第8話 少女達に芽生えの季節がやって来る
春の訪れと共に、雪が融けたシューレの街は活気で溢れていた。
ユーリエといっしょに街に出かけたラウナは、露店に並ぶ多くの商品に目を輝かせていた。特に、装飾品に関しては、その品数も品質もサーバスとは段違いである。
「ウワー、綺麗な宝石。」
サファイヤブルーに光るブローチを見とれるラウナの頭を撫でると、ユーリエは悪戯っぽく笑いながら頬を摘まんで引っ張った。
「もう、やめてください。」
「やわらかくて、肌もすべすべだ。胸の辺りも膨らんできたようだが、ちょっと触ってみてもいいか。」
ユーリエの手をビシャと叩いたラウナはワンピースの上から腕で胸を隠した。
「ダメに決まっています。私はユーリエ様のおもちゃではありません。」
クスクス笑うユーリエはブローチを手に取ると、その腕をどかして胸に付けてくれた。
「えっ。」
ラウナが驚いている間に、ユーリエは、さらりと露店商人に金を渡してしまった。
呆然とするラウナにユーリエは優しく微笑みかけてくる。
「面倒な姫の相手をしてくれているご褒美だよ。そのブルーの輝きは、おまえに良く似合う。」
「でも、こんなに高価なものを・・・。私にはもったいないです。」
「もしかして、気に入らなかったか?」
ラウナはブローチに手を当てると、噛みしめるように何かに思いを馳せていた。
「いいえ、そんなことはありません。凄くうれしいです。ただ、ちょっと、驚いちゃって・・・。」
農民でいたら、一生働いても手に入らない代物である。舞い上がりそうな気分のラウナは、一生大切にしようと心に誓った。
「その代わり、これから、忙しくなるからな。おまえも手伝ってくれ。」
ユーリエの言葉を聞いたラウナは気を引き締めて頷いた。
「はい。来週は建国祭ですね。」
「ああ、そうだ。その次は軍事パレード、その次は大晩餐会だ。」
「そう言えば、建国祭の挨拶は、サーラ王女様が代行するのですよね。」
「先日の会議で、そう決まった。問題は軍事パレードだ。サーラ王女もヨハンナ王女も出たくないと言ったらしく、レイニャ様に打診が来ている。まだ、返答していないのだが、おまえは、どう思う?」
ラウナは首を捻って考えると、はっきりと答えた。
「お受けして良いのではないかと思います。」
「ほう、王も御病気で、今は、次の女王が誰になるかというのがもっぱらの関心事項だ。官僚や貴族達から睨まれないようにするためには、できるだけ目立たないようにしていた方が利口だと私は思うが、違うか?」
「そうかもしれませんが、何というか、もっと外の世界との繋がりを持つことも大切かと思います。この先、いろいろと不安要素もありますので、軍や有力貴族との繋がりを作っていって、後ろ盾になってもらえるようにするのが肝要かと・・・。いえ、その、でしゃばったことを言ってすみません。」
「なるほど。レイニャは遊んでばかりで、貴族との繋がりも弱いし、軍との接点など、まるでないからな。そういう意味では、いい機会か。」
「はい。」
この国の将来が、どのように流れていくのかなど、ユーリエにもわからなかった。しかし、どのようになったとしても、レイニャ王女の居場所だけは確保しなければならない。それが、彼の仕事である。
数日後、春の光を浴びたシューレの街は祭りに興じていた。
宮廷前の広場は人で埋め尽くされ、その熱気は例年以上のものだった。それは、豊かな農地を持つ平和な国が繁栄している証拠かもしれない。
例年であれば、建国際の挨拶は国王がすることになっていた。国民に対し、直接の言葉を与える数少ない場のひとつであり、最も重要な接点でもあった。
しかし、病の王は床を離れることは出来ずに、今年はサーラ王女が代行することに決まっていた。
五人の宮廷官僚と宰相ヨーランが見守る中、三人の王女が姿を現すと、会場は大きな拍手と歓声が鳴り響いた。
長女のサーラは二十歳になっていた。金髪にグリーンの瞳をした凛々しき風貌である。
