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気まぐれ  作者: 鈴木樹蘭
9/11

第9話 私は永遠に、あなたのもの

 平和を守る。

 それは、国家にとって、最も重要なことのひとつでもあったが、どこの世界でも戦いは避けえないものとして存在し、もちろん、エフトニアも例外ではなかった。

 多くの不幸を生み、涙と血を流してまでも、人は争い、己の主張を貫こうとする。強いものが覇権を取り、弱いものは排除される。それが世の常である。


 淑女達の服装も軽くなったある日、北からの連絡を受けたシューレには緊張が走った。

 ヨーランを中心にして、宮殿の大広間に集まった面々は渋い顔で睨み合っていた。そこには、五人の宮廷官僚の他、三人の王女も呼ばれていた。


 空気が張り詰めた大会議堂では、軍司令官でもあるダニエルを睨んだヨーランはカツンと杖を鳴らす。

 「ここ三年、おとなしくしていたクルーシェが動き出したということは、王の御病気のことが知れたに違いない。ここは、エフトニアの統率に乱れはなく、健在であることを知らしめる必要がある。ダニエル、いかに対応する。」

 ヨーランに問われたダニエルは即座に答えた。

 「まずは、すぐ様、先行部隊をレリージュに送り、北の国境を越えて来るであろうクルーシェ軍を迎え撃つ準備をさせましょう。その後、兵糧の確保が整い次第、主力軍を率いて、一気に敵を蹴散らして見せます。」

 「うーむ。主力軍は、お主が率いるか。」

 「敵は王子を擁して出陣した模様なので、本来、こちらも王家の人間を旗頭としたいところですが、ギルギール様は病故に、仕方ないところです。できますれば、ヨーラン様に出張っていただけないでしょうか?」

 「儂は戦など好まぬ。王女でなく、ひとりでも王子がいてくれれば良かったのだがな。」

 「いいえ、戦はせぬとも構いません。王の代理として、旗印がほしいだけです。」

 「儂は嫌だと申している。」

 「御意。」

 ヨーランの拒絶に、ダニエルは引き下がるしかなかった。

 ことの重大さを察したサーラが発言する。

 「敵の戦力はどの程度なのでしょう。」

 それにも、ダニエルが即答した。

 「はい。先行部隊の数は約千、その後ろから、王子率いる主力が来ると思われます。おそらく、そちらの兵力は数千はあるかと思います。」

 「こちらが、用意できる戦力は?」

 「はい。先行部隊は七百、主力は五千の兵力を考えています。ただ。準備に一か月は必要です。」

 ヨーランはバシンと床を鳴らす。

 「一か月では遅い。三週間で用意しろ。」

 「はっ。」

 クルーシェは、エフトニアにとっては宿敵である。元々、北方の都市であるレリージュやオルジェはクルーシェの支配下だった。それをエフトニアが奪って、現在の北の山岳地帯の向こうまで押しやったのだ。

 もう、百年近く前のことであったが、その後も、国境での小競り合いは定期的に生じていた。

 ここ数年は大規模な侵攻はなかったのだが、王の病をついて、クルーシェは本格的な攻勢に出てきた可能性も考えられた。


 クルーシェはエフトニアよりもずっと大きな国である。本腰を入れて攻め込まれれば、それを阻止するのは容易ではないことは、誰もが周知している事実だった。

 ダニエルの表情は険しかった。

 敵の兵力はかなりのものになりそうである。エフトニア最北の都市であるレリージュの手前で何とか食い止め、最悪はレリージュの砦に籠城してでも、しのぐしかないというのがダニエルの見立てである。

 何とか、雪が降る季節まで持ちこたえれば、北の山を越えての兵糧確保は困難となる。そうなれば、クルーシェも兵を引くだろうと思われた。

 戦のことなどよくわからないレイニャは黙って聞いていたが、突然、隣のユーリエを見るとニッコリと笑った。

 ユーリエは直感的に嫌な予感が走った。

 「ハーイ、ハーイ。」

 レイニャは手を挙げた。

 考え込んでいたヨーランは、子供のような王女に目を止めた。

 「どうなさいました。レイニャ様。」

 「あのさ。私が行こうか。相手は王子なのでしょう。なら、私、王女だもの。旗印になると思うのだけど。」

 ユーリエは頭を抱えてしまった。

 -何もわかっていないくせに、こんな場で何と大胆なことを・・・-

 -戦さは、雪合戦とは違うのだぞ-


 ヨーランはじっとレイニャを睨むと頷いた。

 瞬時に、彼は計算していた。国王に何かあった折には、サーラを立てて、宰相の地位を確保することを考えていたヨーランにとって、レイニャは不要な存在である。以前は毒にも薬にもならないと思っていたのだが、最近のレイニャを見ていると、意外なまでの存在感があり、少々警戒していたところである。

