだけで、俺は幸せになれるのです。美しい貴女の婚約者になれずとも、貴女の義理の兄になれるだけでも幸せだと思ってしまった愚かな俺を哀れんで下さるなら、今ひと時の夢だけでもお与えて下さい』


 あの運命の夜。

 元婚約者が婚約者であったジュディスへではなく、その妹へ捧げる賛美の言葉。

 白く細いリリアーヌの指先を取り、口づけを捧げていた

 情熱の炎を灯した瞳で見上げた先にいるのは婚約者であるジュディスではなく、その妹リリアーヌだ。


 陰でジュディスが見ていることに気がついていたリリアーヌは、その桃色の瞳に涙を浮かべて拒否を口にするのを呆然と見ていた。


『ありがとう。でも貴方はお姉さまの婚約者ですもの。その想いを、受け取る訳にはいかないわ』


 拒否を口にした妹を、元、その時はまだジュディスの婚約者であったその人が強引に掻き抱く。


『駄目よ、駄目なの。貴方は、お姉さまの婚約者なのに』

『あぁ、あぁ! 何故俺の婚約者はジュディス王女なのか!!』


 縺れ合う男女の姿をそれ以上見ていられなくて、ジュディスは黙って部屋まで走り戻った。

 王女として躾けられた所作など放り出し、溢れ出ていく涙をどうにもできぬまま。


 泣き濡れて迎えた次の日の朝、ジュディスが出した答えは、なにも見なかったことにする、だった。


『心に区切りをつける為に必要な告白だったのだろう』

『リリアーヌは断っていたのだから』


 婚約者の心が自分には無かったことは、ジュディスを大いに傷つけた。

 しかし元々、ジュディスは王の命令に従って誰の下へでも嫁するつもりでいたのだ。


 王族の定めとして、異国への貢ぎ物としてでも、褒章として家臣へと降嫁することも。その婚姻に愛はなくて当然だと考えていた。


(だから、平気)


 リリアーヌが拒否していたのだから、諦めてジュディスとの婚姻に前向きになって貰えるかもしれないとも思えたのだ。


 けれど結局、更なる言葉の刃がジュディスへ突き立てられることになった。


『やはり、無理です。リリアーヌ様と縁戚になれるなら愛のない結婚もできると思った俺が愚かだったのです。王命とはいえ陛下からは断ってもいいと言って頂いていたというのに。申し訳ありません。この婚約はやはり、無かった事にしてください』


 愛されてはいなくとも敬意は抱かれていると信じていた自分の滑稽さをジュディスは嗤うしかなかった。

 欠片ほどの情すら抱かれていなかったと思い知らされる。

 婚約者からの裏切りをジュディスは憤っていたが、始まった時点からずっと表面のみを取り繕った紛い物でしかなく、心変わりでも何でもない。気が付かなかったジュディスが馬鹿なだけだった。


 リリアーヌの近くへいる為ならば、踏みにじってもいい存在。それがジュディスという者なのだと。


 美しくもなく可愛げもないジュディスとの結婚など、たとえ王命であろうとも無理だと突き付けられた、あの時に。


 ジュディスは自分の価値を、無価値であると思い知らされた。


 思い知っていた、はずなのに。



「ジュディス王女? 大丈夫ですか」


 心配そうに覗き込む深い青の瞳。

 美しく賢いエルドレットの手を取るなど、自殺行為だ。


 傍にいて尊重された風に扱われれば、また、あっさりとジュディスは心を傾けてしまうだろう。


 いいや、本当のことを白状すれば、それについては()っくの()うに手遅れだ。


 見つめてくる瞳に恋の情熱など何処にもないのに。

 見返す自分の瞳にそれが宿っていない自信は、ジュディスにはまるでなかった。


 はしたなくもあからさまに、抱き寄せられた手を乗せられている部分が熱い。

 傍迷惑な勘違い女にはなりたくなかった。


 けれど、ジュディスの意見を求められることなど無かったのだ。女性として尊重されることも、大きな手で守られたことも、初めてだった。


 もう二度と恋などしないと心に誓っていた癖に。

 ジュディスはとっくに、恋に落ちていた。


 ジュディスへの恋心などこれっぽっちも持っていない癖に、自分の手を取れと迫ってくる異国の王子へ。


(一度目の恋は、両想いだと思い込んで勘違いしていたから伝えられた。けれど、二度目のこの恋はきっと、死ぬまで伝えることすらできずに終わるんだわ)


 いいや、もしかしたら死んでも伝えられないままになるかもしれないとまで思う。ジュディスの胸は、その恋の苦さに塞いだ。


 それでも目の前にいるこの人の手を、取らずにはいられない。


 自分の心に灯った恋の炎が、すでに強く燃え上がっていることに気が付いて、ジュディスは激しく動揺した。翡翠色の瞳が揺れる。


 そのちいさな異変に誰より先に気が付いたのは、ジュディスが誰よりも知られたくはなかった妹リリアーヌだった。


「あははっ。なんて馬鹿なのかしら、お姉さまったら! また身の程知らずな恋に身を任せようというのね?」


 指差し唇を歪ませてあげつらう。その顔は、あまりにも醜悪であった。


「リリアーヌ。やめて」

「頭の良さしか自慢できる事がないっていうのに。なのになんでお姉さまったら、そんなに愚かなのかしら。その王子様は、未来の王妃として公務を立派に熟せる能力だけが欲しいだけなのよ? たとえ実際に結婚できたとしても、それで幸せになれるとでも思っているなら、勘違いも甚だしいわ! 恋や愛や慰めは、美しい側妃や愛妾へ求めるつもりに違いないんだから!」