そして、次女のヨハンナ。
やや小柄で華奢な体つきではあったが、優雅で神秘的な雰囲気を持つ第二王女は奇跡とも思える麗しさだった。銀色の髪と、深く静かな眼差しのグリーンの瞳が目を引き、その美貌は誰もが認めるところである。
最後に入場したのは三女のレイニャは、ブロンズのロングヘアに情熱的なオレンジの瞳を持つ十七歳だ。生き生きとした顔には少女らしい悪戯っぽさと無邪気さが漂っていた。
左右にヨハンナとレイニャを従えたサーラは堂々とした態度で、演説を始めた。それは、国を纏めるべく者として十分な内容を持った威厳のある言葉だった。
ある意味で、この祭典は、次期女王はサーラであるという印象付けにもなったようだ。
一度部屋に戻ったレイニャはラウナに命じた。
「サーラお姉様に挨拶しに行くわ。あなたも同行して。」
ラウナは神妙な顔で頷いた。ここに来て半年が経過していたが、サーラに会うのは初めてである。なぜ、このタイミングなのかはわからなかったが、ピーンと背筋が伸びるような緊張感が走った。
サーラの元を訪れたレイニャはいつも通りの明るい顔で挨拶した。
「さすがお姉様。あんな演説、私には絶対できません。」
「まあ、事なきを得てほっとした。おまえも、なかなか煌びやかだったではないか。もう、ヨハンナにも引けを取らないな。」
ずかずかとサーラに近づいたレイニャは、間近で屈み込むと膝の上に手を乗せた。
「ヨハンナお姉様には敵いません。でも、でも、お姉様。」
「なんだ。」
「ヨハンナお姉様と、もっと仲良くしてください。昔は三人でいつも遊んでいたじゃありませんか。最近、全然、話していないでしょう。」
同行したラウナは後方で膝をついたまま、深く頭を下げて聞いていた。
サーラの後方には直立不動のままの侍女二人が立って、そんなラウナに興味津々の視線を送っていた。
サーラは少し困ったように顔を背けてしまう。
「どうも、おまえと違いヨハンナとは話しにくい。それに、あいつの方から、ここに、訪ねて来ることもない。私の方から行くのも・・・。」
「私、心配です。喋らないでいると、疑心が生じちゃたりしちゃいます。」
「おまえに言われなくとも、そのくらいのことはわかっている。そうだな。今度の晩餐会の時にでも、三人で話そうではないか。おまえもいれば、私も気楽だ。」
その言葉に安心したようにレイニャは頷いた。
「はい。それは、良い考えです。あの、それから、お姉様、今日は、是非、紹介しておこうと思って、ラウナを連れてきました。何か、言葉を掛けてやってください。」
サーラはレイニャの頭に手を乗せると、そっと撫でながらラウナに視線を向けた。
「ふん、これが噂の農民の娘か。思ったより、小奇麗にしているではないか。」
目を伏せているラウナは、その言葉から、すぐに、サーラの元に連れてこなかったレイニャの考えがなんとなくわかった。
ヨハンナは、自分が農民出身であることを口にしたことはなかったが、サーラは身分を明らかに気にしているようである。
「ラウナです。」
「もっと、近くに来て、顔を見せてくれ。」
サーラの言葉に従い、頭を下げたまま、ラウナは前に進んだ。
レイニャの少し後ろまで進んだラウナの腕を掴んだサーラは、グイッと引き寄せた。その強引とも言える態度が、そのまま、彼女の威厳でもあった。
「顔をあげろ。」
恐る恐る顔を上げると、サーラは手を伸ばして、ラウナの頬に触れた。
「かわいい娘だな。ここに来たからには、おまえはもう農民ではない。そのつもりで行動するがいい。そうでなければ、レイニャの傍には置いておけない。」
サーラの顔をじっと見たラウナは頷いた。
「はい。サーラ様。」
「お姉様。ラウナは私の大切な友達です。どうぞ、よろしくお願いします。」
「承知した。」
手を引っ込めたサーラは優しげな眼差しに変わっていた。
「レイニャのことをよろしく頼むぞ。」