 万一、命を落とすようなことがあっても、何ら損失にはならず、むしろ、都合が良いくらいである。それに、王女の参戦は、旗印になるのも確かだった。

 「おお、そうか。では、レイニャ王女様を旗印として、主力軍を構成しよう。それで、いいな。ダニエル。」

 「はあ、まあ、レイニャ様が良いというのであれば・・・。」

 レイニャは笑顔で答えた。

 「いいよ、いいよ。私、馬にも乗れるし、体力には自信があるもの。」

 まるで遠足気分のレイニャにユーリエは愕然としてしまう。

 「レイニャ様、戦場にはベッドもお風呂もありません。硬く冷たい土の上に、何日も眠り、矢が飛ぶような危険な中で、多くの屍と惨劇を見なければならないのですよ。」

 「だいじょうぶ。そのくらい、我慢する。」


 ユーリエはヨーランに向かって反論した。

 「王女は、王宮育ちの十七歳です。世間も知らず、戦の何たるかもわかっていません。私めが言い聞かせますので、先程の発言は忘れてください。」

 ヨーランは杖をあげると、激しく床を打った。

 「ユーリエ、それは異なことを。仮にも王女である身で口にしたのだ。それをなかったことになどできようか。」

 「しかし・・・。」

 ユーリエは歯を喰いしばって言葉を噛みしめた。ここで、ヨーランに逆らえば、自分の身も危うくなってしまう。彼は、その危険を承知していた。


 その様子を見ていたミッシェルが口を挟んだ。いかにも、善人そうな笑みを称えてはいたが、この男も要注意人物である。

 「まあまあ、王女は行くというのだ。ここは、レイニャ様の勇気を称え、我ら一丸となって、それをフォローしようではないか。」

 ヨーランがニヤリと笑って何か言おうとした時、ヨハンナが立ち上がった。

 「レイニャ、お願いします。父、ギルギールの代行として恥じぬよう、心して出陣しなさい。」

 彼女の断定的な言葉は、重く広間に響いた。姉の前で跪いたレイニャはヨハンナを見上げてしっかりと答えた。

 「はい。お姉様。その厳命、必ず成し遂げて見せます。」

 ゆっくりと視線を移したヨハンナはヨーランを見つめる。

 「うっ、ヨハンナ様・・・。」

 グリーンの深い瞳がヨーランの胸に突き刺ささるようだった。静かで無口な第二王女だったはずだが、この瞬間、彼女の存在は王に代わるような威厳を持っていた。老獪なヨーランにさえ有無を言わさぬ強さである。

 しかし、すぐにいつもの自信ある態度を取り戻したヨーランは一同を見渡して決議した。

 「よし、これで決まりだ。レイニャ王女を旗印として、宿敵クルーシェを討つのだ。すぐに、準備を開始しろ。」

 「はっ。」

 会議は終わり、ヨハンナはゆっくりとサーラに視線を向けた。公の場で、彼女が発言したのは、おそらく、これが初めてのことである。

 サーラはヨハンナを見返し、二人の視線はぶつかっていた。


 そんな二人を見たレイニャは、明るく笑うとヨハンナの胸に抱きついた。

 「お姉様。なんか、凄かった。」

 子供のように抱きついてくる無邪気な妹に、ヨハンナは視線を向けると穏やかな表情に戻った。

 「あなたは勇気があるわ。私にはとてもできないことよ。」

 レイニャは首を横に振った。

 「そんなことはないよ。本当は、少し怖い。」

 「本来、私か、お姉様が行くべきところ、あなたに、押しつけてしまって、ごめんなさい。」

 「ううん。私、お姉様の代わりとして恥じないようにがんばる。」

 ヨハンナは優しくレイニャの髪を撫でた。

 そんな妹達をサーラは呆然と見守るしかなかった。



 宮廷での仕事があるユーリエは、出兵には同行しなかった。

 ラウナと共に、船に乗ったレイニャは川を遡り北の都市であるレリージュへと向かった。そこで、エフトニア主力軍と合流する予定である。

 ラウナは分厚い本を開き読みふけっていて、レイニャはそっちのけであった。

 レイニャにとっては、船の旅は長く退屈なのに、少しもかまってくれないラウナに不服だった。

 「ねぇ、ラウナ。つまらないよー。何かして遊ぼうよ。」

 ラウナはフーと息を吐く。

 「レリージュに着くまでに、この本を読んでしまいたいのです。」

 「それ、何の本なの?」

 「昔の人が書いた兵法の本です。」

 「あああ、そんな難しい本、つまんない。」

 「いいえ、これは譲れません。」

 仕方なく諦めたレイニャは舳に立って前方を睨むフランクに近づいていった。軍部での地位は高くはなかったが、将来を有望視された腕の立つ剣士である。

 「ねぇ、フランク。レリージュってどんなところ?」

 振り返った黒髪の青年は鋭い視線をレイニャに向けた。こんな役立たずの王女を押し付けられて、迷惑千万という気持ちが彼にはあったのが、王女に無礼をはたらくにもいかず、丁寧に対応した。

 「北方の広大な農地からの穀物が集まる商業都市ですよ。首都シューレに次ぐ大きな街です。」

 「へーえ、北の方って、そんなに農地があるんだ。」

 「そうですよ。山岳地帯から流れる清流もあり、肥沃な土地が広がっています。ただ、クルーシェとの戦いの度に、農地が荒らされてしまうのが難点ですね。」

 「ふーん。」

 そこに、レイニャに付けられたもう一人の戦士がやってくる。とても、若くヨハンナと同じくらいの歳に見えた。

 「フランクさん、今のところ、順調です。このままだと、日が暮れる前にはオルジェに到着できそうです。」

 オルジェというのは、シューレの北東の街で、レリージュとの中間点に位置していた。今夜は、そこで一泊し、そこから馬車でレリージュに向かう予定である。

 フランクは若い男に向かって愛想なく答えた。

 「ナバロ、おまえ、レイニャ王女様のお相手をしてくれ。退屈そうにしておられるからな。」

 ナバロは嬉しそうに答えた。

 「はい。」

 

