大翼竜の襲撃
――危なかった。テオ君が剛性と靭性の付与を指示してくれたから、助かった。
座席の下敷きになり、ぴくりとも動かない乗客。息も絶え絶え、ガラスで明らかな致命傷を負っている乗客。
そのどちらでもないが、全身からおびただしい量の血液を流している乗客。
血の匂いに、油の混じった重い匂い。
かろうじて息のある者は苦悶の声をあげ、既に息をしていない者は空虚な瞳で虚空を見つめている。
何人かの乗客は立ち上がっているが、酷い傷を負い、茫然自失で辺りを見ていた。
(間に合って良かったですー。それにしても、横から他の列車が突っ込んでくるとはー)
いやに冷静だなと思ったが、どうせこれも伝わっているのだから、と口には出さずにおく。
俺たちが載っていた魂魄列車の横っ腹に、他の魂魄列車が突っ込んできた。そのせいで、どうやら天地が逆になっているようだ。
俺、というかテオ君の体に傷がないことを確認。
テオ君が一度に付与できる強化は2つまで。
1級強化士は3つ、その中でもトップの実力者は4つまで付与できるらしい。
衝撃に対する肉体強度を高める剛性、断裂に対する肉体強度を高める靭性。
この2つの組み合わせるのが基本の防御態勢となっているらしいが、確かに効果はすごい。
これが強化士の力なのか……生身だったら、俺も他の乗客と同じ状態になっていたはず。
かと言って感動できる状況じゃないけど。
四方から届く苦悶の呻き声のなか、行動を開始する。
腕力を自分に、鋭利を薙刀に付与。上書きシステムのようなもので、前に付与していた強化の解除は必要ない。
車両内は、何がいつ燃え出すかわからない状況。
まだ生きている人もいる。
耐熱、耐煙を付与という手段がある俺たちは大丈夫だけど、動ける人の脱出口くらいは確保しておこう。
(乗客を助けるんですかー、その義理はないと思いますけどねー)
少し前から感じていたことだけど、テオ君は少し冷たいところがあるように思える。
俺だって善人ではなく、自分が無事だから、という範疇の行動でしかないのだけど。
深い話はしていないからわからないけど、テオ君も俺と同じで複雑な育ちのようだし、その部分に影響を受けているのかもしれない。
(まあ、これくらいの事態なら僕の体も大丈夫ですから、お任せしますけどー)
散乱した座席と遺体を慎重に跨ぐ。
崩落の危険は踏まえつつも、側面の壁を薙刀で砕くと、車両内に満ちた太陽の光が凄惨な現状を晒け出す。
同じ車両だけでも40人を超える数の乗客が乗っていたが、見える範囲だけでも10名ほどの遺体がある。
魂魄列車のパンフレットに、タイヤ走行が可能な2両編成の最新式があると書いていたことを思い出した。
廃棄地をタイヤ走行していた、別の大電機車との衝突。
ふと、大学生の頃に巻き込まれた電車横転事故を思い出していた。後方車両だったので、大怪我はしなかったけれど、あの時の混乱が頭をよぎる。
まずは、と周囲を探り、瓦礫の下敷きとなり息をしていない初老の女性を確認。
あまりの惨状に思わず目を逸らしたが、女性の遺体を持ち上げ、穴から外に出て横たわらせる。
(生き甲斐……)
ハミンの父親が言った言葉をふと思い出してしまう。
あの親子は無事だろうか。
次に、少し奥で辛そうな息をしている少年を挟んでいた両脇の座席を押しのける。両腕が折れていそうだが、その他に大きな傷はないようだ。
少年を車両の外へ横たわらせ、別の瓦礫を持ち上げる。その下には足がおかしな方向へ曲がったまま亡くなっている若い女性。
乗り間違いを指摘してくれた老人は、車両の中ほどで顔の左側を失い絶命していた。
その近く、2つ折り重なっている長座席を持ち上げると、ハミンの父親が荒い息を吐いていた。
父親の下から、健康に日焼けした、子どもとわかる細い足が出ている。
「ハミンさんのお父さん。しっかりしてください」
ハミンの父親は呆けたような顔で俺を見上げる。
背中に裂傷を負っているが、見た感じではこれくらいの怪我なら大丈夫なはず。
父親の体を少し持ち上げ、ハミンの状態を確認する。
彼女の左額に、ラージナイフに等しき大きさのガラスが2片刺さっていた。
出血が多すぎる。
目は虚ろ、顔は蒼白、息も絶え絶えになっている。
「ハミ……ン」
ごくりと唾を飲んだ俺の背後から、父親のか細い声。
振り返ることができなかった。
「ハミン……?」
父親の意識が強くなることが怖かった。
生き甲斐だと言っていた娘は、傷が深すぎる。
強化に他人の治癒力を強化するものはないと聞いている。
(これは無理ですねー、かわいそうですがー)
事実だが、テオ君の冷静なニュアンスに少し苛立ちを覚えてしまう。
俺には、父親にかける言葉が思い浮かばなかった。
しばらく押し黙り、車両火災に巻き込まれる可能性を考え、せめて外に――そう言おうとした時、
「いっ、痛いいぃぃ──やめっ、やめて──」
車両の連結部分、鉄の塊になったドアの向こう、3両目の車両の方角から絶叫が響いた。
やめて? その言葉に違和感を感じ、ハミン親子を急いで外へ担ぎ出し、俺は目を見張る。
3両目は4両目よりも激しく潰れていた。
丸められた包装紙のように。捻れ過ぎて生じた車体の隙間から、血まみれの男性の上半身が出ている。
その肩を前足で掴む生物が、いた。
痩せぎすの犬を思わせる、しなびた胴体と短い首。
異様に大きな頭部から伸びた鋏のような長い嘴、胴体と比例して、骨ばっている2本足。
全身を覆う鱗は赤黒く、所々に染みのような黒い模様がある。
(……僕、列車事故は2回めです。だから嫌なんですよねー。そして、重ねてのトラブルですねー、翼竜という獣です、あれはー)
左右1メートルほどの、骨に薄い膜を張ったような両翼で不安定な空中上下動を繰り返しつつ、2本の脚で男性を引きずり出そうとしている獣、翼竜だった。