「はい。お役にたてるようにがんばります。」
サーラの部屋を出たラウナは思う。
サーラに会ってみて、印象が大きく変わった。レイニャはヨハンナの方にべったりという感じだが、ラウナにすればヨハンナよりもサーラの方が、印象が良かった。
レイニャのことを大事に思っているようだし、想像していたような陰険さも高慢さも感じなかった。
そして、何よりも、サーラの考えは論理的であり、ラウナには理解しやすかった。農民を蔑むのではなく、ただ身分の違いで区別しているだけである。国王を頂点として広がる貴族中心の権力主義を重んじていると考えて間違えなさそうだった。
数日後、朝になって急にレイニャは軍の視察に行くと言い出した。
ユーリエは困り顔である。
「全く、急にそんなことを言いだされても困ります。」
「だって、来週末にはパレードでしょう。軍事演習の視察をして、兵隊さんに私が訓示するのでしょう。だったら、一度くらいは、軍隊ってどんなところか見ておきたいの。」
溜息をついたユーリエはラウナの顔を見たが、彼女は首を横に振った。助け船がほしかったのだが、どうも、だめらしい。
「ああ、本当に、手間のかかる王女様だ。」
ぶつぶつ文句を言いながら、ユーリエが出て行くと、レイニャは目を輝かせてラウナの手を掴んだ。
「ねぇ、帰ってくるまで、何して遊ぼうか。」
本当に、子供のように天真爛漫な王女である。自分よりも一歳半年上とはとても思えなかったが、そこが彼女の魅力でもあった。
「シャルロッテさんも誘って、庭で鬼ごっこでもしますか。私が勝ったら、新しい本を買ってください。」
「おお、いいね。ラウナが負けたら、何してくれるの?」
「何でもしますよ。」
庭の小道を走るレイニャをラウナは必死に追いかけ、最後は飛びつくように彼女の体を掴んだ。
「はあ、はあ、はあ。捕まえましたよ。」
「はあ、はあ。おまえ以外には、絶対に負けないんだけどな。」
苦しそうに息をするラウナはニッコリと笑った。
「王族のお嬢様とは鍛え方が違います。」
「ああ、それ、言っちゃうんだ。パレード終わったら、今度は、アスレチックで勝負よ。」
「いいですよ。ローガンさんも誘いましょう。」
レイニャは嬉しそうに笑うとラウナに抱きついた。
「あいつか。いいね。また、カモにしてやる。」
交渉を終えて戻ってきたユーリエは楽しそうに戯れる二人の少女を見つけると、暫く黙って待っていた。ラウナと遊ぶレイニャは心の底から楽しそうである。
隣で見守る侍女のクラーラが、そんなユーリエに話しかけてきた。
「本当に、かわいい盛りですわね。」
「こんな日々が、ずっと続けばいいのですがね。」
前に進み出たユーリエは、走り回るレイニャに声をかけた。
「午後から、視察の了解が取れました。早めに昼食を済まして出かけましょう。」
それを聞いたレイニャは飛び上がって喜んだ。
「ヤッター。ねぇ、ラウナ、軍隊って、楽しそうだよね。」
ラウナは首を傾げると冷静に答えた。
「そういうところではないと思います。」
出迎えた軍総司令官のダニエルは豪快に笑う男だった。対面早々、筋肉隆々の腕を差出し、レイニャに握手を求めてきた。
「ワハハハッ、よくお見えになりました。レイニャ王女様。総司令官のダニエル・コーレです。」
レイニャは一度後ろを向いて、豪快な男に圧倒されているラウナに耳打ちした。
「ラウナ、見てみろ。すごい腕のおっちゃんだ。」
唾を飲み込むラウナを余所に、レイニャは笑顔でスカートを掴むと、品よく会釈した。
「第三王女のレイニャです。お初にお目にかかります。」
それから、一歩進み、目をクリクリさせながら大きな手を握った。
「おお、まじかで見れば、なんともかわいらしいお姫様だ。よろしく頼みます。はははっ。」
ラウナの横にいるユーリエも身長では負けていなかったが、比べれば貴族の優男である。頭を掻いたユーリエはいつもの困り顔で挨拶した。
「ダニエル殿、無理をお願いしてすみません。」