 夕刻のオルジェに到着すると、ナバロが宿に案内してくれた。しかし、メモを片手にしたナバロは何度も道を間違えた。

 「たぶん、このあたりのはずだけど・・・。」

 ラウナは歩きながらも本を読みふけっていたが、頼りない案内役を見上げたレイニャは不安顔そうに確認した。

 「ぬぬぬ。本当に、ちゃんと着くのだろうな。」

 「それは、間違えなく。」

 「うーん。そう言いながら、さっきから、何度も間違えているじゃない。」

 「いいえ、今度こそ、だいじょうぶです。」

 「信用できない奴だな。」

 しばらくして、路地を曲がった先に、やっと宿を見つけたナバロはほっとしたようだった。


 オルジェの街では最も大きな宿であるが王女が宿泊するような高級なものではなかった。中に入った三人は、遅い夕飯にありついた。

 食事中もラウナは脇目もくれずに本を読んでおり、その前で、レイニャは楽しそうにナバロと話していた。

 「えー、嘘。南の川には、そんな大きな蛇がいるの?」

 「そうですよ。俺が子供の頃に、小牛が呑み込まれるという事件もありました。」

 「いいな。いいな。私なんか、ずっと王宮の中ばかりで、何にも知らないの。庭の池にいたカエルくらいしか見たことがないわ。」

 王女の護衛を任命され、酷く緊張していたナバロだったが、信じられない程に人懐こいレイニャにすっかりと打ち解けていた。

 下級兵士の身分であれば、本来近くで見ることも許されない高貴な王女が、こんなにも傍で、まるで、友人の妹のような身近さで接してくれている。それは驚きでもあり、嬉しくもあった。

 食事が済むと、ナバロは、二人を部屋に案内してくれた。

 「俺は隣の部屋に居ますから、何かあったら呼んでください。明日の朝早くに出立ですので、それまでに、ご用意をお願いします。」

 「はーい。それじゃあ。ナバロ、話の続きは、また、明日ね。」

 手を振りながら部屋に入ったレイニャは小さなベッドに寝転がった。

 「ああ、疲れた。こんな服、重くて硬くて嫌になっちゃう。」

 戦闘に備えた革の胸当てが付いた服を脱ぎ捨てたレイニャは大の字になって寝転んだ。

 本を読むラウナも、無言で腰に付けた短剣を外すと枕元に置いた。彼女の方は布製の庶民用のワンピースである。

 「ねぇ、ねぇ、ラウナ。その本、そんなにおもしろいの?ずっと、見ているね。」

 本から目を放したラウナは気楽そうなレイニャに少し呆れながら答えた。

 「おもしろいですよ。戦略って、無数にあって、ものすごくいろいろな要素があるようです。この複雑な条件の中で、最適な作戦を見つけて、敵を撃破できれば、最高におもしろいと思います。」

 「私にはよくわからないな。しかし、このベッド、硬いし、随分と小さいのね。」

 肩に下げていた袋から、櫛を出したラウナはレイニャの傍に進むと髪を梳かし始めた。侍女は連れてこられなかったのだから、このくらいはやらないといけなかった。

 「ベッドがあるだけましですよ。」

 「ああ、そうだったわね。戦場にはベッドもないのか。おまえのような農民もこんなベッドで寝ているの?」

 髪を梳かすラウナは、あまりに無知な王女にがっかりしてしまった。こういうところは、さすがに箱入りである。

 「ベッドなどありませんよ。床の上に布を敷いて寝ることができればいい方です。私みたいな貧しい家では、土の上に藁ですね。冬はものすごく寒いですよ。」

 「初めて聞いたわ。ラウナ、苦労していたんだね。」

 「話しても、そんなことは自慢にもなりません。でも、レイニャ様にはわかっていてもらいたいです。農民の生活は、本当に過酷なのです。体力がない子供は、みんな死んでしまいます。碌なものも食べられませんから、大人だってちょっとした病気で、簡単に死んでしまいます。そして、残された家族が飢え死にすることも珍しくはありません。」

 「そんななのか。ラウナもガリガリに痩せていたものね。」

 「あれが普通です。お召物はご自分で着替えられますか?」

 レイニャは頷いた。

 「へへっ、そのくらい、自分でやらなくちゃね。あああ、私って、何も知らないんだな。」

 服を着替えたレイニャは早々にベッドに横になった。

 隣のベッドに横になったラウナが、再び本を読みだすと、レイニャは詰まらなそうな顔で話しかけた。

 「ねぇ、ラウナ。農民から見て、贅沢に暮らす王族や貴族はどう見えるの?」

 「それは、羨ましいと思いますよ。貴族に生まれることができれば幸せです。たぶん、本当の貴族の生活を知れば、多くの農民は貴族に反感を持つでしょうね。だから、貴族の生活は、農民からは、絶対に見えないようにできています。ほとんどの農民は愚かですから、貴族や王家かどんな生活をしているかなど知らず、今日、ライ麦パン一切れを食べられるかどうかしか考えていないのが実情です。」

 「では、貴族の生活を知ってしまったラウナ自身はどう思っているの?」

 「それは、いずれお話しします。」

 「おお、私にも言えないのか。おまえ、偉くなったものだな。」


 レイニャは笑っていたが、なんとなくはわかっていた。真実を知ってしまえば、自分達との格差を許せるはずはないだろう。ラウナが王族や貴族を良くは思っていないことは容易に想像できた。

 王の娘に生まれ、何も知らずに育ってきたレイニャだったが、権力というものが何であるかも、それが崩れないように守らなければいけない理屈も少しはわかっているつもりである。

 あの時は、深く考えずに、農民の娘であるラウナを引込んでしまったが、本来、農民と王族の間には絶対的な上下関係があり、それを維持しなければ権力社会など成り立たないのだ。だからこそ、貴族の本質を農民には見せてはいけないし、身分の差は厳守しなければならないのだ。

 「あああ、大人の世界なんかつまらないな。」

 レイニャのボヤキには奥深いものがあった。ラウナは自分の決意も込めて、レイニャに反論した。

 「そんなことを言っていたら、弾き出されてしまいますよ。レイニャ様は王女なのですから、下賤のものを踏みにじってでも、王の権威を守る覚悟が必要です。」

 「下賤のものとは農民だろう。おまえは、それでいいのか?」

 「冥府の食べ物を食した者は、もう、地上には戻れないという話をご存じですか?」

 「聞いたことがあるような。」

 「私は、王家の甘い汁を吸ってしまいました。だから、もう、農民ではありません。踏みにじられる側ではなく、踏みにじる側に立っています。」

 「おお、なるほど。」

 レイニャは王家というものが何かということを重く受け止め、人の世界の不条理も感じ始めていた。まだ、明確にはわかっていなかったが、何を大切にしなければいけないのかを考えなければならないという自覚が少しずつ芽生えていたのだ。