 お茶の席での会話が、王妃専属の侍女から伝えられていたのだろう。


 (あた)らずと(いえど)も遠からず、見当違いだとも言い難いリリアーヌの指摘がジュディスの心の弱い部分を抉った。


「おねえさまったら、本当に馬鹿ね。まぁ、自分を振った婚約者すら庇って、お咎めなしにするお人好しだものね。上辺だけの美辞麗句を信じようなんて、本当に、馬鹿!」


 嘲笑うリリアーヌにつられた貴族たちも笑い出した。


『また、でしたわね』『それは、そうでしょう』『ですわよねぇ』『くすくす』


 くすくす、くすくすくすくす……


 広間に伝わり広がっていく嘲笑の合間に聞こえて来た言葉は、ジュディスの隠してきた弱点を的確に狙って突き刺した。

 蒼白になったジュディスは、これ以上はもう耐えられないと一目散に逃げ出そうとした。


 しかしその手を、エルドレットが握りしめて離さない


「確かに私はジュディス王女に恋をしているとは言えません。私には、私のすべてを捧げると誓った存在があります。彼女の事をなによりも大切にするとここで宣言することもできない。それは嘘になってしまう」


 悪びれることなく堂々と、エルドレットの声が会場に響き渡る。

 その言葉に、リリアーヌがどれだけ喜んでいるのか、ジュディスには見なくても分かった。


「手を、離して」


 エルドレットが言っていることは、ジュディスだってちゃんと理解していることだった。説明もされている。

 それでも言葉の続きを聞いていたくなかった。

 これ以上打ちのめされるのは嫌だとジュディスは掴まれた手を引き剥がそうとしたが、男性の力には敵わない。藻掻いても、言葉で訴えても、離して貰うことはできずに心ばかりが焦る。


 涙が零れる前に、ここから消え去りたかった。

 ジュディスが去った後でなら、どんな辛い事実であろうと公表して構わないというのに。


 せめて、自覚したばかりの恋にとどめを刺されるその惨めな姿だけは、誰にも見られず陰でと願うことすら許されないことなのか。それほど身の程知らずな恋をしてしまったことは罪深いことなのか。


 惨めな想いに我慢しきれなかった涙が、ジュディスの頬を滑り落ちていく。


 前の婚約破棄騒動によって打ちのめされたことで、自分の価値を弁えることができるようになった。

 そうしてようやく最近は慰問先で歓迎されるようになり、奉仕活動に関する会議で無視もされなくなった。ジュディスにも居場所ができつつあったところだった筈なのに。


 それすらも幻想でしかなかったのだと、周囲からの嘲笑が突き付ける。


 訪問先の教会や孤児院で向けられた笑顔が浮かんで消えていく。

 あの笑顔も、叶いもしない恋に落ちては振られてしまうジュディスの情けないところを見たら馬鹿にしたようなものに変わってしまうのだろうか。それとも嫌悪に歪むのか。知るのが怖い。知りたくもなかった。


「私のこの身は、コベット国に捧げると決めております。ですから愛を捧げることはできないかもしれません。そんな私ではありますが、伴侶に望むのは、嘘偽りなくフリーゼグリーン王国ジュディス第一王女だけです」


「エルドレット様」


 真摯な声に、ジュディスは藻掻くことを止めた。

 ジュディスをまっすぐに見るエルドレットの瞳に嘘はない。


 なによりお茶の席での言葉との齟齬もなかった。

 改めて、ジュディスを愛せないと線引きを示されたというだけだ。


 一度目に好きになった相手には、傍にいることすら拒絶されたジュディスだが、二度目の恋をした相手からは、傍にいて欲しいと望まれている。


 どうせ両想いになどジュディスには見果てぬ夢でしかないのなら、能力だけでも求められ役立って欲しいと請われるだけでもマシというものかもしれない。


 ジュディスは自分がいばらの道を選ぼうとしていることに恐れながら、エルドレットに向かって一歩、足を前へ踏み出す。


「お姉さまったら、本当に馬鹿で物好きね。そうやって仕事をたっぷり押し付けておいて、いつ愛する女性が見つかったと他に囲うかもしれない男の役に立ってあげようなんて」


 悔し紛れなのだろうリリアーヌの言葉は、けれども的確にジュディスの懸念を言い当てた。


 たぶんきっと、間違いなく。その日はやってくるのだとジュディスも思っていた。


(それでも、いいの)


 このままこの国で、ジュディスの努力も考えも何もかもを認めてくれない人達に囲まれて鬱々と過ごすより、女性の活躍が認められるコベット国へ行けるだけでもジュディスにとっては十分意味のある選択だ。