「いやいや、構わんよ。王女様に視察していただければ、兵士の士気も上がるというものだ。」
ダニエルは軍の総司令官でもあり、宮廷官僚のひとりでもある。国家の中ではかなり大きな権力を握っている男だった。
ダニエルは後ろに控えていた男を紹介してきた。
「こいつは、私の右腕とも言える頼れる剣士だ。名をブラムという。王女様にも御見知りおきをお願いします。」
レイニャは、少し癖のありそうなブラムに視線を向けると、王女らしく高貴に満ちた態度で挨拶した。
「レイニャです。」
ブラムはさっと膝をつき、臣下の礼をとると、冷静な口調で応じた。
「ブラムと申します。以後、御見知りおきを・・・。王女様。」
そう言ったブラムは、一瞬、笑ったように見えた。
幾つかの施設を回ったレイニャは弓隊の試技を見学した。
ギリギリと音を立てて引かれた矢が、風切音をあげて五十メートル先の的に突き刺さると、レイニャは目を大きくして驚いていた。
「おお、近くで見てみると、すごい迫力だ。あんなに遠い的にも届くのね。」
軍の荒くれどもに囲まれながらも臆することないレイニャに、ダニエルは豪快に笑う。
「ハハハハッ、このコーバスのようになるまでは、十年はかかります。」
「ちょっと、触ってみてもいい?」
「どうぞ。」
コーバスが差し出した弓を受け取ったレイニャは真似してみたが、とても硬くって引けるものではなかった。
「うーん。無理。硬い。」
弓隊の隊長であるコーバスは二十代後半の物静かで思慮深そうな男だった。
必死に弓を引こうとするかわいらしい王女に、コーバスは別な弓を差し出した。
「こちらは初心者用です。放ってみますか?」
「ウワー、やるやる。」
満面の笑みを浮かべたレイニャは、コーバスに助けて貰いながらも、弓を構えた。
「もう少し上です。」
その時、コーバスの手がレイニャの手に僅かに触れた。
「えっ?」
手が軽く触れた瞬間だった。コーバスは震えるような何かを感じた。柔らかな王女の手はまるで天使のように繊細で、触れた指先からは電気が走るように暖かく心地よい安らぎが広がってくるようだった。
-この安心感は、何だろう?-
-それに、なんだか、意欲が沸き上がってくるようだ-
放った矢は十メートルくらい先に落ちてしまったが、彼女は満足そうだった。
「ワーイ、飛んだ、飛んだ。ラウナもやってみなよ。」
子供のように無邪気に喜ぶレイニャだったが、ラウナは身の程をわきまえていた。自分などが出る幕ではない。
「いいえ、私は遠慮しておきます。」
槍の試技を見ても、整列して移動する軍を見ても、レイニャは大喜びである。
「すごい、すごい、みんな、私達を守るために、一生懸命に練習しているのね。」
離れた場所から、槍部隊の合同試技を観戦していたレイニャは試技が終わると、フェンスを乗り越え、フィールドに飛び降りてしまった。
慌てて止めようとしたダニエルはフェンスを乗り越えてフィールドに降り立ち追いかけた。
「レイニャ様、土埃が酷いので、御召物が汚れてしまいます。」
ユーリエは溜息をつくと、仕方なさそうな顔でフェンスを飛び越えた。
「ああ、少しはじっとしていてくださいよ。全く、手間がかかる。」
その時には、笑顔いっぱいのレイニャは槍部隊長のフースに向かって叫でいた。
「ちょっと、槍を持たせて。」
フェンスに手を掛けたラウナも後を追うように、フィールドに向かって軽々と飛び降りた。それを見たブラムが声をかけてきた。
「農民の娘というのはおまえか。女というよりも、まるで獣のようだな。」
振り返ったラウナは軽くお辞儀をした。随分と失礼な言い方ではあったが、その程度のことを気にするラウナではなかった。
「はい。ラウナです。」
罵りの言葉に反応しないラウナに、ブラムは舌打ちして睨みつけた。
「さすが、下賤の身で王女に取り入るだけのことはあるな。大した玉だ。」