 リレージュの街にある軍の砦にレイニャは入った。

 わけのわからない軍議の後、レイニャは城壁の上に登り、北の大地を見渡した。そこには地平線まで畑が広がっていた。

 「苦労して、こんなところまで来ても、私は何の役にも立たないのね。」

 なれない旅の疲れもあるのかもしれない。地味なローブに身を包んだレイニャは元気がなかった。

 「役に立つとでも思っていたのですか?」

 ラウナの素っ気なくも冷たい言葉に、猶更、レイニャはがっかりしてしまう。てっきり、慰めてくれると思っていたのだ。

 「あああ、柔らかいベッドで寝たいな。」

 ここまでは、少なくとも建物の中で眠れたが、この先は、それも叶わないであろう。この調子では、先が心配である。

 「少しでも役に立ちたいのであれば、そうですね。私に乗馬を教えてください。」

 「ぬぬ、それは、おまえが役に立てるようになるだけで、私には何ら得はないのではないか。」

 「でも、落ち込んで、何もしないよりもましです。さあ、行きましょう。」

 ラウナに丸め込まれたような気がしたが、レイニャは逆らう気にもなれなかった。


 二人は城壁の内側で乗馬を開始した。

 「キャー。」

 暴れる馬に振り落とされそうになるラウナを見て、レイニャはケラケラと笑った。

 「おまえ、才能ないな。性格悪いから、馬に嫌われるんだ。優しくないもの。」

 ラウナの方は必死である。言われた通りに操っているつもりだったが、馬が暴れてどうにもならない状況である。

 「レイニャ様、もっと、ちゃんと教えてください。これ、どうすればいいのですか?」

 「手綱を放しちゃだめだぞ。背筋を伸ばして、遠くを見ながらバランスを取るんだ。」

 「でも、無理です。こんなに暴れていては、バランスなんて取れません。」

 「馬を自分の思う通りに動かすのではなく、馬が動く方に自分の体を持っていくんだ。」

 「えー、こうですか。あっ、キャー。」

 遂に、ラウナは落ちてしまった。ドスンと土に落ちたラウナは痛そうに顔をしかめる。

 「あああ、下手くそだな。仕方ないな。いっしょに乗りなよ。」

 レイニャの手を掴んだラウナは彼女の前に飛び乗った。

 「ほらっ、こうやって優しくすれば、馬だって言うことを聞く。やってみな。」

 レイニャから手綱を渡されたラウナは恐る恐る動かしてみた。すると、確かに馬は静かに進み始めた。

 「あっ、動いた。」

 「だろう。馬の気持ちを察しながら、そっとだ。」

 「はい。」

 馬は駆けていく。二人を乗せて、風を切って草原を疾走した。

 「ああ、気持ちいいです。」

 「だろう。」

 

 その頃、軍の会議室ではダニエルが副官のブラムや各部隊長と打ち合わせをしていた。

 「敵は山を下ったところにある丘の上に陣を張り、動こうとはしません。」

 「決戦をするつもりはないのかもしれないな。」

 ダニエルは地図を睨み、陣営を決定した。

 「こちらの主力は、敵の正面高台に陣取ろう。レイニャ王女にも、ここまで行って貰う。」

 「あの小娘、だいじょうぶですか?」

 口を出したブラムをダニエルは咎めた。

 「小娘とは何事だ。仮にも、偉大なるギルギール国王の御令嬢だ。口をつつしめ。」

 「はっ、申し訳ありません。」

 神妙に頭を下げるブラムを確認したダニエルは話を続けた。

 「それでだ。まずは、敵の出方を見てみよう。もし、チャンスがあれば、儂は直属の兵とコーバスを連れ、東の丘陵を抜け、敵の右から奇襲をかける。うまく敵を翻弄できれば、ブラム。おまえが全軍を率いて攻め立ててくれ。」