(しかも、好きな人の役にも立てる。それ以上の何が必要だろう)


「エルドレット様からの婚姻の申し入れ、謹んでお受けいたします」


 握られた手は未だ離して貰えていなかったので、そのまま精一杯のカーテシーを取ろうとしたところを、エルドレットに止められた。


「あの?」

「まぁ、エルドレット様ったら酷い御方なのね。お姉さまが本気にして受け入れようとしたところで、冗談だったとでも仰るつもりだなんて。悪趣味だわ」



 にんまりと。クリームを舐めた猫のように満足そうな顔をしたリリアーヌがあげつらうが、それを無視してエルドレットは、ジュディスの手を両手で包み込んだ。


 そのままその場に跪く。


「どうやら私の言葉が足りなかったようです。私は、ジュディス王女以外の女性に目を向けることなど致しません。王族としての矜持を胸に努力ができるあなただからこそ、妻にしたいと願いました。お会いしてみてその想いが強くなりこそしても、薄れることはありません」


「でも、私よりずっと美しい方も、愛らしい女性も世界にはたくさんいらっしゃいます。いつかエルドレット様の理想の女性が現れることだってあるかもしれません」


「私の理想の女性はあなただと、お茶の席でも今も重ねてお伝えしているつもりなのですが。どうして理解していただけないのでしょう。顔の美醜の好みだけが、伴侶を選ぶポイントなのでしょうか。私は誰よりあなたを、好ましく思っているのです」


「エルドレット様」


「それに、ジュディス王女はラヴィニア王妃やリリアーヌ王女とよく似ているではありませんか。この国の人々が言うほどの差があるとは思っていません」


「なんですって!?」

「!!!!」


 エルドレットの言葉に、誰より憤慨したのはラヴィニアだった。美しい顔を歪め、真っ赤にして詰め寄る。

 リリアーヌは、その後ろで怒りのあまり真っ青になっている。怒りからだろうか、真っ白になるほど強く握りしめた手が震えていた。


 エルドレットがフリーゼグリーン王国へやってきてから、幾度となくふたりと衝突してきたのだが、今この時が最も激しくラヴィニアとリリアーヌの怒りを買った。


「コベット国の王子には、審美眼が備わっていないのね」

「目が悪いのではありませんか? 悪いのは女性の趣味かしら」

 プライドが傷ついたのだろう。ラヴィニアとリリアーヌが、よく似た桃色の瞳を

怒りで釣り上げていた。口汚くエルドレットをあげつらう。


 しかし、そんなふたりから投げつけられた言葉を、エルドレットはさらりと受け流した。


「ふふ、そうですね。美というものは、国や民族的にも基準が違ってくるようですから」


 美女が怒っているところは大変迫力があるのだが、その怒りを向けられている方はまるで動じていなかった。

 むしろ外野である周囲が、居た堪れない気持ちで身体を縮こませていた。


 晩餐会は、まだ始まってもいない。

 厨房では出来上がりつつある料理が大渋滞で大騒ぎになっているし、乾杯の準備を進めていた給仕係たちも温くなっていく酒や果実水の扱いに困惑している。


 ごたついている裏方や怒りに目を吊り上げる女性ふたりを尻目に、エルドレットは優雅にジュディスの手を取り、ボウ・アンド・スクレープを取る。


「フリーゼグリーン王国的な審美眼を持たない私には、この国でいうところの美姫の伴侶となる資格はないでしょう。宝石の評価はその国によって違うといいます。インクルージョンを傷と見るか、天然である印と見るか。価値の高さをその大きさよりも色の濃さや透明度で決める国もあります。コベット国の王子として、コベット国の審美眼で美しい方だと思うジュディス王女との婚姻をお許しいただけますか、フリーゼグリーン王国国王アシェル陛下」


 それまでずっと蚊帳の外に置かれていたアシェルは、突然名前を呼ばれて驚いた。


 実のところ、アシェルはジュディスの前の婚約を取りつけた挙句にあまりにも不名誉な破談とさせてしまったことについて居心地の悪い思いをしていたので、エルドレットからの申し出はありがたいと思っていた。


 アシェルは、リリアーヌを出来れば手元に残したいと思っているほど可愛がっている。誰よりその望みを叶えてやりたいと思う反面、無理を通してまでそうそう行き来ができる訳でもない遠いコベット国へ嫁に出したい筈もない。


「より大きく美しい宝石への入れ替えを拒むのは、国による価値観の違いか。それがコベット国からの最初の申し入れであったのだ。受け入れよう」


「お父様!!」「あなた!?」


「いいではないか。ジュディスの幸せを祈ってやれ」


 遠い国で、アシェルの失敗の埋め合わせをして貰い、できることならフリーゼグリーン王国に益を齎してくれれば万々歳だ。


 ラヴィニア王妃とリリアーヌ王女が激しい反対の声を上げる中、こうしてジュディス第一王女へのコベット国エルドレット第一王子からの婚姻の申し入れは、あまりにもあっさりと受け入れられたのだった。



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