ラウナは冷静にブラムを分析していた。少し横暴でプライドが高い男のようだ。そして、身分にはかなり拘りを持っている。
フィールドを見ると、身長に似合わない長い槍を持ったレイニャが、掛け声と共に振り回していた。
周りの男たちは腕を組みながら王女を見つめ、どの顔にも笑みが浮かんでいた。
腹違いの第三王女として生まれ、母親は王を裏切って駆け落ちした。それでも、王からも愛され、姉からも大切にされているレイニャは、誰からも好かれる才能を持っていた。
週末の盛大な軍事パレードを視察したレイニャは集まった民に手を振った。
まだ、若くかわいらしい王女に、民からは大きな拍手が沸き上がった。身分を問わず、若い男性が多く繰り出しており、例年とは異なるパレードの雰囲気になっていた。傍らで見つめるラウナは、そんなレイニャを眩しそうに見つめていた。
ラウナの横に立つユーリエは、王女に視線を向けたまま、ラウナに話しかけた。
「どうだ。レイニャはおまえの主としてふさわしいか?」
「もちろんです。ユーリエ様はいかがなのですか?」
「手間のかかる王女で困ったものだ。しかし、こうやって、民衆を魅了できるからな。主としては不足はない。」
ラウナは長身のユーリエを見上げた。彼の言葉に興味を抱いたのである。
「ユーリエ様も、魅了されてしまったひとりなのですね。」
「おもしろいことを言うな。そう言うおまえはどうなのだ。」
「私は元より、レイニャ様のものです。」
ユーリエの視線は、そんなラウナに向けられた。それに気づき、さっと視線を外し俯くラウナだったが、ユーリエはじっと見つめ続けていた。
折れてしまいそうな程に細い体の少女は、驚くほどに頭がよく、しかも冷静である。その体つきとは違い、容易に屈しない強さも感じられた。
「それは、残念だな。」
「えっ?」
思わずラウナは胸のブローチを握ってしまった。
翌週、大晩餐会のために、レイニャは豪華なドレスを着こんでいた。クラーラとゲアリンデの二人掛かりでの着付けである。
「ラウナがいっしょじゃないと詰まらないよ。」
ウエストの紐を編むクラーラは力を入れて締め上げる。
「上級貴族だけの晩餐会ですから仕方ありませんよ。」
少し離れた椅子に座るラウナは、ドレスを着る大変さを思いながら眺めていた。
「らうなあ、来年は、きっとおまえにもドレスを用意してあげるからね。」
「いりませんよ。私には、晩餐会に陳列されるだけの価値なんてありません。」
「陳列・・・?ああ、でも、いっしょに行きたいよ。」
足をバタバタさせるレイニャにラウナは近づき耳打ちした。
「せっかくの晩餐会ですから、大物を捕まえてきてください。ヨーラン様とか・・・。」
レイニャは真面目顔で答えた。
「馬鹿な事、言わないでよ。」
背中をポンと叩いたクラーラはレイニャに告げる。
「できましたよ。外で、エスコート役のユーリエ様がお待ちです。どうぞ、いってらっしゃいませ。」
「ああ、なんか気が重いな。」
そう言って部屋から出ていったレイニャだったが、待ち構えるユーリエを見ると満面の笑みを浮かべ、彼の腕にしがみついた。
晩餐会の主役は、間違えなく三人の王女だった。
大広間には華やかな貴族達が集まり、その中心に三人の王女が座った。
ヨーランを始めとする宮廷官僚はもちろんのこと、有力貴族の面々が顔を揃え、宮殿のホールは二百人を超える人で埋まった。
中でも人気の的は、やはりヨハンナである。彼女の周りは、あっという間に若い貴族で埋め尽くされてしまった。
当然、サーラの周りも多くの若者が押し寄せていた。次期女王の有力候補であれば当然のことである。
ユーリエの運んできた皿から、食べ物を手にしたレイニャは、そんな姉達を嬉しそうに眺めていた。
「あんなにブーたれていたのに、嬉しそうですね。」
「まあね。美人の貴女もたくさんいるから、踊ってきたら。」
「いいえ、結構です。」
「ふーん。」
そう言いながら、何気なく自分に寄り添ってくれるユーリエにレイニャはほっとしていた。