 「わかりました。」

 ブラムの同意に満足げに頷いたダニエルは、外の様子が気になり、窓の方に視線を向けた。

 「うーん。なんだ?」

 窓の外が騒がしかった。いつのまにか、兵士の叫び声が聞こえ、その中にはレイニャらしき、甲高い号令も聞こえてきていた。

 ひとしきり話を終えたダニエルが窓を開くと、何やら若い兵士達がもみ合っているのが見えた。

 それを見た指揮官の顔は一瞬にして険しいものへと変わった。

 「あやつら、何をやっている。」

 ダニエルは若い兵士たちが喧嘩をしていると思ってしまったのだ。


 レイニャはローブのフードを跳ねのけると、馬上で立ち上がり号令した。

 「よし、みなもの。総攻撃だ。」

 「ウォー。」

 歩兵たちが一斉に、ラウナの陣地に雪崩込むと、陣を守るラウナは細かく味方に指示を与えて防戦した。

 「正面に固まりすぎないでください。もっと、引きつけてから、前方の鳥チームで止めてください。横にいる犬チームは抜けてきた敵を押さえてください。」

 ラウナは状況を見ながらチャンスを伺う。温存している猫チームで一気に敵陣を落すつもりだった。

 レイニャは味方から見える位置に移動すると、脱いだローブを振り回しながら鼓舞した。

 「イケー。私がいる限り負けはない。」

 勢いに押される男達に向かって、ラウナは叫ぶ。

 「レイニャ様の攻めは無理攻めです。ここを凌げば私達の勝です。がんばってください。」

 レイニャチームの攻めに耐えながらラウナは男達に必死に命じた。

 素手の男達は、かわいらしい司令官の命に従って、敵の宝物を目指して押し合った。

 「今です。右側が空きました。猫チーム一気に敵陣を目指して走ってください。」

 それを見たレイニャは猛然と前に進んだ。

 「ふん、ラウナ、甘いぞ。私を誰だと思っている。ものども、負けるな!」

 馬上に立ちあがっているレイニャはローブを頭上でぐるぐると回し始めた。

 「先に、潰せ。イケー!」

 「ウォー。」

 「イケ、イケ、イケー!」


 ラウナチームの一人が、レイニャの陣にあった王女の首飾りに手を伸ばした瞬間に、レイニャの声が高らかに響いた。

 「ヤッター。取った。」

 もう少しで、レイニャの首飾りに手が届きそうだったが、それよりも先にレイニャチームの男達が防御を押し潰したようだった。

 ラウナはフーと息を吐いた。

 随分と工夫してやったつもりだったが、ただ、正面から無理攻めしてきたレイニャに勝てなかったのは、少なからずショックだった。


 馬上のレイニャは両手を上げて、甲高い声で叫んでいた。

 「ヤッター、ヤッター、大勝利だ。」

 他愛もない遊びなのだが、嬉しそうに喜ぶ王女の姿を見る兵士達も、同じように満面の笑みを浮かべて喜んでいた。

 「やりました!」

 「よーし、勝鬨だ。ウォー。」

 腕を突き上げる男達を見たレイニャは、ローブを投げ捨てると、天に向かって両手を交互に突き上げた。

 「ヤッター、ヤッター、ヤッター。」

 「ウォー、ウォー、ウォー。」

 「ヤッター、ヤッター、ヤッターーー。」

 「ウォー、ウォー、ウォーーー。」


 馬から飛び降りたレイニャは、ラウナの正面に立って睨みつける。

 「どうだ。参ったか。」

 「はい。参りました。」

 「もう一回やるか。」

 「いいですよ。次は何を賭けますか?」

 「ならば、今度は、このダイヤのブローチだ。」

 「私は、この服を賭けます。」

 「待て、待て、それでは負けたら着るものがなくなるぞ。おまえ、そのサファイヤのブローチを賭けろ。」

 ラウナは胸付けたブローチをさっと手で押さえた。

 「これは、だめです。」

 「なぜだ。」

 「だめなものはだめです。負けたら、裸になります。」


 二人が言い合っているところに、ダニエルが飛んできて兵士たちに言い放った。

 「おまえ達、何をしているんだ。喧嘩はご法度だぞ。」

 怒っているダニエルに、後方から出てきたレイニャが慌てて説明した。

 「これは、喧嘩ではなく、陣取り合戦だよ。」

 「陣取り合戦。」

 「はい。レイニャチーム対ラウナチームに分かれて、互いの陣地に置いた宝石を争いあうのよ。楽しいよ。ダニエル殿もやる?」

 周りの男達は汗だくで呼吸を乱していたが、どの顔も楽しそうだった。

 「そういうことか。いや、私はやめておこう。」

 男達を睨んだダニエルは大声で言い放った。

 「おまえら、戦地に出向く前に怪我をするなよ。」

 目を輝かせた男達は一斉に答えた。

 「はっ。」

 「よーし、第二戦目だ。イエー。」

 レイニャの掛け声に、男たちは一斉に声をあげた。

 「オー。」

 「勝てば、ラウナは素っ裸だ。見ものだぞ。」

 満面の笑みのレイニャは、両手を交互に突き出した。

 「イエー、イエー、イエー。」

 それに応えるように男達も声をあげた。

 「ウォー、ウォー、ウォー。」

 「よーし、もう一回。イエー、イエー、イエーーー。」

 甲高いレイニャの声は天にも届くほどに響き渡り、満面の笑みを見た兵士達は心躍る気持ちで、声を張り上げた。

 「ウォォーー。」

 これほどまでに、生き生きとした兵士の顔など見たこともなかった。ダニエルは思わず無邪気に笑う王女レイニャを見とれてしまった。

 -不思議だ-

 -この娘を見ていると、心の底から力が湧いてくる-


 粗末な板の上に転がるレイニャはなかなか寝付けなかった。

 「ねぇ、ラウナ。もう眠った。」

 「うーん。どうしたのですか?」

 「体が痛い。それに、体を洗いたい。」

 「それでは、夜明け前に起きて、井戸の水を浴びますか?」

 「冷たそうだな。」

 「今の季節であれば、そうでもないですよ。それよりも、見張りの人に見られちゃうかもしれなませんね。」

 「まあ、この際、それも仕方ないか。」

 「では、夜明け前に起こします。おやすみなさい。」

 ラウナはさっと布を被って寝てしまった。


 なかなか眠れないレイニャは、また話しかける。

 「ねぇ、ねぇ、ラウナ。そのブローチはそんなに大切なの?」

 「もう、寝ましょうよ。」

 連れないラウナにレイニャは絡んだ。

