2.いなくなった友達
「おかえり、綾ちゃん」
エプロン姿のお母さんが、玄関まで出迎えてくれる。
「心配したわよ。帰りが遅いから」
靴箱の上に置いてある時計は、5時50分を指していた。
門限は5時半で、「あと10分遅ければいつも遊ぶメンバーの子たちの家へ連絡していたところだったのよ」と言われる。
心配している、という割にお母さんが落ち着いているのは、私が割と時間にルーズで門限から10分や20分遅刻して帰宅するのはいつものことだったからだ。
ただ、流石に6時を超えて帰らないことはなかったので、6時を過ぎたら心配もするだろう。
「ごめんなさい」
「まあ良いわ。きっとお父さんに似たのねえ。のんびりなところ。早く手を洗って来なさい。今日はカレーよ」
確かに父も、時間にルーズだ。約束の時間を守った回数の方が少ないだろう。
のんびりとした雰囲気の父を思い浮かべて納得しながら、手を洗いに行く。
他の子達は家に着いただろうか。
ユウちゃんはどうだろう。少し気にかかりつつも、母に促されるまま食事の席に着く。
私の味覚に合わせた甘口のカレーと、サラダ。それから、わかめスープ。
母の教育方針で、食事の間テレビがつくことはない。時折交わされる会話と、食器の音以外しないリビングに、突然電話の音が響いた。
「変ねぇ、誰からかしら」
基本的に鳴るのはお母さんの携帯で、家の電話が鳴ることは滅多にない。
「はい、もしもし。上本ですが」
お母さんの、よそ行きの声。
「西本先生?」
聞きなれた名前に、思わず椅子を引く。
大きな音が出て、お母さんが少し振り返り、すぐに電話機のある壁を向く。
もしや、今日放課後の学校で遊んだことを怒られるのだろうか。それとも、他に何か悪いことをしただろうか。
突然の担任の名前は、心臓に悪いと思う。
「え?川井さん?」
今度はしっかりと母が振り向く。
「綾ちゃん、今日誰と遊んでたんだっけ?」
「ユウちゃんと、ミナちゃんと、キョーカちゃん」
さ、と母の顔がこわばった。
「どうしたの?」
「はい、うちの娘は6時前には帰ってきました。……綾ちゃん、今日はみんなで帰ってきたのよね?ユウちゃんは、一緒じゃなかったの?」
「え?バラバラに帰ってきたよ。先生が、ミナちゃんとキョーカちゃんには先に帰るように伝えたから、って……ユウちゃんにもすぐに帰るように声かけてくれるって……ユウちゃん、帰ってないの?」
段々と、話の道筋が見えてくる。
「うちの子は、知らないみたいです。はぁ、そうですか、分かりました」
受話器を静かにおろしたお母さんは向かい側に座って、カレーの続きを食べ始めた。
「お母さん?」
「ユウちゃん、お家に帰ってないんですって」
壁掛け時計を見る。7時少し前。
時間にルーズな私と違って、「かえろうよ」と声を掛けてくるのはユウちゃんだった。ユウちゃんは3人兄弟の長女で、しっかり者だった。
「ねえ、本当に一緒に帰って来なかったの?」
「……うん」
お母さんの口調は優しかったけれど、どこか責められているようにも感じた。
「だって、先生が……。先生が、先に帰りなさいって」
「ミナちゃん達とは?」
「2人は、私より先に帰ったって」
お母さんがため息を吐く。
「もしかしたら、校舎の中にいるかもしれないから、先生方が探す、って言ってたわ。1時間して見つからなければ、捜索願いを出すって」
捜索願い。
お母さんの好きな刑事ドラマで、たまに聞く言葉だった。
「……早く食べちゃいなさい。明日も学校でしょう?」
は、としてカレーの続きを食べる。
カレーは美味しい。サラダも美味しい。
お風呂に入って、ぼんやりと考える。
ユウちゃんはどこに行ったのだろう。
案外、もう帰ってきた頃かもしれない。
明日、ひょっこり学校に来るに違いない。
そうだ、普通に来るに決まってる。
お布団に入っても、ずっとそんなことを考えてしまう。
翌日、想定してた毎日は来なかった。
朝の会で、西本先生はユウちゃんが昨日から家に帰ってないことをみんなに伝えた。
それから、何か知ってる人がいたら先生に伝えるように、とも。
休み時間、ミナちゃんとキョーカちゃんが机に集まってくる。
「昨日はごめんね、アヤちゃん。先生に注意されて、近くに隠れてたキョーカちゃんと先に帰っちゃったの」
「ごめん、アヤちゃん」
「後から、ユウちゃんといっしょに帰ると思ってたの。ねえ、ユウちゃんとはいっしょに帰らなかったの?」
昨日のお母さんと一緒だ。優しい口調、心配げな顔。
でもどこか……責められてるような気がする。
「だって。先生が先に帰りなさい、って」
俯きながら呟く。ユウちゃんが帰らないのは、私のせいなのだろうか。
俯いたままの私に、かける言葉を失ったような2人はその場からそっと離れていった。
翌日も、その翌日も。
ユウちゃんは帰らなかった。
それから、1週間が経って、ようやくユウちゃんは見つかった。学校の裏のため池から。
物言わぬ死体となって。