そこに、若い軍人を連れたダニエルがやって来た。
「王女様、ご機嫌麗しそうですな。はっはっはっはっは。」
口を押えたレイニャは飛び上がるようにして、ダニエルの肩を叩いた。
「おお、ダニエル。それにしても、この体は頑丈そうね。叩いても、蹴っても壊れそうにない。」
「いやはや、レイニャ様、蹴るのは勘弁してくださいませ。ははははっ。」
大きな声で笑いながら、ダニエルは杯に満たされた酒をあおった。
「おお、そうだ。改めて、ご紹介いたします。こちらは、コーバス、侯爵家の三男で弓の名手。して、こいつが、フース、伯爵家の長男で槍を使わせたら並ぶ者がいないほどの男です。二人とも、若く独身ときていますぞ。」
それを聞いたレイニャは目を輝かせて笑った。
「おおお、ユーリエ、おまえのライバル登場だぞ。」
ノリのいいレイニャに、ダニエルは大声で笑うが、ユーリエの方は相変わらず、とぼけた顔で言い返した。
「いつから、私がレイニャ様のお相手候補になっているのですか?」
「フフフ、おまえ、硬いな。そんなだから、ラウナにも軽くあしらわれちゃうんだ。」
ダニエルとは違い物静かな雰囲気のコーバスは丁寧にレイニャの前で跪いて挨拶した。自然と、レイニャは手を差し出し、そこに、コーバスは軽く口づけした。
「先日は失礼いたしました。是非、また、視察にいらしてください。よろしければ、弓の使い方をお教えいたします。」
「ええ、本当。行く、行く、絶対、行くからね。」
「お待ちしておりますよ。」
コーバスは笑顔でレイニャを見つめた。明るく無邪気なレイニャは見ているだけでも楽しい気分になってしまう。
代わって、少し硬そうなフースが前に出てきた。同じように挨拶すると、彼は神妙な顔で質問して来た。
「ギルギール様のお加減はいかがでしょうか?」
レイニャは間を置かずに答えた。
「うーん、お父様のご病気はあまり思わしくないかな。ヨハンナお姉様といっしょに、毎週お見舞いに行っているのだけど、代り映えがしない状況よ。でも、もう少し、暖かくなれば、きっとよくなると思うの。」
「我らにとっては大切な方、なんとか、ご回復されるようにお祈りしております。」
体はあまり大きくなかったが、筋肉質の力強い青年である。忠義心が強そうな印象であった。
そこに、髭を蓄えた宰相ヨーランが姿を現した。レイニャのところに来るのは珍しいことである。
「これは、レイニャ様、ご機嫌麗しきようですな。そろそろ、王女様達の舞踊の時間でございます。レイニャ様も、前へどうぞ。」
見れば、サーラとヨハンナは既に前に進んでいた。
レイニャは、ユーリエに視線を向けた。相手をしてくれという意味である。
しかし、ユーリエはコーバスの背中を押した。
「コーバス殿のお相手をお願いいたします。」
ちょっと、寂しそうな顔をしたレイニャだったが、すぐに、笑顔でコーバスの腕を掴んだ。
「エスコート、お願いしまーす。」
「はい。喜んで。」
コーバスに連れられたレイニャが去った後、ユーリエはヨーランに軽く会釈した。
ヨーランの方も鋭い視線を向けながら、軽く会釈した。
「ユーリエ、おまえは優秀な男だ。くれぐれも間違えるなよ。」
「はい。心得ています。」
ヨーランはニヤリと笑うと、軽くダニエルの肩に手を乗せてから去っていった。
その後姿を見送ったダニエルは、杯に残った酒を一気に飲み干した。
「まあ、あの男には逆らえんな。」
「今は、そうですね。」
ヨハンナの深い瞳は、いつも遥か遠くを見つめている。そんな美しき王女の舞は妖艶だった。誰もが目を引き付けられてしまう。
レイニャを見つめるユーリエに、感慨深そうな顔をしたダニエルが話しかけてきた。
「ヨハンナ王女を見ていると、あの母親を思い出す。あの頃、私も若かったから、舞踏会では見とれてしまったものだ。美しくも儚い淑女だった。」
レイニャから、ヨハンナに視線を移したユーリエは答える。