 「教えてよ。教えてくれないと寝かせない。考えてみれば、自分で買えるわけがないよね。私があげたものでもないし、誰に貰ったの?」

 「詮索しないでください。」

 「ウフフ。男の人なのね。教えてよ。」

 観念したラウナは白状した。あまり言いたくはなかったが、隠しておいて、後で知れたら、それこそまずいことになってしまうかもしれない。

 「もう、ユーリエ様です。」

 「ああ、そういうことか。ふーん、色気づいちゃって、憎い、憎い。」

 「そんなのではありませんよ。初めて、身に付けた宝石ですから、大切にしているだけです。」

 「まあ、いいわ。そこまで踏み込んだら、悪いものね。」

 そう言いながらも、レイニャは考え込んでしまっていた。

 -ユーリエか・・・-


 翌朝早く、裸になって井戸の水を被るレイニャは顔をしかめた。

 「冷たい!そうでもない、なんて、よく言ったわね。」

 「もう、じっとしていてください。私も寒いのですから、早く髪を洗って終わらせますよ。」

 全裸のラウナは力を込めて水を汲み上げると、急いでレイニャの髪を洗い始めた。

 その時、薄暗い中庭の井戸に、近づく人影があった。

 「あっ。」

 それに気づいたラウナは急いで、レイニャの前に立ちはだかった。

 「誰?来ないで。」

 素早く駆け寄ってきた男は、ラウナの腕を掴むと軽く締め上げた。

 「ふん。意外と律儀だな。王女の裸を隠したのはいいが、おまえの方は丸見えたぞ。」

 レイニャは胸を隠してしゃごみ込むと背中を向けてしまった。

 ラウナは冷静に反論した。

 「ブラムさんですね。放してください。それから、絶対にレイニャ様を見ないでください。」

 「ふーん、おまえは見てもいいのか。まあ、こんなガキの体を見ても仕方ないがな。」

 片手で首を締め上げたブラムは、もう片方の手でラウナの胸の辺りをまさぐった。

 それを見たレイニャはさっとローブを羽織ると、近くにあった短剣を掴んで、ブラムの首に付きつけた。

 「放しなさい。」

 レイニャの素早い動きに驚きながらも、ブラムは不敵な笑みを浮かべていた。

 「羽織っただけでは丸見えですよ。レイニャ王女様。」

 「放せと言っている。聞こえないのか。」

 「わかりました。放します。こんな下賤の女、どうしようが構わないでしょうに、もちろん、あなたには危害など加えるつもりはありませんよ。」

 それを聞いたレイニャは目を見開いて、ブラムの急所を狙って膝蹴りを入れた。ふいを突かれたブラムは避けることもなく、もろに受けてしまった。

 「ウッ。何を・・・。」

 ラウナを放り出したブラムは足をつぼめて蹲った。

 「ラウナは下賤なものではない。」

 「ウー。では、何ですか?身分は農民でしょう。」

 「違う。彼女が農民であるはずがないだろう。王家に出入りし、私と対等に話せるだけのものだ。」

 ブラムは痛みをこらえながらも反論した。

 「でも、農民なのですよね。」

 「おまえ、勘違いしているぞ。そんな格下の身分のものを、私が傍に等は置くわけがないだろう。これは、元農民であるが、その才を認め、貴族として認証している。」

 「貴族?それは、いったい誰が承認したのでしょうかね。」

 「ふん、第三王女の私が承認した。正式には、今・・・、手続き中だ。いずれ、しかと任じられる予定だ。」

 「まあ、そこまで言うならば、わかりました。ラウナ殿、失礼いたしました。明るくなってきましたので、二人共、服を着てください。それから、水浴びをするのであれば、事前に言ってください。誰かに見張らせます。」

 ブラムは、まだ痛そうに下腹を押さえながら去っていった。


 服を着たレイニャは不機嫌だった。

 「何だ、あいつ、ひどい奴だな。」

 「でも、あんなことを言ってしまって良かったのですか?」

 「ちょっと、苦しい言い訳だったけど、今後もこういうことはあるだろうから、おまえの身分ははっきりさせておかないといけない。」

 「私、別に貴族になんかになりたいとは思っていません。」

 「いやいや、そういうわけにはいかない。私の傍にいるならば、貴族の身分は必須だ。」

 「そういうものなのですか。」

 「そういうものよ。でもさ。困ったな。誰か、おまえを養女に迎えてくれる貴族はいないかな。」

 そう言ったレイニャは人の気配にはっとして振り返えった。


 すると、そこにはフースが立っていた。

 「おお、おまえ、いつからそこにいた?」

 フースはびしょ濡れの井戸の周りや二人の濡れた髪に目をやった。

 「今、来たばかりですよ。もしや、水浴びをしていたのですか?」

 「もしかして、もしかして、私の裸を見たりしたのか?」

 「今来たばかりと言ったではありませんか。もう少し早く来れば、王女様のお体を拝見できたのであれば、惜しいことをしました。」

 「うぬぬ。ぬけぬけと、そう言うか。」

 二人の会話を聞いていたラウナは、妙におかしくなって、クスッと笑ってしまった。



 それから、数日後、馬を駆るレイニャをラウナは必死に追いかけていた。

 白馬の手綱を掴み、目を輝かせた王女の体が揺れ、それに合わせて白い服が風で靡く。天真爛漫、どこまでも、自由に駆け抜けていくようなレイニャの姿は眩しすぎる程に眩しかった。

見つめるラウナは心の中で呟いた。

 「ああ、なんて素敵なお姿なのだろう。」

 高台を目指し、さっそうと駆けるレイニャは嬉しそうに笑っていた。

 「ウワー。良く見える。」

 高台に登り、敵の陣地を見下ろしたレイニャは気持ち良さそうに深呼吸した。

 北の大地に出て、陣を敷いてから、十日が経過していた。

 何とか馬に乗れるようになったラウナはやっとの思いでレイニャの横に並んだ。その後ろからは、ナバロも追いかけてきていた。


 横にいるラウナを見たレイニャは、息を弾ませながら話しかける。

 「ねぇ、ラウナ。敵が攻めてくるとしたら、どこから来ると思う?」

 「そうですね。左の窪地を抜けて奇襲をかけてくるか。堂々と正面から押し出してくるかですかね。こちらは風下ですけど、丘になっていますから、正面からだと攻める方が不利だと思います。」

 レイニャも少しは戦いというものを理解し始めているようだった。

 「ふむ。正面から攻めるためには、向こうの方が戦力的に上でなくてはならないということね。左からの奇襲はどう?」

 そこに、やってきたナバロは息を切らして、レイニャに申し立てる。

 「レイニャ様、あまり前に出ると危ないです。陣内にお戻りください。」

 「だいじょうぶよ。あなたも、そこで聞いていなさい。」

 「はあ。」

 敵との間には集落もあり、その周りには畑が広がっていた。ここで戦いとなれば、折角、麦が育ち始めた畑も目茶目茶になりそうだった。それに抗うこともできない農民とは、実に悲しいものである。

 ラウナはさっきのレイニャの質問に答えた。

 「左からは急坂であれば、奇襲でなければ成功しません。こっちが先に、敵の動きに気づけば失敗します。」

 「ふーん、それで、どうしたらいいのかな。」

 「うーん、まずは左の窪地に見張りを潜ませ奇襲に備え、正面の坂の途中に柵でも作れば、攻められることはなくなりそうに思えます。」

 「おお。なるほど。早速、ブラムに提案してみよう。」


 意気揚々とブラムの元を訪れたレイニャだったが、その作戦は一蹴にされてしまった。

 レイニャは草の上に寝転び、空に浮かぶ雲を眺めた。

 「ああ、こうしていると平和なのだけどな。」

 隣に同じように寝転ぶラウナも風で揺れる王家の旗印を見つめていた。

 「そうですね。」

 「あああ、やっぱり、私なんか、ただの旗なのね。それ以上の役には立たない。ねぇ、あの本、見せてよ。」

 そう嘆くレイニャだったが、この時は、まだ十分にやる気があった。

 「兵法書ですか?読みにくいですよ。」

 「いいから、見せてよ。」

 ラウナは肩に掛けたバッグから、本を出すとレイニャに渡した。

 レイニャはページを捲り読み始めたがすぐに弱音を吐いた。

 「おお、全く意味不明だ。これ、どういう意味?」

 横から覗きこんだラウナは説明してくれた。

 「これは、戦いの準備の話です。遠くで戦う時には、必ず、兵隊さんの食糧の確保や武器の補充ができるように、補給路を確保しなければいけないという話です。」

 「じゃあ、これは?」

 「これは、えーと、見えない敵は大きく見えるという話ですね。実際には、少数の敵でも見えないと大群のように思えて逃げ出しちゃうみたいなことです。」

 「おお、では、これは?」

 「敵のことを知っていて、味方のこともわかっていれば、負けないという話です。裏を返せば、敵の兵力も知らず、味方の士気や団結力も誤認して戦えば負けるということです。」

 「では、では、これは?」

 「戦いは国家の存亡をかけるものであれば、どんな些細なことにも注意を払い、避けられるものなら避けるべきだと書いてあります。」

 「おお、これはおもしろいな。」

 「あの、レイニャ様。で、あれば、ご自分でお読みくださいませ。」

 「ねぇ、らうなあ。もうひとつだけ、これは?」

 「戦いというのは正義が勝つわけではなく、敵を欺いた方が勝つ。要するに、手段を選ぶような余裕はないということですかね。」

 「あああ、ついでにこれも。」

 「もう、キリがないですね。兵を動かす者は、全体を良く見て敵の弱いところを捜し、臨機応変に対応しなさいという話です。」

 「なるほど。ラウナの弱いところってどこだろう。」

 「あの、何か勘違いしていませんか。」

 「今に見ていろ。私が伊達に王女ではないことを見せつけてやる。」

 何か、どこかが違っているのだが、それが、レイニャの良いところでもあるとラウナは思った。

 「はい。見せてください。王女の力、期待しています。」


 来る日も来る日も何も起こらない退屈な日々だった。

 ダニエルは、無理に攻める気はないようである。戦わずに済むのであれば、それはそれで、嬉しいことではあるが、レイニャはかなり焦れていた。

 沈みゆく真夏の太陽に照らし出されたレイニャの顔は、明らかにやつれ始めてもいた。

 心配そうにレイニャの顔色を窺うラウナは、自分のパンを千切ると差し出した。

 「食べてください。」

 「いいよ。それはラウナの分でしょう。」

 「これだけ食べられれば、私は十分ですから、どうぞ。」

 ラウナは千切ったパンをレイニャの口に押し込んだ。

 「ウワー、何を・・・。」

 口に入れられてしまったので、仕方なくレイニャはパンを噛んだ。

 「レイニャ様は王女、旗印なのですから、やつれた顔ではいけないのです。陣取り合戦をやっても、ただ力攻めしかできないレイニャ様に、私は勝てません。それは、なぜだかわかりますか?」

 「それはさ。私の方が、頭がいいからに決まっている。」

 「違います。レイニャ様のためなら、兵士は死んでくれます。でも、私のために命を賭けてくれるもの好きなど誰もいません。それは、身分の違いだけではありません。レイニャ様は、生まれながらにして、そういう力をお持ちなのです。」

 「おお、そういうものか?」

 「そういうものです。だから、王女の威厳を保つために、無理にでも食べてください。」

 パンを噛むレイニャはあたりを見回した。レイニャ達に与えられている食事はましな方である。雑兵達などは、一口だけの芋くらいしか食べていないようだった。

 「ねぇ、ラウナ、おまえはだいじょうぶなのか?」

 「何が、ですか?」

 「食べ物も酷いし、草の上では熟睡もできない。しかも、まともに体を洗うこともできない。こんな中で、よく平気でいられるな。」

 「私は慣れているから問題ありません。でも、レイニャ様の御辛い気持ちはよくわかります。考えてみれば、よく我慢していますよね。」

 レイニャは、ため息をついて下を向いてしまう。

 「らうなあ、いつまで耐えればいいのかな?」

 「はて、いつまででしょうか?」


 時は過ぎ、レイニャとラウナは草の上に並んで、本を読んでいた。

 高台の草を揺らし、山から吹き下ろしてくる冷ややかな風が吹き抜けていった。

 レイニャはかなり辛そうだった。ラウナから見ても、可哀そうなくらいである。王女として宮廷の中で育ったレイニャにとって、どれほど、この環境が過酷であるかは、十分想像できた。