「私は子供の頃に一度だけお会いしただけです。どんな方だったのかも、覚えていません。」
「まあ、そうだろうな。」
ユーリエは、再び、レイニャに視線を戻した。
ヨハンナとサーラの陰になって、レイニャの相手がいなくなるのが心配だったのだが、今回は、そんな心配はいらなかったようだ。
明るく無邪気な王女の人気は十分だった。次々に相手を申し込んでくる男達に、レイニャは困り顔である。
「レイニャ王女の人気も急上昇だな。」
ダニエルの声に、ユーリエは頷いた。
建国祭の折には、三姉妹が揃って顔を見せ、姉妹の仲が良いことを示せたのと、それから、何よりも軍の演習に顔を出したのが大きいのだろう。
多くの貴族にとって、王家と親縁関係を結ぶというのは非常に大きな保身となる。異母の娘であることにマイナス要素がないのであれば、その価値としては三女であっても十分なのだ。
少し離れたところで、ヨーランは三人の王女をじっと見ていた。その傍らに近づいてきた四十代の男は宮廷官僚のひとりミッシェルである。貴族を束ねる代表者でもある男は、ヨーランに次ぐ権力者と言っても良かった。
「おまえなら、どの王女を選ぶ。」
ヨーランの問いに、ミッシェルは即座に答えた。
「それは、もちろん、サーラ様です。必要なのは、美しさではなく、多くの貴族を納得させられる力です。その点においては、長女であり、気品と貫禄を持つサーラ様を置いて他にはないでしょう。」
「なるほどな。儂もそう思っておった。しかし、レイニャも気になり始めた。何をやり出すかも知れぬ行動力と、人を誑し込む力がある。」
「しかし、駆け落ちした女の娘ですよ。誰が、あんな女を信用しますか。」
「そうでもないぞ。レイニャを守ろうとする者は少なくはない。油断は禁物だ。ヨハンナにしてもレイニャしても、王女なのだからな。」
ミッシェルは、ヨーランの弱気とも思える言葉に疑いの念が生じた。権力をほしいままにしたヨーランも五十を過ぎて、少し衰えたのかもしれないと思った。
踊りつかれた三人の王女は同じテーブルについた。
一息ついたサーラは、ヨハンナに向かって自然に言葉をかけた。
「ヨハンナ、花壇の件は済まなかったな。私も気が利かなかった。」
「いいえ、お姉様、別な場所に作っていただき、私の方こそ、気を使わしてしまって申し訳ありません。」
ごく普通に、昔と同じように話す二人を見たレイニャはほっとした。実は、もっと、険悪なのではないかと思っていたのだ。
特に無為な話であっても、やはり、こんな風に三人で顔を合わせることは必要なのだ。そうでないと、きっと、大変なことになってしまうという気がした。
そんなレイニャの気持ちを察するように、サーラはヨハンナに提案する。
「こうして、三人で話すのも久しぶりだな。できれば、このような時間を定期的に持ちたいのだが、どうかな?」
ヨハンナはいつものように遠い視線のままで答えた。
「お姉様が、そうおっしゃるのでしたら、私に異議はありませんわ。」
「レイニャはどうだ?」
「もちろん、異議なし。ねぇ、ねぇ、暖かくなってきたし、三人でどこかに出かけようよ。」
「ほう、どこに行くのだ。レイニャ、言いだしたのだから、おまえがセッティングするのだぞ?」
「いいよ。いいよ。みんなを誘って森に行こう。」
「みんなとは、誰を誘うのだ。」
「えーと、ユーリエでしょう。ラッセルさんに、ヴァルターさん、ダニエルさん、それから、ローガン、コーバスとフースも誘っちゃおうかな。」
指折り数えるレイニャを見ていたサーラは驚いてしまう。まるで、友達を誘うが如く上げた名前の中には、宮廷や軍の大物が入っていたからだ。
「ダニエルさんとは、軍司令官のダニエル・コーレ殿のことか?」
「そうそう、ガッハハハーって、笑う人。」
サーラは呆れ顔だった。
まだ、子供だと思っていたレイニャだったが、彼女には自分にはない素質があるのかもしれないとサーラは感じ始めていた。