 「あああ、いつまで、ここにいればいいのかな。もう、二か月以上だよ。」

 「兵法によれば、避けられる戦いは避けた方がいいと書いてあります。このまま、秋が深まれば敵は退却するしかなくなります。ダニエル様は、それを待っているのだと思います。」

 「でもさ。もう、食べ物もないんだよ。このままでは、敵と戦わずして飢え死にだ。」

 「ですから、ダニエル様が救援物資を送ってもらえるように、シューレに戻ったのではありませんか。だいじょうぶですよ。きっと、もうすぐ、食料は届きます。」

 「でも、でも、ここに、戦いは早く済ませた方がいいとも書いてある。長く戦って、いい結果が出ることはないってさ。」

 「そうですね。でも、もう少し待てば麦も収穫できます。」

 「そうか。今、戦ったら、麦が駄目になっちゃうか。でも、勝つためには手段を選ぶなとも書いてある。兵法書さあ。ある意味、シビアだよね。」

 「はい。勝つためであれば、何人死んでもいいみたいに書かれていますね。」

 「これを信じて、本当にいいのかなあ?」

 「どうでしょうかね。でも、きっと、戦争なんて、そんなものなのでしょう。」

 その言葉に、レイニャは嘆きの表情を見せた。

 「ああ、何もかもめげることばかりだ。戦争も国も、王女も、全部、嫌になってきた。」


 レイニャの顔を見れば、頬はこけ、肌は荒れ、情熱的な眼差しも沈んでしまっている。ラウナは、何とかしてあげたいとは思うのだが、どうしていいのかわからなかった。

 「あまり投げやりにならないでください。もう少しの辛抱ですよ。」

 「ああ、そんな根拠のない慰めは要らない。おまえも気づいているのだろう。戦さだけじゃない。今のエフトニア王国そのものが、そういうものなんだ。国家が一番大切で、人なんか、どうでもいいんだ。だから、みんな不幸になっちゃうのよ。」

 ラウナは困ってしまった。

 「レイニャ様、お疲れなのですね。私が見守っていますから、少し眠ってください。」

 「眠くなんかない。なぜ、人の命よりも、国家というのは優先されなければいけないの?ここで、何人のたれ死のうが、国を守れれば、それでいいなんて、私には思えない。きっと、私が死んだとしても、ヨーランは、きっと、小豆を一粒落としたくらいにしか、思わないわ。」

 疲れることは、ある意味で人の心をすさませるものだ。毎日、過酷な労働を強いられている農民は、皆、自分勝手で、人の手助けなどはしない。それに比べれば、貴族の方が、まだ思いやりがあるかもしれなかった。

 レイニャは疲れている。その疲れが、彼女の輝きを消していく。


 手を掴みラウナは祈るように告げた。

 「でも、私は泣きますよ。レイニャ様がいなくなった世界など考えられません。だから、いつも輝いていてください。」

 そんなラウナの気持ちも、レイニャには響かなかった。

 「あああ、こんな所では、輝きたくても輝けないよ。ねぇ、ラウナ。ずっと、いっしょにいてくれるよね。」

 「はい。レイニャ様が望む限り、永遠に傍にいます。だから、もう少し、がんばってください。」

レイニャは真に悲しそうな顔をした。

 「私さあ。何もわかっていなかった。同じ人間なのに、農民の命は軽い。私は働きもせずに、贅沢三昧、好きなことをして生きてきた。それで、いいわけない。いいわけないじゃないか。」

 レイニャの目には涙が浮かんでいた。

 「いいえ、良いと思いますよ。レイニャ様は王女です。農民の命の何百倍も、いいえ、何万倍も価値があります。なぜなら、レイニャ様の言動、それから、行動が何万もの人間を救えるからです。」

 「らうなあ。こんな私を憎く思わないの?王族なんか、農民だったおまえから見れば、酷い奴らに見えるのだろう?」

 「憎いなんて、とんでもありません。あなたを誰よりも尊敬しています。そして、あなたの存在に感謝しています。」

 「ねぇ、ねぇ、ラウナ。おまえは、なぜ、そう言ってくれるの?」


 ラウナは、絶望の底で見たレイニャを思い出していた。

 ブロンズの髪を靡かせて、役人達を蹴散らした彼女の姿は忘れられない。心が震えるというのは、ああいうことなのだろう。

 絶対に届かない遥か高みに君臨する力。そんな圧倒的な力を見せつけたレイニャはあまりに衝撃的で、ラウナの胸の中では神様以上の存在として刻まれていた。

 その姿に比べると、今のレイニャにはオーラがなかった。

 「それは、レイニャ様が、頂点に君臨できる本物の王女だからです。あなたに比べれば、この世界に住む全ての人は、ゴミくずです。」

 「えー、私は魔法使いでも女神でもない。ちょっと、良い服で着飾っているけど、裸になればラウナと何も変わらない。」

 レイニャを崇高なものとして見ているラウナであったが、当のレイニャは二か月間の野宿に疲弊し、すっかり弱気になってしまったようだ。

 「いいえ、違います。例え、裸になっても、私とは違います。私には、絶対に、どんなに努力しても、レイニャ様の代わりはできません。」

 レイニャはフーと息を吐くと下を向いてしまった。

 「ラウナ。」

 「はい。」

 「おまえの代わりができる奴も誰もいないよ。だから、ラウナ・・・。」

 レイニャの言葉は、ラウナの心の奥まで響いていた。

 「はい。」

 「ずっと、ずっと、傍にいて・・・。」

 ラウナの目には涙が浮かんでいた。

 「そう言っていただけると嬉しいですよ。私は、永遠に、あなたのものです。」


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